故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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http://baseballstats2011.jp/archives/54533241.html 野球の記録で話がしたい より
上記文抜粋
・・・・・・・・
マラソンランナー原裕美子をクレプトマニアにしたのは誰か?
昨日の、マラソンランナー原裕美子の記者会見は、悲惨の一言だった。そして日本スポーツの「勝利至上主義」がいかに非人道的で、卑劣であるかを世間に知らしめたと言えるだろう。
彼女は、京セラ時代に、体重を維持するため指導者から極端な食事制限を受けていた。
そのために、食事をすることに罪悪感を覚えるようになり、食べては吐く摂食障害になる。
また指導者は、買い食いをさせないため、彼女の財布を取り上げることまでした。
そういう非人道的な指導の挙句に、彼女は引退後、生活が破綻する。結婚にも失敗し、元の指導者からの詐欺にもあうなど、悲惨な境遇となる。そして万引きを繰り返す「窃盗症(クレプトマニア)」になったのだ。
「スポーツ以外何も知らない」スポーツ馬鹿の挙句に、という見方もできるだろう。検察側は、精神疾患ではなく、規範意識の欠如による犯罪と指摘した。
犯罪そのものは、彼女の責任だし、それを償うべきだとは思うが、一人の人間をここまで追い詰めたのが「スポーツ」だったことを考えると暗然とする。
日本では、「人生のすべてをスポーツに捧げる」ことを賛美する風潮がある。そのためにプライベートや健康を犠牲にすることも許されると考える人が多い。
野球界では、反対に、体を大きくするために無理やりカロリーの高い食事を詰め込ませる指導者もいる。これがのちに深刻な健康被害につながることは、肥満集団である大相撲力士の平均寿命が、日本人の平均よりもはるかに短いことを見てもわかる。
深刻なのは、そうした極端な「食による肉体改造」が、本人の自発的な意思ではなく、指導者の強制によって行われていることだ。
指導者は選手の「今」だけでなく、将来も考えなければならない。将来深刻な健康被害や精神障害を起こすような肉体改造は、本人がやりたいといってもそれを止めるべきだ。
しかし、原裕美子のように、アスリートのその後の人生をめちゃくちゃにするような指導者はたくさんいるし、それによってすぐに結果を出す指導者は、日本では「優秀」だとされている。
なぜか、新聞メディアは原の犯罪が、京セラ時代の指導者の食事制限に端を発することにあまり触れていない。当時の監督の大森国男が、埼玉栄などで多くのアスリートを指導した名将だからか?
例によって、日本スポーツの問題を鋭く指摘することに、腰が引けている感があるが、今後は、こうした非人道的な「スポーツ指導」は、否定されていくだろう。当たり前の話である。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>日本では、「人生のすべてをスポーツに捧げる」ことを賛美する風潮がある。そのためにプライベートや健康を犠牲にすることも許されると考える人が多い。
スポーツをするロボット・奴隷に仕立て上げる。
それが日本天皇流・・・。
>しかし、原裕美子のように、アスリートのその後の人生をめちゃくちゃにするような指導者はたくさんいるし、それによってすぐに結果を出す指導者は、日本では「優秀」だとされている。
ロボット・奴隷を量産する会社・工場長は、褒められる・・・
>例によって、日本スポーツの問題を鋭く指摘することに、腰が引けている感があるが、今後は、こうした非人道的な「スポーツ指導」は、否定されていくだろう。当たり前の話である。
日本のスポーツ指導が、非人道的なのは、太平戦争末期の軍隊がモデルケースだからである。
それを日本は天皇から庶民まで、その悪を否定していない。
ので、こういうのが日常になる。
>指導者は選手の「今」だけでなく、将来も考えなければならない。将来深刻な健康被害や精神障害を起こすような肉体改造は、本人がやりたいといってもそれを止めるべきだ。
「今だけ」の自転車操業社会の日本。
来年ことをいうと鬼が笑うというが、そういう計画がないと、「目先のことも処理できない」と諸葛亮。
まあ天皇ドジン=日本人は、人間でないように改造されているからね。
これを追加
超訳文庫 より 再掲
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
超訳【中国武術論】
【中国武術論叢】餓鬼の門
「手熟餘談」二集 「餓鬼門」より
中国拳法にたくさんの門派(スタイル)があるということは、皆さん既によくご存知のことと思います。
それらを身につけたいと願うものは皆、それら多種多様な門(ドア)のいずれかを開き、この世界に足を踏み入れてゆくのことになるのです。
それでは皆さんにお尋ねしましょう。
ひょっとして、あなたはまだ知らずにいるのではないですか?
数多くの門の中に、「永遠に満たされることのない亡者」=「餓鬼」の世界へと続く門、「餓鬼門(The gate of starving ghoul)」というものがあることを!
