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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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戦闘教師「ケン」 激闘永田町編  より

上記文抜粋
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自由を守るために独裁強化する中国のパラドクス・上
【中国、14年ぶり憲法改正 習氏の長期政権に道】
 中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)は11日、共産党の指導的役割を明記し、国家主席の任期を2期(10年)までとしていた規定をなくす憲法改正案を可決した。2期目に入った習近平総書記(国家主席)の長期政権に向け、憲法上の制約がなくなった。
無記名投票で2964人が投票し、賛成は2958票で改正要件の3分の2以上を大きく上回り、99・8%に達した。反対は2票、棄権は3票、無効票は1票。改正憲法は即日公布、施行された。
 習氏が兼任する党トップの総書記、人民解放軍トップの中央軍事委員会主席には任期制限がない。全人代は党、国家、軍の規定をそろえることで「習近平同志を核心とする党中央の権威と集中的な統一指導を守るのに役立つ」と説明した。
 中国の憲法改正は2004年以来、14年ぶり。あらゆる公職者の汚職を取り締まる「国家監察委員会」を憲法上の機関として設立する内容も盛り込んだ。
 改正憲法では、第1条に「共産党による指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴である」と書き込み、共産党の一党支配の正当性を法制度面からもより強固にした。前文には、昨秋の党大会で党規約に書き込んだ習氏の政治理念「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」や習氏が唱えるスローガン「中華民族の偉大な復興」を明記し、「一強」態勢を築いてきた習氏の権威をさらに高めた。
(3月11日、朝日新聞)

ケン先生は中国は門外漢ではあるが、全体主義学徒として一言触れておきたい。
最近あった飲み会で、ロシア学を学んだはずの先輩が「チューゴクが独裁強化、人民弾圧、対外侵略推進の兆候~~」などと恥ずかしい話を臆面もなくされていた。中国研究を専門とする同志も「今なぜ独裁強化なのか」と疑問視していたのが印象深かった。やはり地域研究とガヴァナンス(統治形態)の研究者は視点が異なるのかもしれないし、日本で教育を受けるとどうしても既存の価値観(主にデモクラシーとリベラリズム)に基点を置いてしまい、客観視することが難しいのかもしれない。

自分の分野で言えば、例えばレーニンやスターリンが独裁権を求めたのは、革命を護持し、一国の近代化と工業化を強行するためであって、個人的な栄達や権力行使を求めてのものではなかった。日本の歴史で言えば、織田信長や大久保利通がこれに類する。習近平氏が個人的な思惑で独裁権を求めていると考えるのは、歴史軽視も甚だしい。

詳細は「ペレストロイカを再検証する」を読んでいただきたいが、ゴルバチョフがペレストロイカに失敗したのは、計画経済から市場経済に移行するに際し、既得権益層の抵抗が予想されたにもかかわらず、「民主化」と称して共産党と同書記長の権力を分散させてしまったため、体制を維持するために必要な改革が実施できなくなって、時間切れを迎えてしまったことに起因している。
具体例を挙げれば、ペレストロイカは1985年に開始されたが、ソ連崩壊前の1990年時点で、市場経済化の進捗度は「企業民営化率1%、自由価格率5%」でしかなかった。また、改革開始時点で食糧価格調整金と国営企業の赤字補填が、歳出のそれぞれ2割を占めていたが、90年時点でその割合は歳入減も手伝ってむしろ増加する有様だった。
実のところ、ゴルバチョフに必要だったのは、既得権益層である保守派を粛清・排除して市場経済化と民営化を強行するための権力集中であり、そのためには民主派も弾圧する必要があった。

一党独裁を護持したまま市場経済化を実現した中国を見た場合、共産党は1989年に起きた第二次天安門事件を利用して民主派を弾圧するが、今度は相対的に保守派が強化されてしまったため、第一線を引いたはずの鄧小平が保守派攻撃に転じて陳雲らを引退に追い込んで、改革開放路線を確立した。そして、保守派の反撃と民主派の再起から同路線を堅持するために、1993年には同一人物が総書記、国家主席、党中央軍事委員会主席を兼任して権限を一元化する現行体制が築かれた。

改革開放路線の確立から25年を経て、中国のGDPは、1993年の4,447億USドルから2017年の11.9兆ドルへと、何と26.7倍にも成長した。確かに奇跡的ではあるが、もともと中国は19世紀初頭には全世界のGDPの半分以上を占めており、1890年代に至ってすら単独トップの座を維持していたのだから、この100年間ほどが異常だっただけの話で、「本来の形」に戻りつつあるというのが正しい見方かもしれない。

