故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
DEEPLY JAPAN より
上記文抜粋
・・・・・・・・
慧眼:野中広務さんの2009年の認識
1月26日、野中広務さんが亡くなり、氏についていろんな記事やtwitterを読んだ。
その中で、2009年6月27日に共産党の機関紙赤旗に出たという記事が印象深かった。
阿修羅に文字の書き起こしがあったので、読むならそっちを読む方が読みやすい。
http://www.asyura2.com/18/senkyo239/msg/122.html
しんぶん赤旗 2009年6月27日付の記事の画像はこれ。
(クリックで拡大)
いろいろあるが、ここが興味深いし、当然ちゃ当然だがよく見てる。
最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭塗(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(民主党前代表の)小沢(一郎)さんは、国連の下でなら自衛隊を海外に出してもいいなんておかしなことをいっています。こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。また政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思います。
日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。
要するに、米軍と自衛隊が一体化していっている上に今日(2009年当時でも)の政治状況があることの意味をよーーーく知って、そして危機感を抱いていた、と。
そして、それを満洲国と同じじゃないかという視点も素晴らしい。つまり、アメリカが日本を傀儡国家として、外に出る時の橋頭保にしようとしている、と思ってるわけでしょ。そして、満洲国は日本の持ち出しだったが、アメリカと日本の場合、日本の持ち出しという日本にとってはバカみたいな、アメリカにとってはメリットありありという関係になってる、と。慧眼ですがな。
さらに、国連の下なら自衛隊を海外に出してもいいじゃないかという議論を日本に持ちこんだ小沢に対する疑念、憤懣もまったく正当だと私は思う。
日米関係の底の底をほじくり続けたジャーナリストの末浪靖司さんとIWJの岩上さんの動画は素晴らしいと前に書いたが、このおじいさんが岩上さんとのいろんなやり取りの中で、何かの文脈で、国連って書いてありますが、これは事実上米軍のことです、あんた、国連なんてな看板、こんな看板をあげて戦争するような国はアメリカしかありまへんがな、と言っていたのも現実をよく見てると思った。
そういえば、末浪氏も京都の戦前生まれの人。多分末浪さんは市内の人ではないかと思えるので、野中氏の出身地とは離れているだろうし年齢も違うが、戦後という時代を目いっぱい認識できたおじいさんの発言は実にリアルだ。
「日米指揮権密約の研究」by IWJを視聴した (2)
「こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。」というのも、実は2009年の私もそう考えていた。というか、私はこの時、民主党が勝つべきではないと思っていた。こういうバラバラな体制で勝っても崩されると思ったから。
歴史好きの私としては、怖いのはクーデターじゃない、カウンタークーデターだ、と思っているんです。怖いというか、効果が絶大なのは、という意味。
226がまさにそれでしょう。カウンターを取る側からしたら、一旦やらせて、その収拾にことよせて戒厳令を敷いたでしょ。ああいう具合。
諜報機関がしかける謀略ってだいたいこういう感じなんだと思うんですよね。蜂起させて、それを粉砕することで敵なしで実権を取るの。考えればわかるんだけど、蜂起する側を潰して実権を取るんだから、そこには敵がいなくなるの。だから、一回やらせろ、って感じで構えている人たちがいる場合には、よくよく注意しないとやってもうまくいかん、むしろ逆になる、とか思うわけですよ。で、実際なったのに、このメカニズムがまだ理解できていないっぽいのが旧民主党サポーター、というのが私の認識。
最後もいい。
