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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58774  より

上記文抜粋
・・・・・・・・
「スピリチュアル女子」をあざ笑うすべての人に言いたいこと

その揶揄の先に待ち受けるのは、分断だ


それは面白おかしい“トンデモ”案件か
先日Twitterを眺めていたら、十数万人のフォロワーを抱える人気ライターのツイートが目に入った。

彼は「壱岐が面白いことになっている」といったコメントとともに、最近長崎県壱岐市で起きた、女性向けスピリチュアルビジネスがらみの騒動に触れていた。

10月、壱岐で大規模かつ高額のスピリチュアルイベント「縄文祭」が開催され物議を呼んだこと。その主催者であるブロガー・Happy氏や周囲のスピリチュアルリーダーたちが、奇抜な思想や主張――たとえば「引き寄せ」や「子宮系」――の持ち主であること。なおかつ、Happy氏が壱岐の観光大使にまで任命されていること……。

それらの紹介として、スピリチュアル界隈のネタを扱うブログ記事へのリンクも貼ってあった。

ちなみにそのブログは、「タレント○○は韓国人なのか」といったアクセス数狙いの国籍検証や、出典のわからない著名人のゴシップをまとめている典型的なトレンドブログであり、質の良い情報源とは言い難い。

しかし、最初のつぶやきは軽く1000以上RTされ、トレンドブログのリンクも100以上はRTされていた。つぶやきのリプライやRT先のコメントを追うと、皆やはり「ヤバい」「草生える」などのコメントで盛り上がっている。

「草生える」とはもちろん、ネットスラングで言うところの「笑える」だ。面白おかしい“トンデモ”案件として、この話はそこそこウケているようなのだった。

この光景を見て、しばらく考え込んでしまった。

昨今、「スピ系女子」が揶揄の対象になる機会が、以前より増えてきたように感じている。

SNS文化が盛り上がると同時に、スピリチュアル界隈にも「子宮系」「妊娠菌」など、見た目からしてインパクトのある言葉・考え方が増えてきたことが要因なのだろう。少し前には週刊誌などで、某女性芸能人がこの手のスピリチュアルに傾倒しているというゴシップも乱れ飛んでいた。

でも私は、こうした「スピ系」を笑いものにしている状況に対して、一抹の危機感をおぼえるのだ。

勘違いしてほしくないのだが、前述のライター氏や、彼のつぶやきに反応した人々が「草」を生やす感覚も理解できる。

実際スピリチュアルは、個々の主張を見ていくと、危うい面を持っていることが珍しくない。おかしなビジネスもしばしば見かける。だから、批判はあって当然である。

ただ、それでも思うのだ。だからといって、それらをやたらと揶揄し面白がることは、個人と社会にとって有益なのだろうかと。

むしろこれは、社会の分断を深め、ネガティブな感情の総量を増やす行為ではないだろうか。私には、そう思えてならないのである。本稿では、スピリチュアルを揶揄することに対して感じる懸念について、界隈の動向を追っている者のひとりとして少し書いてみたい。

〔PHOTO〕iStock
※スピリチュアルという言葉の持つ意味は広く、本来ひとまとめに語れるものではない。本稿ではこの言葉を、近年の女性向けスピリチュアルでよく見られる、「アメーバブログなどでの情報発信で多数のファンを獲得し、セミナーや物販、出版でマネタイズしていく」タイプのスピリチュアルビジネスのこととして扱う。

それは本当に注意喚起か?

スピリチュアル系の人名や用語名で検索すると、大抵はその人物のブログがトップに出てくる。

しかし最近、一部の人気の人物や用語に関しては、「○○の本名や離婚・再婚相手は?年齢や子供の噂は?」といったおきまりの形式のトレンドブログや、批判的なウェブ記事も合わせて検索に上がってくるようになった。

それだけ、多くの人がこの分野に関心を持つようになったということだろう。Twitterでも、ここ最近本当に「アンチスピリチュアル」アカウントが増えている。

彼ら・彼女らが批判的情報を発信する目的は何か? 多くの場合は、「注意喚起」ということになっている。「この人はこんなヤバいビジネスをしている、ヤバい人間だから近づいてはいけない」あるいは「今ハマっている人はどうか目を覚ましてほしい」というのが大方の主張だ。

