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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
神戸だいすき より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
騙されてきたこと(戦争)

姑は男の子しか育てなかったから
「男の子はね、歩けるようになると長いものを持って振り回すよ」と、まるで、闘争がオスの本能だとでも言いたそうだった。そして、一般にも、そう信じられている。
シンバだって、オスは己の王国を持っていて、そこに、複数のメスを置いている。
オットセイだってそうさ。

だから「戦争は、どうしようもないオスの本能の産物」だから、起こるのは自然の摂理だから仕方がない。

こういうジェンダー論によって、支えられているから、為政者が国民を戦争に駆り立てるのは非常にたやすい。

ここに、ナチス・ゲーリングの言葉がある、
「平和主義者は愛国心が欠けている」ナチス・ゲーリングの警句と「だまさ ...


「もちろん、国民は戦争を望みませんよ」ゲーリングが言った。「運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を懸けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも、同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに、その指導者のいいなりになるよう仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効ですよ」

この言葉を受けて、「騙されるのも罪」だと、伊丹万作が言ったそうだ。

私は、もしも大東亜戦争に打って出なかったら、日本は「攻撃され破壊された」と思い込まされていた。そして、戦争になれば平和主義者は「非国民」と言われた・・・こうして、騙されて戦争に駆り出された。

けれど、本当にそうだったのだろうか?戦以外に方法はなかったのだろうか?

日清戦争の原因はひとつには、あまりにも李王朝がだらしないから、これではロシアが南下してくるという恐怖だった。
しかし、その前にフランス軍は清国を叩いていたらしい。
いや、もっと前にアヘン戦争だ。

つまり、ロンドンとパリのロスチャイルドは清国を奪い取ろうと画策、
明治クーデターで、偽天皇を担ぎ、新政府で国家を征服した後、日本兵を傭兵に仕立てて、まずは、清国を侵略させた。

だから、戦で血を流し、苦労をして、勝利したのは日本なのに、戦後「三国干渉」と言って、ドイツまで加えて、分捕り合戦。

彼らは、日本に血を流させて獲物だけ奪った。

ついで、日露戦争は、さらに露骨だった。
日本に借金させて(たしか、大東亜戦争後まで返済が続いたはず)日本の戦勝に対する分捕り品は無しでしょ。
だから、小村寿太郎が焼き討ちされたのでしょ?

私は、大きく間違っていたわ。

明治日本は独立国になるために、周辺国からの侵略を防ぐための戦争をしたと思っていた。

日露戦争は帝政ロシアを壊滅させるためのユダヤの仕掛けの一つで、日本を利用して、日本の若者を殺し国力を減じて一石二鳥だと思った。彼らにとって。

でも、間違っていた。明治以後、日本が独立できた日はないんだ。
つねに傭兵として、戦争させられ、その分捕り品は、白人が享受した。

いや~おかしいおかしいとは思っていた。
「なぜ、日本だけが植民地にならずに済んだか?」と言われるたびに「?」と首をかしげた。

日本は、本当に植民地ではなかったのか?
だったら、なぜ?

いや、欧米を排除して、日本風をまもったのなら、わかる。

形から見たら、完全に欧風化して、殖民地とちっとも変らない風景。
どこをとれば、日本に主体性があると言えるのだろう?

万世一系の天皇がおわしますから?
でも、偽物でしょ?

はっきり植民地だと理解していたら、独立運動もできただろう。
騙されて独立国家だと思わされ、騙されて次々侵略戦争のお先棒を担がされた。

はっきりって、だまされるのは「罪」だ。

日本は有罪だ。そう思う。

こんどこそ、目覚めようよ。

明治維新は薩長の無頼漢によるクーデター。

そのあげくの敗戦後、今度はCIAが、自民党をつかって日本を支配した。
でも、今も昔も、殖民地なんだよ。

日本が独立国だったのは、江戸幕府まで。

・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


どうも明治天皇以降「すり替わった天皇」らしい。

となると、かなり明治帝国は、平家の思いを実現した王朝にも思える。

東京都~ 福原{神戸}遷都同様に、海外との交易で繁栄する首都。清盛の悲願だったが、これも途中で破たん。

明治天皇~ 京都の天皇を否定した新{天}皇 でちょうど平将門が新皇に成った。

が中途で破たんしたその夢を継いだのが、明治「すり替わり」天皇だったということ。


かなりその可能性が高いように思える。

だから逆に、清盛・将門を高く評価しなかったように思える。


でも平家は海外進出・侵略など考えてなかった・・。のにその「すり替わり=易姓革命=将門の後継者」の件でも脅されて、侵略者という日本人に似合わない役割を演じてきた・・かもしれない。

で、前の戦争で、「「すり替わり」を知っている連中」と「侵略を指嗾した連中」の排除を目論んだのが、戦後の抗争の一つだったかも。


幕末の幕臣の少壮官僚には、大政奉還の時に自決した人もいた。
明治帝国が「偽天皇」を掲げて戦う「侵略者」とわかっていたか、うすうす感じていたからと思う。



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