故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
酔生夢人のブログ より
上記文抜粋
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「女子は殴らないとわからない」か
「AERA」から転載。
記事中の言葉を借りれば、「何の科学的根拠もない」考えなのだが、「女子は殴らないとわからない」というのは、ある種の経験則から出ている言葉ではないか、という気がする。
もちろん、私は女を殴るような男は男の屑だと思っているし、女性に手を上げたことは一度も無い。
男にだって手を上げたことは中学生のころに一度、大学時代に一度しかない。大学時代のことは、酔っ払って、何が何だかわからないうちに集団の喧嘩になっていたので、カウントしていいのかどうか疑問である。
まあ、要するに、肉体的暴力は嫌いなのだ。特に、弱者に対する暴力行為は、反吐が出る思いがする。
だが、女性は案外、暴力に許容的である気がする。
DVをする亭主やヤクザみたいな男に惚れる女性が多いのは、そういう「暴力耐性」が高いのも理由だろう。映画鑑賞をする時などだと暴力シーンを毛嫌いするのに、身近な暴力には案外と許容的な感じがするのが不思議である。
宮川選手のコーチもそうだと思うが、「女扱いの上手い」男は、そういう「飴と鞭」の使い分けが上手いようだ。
「自分に真剣に向かってくれている」という幻想を与えるのだろう。
さて、「女子は殴らないとわからない」というのは、女性にとっての会話というのは基本的に「感情のキャッチボール」であって、論理的な交渉事ではないと思われるからだ。
となれば、相手の言うことを本気で聞いているはずがない。
誰だったか、
「女は、相手が話している時には、聞いていない。聞いているふりだけして、その間、次に自分が言うことを考えている」
と言っていたが、そういう相手に指導をするのは言葉だけでは無理で、「殴らないとわからない」という気持ちになるのは自然だろう。
以上は、女性というものにはまったく無知な人間の妄想だが、私の狭い知見の範囲で考えると、そういう気がする、という話である。
いや、もちろん、以上の妄言は、「だからスポーツ指導に暴力は必要だ」という話ではない。
暴力が必要な事象など、世の中には無い。
たとえば赤ん坊に焼けたストーブの危険性を教えるのに、指を一瞬だけストーブに触れさせる、というようなのは、暴力とは別のことである。
体罰などというのも問題外である。
では、女子へのスポーツ指導はどうする、と言われたら、スポーツなど、そもそも必要か、というだけのことだ。あんな「遊び事」のために暴力が肯定されていいはずがない。
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抜粋終わり
>では、女子へのスポーツ指導はどうする、と言われたら、スポーツなど、そもそも必要か、というだけのことだ。あんな「遊び事」のために暴力が肯定されていいはずがない。
その通り。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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「女子は殴らないとわからない」か
「AERA」から転載。
記事中の言葉を借りれば、「何の科学的根拠もない」考えなのだが、「女子は殴らないとわからない」というのは、ある種の経験則から出ている言葉ではないか、という気がする。
もちろん、私は女を殴るような男は男の屑だと思っているし、女性に手を上げたことは一度も無い。
男にだって手を上げたことは中学生のころに一度、大学時代に一度しかない。大学時代のことは、酔っ払って、何が何だかわからないうちに集団の喧嘩になっていたので、カウントしていいのかどうか疑問である。
まあ、要するに、肉体的暴力は嫌いなのだ。特に、弱者に対する暴力行為は、反吐が出る思いがする。
だが、女性は案外、暴力に許容的である気がする。
DVをする亭主やヤクザみたいな男に惚れる女性が多いのは、そういう「暴力耐性」が高いのも理由だろう。映画鑑賞をする時などだと暴力シーンを毛嫌いするのに、身近な暴力には案外と許容的な感じがするのが不思議である。
宮川選手のコーチもそうだと思うが、「女扱いの上手い」男は、そういう「飴と鞭」の使い分けが上手いようだ。
「自分に真剣に向かってくれている」という幻想を与えるのだろう。
さて、「女子は殴らないとわからない」というのは、女性にとっての会話というのは基本的に「感情のキャッチボール」であって、論理的な交渉事ではないと思われるからだ。
となれば、相手の言うことを本気で聞いているはずがない。
誰だったか、
「女は、相手が話している時には、聞いていない。聞いているふりだけして、その間、次に自分が言うことを考えている」
と言っていたが、そういう相手に指導をするのは言葉だけでは無理で、「殴らないとわからない」という気持ちになるのは自然だろう。
以上は、女性というものにはまったく無知な人間の妄想だが、私の狭い知見の範囲で考えると、そういう気がする、という話である。
いや、もちろん、以上の妄言は、「だからスポーツ指導に暴力は必要だ」という話ではない。
暴力が必要な事象など、世の中には無い。
たとえば赤ん坊に焼けたストーブの危険性を教えるのに、指を一瞬だけストーブに触れさせる、というようなのは、暴力とは別のことである。
体罰などというのも問題外である。
では、女子へのスポーツ指導はどうする、と言われたら、スポーツなど、そもそも必要か、というだけのことだ。あんな「遊び事」のために暴力が肯定されていいはずがない。
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抜粋終わり
>では、女子へのスポーツ指導はどうする、と言われたら、スポーツなど、そもそも必要か、というだけのことだ。あんな「遊び事」のために暴力が肯定されていいはずがない。
その通り。
お読みくださりありがとうございます。
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書き込みありがとうございます。