幕末から明治にかけて、「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革であったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、と思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
まさしく、現在私たちがそうすべきだと思いはじめたことを2009年にはほとんど覚悟を決めて(だって赤旗に出るって覚悟でしょ)話してらした。
ご冥福をお祈りします、と締めるのが良識ある大人なのかもしれないが、しかし、私はまだ冥福は祈らないことにしたい。野中さんを忘れない、氏は生きていると思いながら考えることが、おそらく私たちの力となるだろうから。死せる野中、人を動かすとなるべき。
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・・・・・・・・
抜粋終わり
日本がアメリカの橋頭堡になってまでも、アメリカの従属したかった理由は「天皇が望んだから」ってもある。
米軍で「好戦的愛国狂信者」を抑えて、さらにアメリカで「共産主義的勢力」を抑える。
まさに天皇にとっては願ったりかなったりであった。
それはある時期までは、日本の庶民の願望と合致していた。
急激な革命や、まして戦争など、日本の庶民は戦後はこりごりだったから。
「天皇」というのが生き延びたのはマボサク的な見方をすると、南北朝以来政治の実権を失って「命令」でなく「お願い」をして切り抜けてきたからと言い得る。
命令で過ちがあると、その過失は天皇に来る。お願いだと「まあ仕方がない」となるし、相手に「聴かない権利」も多少あるので、それでそれなりに権威と実勢を保ち得た。
さらにいうと、日本は国土の統一が、朝鮮半島やベトナム等東南アジア諸国よりも遅い。
完全な統一は、太閤さん・神君でなって、それまでは「天皇を一応権威と認める酋長連合」に過ぎなかった。
言い換えると、「天皇」の「権威」がもっと弱く、中国本土や朝鮮半島ともっと近ければ、九州なり東北地方は、「天皇にいびられるから、朝鮮王や中華皇帝に臣従する」となり、とっくに日本は分裂していた。
この統一の遅さは、日本は山がちであり、その上に海も多く、山や海で地域が分断されていること甚だしくさらに、半島やベトナムのような官僚制度システムはできなく、大軍・効率的な軍隊・官僚の運用ができたのが織豊政権・江戸以降であったこと。
あと、江戸に「天皇」を権威として徳川幕府が用いて、「天皇」の権威が復活したといい得る。
幸運と地理的条件と、「統一が遅かった」ことで天皇が生き延びた。
でも、天皇って皇帝に比べると「宗教的要素」が強くて権力者としてはかなり使いにくい。制約が多すぎて政治が至難である。だから「院政」など変則的な統治形態が平安後期から発生したわけで。上皇だと天皇がしてはいけない行政的な失敗もある程度責任を取ることができて多少の強ができる。
その天皇家でもできなかった「天皇親政」ってのは、無理やりって命令系統や責任の所在の混乱が延々と続いているのが、明治以降の日本で、それは敗戦後も実はたいして変わってないてのが現実に思える。
マボサク的にいえば、「命令」を出す主体なり象徴になり「運気」を使い果たし、孫子や韓非子・管子の命令論・責任論でいうと、責任の所在と賞罰の厳命化がうやむやになり、もう「天皇制」てのを政治・社会の機能・統治者として用いるのは、不可能になっているといい得る。
運も無い・命令系統も混乱・責任の所在もあいまいでごまかされる。
これで、政治のトップなり社会の元首なりを務めるのは、不可能でキチガイである。
もう明治で、天皇が「権力者・社会・国家を動かす権威」をすることは終わったのである。
よくいうと「天皇制を卒業した」ってことなのだ。
が、まだ「大学に居たい」と居座って留年を続ける愚かな学生と同じ状態であろう。
留年は、やがて大学に斬られる・辞めさせられる。
天皇制に居座り続けると、それも天地仏神に「日本人滅亡・皇族皆殺し」という形で、強制的退学をさせられるのである。
だから「卒天皇」ですは・・
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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慧眼:野中広務さんの2009年の認識
1月26日、野中広務さんが亡くなり、氏についていろんな記事やtwitterを読んだ。