この恐るべき「餓鬼門」は、一見してそれとわかるようなものではありません。
そしてありとあらゆる門は、全てこの「餓鬼門」へとたちまちにして変わり得るのです。
大勢の人たちが所属している、とある有名な門派があります。
そこでは皆、その門派の練習をしているつもりでいるのですが、実は必死になって「餓鬼」になるための努力をしているのだということに気づいていないのです。
・・・何の話か、ですって?
よく見てみなさい。
あの人たちは皆、自らの「拳」を鍛えているのではありません。
「拳を鍛えている自分の姿」に酔っているだけなのです。
あれこれと情報を仕入れ、たくさんのフリツケを覚えて踊るその姿は、まるで有名デパートでブランド品を買いあさる連中と同じ。
つまりあの人たちは、見た目のよい服を身にまといたいだけなのです。
頭のてっぺんから足の爪先まで、四季折々にふさわしいモードでばっちり。
格式ばった晩餐会用の大礼服から、夏場に水遊びするための海パンまで、ブランド品で一分のスキもなくキメまくり。
「馬子にも衣装」という言葉もあるように、たまにはいいかも知れませんが、所詮「服」は中身をくるむための衣、「中身」にはなり得ません。
自分の身体に合わない服は、どんなに見た目がよくても長く着ていることはできないものです。
その人本来の美しさ(女性の曲線美、男性の筋肉美など)も表現できないし、第一窮屈じゃないですか。
よく言いますよね? 「人にとって「食事」は何よりも重要だ」って。
「拳」の訓練は「食事」なのです。 決して「ファッション」ではありません。
台湾でも日本でもアメリカでも、小学校ではどこでも昼時になると給食がでます。
これは、成長に必要なための「栄養」を補給するためのとても重要な事柄です。
(味はまぁ、オフクロの味に遠く及びませんが・・・)
「拳」の訓練も、これとまったく同じことです。
基礎訓練は「米、小麦」、基本動作は「野菜」、応用方法が「魚、肉」、人に見せるための演技は「甘いデザート」。
それらの素材のバランスをよく考えて、育ち盛りの学生たちに与えないといけません。
それも全員一律にやるのではダメで、それぞれの消化能力や発達段階にふさわしい与え方をしていかないと、学生は成長することができないのです。
こどもにメシを食わさないですって!?
・・・いずれ飢え死にすること間違いなしです。
この事実は、どの門から入っても、同じこと。
だから私は、全ての門は「餓鬼門」となり得るというのです。
「内面の力」の訓練をともなわずに必死に飛んだり跳ねたりしたところで心が強くならないのは勿論のことですが、身体だって強くなりはしません。
ああ、見てください!
餓死寸前のネズミが死に物狂いでクルクルと駆け回っています・・・なんと恐ろしい!
ちゃんとした「食事」の方法を知っている人であれば、あれこれと手当たり次第に詰め込む必要など、まるでないのだということがわかります。
太極拳における力の使い方を身につけたのであれば、八極拳の力の使い方を練習する必要はありません。
劈掛掌のパワーの源をつかんだ人にとって、八卦掌の秘訣など、もはや不要なのです。
既に食べたものを消化し終わっているので、そこから得たエネルギーを、いつだって思いのままに利用可能というわけです。
さて皆さん。
皆さんは「拳」を食べますか?
それとも身体にまといますか?
言うまでもなく、皆さんはどちらでも好きなほうを選ぶ自由があります。
ただ、わけもわからず「餓鬼」に堕ちることだけは、避けていただきたいものです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>数多くの門の中に、「永遠に満たされることのない亡者」=「餓鬼」の世界へと続く門、「餓鬼門(The gate of starving ghoul)」というものがあることを!
>この恐るべき「餓鬼門」は、一見してそれとわかるようなものではありません。
>そしてありとあらゆる門は、全てこの「餓鬼門」へとたちまちにして変わり得るのです。
なんか、スポーツもこれだろう。
>「内面の力」の訓練をともなわずに必死に飛んだり跳ねたりしたところで心が強くならないのは勿論のことですが、身体だって強くなりはしません。
>ああ、見てください!
原裕美子さんは、日本のスポーツという餓鬼門で、内面の力・心を強くする真っ当な修行が出来ず、ひたすら身体を鍛えて、強くなってしまった。
それ故に「餓死寸前のネズミが死に物狂いでクルクルと駆け回っています」
てなってしまった・・・
原裕美子を窃盗症に陥れた、「餓鬼門」{日本流でいうと餓鬼流}の日本のスポーツと、
徐紀さんの意見と・・・
どっちが健全で幸いでしょうか・・・
少なくとも、後者の方が健康に生きれますよね・・・
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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マラソンランナー原裕美子をクレプトマニアにしたのは誰か?