たしかに、実際に「ヤバい」ビジネスが行われているスピリチュアル現場もあるので、「注意喚起」自体が無駄だ、よくないことだとは思わない。中にはまっとうな批判もある。

ただ対象を否定するにあたり、「荒唐無稽であり、真面目に扱うに値しないもの=馬鹿にしていいもの」という扱い方をしがちなところが、いわゆる“アンチ”の見ていて不安になる点である。


その理由はひとつだ。そうした語り口は、読み手を面白がらせること、読み手に批判対象を軽んじさせることが目的になりやすい。そこでは、批判対象についての情報を正しく伝えることは二の次になりがちだ。

その結果、批判したい人物やメソッドの過激なところばかりをつまみ出したうえ、それが一部に過ぎないことは伏せてあたかもすべてが常軌を逸しているかのように語ってしまう、ということもまま起きる。

「スピリチュアルがバカバカしいものだと知らせることが注意喚起になるはずだ。だからヤバいところをあえて強調するのだ」

それが、そうした批判記事を書く人の意見だと思う。たしかにこのタイプの「注意喚起」には、もともとスピリチュアルに好感を持っていない層の気持ちをそのままにとどめたり、無関心だった層に「ああ、『引き寄せ』とか『子宮系』ってヤバいものなんだ」と思わせる効力はあるだろう。


ただその認識は、スピリチュアルにハマることを必ずしも「予防」はしない、ということは言っておきたい。


「キモい・怖い」は「好き」に反転しやすい
たとえばあなたは、「子宮系」のことを知っているだろうか。ネットのバズワードに詳しい人なら、「ああ、子宮を神社だとか言って、膣にパワーストーン入れたりしてる宗教みたいなものでしょ」と思うかもしれない。

しかし、これはかなり誇張された認識である。

現代ビジネスで以前橋迫瑞穂氏が論じていたように、「子宮系」というジャンル自体には色んな考え方の指導者がいるし、何かと言及される人気子宮系指導者の“子宮委員長”はる氏も、「常にジェムリンガを膣に入れていろ」などとはけっして言っていない。

なお私は、はる氏の書くものには疑問を感じることが多いが、それは男尊女卑や、性別による役割分担を安易に肯定している点が中心であり、子宮に関わるオカルティックな描写については、批判の優先順位は下がる。

ともあれ、「子宮系に近づくな」ということを言いたいがためにジェムリンガを振りかざし、「こんなに変なことばかりしている、まともでない人たちなんですよ」と言うのは、簡単に言えば「誇張した脅し」だ。そしてこういう脅し方は、「スピリチュアル予防」としては弱い。

なぜなら、それは端的に、事実とは異なっているからなのだ。

事実と異なる誇張された批判を耳にしてきた人が、実際にスピリチュアルに触れるとどうなるか。「子宮系ってヤバいヤバいって聞いてたけど、案外言ってることは普通じゃん!」「セミナーが高いとか言われてたけど、安いイベントも全然あるじゃん!」そんな「事実」に接したとき、「子宮系は怖い・キモい」という悪感情は、むしろ反転して大きな好意や信頼に変わりかねない。

実際、そのような経緯でスピリチュアルに没入してしまった例を、私はたくさん知っている。「ちょっと危ういハマり方をしているな」と感じる女性と話すと、「もともとはスピリチュアルが嫌いだった」というパターンとしばしば遭遇するのだ。

スピリチュアル嫌いだった理由はさまざまだが、共通するのはどこかのタイミングで自分の「誤解」に気づいた、ということである。

「前はスピリチュアルが嫌いだったけど、それは私が本当はスピリチュアルを一番求めていたからだったんだ」というのが、その後の彼女らが陥りやすい自己認識だ。

スピリチュアルメソッドにはよく「恐れ、避けたいと思うもの=自分が本当に直視・挑戦するべきこと」という考え方が含まれるため、こうした認識の切り替えが珍しくない。

結局のところ、「バカバカしい」「キモい」「怖い」といった単純な嫌悪感や侮蔑の感情は、「理解」とは程遠いのである。そして理解していないからこそ、本格的に変なものにもあっけなくハマったりする。エンタメ重視の過剰な揶揄や攻撃は、むしろそれを誘発しているような気がしてならない。