だが、中国の場合、急成長したが故に大きな課題も抱えている。改革開放路線の柱の一つだった軍の近代化は概ね達成しつつあるが、(モンゴル帝国を除いて)秦帝国以来最大の版図を実現する中華人民共和国は陸上国境だけで2万2千km、海岸線を含めると4万kmにも達しており、その国防は決して容易ではない。過去百年強を見た場合、中国を侵略したのは英仏露日独米墺伊など列強の大半に及び、現在のロシアが米欧日による挟撃を心底恐れて核戦力の強化に邁進するのも決して他人事では無い。
現代日本では中国の国防費の伸びをもって「侵略の前兆」と危機を煽るものが少なくないが、中国人に言わせれば「お前にだけは言われたくない」ということになるだろう。
なお、1978年にソ連がアフガニスタンに軍事介入する際、参謀本部が反対したのは、「ソ中国境防備が脆弱になる」という理由からであったことは特筆に値する。

例えば、北清事変に介入した列強諸国の2016年時の国防費を総計すると、9500億USドル以上に上るが、中国の国防費は2150億ドルでしかない。1930年から40年代にかけて、開戦時に中国の4割程度の国力(GDP)しか無かった日本が、中国領土の3割以上も占領、海岸線を封鎖して7年も持ちこたえたことは、現代日本人にはまず想像できない衝撃だった。なお、現代日本のGDPはちょうど中国の4割ほどで、中国エリート的には「やっと1937年水準か」と溜息が出る話で、経済力で日本を圧倒するまでは全く安心できないかもしれない。こうした歴史が分からないと、中国側の安全保障観は全くイメージできないのだ。
現代日本人から見える「中国による海洋進出の脅威」も、中国からすれば「日本によって7年間も海上封鎖されたトラウマの克服」という側面があることを、我々は理解する必要がある。現代においても、日本政府が提唱する「インド太平洋戦略」の目的は、「対中封じ込め」にある。これが分からないと「一帯一路」の本質も理解できないだろう。

【参考】ロシア人の安保観を代弁する

ただ、中国が身の丈に合った(4万kmの国境防備)国防力を有するだけでも世界有数の軍事力を必要とするため、そのシヴィリアン・コントロールは非常に難しいものとなる。中国四千年は、軍事力を強化すると地方が軍閥化し、地方軍を縮小・廃止して集権化すると中央軍が弱体化して国防が脆弱になる歴史の繰り返しだからだ。それでも、強大化した軍隊を抑えるためには、相応の強権が必要となるのは否めない。欧米諸国や日本が、中国やロシアを敵対視する姿勢を止めない限り、彼らもまた軍事力の強化に努めるほか無いのだから。
(以下、続く)

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抜粋終わり


おなじく より


上記文抜粋
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自由を守るために独裁強化する中国のパラドクス・下

前回の続き)
もう一つは、日本と同じ「少子高齢化」と「貧困」で、恐らくは国防問題よりも深刻だろう。
日本でもよく知られる「一人子政策」を続けた結果、中国は人口激増からは解放されたものの、経済成長に伴う公衆衛生の向上も相まって、日本以上の少子高齢化が懸念されている。
例えば、先日お目に掛かった大学教授の場合、車椅子で生活する90代前半の父君、半入院中の80代後半の母君、亡くされた妻の両親、そして一人娘の面倒を一身に背負っておられるという。都市部の中間層では、ごくありふれた光景だというから、日本と全く同じ問題を抱えていることが分かる。現代中国には、「未富先老」という言葉があり、これは「豊かになる前に年を取ってしまった(ロクな年金も無い)」という貧困高齢者の深刻な悩みと不満を象徴している。

中国では、改革開放路線の中でそれまで職場単位で運営されていた社会保障制度を解体して、統一的な制度(国家基金)へと移行が進められた。その結果、1990年代から2000年代にかけて、病院へ行くと入口に、各医師の顔写真と診療報酬額の一覧が掲げられ、病院はもちろんのこと、診てもらう医者によって診察料が異なるという状態が現出していた(ある意味では非常に合理的なのだが)。
近年、医療機関等は大都市部ではかなり整備が進んだものの、今度は日本と同じで、社会保障費の高騰を招き、少子化によって一人当たりの負担額は今後も急増してゆくものと見られる。