その中で、2009年6月27日に共産党の機関紙赤旗に出たという記事が印象深かった。
阿修羅に文字の書き起こしがあったので、読むならそっちを読む方が読みやすい。
http://www.asyura2.com/18/senkyo239/msg/122.html
しんぶん赤旗 2009年6月27日付の記事の画像はこれ。
(クリックで拡大)
いろいろあるが、ここが興味深いし、当然ちゃ当然だがよく見てる。
最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭塗(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(民主党前代表の)小沢(一郎)さんは、国連の下でなら自衛隊を海外に出してもいいなんておかしなことをいっています。こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。また政界再編なんていっても、本当にまともにこの国の行方を決める政治家の集団はできないんじゃないかと思います。
日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。
要するに、米軍と自衛隊が一体化していっている上に今日(2009年当時でも)の政治状況があることの意味をよーーーく知って、そして危機感を抱いていた、と。
そして、それを満洲国と同じじゃないかという視点も素晴らしい。つまり、アメリカが日本を傀儡国家として、外に出る時の橋頭保にしようとしている、と思ってるわけでしょ。そして、満洲国は日本の持ち出しだったが、アメリカと日本の場合、日本の持ち出しという日本にとってはバカみたいな、アメリカにとってはメリットありありという関係になってる、と。慧眼ですがな。
さらに、国連の下なら自衛隊を海外に出してもいいじゃないかという議論を日本に持ちこんだ小沢に対する疑念、憤懣もまったく正当だと私は思う。
日米関係の底の底をほじくり続けたジャーナリストの末浪靖司さんとIWJの岩上さんの動画は素晴らしいと前に書いたが、このおじいさんが岩上さんとのいろんなやり取りの中で、何かの文脈で、国連って書いてありますが、これは事実上米軍のことです、あんた、国連なんてな看板、こんな看板をあげて戦争するような国はアメリカしかありまへんがな、と言っていたのも現実をよく見てると思った。
そういえば、末浪氏も京都の戦前生まれの人。多分末浪さんは市内の人ではないかと思えるので、野中氏の出身地とは離れているだろうし年齢も違うが、戦後という時代を目いっぱい認識できたおじいさんの発言は実にリアルだ。
「日米指揮権密約の研究」by IWJを視聴した (2)
「こんどの総選挙で民主党が政権をとってもわれわれにとっても何の展望も開けないでしょう。」というのも、実は2009年の私もそう考えていた。というか、私はこの時、民主党が勝つべきではないと思っていた。こういうバラバラな体制で勝っても崩されると思ったから。
歴史好きの私としては、怖いのはクーデターじゃない、カウンタークーデターだ、と思っているんです。怖いというか、効果が絶大なのは、という意味。
226がまさにそれでしょう。カウンターを取る側からしたら、一旦やらせて、その収拾にことよせて戒厳令を敷いたでしょ。ああいう具合。
諜報機関がしかける謀略ってだいたいこういう感じなんだと思うんですよね。蜂起させて、それを粉砕することで敵なしで実権を取るの。考えればわかるんだけど、蜂起する側を潰して実権を取るんだから、そこには敵がいなくなるの。だから、一回やらせろ、って感じで構えている人たちがいる場合には、よくよく注意しないとやってもうまくいかん、むしろ逆になる、とか思うわけですよ。で、実際なったのに、このメカニズムがまだ理解できていないっぽいのが旧民主党サポーター、というのが私の認識。
最後もいい。
幕末から明治にかけて、「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革であったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、と思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
まさしく、現在私たちがそうすべきだと思いはじめたことを2009年にはほとんど覚悟を決めて(だって赤旗に出るって覚悟でしょ)話してらした。