批判が逆効果になることも

私が揶揄調の批判記事を警戒するのは、こうした「敵意の反転」の下地を作るからというだけではない。すでにスピリチュアルを愛好している人々に対しても、悪影響があると考えている。

簡単な話だ。揶揄は、揶揄されている側を意固地にさせ、考えをより先鋭化させてしまう、ということである。

つい先日のことだが、先述した「縄文祭」の件で名前の上がっているスピリチュアルリーダーの一人が、Facebookに「いつもの界隈が騒いでいて煩わしい」というような内容の文章を投稿していた。「いつもの界隈」とは、彼女のアンチ、そしてアンチ・スピリチュアルの界隈のことだ。

そしてその投稿に対して、ファンからは「正しいことをしているからこそ批判されるんですね」といったコメントが寄せられていた。

こうしたやり取りは、スピリチュアル系ブログの周りではよく見かける。

特に「引き寄せ」系の理論は、他者からの批判や中傷を「自分自身の不安の投影であり、正しい方向に進んでいるときにこそ現れるもの」ととらえることが多いため、不愉快な批判をされればされるほど「自分の正しさ」を確信する、というループもよく起こる。

Happy氏も、ブログの中でこう書いている。

「自分を抑圧しながら『ルール』の中にいる人に、あなたがやってることを批判された時は、イケる!ってこと。逆に良いね良いねなんて言われたら危ないかもよ笑」

スピリチュアルが軽んじられ、嘲笑われる光景を見て、「スピリチュアルのヤバさに気づいた」人もいるのかもしれない。しかし、前述のブログ主たちもそうであるように、かえって態度を硬化させていく人もいる。

スピリチュアルへのコミットが深いほど、アイデンティティをそこに託しているほど、その人は意固地になるしかなくなる。帰路を断ち、ふりかかる批判を「正しさ故に受ける迫害」に転換するしか自分を保つ術がなくなるのだ。

それははたして、スピリチュアルをめぐる「注意喚起」に励む人々が望んでいることなのだろうか。余計先鋭化されたスピリチュアリズムと、その熱狂的支持者が社会の隅で増幅する可能性を、私は考えてしまう。

その批判には、「社会」の観点が不足している

さらにもうひとつ、揶揄調の批判には気になる点がある。「女性向けスピリチュアルとそれに傾倒する女性」という現象を、「個人の問題」ではなく、「社会の問題」としてとらえる視点が不足している点である。

スピリチュアルに傾倒する人に対し、「愚かだから/弱いからそんなものにすがりつくのだ」というジャッジを下すのは簡単だ。しかし、こう問うことはできないだろうか。「社会の何が、彼女にスピリチュアルを選択させたのか?」。

言及する書き手が多いので、もう一度「子宮系」にまつわる言説を例にあげる。

たとえばある産婦人科医はネット媒体の記事で、「子宮系スピリチュアルに共感するのは、その指導者たちのような『キラキラ女子』になりたい女性だ」と推察している。

また、スピリチュアルネタに精通したライターも、ウェブ媒体の記事にて、「子宮系女子というのは何かをすごく我慢して生きてきた人なのかもしれないということです。本音をなかなか口にできないから、〈魂〉や〈子宮〉といったものに代弁してもらうのです」と書いていた。

二人が推察しているのは「彼女たちの何が、彼女たちにスピリチュアルを選ばせたのか」だ。しかしこの主語を「社会」にした上で二人の推察を見ると、また違う問いが生まれてくるはずだ。

すなわち、「女性が、『キラキラ女子』を目指さなければと思う社会とは?」「誰かに代弁してもらわなければ本音の言えない社会とは?」。

結婚相談所のことを想像してみてほしい。このビジネスは、結婚したいと望む男女が大勢いるから成り立つ。そして、人が「結婚したい」と思うのはけっして動物的本能ではない。

メディアを通じてこれでもかというくらい刷り込まれる「夫婦」や「家庭」の像、「家庭のひとつも持たなきゃ一人前じゃないぞ」「もう30なのにまだ結婚しないつもり?」という周囲の人々からの言葉、幸せそうな友達夫婦の姿……。そんな、社会からインプットした情報の蓄積こそが、いくらかの人を結婚相談所に向かわせる。