【参考】 医療費9年連続最高記録更新中

また、中国では急速なスピードでインフラ整備が進められている。例えば、上海市にはすでに18本もの地下鉄路線があり、杭州市は現在3本走っているが、今後あと7本の路線が計画されている。だが、これも日本と同じで、インフラ整備中は経済成長が続くものの、その後巨大な維持費が生じた際に、これを担保する財政が維持できるかどうかが課題となる。

【参考】 水道代は高騰の一途

これに対して中国政府の財政基盤は必ずしも強固ではない。例えば、法人税率は25%と低く抑えられており、個人所得税の課税最低額は3500元(2011年時点)で平均所得の3800元とほぼ同一水準の高さに設定されている。株取引などによる金融取引税も存在しない。土地の私有が禁じられているため、固定資産税に相当するものも無い。日本に居ると分からないが、中国は非常に低負担国家なのだ。
この低負担が故に、大きな経済成長を実現できているわけだが、成長は永続せず、将来を見据えた社会保障制度と税制度改革が求められている。堂々と増税を打ち出した日本の民主党野田内閣が総選挙で大敗したように、どの国においても増税は最大の政治的困難を伴うものであり、それが故に中国では強権が必要とされている。

三つ目は歴史的経緯である。中国共産党は元々「社会主義・共産主義国家の設立」を目標に掲げ、「労働者・農民が持ちたる国」を独裁権力の正統性の根拠となしてきた。だが、1980年代に計画経済が行き詰まり、社会主義を一旦脇に置いて自由市場化を進めた。市場改革に伴って発生した社会的不穏は、権力の集中と弾圧によって鎮静させたものの、長くは続けられないため、戦後日本と同じく「経済成長と社会保障制度の再整備」をもって権力の正統性を担保することにし、今日に至っていると考えられる。だが、経済成長は実現したものの、貧富の格差は拡大する一方にあり、同時に共産党幹部の階層化・身分固定も進んでしまった。社会主義は本来、貧困の撲滅と階級間の平等実現を標榜するものであるため、共産党の名称と実態の乖離は拡大の一途を辿っている。その意味で、中国共産党の権力的正統性は、実のところ見た目ほどには強固では無い。
中国の場合、議会制民主主義のように、選挙によって有権者・納税者の不満を和らげるシステムを持たないため、常に腐敗撲滅運動を進めると同時に、党幹部の特権を監視あるいは透明化する措置の導入が不可欠となっている。「腐敗と戦う強く清廉な最高指導者」というイメージが共有されて初めて、中国共産党は一党独裁を堅持できる構造になっていると言える。実際、中国を行き来しているビジネスマンは、「この数年で賄賂を要求する者がほとんどいなくなった」と口をそろえて言っている。

すっかり長くなってしまったので、タイトルが補足になってしまった。
民族社会の歴史的形成を見た場合、長い専制の歴史を持つ中国の方が、分権的な封建社会が続いた日本よりも、社会慣習的により自由であるという指摘がある。
中国の場合、皇帝に権力を一元化してゆく過程で中間団体の活動を否定する傾向が強く、日本や欧州には古くから存在する職能団体や同業者組合のようなものが存在しない、ないしは恐ろしく緩い組織でしかないという。

例えば、日本では鎌倉・室町期には、市や座といったものが生成され、特定の商品を特権的に扱う権利が確立、他の参入を許さない慣習・システムが生まれていた。町の市場ですら権利者以外は店を開くことが許されなかった。当然、その特権は家名で継承されるため、商家は世襲とならざるを得ず、競争原理が機能しなかった。油商人の出身である斎藤道三は、特権による商業活動の非効率を熟知していたがために、「楽市楽座」を進めたとされる。
これに対して、中国の場合、歴史的に国が定めた法律があるのみで、同業者組合の特権もなければ掟(私法)も無いため、商業活動は日本よりもはるかに自由だった。市場では、誰が何を売っても良く、農民であれ元官吏であれ自分の店を持つことができた。実際、科挙に落ちた地方エリートが商人に転じるケースは非常に多かったという。古代(紀元前)ですら、商家出身の呂不韋が秦帝国宰相に就任している。日本で、庶民出身者が宰相になるのは、1938年の広田弘毅が最初である。

