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日本天皇国滅亡記。{渾沌堂主人雑記}

故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。

俺は、毎晩園遊会だぞ。ちょうどそこの横丁で。by光武帝。

闇の正体は 偽ユダヤ (グローバリズム)  より

上記文抜粋
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「園遊会」という「仕掛け」  イルミの地位にしがみつくロイヤル


明仁天皇が主催する最後の「園遊会」が9日、赤坂御苑で行われました。

 「園遊会」はたんに庭園で天皇とスポーツ・芸能・文化人らが歓談する場ではありません。それは天皇・皇族の権威を誇示するものであり、「天皇元首化」の動きとも密接に関係しています。

 園遊会についての宮内庁の公式な説明はこうです。

 「園遊会は,毎年,春と秋の2回,赤坂御苑で催されます。
 天皇皇后両陛下は,衆・参両院の議長・副議長・議員,内閣総理大臣,国務大臣,最高裁判所長官・判事,その他の認証官など立法・行政・司法各機関の要人,都道府県の知事・議会議長,市町村の長・議会議長,各界功績者とそれぞれの配偶者約2,000人をお招きになって,親しくお話しになっています」(宮内庁HP)

 今年春(4月25日)の園遊会に招待者されたのは、「立法・行政・司法関係者、在日外交官等 1745人、各界功績者 754人」(同HP)でした。
 宮内庁のHPには書かれていませんが、「各機関の要人」の中には自衛隊の統合幕僚長も入っています。

 園遊会は、天皇が首相、衆参両院議長、最高裁長官ら「三権の長」、国家機構の要人、全国地方自治体の首長、さらに「国民」の中の「功績者」を「招待」する形で一堂に集め拝謁させる場です。

 それは天皇が日本の「要人」のすべてを束ねる超越した存在であるかのように見せるもので、天皇を「国家元首」視するものと言えるでしょう。

 その園遊会の性格・狙いは、歴史的経緯をみればよりはっきりします。

 園遊会の前身は、明治政府が始めた「観菊会」(第1回1880年11月18日)、「観桜会」(同1881年4月26日)です。

 「明治十二年(1879年)九月に外務卿に就任した井上馨は、日本が欧化して列強に安心感を与えることで条約改正を達成することを課題とした。明治十年代後半から本格化する欧化主義の時代、鹿鳴館時代である。来日する外国人や外国公使へ欧化を示すことが必要であり、明治十四年(1881年)八月五日には外賓接待略規を定めていた。そして井上は、天皇皇后が出御し立食パーティーを行う観菊会・観桜会と、新年宴会・紀元節宴会・天長節宴会の三大宴会に、外交官を招待することも企図した」(西川誠著『明治天皇の大日本帝国』講談社学術文庫、2018年)

 観菊会、観桜会は条約改正のための欧化主義の一環として、天皇の権威を外国公使らに示すものだったのです。

 戦争で中止になった観菊会、観桜会が戦後、園遊会として復活したのが1953年です。この年に園遊会が始まったのには意味があります。その前後に起こった主な出来事を挙げてみましょう。

1950・6 朝鮮戦争勃発
   8 警察予備隊発足
1951・9 サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約調印
   10 国民体育大会に天皇初出席(「三大行幸啓」の1つ)
1952・4 サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約発効
   4 全国植樹祭に天皇初出席(「三大行幸啓」の1つ)
   5 全国戦没者追悼式に天皇初出席
   10 保安隊発足(警察予備隊改組)
1953・7 朝鮮戦争休戦協定
   11 園遊会開始
1954・7 自衛隊発足

 「日本再軍備以降の天皇(制)利用は、一九五三年のイギリスのエリザベス女王の戴冠式に皇太子(現明仁天皇―引用者)を送ることから始まった。…天皇は、まず国内で、非政治的な装いのもとで、きわめて政治的に、国民体育大会や全国植樹祭、全国戦没者追悼式に出席し、象徴的権威を示威し、五三年十一月からは、天皇主催の園遊会が開始され、たいていの招待者は、天皇に『どうですか?』『あっそう』と声をかけられただけで、硬直人間と化し涙をながす―ようになった」(牛島秀彦著『昭和天皇と日本人』河出文庫、1989年)