昨日の、マラソンランナー原裕美子の記者会見は、悲惨の一言だった。そして日本スポーツの「勝利至上主義」がいかに非人道的で、卑劣であるかを世間に知らしめたと言えるだろう。
彼女は、京セラ時代に、体重を維持するため指導者から極端な食事制限を受けていた。
そのために、食事をすることに罪悪感を覚えるようになり、食べては吐く摂食障害になる。
また指導者は、買い食いをさせないため、彼女の財布を取り上げることまでした。
そういう非人道的な指導の挙句に、彼女は引退後、生活が破綻する。結婚にも失敗し、元の指導者からの詐欺にもあうなど、悲惨な境遇となる。そして万引きを繰り返す「窃盗症(クレプトマニア)」になったのだ。
「スポーツ以外何も知らない」スポーツ馬鹿の挙句に、という見方もできるだろう。検察側は、精神疾患ではなく、規範意識の欠如による犯罪と指摘した。
犯罪そのものは、彼女の責任だし、それを償うべきだとは思うが、一人の人間をここまで追い詰めたのが「スポーツ」だったことを考えると暗然とする。
日本では、「人生のすべてをスポーツに捧げる」ことを賛美する風潮がある。そのためにプライベートや健康を犠牲にすることも許されると考える人が多い。
野球界では、反対に、体を大きくするために無理やりカロリーの高い食事を詰め込ませる指導者もいる。これがのちに深刻な健康被害につながることは、肥満集団である大相撲力士の平均寿命が、日本人の平均よりもはるかに短いことを見てもわかる。
深刻なのは、そうした極端な「食による肉体改造」が、本人の自発的な意思ではなく、指導者の強制によって行われていることだ。
指導者は選手の「今」だけでなく、将来も考えなければならない。将来深刻な健康被害や精神障害を起こすような肉体改造は、本人がやりたいといってもそれを止めるべきだ。
しかし、原裕美子のように、アスリートのその後の人生をめちゃくちゃにするような指導者はたくさんいるし、それによってすぐに結果を出す指導者は、日本では「優秀」だとされている。
なぜか、新聞メディアは原の犯罪が、京セラ時代の指導者の食事制限に端を発することにあまり触れていない。当時の監督の大森国男が、埼玉栄などで多くのアスリートを指導した名将だからか?
例によって、日本スポーツの問題を鋭く指摘することに、腰が引けている感があるが、今後は、こうした非人道的な「スポーツ指導」は、否定されていくだろう。当たり前の話である。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>日本では、「人生のすべてをスポーツに捧げる」ことを賛美する風潮がある。そのためにプライベートや健康を犠牲にすることも許されると考える人が多い。
スポーツをするロボット・奴隷に仕立て上げる。
それが日本天皇流・・・。
>しかし、原裕美子のように、アスリートのその後の人生をめちゃくちゃにするような指導者はたくさんいるし、それによってすぐに結果を出す指導者は、日本では「優秀」だとされている。
ロボット・奴隷を量産する会社・工場長は、褒められる・・・
>例によって、日本スポーツの問題を鋭く指摘することに、腰が引けている感があるが、今後は、こうした非人道的な「スポーツ指導」は、否定されていくだろう。当たり前の話である。
日本のスポーツ指導が、非人道的なのは、太平戦争末期の軍隊がモデルケースだからである。
それを日本は天皇から庶民まで、その悪を否定していない。
ので、こういうのが日常になる。
>指導者は選手の「今」だけでなく、将来も考えなければならない。将来深刻な健康被害や精神障害を起こすような肉体改造は、本人がやりたいといってもそれを止めるべきだ。
「今だけ」の自転車操業社会の日本。
来年ことをいうと鬼が笑うというが、そういう計画がないと、「目先のことも処理できない」と諸葛亮。
まあ天皇ドジン=日本人は、人間でないように改造されているからね。
これを追加
超訳文庫 より 再掲
上記文抜粋
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超訳【中国武術論】
【中国武術論叢】餓鬼の門
「手熟餘談」二集 「餓鬼門」より
中国拳法にたくさんの門派(スタイル)があるということは、皆さん既によくご存知のことと思います。
それらを身につけたいと願うものは皆、それら多種多様な門(ドア)のいずれかを開き、この世界に足を踏み入れてゆくのことになるのです。
それでは皆さんにお尋ねしましょう。
ひょっとして、あなたはまだ知らずにいるのではないですか?
数多くの門の中に、「永遠に満たされることのない亡者」=「餓鬼」の世界へと続く門、「餓鬼門(The gate of starving ghoul)」というものがあることを!