現代においても中国の人民代議員は国家主席の御尊顔を拝していれば、「あとは自由」だが、日本の国会議員は何かにつけて業界団体、同業者組合、労働組合、市民運動などなどから圧力を加えられるため、常に皆の顔色を窺っていなければならない。
庶民生活でも、中国人は当局の顔色さえ窺っていれば良いが、日本人は自治会(町内会)やPTAなどの強制力が非常に強く、周囲の顔色を窺ってからでないと何一つ発言できない。
飲み会の席ですら、中国では共産党や政府批判以外は「何でもあり」だが、日本ではそもそも政治の話を忌避・自粛する傾向が強い。以前ロシアの大学で教鞭ととっていたころ、外国語講師と学長との懇親会が持たれたことがあり、その場で若い女性の中国人講師が「私たちの給料安すぎです!」と学長に食ってかかり、「この場でそれを言うのか!」と驚愕したことがある。
これはロシアの話になるが、ロシアの映画や演劇舞台の現場では、監督・演出と俳優が対等に話し合い、往々にして対立や喧嘩に陥ることがあるのだが、日本では監督や演出家が絶対的な権威を持っており、俳優は奴隷のように従属しているケースが大半を占めている。
実のところどちらの社会の方が自由なのか、軽々には判断できないものがあるのだ。

中国の場合、皇帝に権限を集中することで中間団体の発生を抑制し、ある種の市民生活の自由を守る「伝統」があることを知らないと、生半可な戦後デモクラシーの知識と感覚で中国社会を非難してしまう「愚」を犯してしまうことになる。我々日本人は、自分たちが考えているほど「自由」ではないことに、もっと自覚的であるべきなのだ。

【追記】
中国の市場経済化の過程については、一度きちんと勉強しなければと思いつつ、なかなか実現できない。

【参考】
『専制国家史論 中国史から世界史へ』 足立啓二 筑摩書房(2018)
「中国の社会保障制度と格差に関する考察」 柯隆 『ファイナンシャル・レビュー』119号所収(2014)
「中国の個人所得制改革―税額控除適用によるシミュレーションとともに」 申雪梅 『横浜国際社会科学研究』第17巻6号所収(2013)

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抜粋終わり

>現代においても中国の人民代議員は国家主席の御尊顔を拝していれば、「あとは自由」だが、日本の国会議員は何かにつけて業界団体、同業者組合、労働組合、市民運動などなどから圧力を加えられるため、常に皆の顔色を窺っていなければならない。
>庶民生活でも、中国人は当局の顔色さえ窺っていれば良いが、日本人は自治会(町内会)やPTAなどの強制力が非常に強く、周囲の顔色を窺ってからでないと何一つ発言できない。
>飲み会の席ですら、中国では共産党や政府批判以外は「何でもあり」だが、日本ではそもそも政治の話を忌避・自粛する傾向が強い。


なんか日本の方が、政治的に自由は発言ができない。って恐ろしい現状。

で安倍総統と日本会議天皇カルトの支配。

で、北朝鮮クラスになりつつある。


>中国の場合、皇帝に権限を集中することで中間団体の発生を抑制し、ある種の市民生活の自由を守る「伝統」があることを知らないと、生半可な戦後デモクラシーの知識と感覚で中国社会を非難してしまう「愚」を犯してしまうことになる。


宋太祖が、「言論の自由」を一程度保証したが、このような画期的・あの時代では阿呆なことが行われたのだからね、中国では。

>我々日本人は、自分たちが考えているほど「自由」ではないことに、もっと自覚的であるべきなのだ。

日本は、政治的な自由は、天皇ある限り足かせ手かせ付きでしかないのである。人権も天皇ある限りに手かせ・足かせになりやすいのである。


「王侯将相いずんくんぞ、種あらんや!」が実現してこそ、日本列島はようやく真の夜明けになる。

欧米と天皇に覆われた、150年いや1500年の夜がようやく明けるのか。。

お読みくださりありがとうございます。

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無題
  • from 大阪のおばちゃん :
  • 2018/04/23 (07:10) :
  • Edit :
  • Res
ドンキホーテのおっちゃんが嘆いていた。
中国人は国内では、スマホと監視カメラで行儀良くなったかもしれんけど
監視カメラの日本では行儀が悪い、、、と

もうすぐしたら、行儀の悪い中国人を取り締まる名目で
日本人もカメラで監視したのを理由に点数化されるんやろなあ
Re:無題
2018/04/23 09:24
>ドンキホーテのおっちゃんが嘆いていた。
>中国人は国内では、スマホと監視カメラで行儀良くなったかもしれんけど
>監視カメラの日本では行儀が悪い、、、と
>
>もうすぐしたら、行儀の悪い中国人を取り締まる名目で
>日本人もカメラで監視したのを理由に点数化されるんやろなあ


ですね・・・・

書き込みありがとうございます。
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