ご冥福をお祈りします、と締めるのが良識ある大人なのかもしれないが、しかし、私はまだ冥福は祈らないことにしたい。野中さんを忘れない、氏は生きていると思いながら考えることが、おそらく私たちの力となるだろうから。死せる野中、人を動かすとなるべき。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
日本がアメリカの橋頭堡になってまでも、アメリカの従属したかった理由は「天皇が望んだから」ってもある。
米軍で「好戦的愛国狂信者」を抑えて、さらにアメリカで「共産主義的勢力」を抑える。
まさに天皇にとっては願ったりかなったりであった。
それはある時期までは、日本の庶民の願望と合致していた。
急激な革命や、まして戦争など、日本の庶民は戦後はこりごりだったから。
「天皇」というのが生き延びたのはマボサク的な見方をすると、南北朝以来政治の実権を失って「命令」でなく「お願い」をして切り抜けてきたからと言い得る。
命令で過ちがあると、その過失は天皇に来る。お願いだと「まあ仕方がない」となるし、相手に「聴かない権利」も多少あるので、それでそれなりに権威と実勢を保ち得た。
さらにいうと、日本は国土の統一が、朝鮮半島やベトナム等東南アジア諸国よりも遅い。
完全な統一は、太閤さん・神君でなって、それまでは「天皇を一応権威と認める酋長連合」に過ぎなかった。
言い換えると、「天皇」の「権威」がもっと弱く、中国本土や朝鮮半島ともっと近ければ、九州なり東北地方は、「天皇にいびられるから、朝鮮王や中華皇帝に臣従する」となり、とっくに日本は分裂していた。
この統一の遅さは、日本は山がちであり、その上に海も多く、山や海で地域が分断されていること甚だしくさらに、半島やベトナムのような官僚制度システムはできなく、大軍・効率的な軍隊・官僚の運用ができたのが織豊政権・江戸以降であったこと。
あと、江戸に「天皇」を権威として徳川幕府が用いて、「天皇」の権威が復活したといい得る。
幸運と地理的条件と、「統一が遅かった」ことで天皇が生き延びた。
でも、天皇って皇帝に比べると「宗教的要素」が強くて権力者としてはかなり使いにくい。制約が多すぎて政治が至難である。だから「院政」など変則的な統治形態が平安後期から発生したわけで。上皇だと天皇がしてはいけない行政的な失敗もある程度責任を取ることができて多少の強ができる。
その天皇家でもできなかった「天皇親政」ってのは、無理やりって命令系統や責任の所在の混乱が延々と続いているのが、明治以降の日本で、それは敗戦後も実はたいして変わってないてのが現実に思える。
マボサク的にいえば、「命令」を出す主体なり象徴になり「運気」を使い果たし、孫子や韓非子・管子の命令論・責任論でいうと、責任の所在と賞罰の厳命化がうやむやになり、もう「天皇制」てのを政治・社会の機能・統治者として用いるのは、不可能になっているといい得る。
運も無い・命令系統も混乱・責任の所在もあいまいでごまかされる。
これで、政治のトップなり社会の元首なりを務めるのは、不可能でキチガイである。
もう明治で、天皇が「権力者・社会・国家を動かす権威」をすることは終わったのである。
よくいうと「天皇制を卒業した」ってことなのだ。
が、まだ「大学に居たい」と居座って留年を続ける愚かな学生と同じ状態であろう。
留年は、やがて大学に斬られる・辞めさせられる。
天皇制に居座り続けると、それも天地仏神に「日本人滅亡・皇族皆殺し」という形で、強制的退学をさせられるのである。
だから「卒天皇」ですは・・
お読みくださりありがとうございます。
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終戦直後に皇室を廃止にしとけば 戦前の支配構造も解体できたのに…
アメリカも余計なことをしたものです。
>
>終戦直後に皇室を廃止にしとけば 戦前の支配構造も解体できたのに…
>アメリカも余計なことをしたものです。
なんか結局日本人でつぶしか無かったかもしれません。まあアメリカとしたら「共産化」の盾として利用して、なになら「ISIS」や「フセインとかの独裁者」のように戦争の相手にして再利用して潰せばいいと。
日本人が天皇も絡む「夜郎自大」を克服するか外国に完全滅亡させれるかしか、天皇を卒業できないと思えます。
書き込みありがとうございます。