この恐るべき「餓鬼門」は、一見してそれとわかるようなものではありません。
そしてありとあらゆる門は、全てこの「餓鬼門」へとたちまちにして変わり得るのです。
大勢の人たちが所属している、とある有名な門派があります。
そこでは皆、その門派の練習をしているつもりでいるのですが、実は必死になって「餓鬼」になるための努力をしているのだということに気づいていないのです。
・・・何の話か、ですって?
よく見てみなさい。
あの人たちは皆、自らの「拳」を鍛えているのではありません。
「拳を鍛えている自分の姿」に酔っているだけなのです。
あれこれと情報を仕入れ、たくさんのフリツケを覚えて踊るその姿は、まるで有名デパートでブランド品を買いあさる連中と同じ。
つまりあの人たちは、見た目のよい服を身にまといたいだけなのです。
頭のてっぺんから足の爪先まで、四季折々にふさわしいモードでばっちり。
格式ばった晩餐会用の大礼服から、夏場に水遊びするための海パンまで、ブランド品で一分のスキもなくキメまくり。
「馬子にも衣装」という言葉もあるように、たまにはいいかも知れませんが、所詮「服」は中身をくるむための衣、「中身」にはなり得ません。
自分の身体に合わない服は、どんなに見た目がよくても長く着ていることはできないものです。
その人本来の美しさ(女性の曲線美、男性の筋肉美など)も表現できないし、第一窮屈じゃないですか。
よく言いますよね? 「人にとって「食事」は何よりも重要だ」って。
「拳」の訓練は「食事」なのです。 決して「ファッション」ではありません。
台湾でも日本でもアメリカでも、小学校ではどこでも昼時になると給食がでます。
これは、成長に必要なための「栄養」を補給するためのとても重要な事柄です。
(味はまぁ、オフクロの味に遠く及びませんが・・・)
「拳」の訓練も、これとまったく同じことです。
基礎訓練は「米、小麦」、基本動作は「野菜」、応用方法が「魚、肉」、人に見せるための演技は「甘いデザート」。
それらの素材のバランスをよく考えて、育ち盛りの学生たちに与えないといけません。
それも全員一律にやるのではダメで、それぞれの消化能力や発達段階にふさわしい与え方をしていかないと、学生は成長することができないのです。
こどもにメシを食わさないですって!?
・・・いずれ飢え死にすること間違いなしです。
この事実は、どの門から入っても、同じこと。
だから私は、全ての門は「餓鬼門」となり得るというのです。
「内面の力」の訓練をともなわずに必死に飛んだり跳ねたりしたところで心が強くならないのは勿論のことですが、身体だって強くなりはしません。
ああ、見てください!
餓死寸前のネズミが死に物狂いでクルクルと駆け回っています・・・なんと恐ろしい!
ちゃんとした「食事」の方法を知っている人であれば、あれこれと手当たり次第に詰め込む必要など、まるでないのだということがわかります。
太極拳における力の使い方を身につけたのであれば、八極拳の力の使い方を練習する必要はありません。
劈掛掌のパワーの源をつかんだ人にとって、八卦掌の秘訣など、もはや不要なのです。
既に食べたものを消化し終わっているので、そこから得たエネルギーを、いつだって思いのままに利用可能というわけです。
さて皆さん。
皆さんは「拳」を食べますか?
それとも身体にまといますか?
言うまでもなく、皆さんはどちらでも好きなほうを選ぶ自由があります。
ただ、わけもわからず「餓鬼」に堕ちることだけは、避けていただきたいものです。
・・・・・・・・・
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抜粋終わり
>数多くの門の中に、「永遠に満たされることのない亡者」=「餓鬼」の世界へと続く門、「餓鬼門(The gate of starving ghoul)」というものがあることを!
>この恐るべき「餓鬼門」は、一見してそれとわかるようなものではありません。
>そしてありとあらゆる門は、全てこの「餓鬼門」へとたちまちにして変わり得るのです。
なんか、スポーツもこれだろう。
>「内面の力」の訓練をともなわずに必死に飛んだり跳ねたりしたところで心が強くならないのは勿論のことですが、身体だって強くなりはしません。
>ああ、見てください!
原裕美子さんは、日本のスポーツという餓鬼門で、内面の力・心を強くする真っ当な修行が出来ず、ひたすら身体を鍛えて、強くなってしまった。
それ故に「餓死寸前のネズミが死に物狂いでクルクルと駆け回っています」
てなってしまった・・・
原裕美子を窃盗症に陥れた、「餓鬼門」{日本流でいうと餓鬼流}の日本のスポーツと、
徐紀さんの意見と・・・
どっちが健全で幸いでしょうか・・・
少なくとも、後者の方が健康に生きれますよね・・・
お読みくださりありがとうございます。
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その通り。
書き込みありがとうございます。