 さらに、自民党の前身の保守政党による改憲策動がこれに重なりました。改憲の主要な柱は「天皇元首化」でした。

 「保守政党は一九五四年にそれぞれの改憲案を発表した。そこでの天皇の扱いは前述の通り天皇を元首とするとともに宣戦講和の権限を含む国事行為の追加によって天皇の権限を強化しようとしていた」(藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋著『天皇の昭和史』新日本新書、1984年)

 園遊会はスポーツ・芸能・文化人らを巻き込んで、無意識のうちに天皇・皇室の権威を「国民」に刷り込む役割を果たしています。

 そして戦後、園遊会をはじめさまざまな仕掛けで天皇を権威化し、天皇元首化が再軍備・軍拡、改憲と三位一体で結び付けられました。その歴史が、いま繰り返されようとしています。



https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/12b8346281b8d4af78834faa6c7bebeb

☆ 最初に 日本を潰し 日本人を撲滅するという計画があり

天皇という偽物は そのために その 地位を得た ということです。


にも かかわらず

異常に天皇を崇拝させようとするのは

ニツポンでの 同じ種 朝鮮半島からの棄民たちが 

自分たちの 日本殺しと 特権を持ち続けようとする利害であるということです。

天皇も 政治やも 朝鮮だけではなさそうですが いずれにせよ

非差別部落とは 関わりがあり 同和仲間です。

ネトウヨも そうでしょう。

今 英国が 本性を現し 狂ったように ロシアつぶし そして 濡れ衣を着せるという動きを見せています。

英政府は 勿論 英王室が仕切っています。

もし 人間が 少し 目覚めてくれば

今までの 偽物 黒い嘘を 守ろうとする 迫真の舞台が 展開します。

目覚めるものの グループに 加わりたいものです。





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抜粋終わり

そもそもだ、園遊会などいつでもそこでもできるは、ありがたがるなよ・・

銚期 ― 憂国の義士

参考

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劉秀{後漢の光武帝}はお忍びを好み、こそっと外出しては夜中に帰ることがあった。そのとき門番である郅惲は、目の前の相手が皇帝であることを確認しても、とっくに門を開けてよい時間を過ぎていることを告げて門を開けず、皇帝を追い払ってしまったのである。劉秀は泣く泣く城外を放浪し、他の門まで回って城内に入った。
 明くる日、劉秀は郅惲をたたえ昇進させ、皇帝すら法に従う存在であることを示したのである。
 ちなみに劉秀の城の抜け出しは相当な頻度であった。史書に記録されるのは銚期、申屠剛、郅惲、何湯らによって発覚した計四回であるが、見つかっただけでこれだけの回数であるから、城から勝手に抜け出すのは全くの日常茶飯事であったことがわかる。

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抜粋終わり





>最初に 日本を潰し 日本人を撲滅するという計画があり

>天皇という偽物は そのために その 地位を得た ということです。


正しいと思えます。

どういう契機でそうなったかのは厳密にはわかりませんが、

前の戦争での「補給切れで勇敢な日本人が餓死・病死するのを放置し続ける」

「原爆の惨禍の中の、赤十字の救護を辞めさせる」

「負け戦を延々と続ける」

「特攻隊で、勇敢で優秀な日本男児を殺しつくさせる」

と言うのを見ても

今の

「ブラック労働の放置」

「移民の大量流入の容認」

「福島第一原発事故の放射能垂れ流しの放置と、その責任者の一部たる東電最高幹部連中の免責の追及」

とか見ても、

天皇家ってのは日本人を皆殺しにするために、米英や欧米の殺人鬼集団から承認された「奴隷主」あるいは「送り込まれた工作員」と見る方が正しい。

なぜそこまで日本人を彼らは殺したいのか?

理由の一つは彼らの信仰の「カソリック・新教」の教義を脅かし、そもそも受けれず500年前に「あんたらの神さんは、愛が薄い」と言われ、400年も前に「お前らの形而上学はオカシイ」と罵倒されたのを、根にもち自分たちの正当性を確保するためには「日本人」は許されない存在だから・・・


ともわれ、日本人を殺すために天皇がある。

ので、その日本人殺人兵器の天皇家と天皇制を、消滅させるしか、日本人には明日は無いのです・・・





お読みくださりありがとうございます。


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