スピリチュアルビジネスだって同じである。超高額のセミナー、SNSでの不自然なまでの「幸せ」アピール、医学的・論理的に破綻した健康論など、たしかに一部のスピリチュアルビジネスには、見る者の心をざわつかせる要素が含まれるかもしれない。

しかし、それが一定の支持を得て存在しているということは、「そのビジネスが成立する社会」を我々は生きているのだ。

もし、“おかしなスピリチュアルビジネス“のことを本当に問題視するのであれば、なおさら個人ではなく社会の方の「スピリチュアルの要因」を見るべきだと思う。そうしなければ、いつまでもそのビジネスは生まれ続けるのだから。

それでもなぜ揶揄したくなるのか
しかし、こうした観点を横に置いて、対象を揶揄する風潮は依然強い。

それはなぜか? 簡単だ。揶揄する人々の本当の目的が、「極端なスピリチュアリズムの浸透を防ぐ」ことなどにあるわけではないからだ。単に「異物を揶揄する」こと自体が面白くて、そこに力を入れ始めてしまうからである。

仲間と面白さを、笑いを共有するのは楽しい。そこに快楽があることを、私たちはみな知っている。そして揶揄とはその快楽のために、異物とみなした人々を自分たちから切り離してもて遊ぶ行為なのだ。


同じようなことは、女性向けスピリチュアル界隈周辺だけでなく、いたるところで行われている。

たとえばSNS上にいる過激保守派は「パヨク」を、過激リベラル派は「ネトウヨ」を揶揄する。「クソフェミ」を煽る人々がいて、「自然派ママ」を笑う人々がいる。“我々”にとっての異物、“笑われて当然の荒唐無稽な主義主張”を掲げる人々を、「批判」や「注意喚起」という体裁で、今日も誰かが笑っている。

重ね重ね強調しておくが、スピリチュアルが内包する危うさ自体を軽視する気はない。スピリチュアルをめぐる分析や批評、社会に向けたある種の注意喚起は、むしろ今後さらに必要になると感じている。

ただそこに対象への「揶揄」が強く働く限り、スピリチュアルをめぐる警鐘は、“トンデモ”案件のエンターテインメント消費にしかならない。 

ごちゃごちゃうるさいな、笑えるんだから笑いたいんだよ、と割り切っている人に対して、私から言うことはない。でもそうではない人には、「過剰にエンターテインメントにしない語り方」を一緒に考えていってほしい、とお願いする。

「近江商人が歩いた後にはぺんぺん草も生えない」という古い言い回しがあるが、誰が歩こうがその後に草ばかり生える、というのが今のネット界だ。そしてネット上では、「草」こそが我々の足元を不毛の大地にしていくのだと思う。

とても難しいことだけど、何かを笑いものにしたくなったときは、そしてしてしまったときには、一度踏みとどまってこう自分に問いかけたい。

それは、“本当に”笑えるくらい面白いものなのか?

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

スピチュアルがヤバくいけないのは、

読めないニックネーム再開版
 万教帰一は他の宗教を滅ぼせが本音なので悪。スピリチュアル♰のワンネスとアストラルの源流が新プラトン主義の神Oneと、16世紀のパラケルスス派のアストルム。オカルト百科の抜粋を後日追加。

の ねここねこさん

国際秘密力研究   の菊池さんが、その危険性を指摘している。


で、なぜそれに惹かれるのか・・・


一つは、女性が日本と言う宗教の空白地の中で、つらい状況にあること。

もう一つ、日本の学問・思想に「身体性」が抜けていること。

宗教家も、長らくその辺を放置してきたように思える。



国家神道は、身体ごと地獄に行く。

でそれを全否定しなかった・・・天皇のために・・・


それが現在。



みんなが生き延びれますように・・。



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【2018/12/06 (木) 20:28】 | 政治向け
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生贄集めの霊感ビジネス
ローレライ
生贄集めの霊感ビジネスとして始まった天皇カースト教は同業に敏感である。

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この記事へのコメント
生贄集めの霊感ビジネス
生贄集めの霊感ビジネスとして始まった天皇カースト教は同業に敏感である。
2018/12/07(金) 13:41 |   | ローレライ #582c427664[編集]
[管理者用 返信]
Re:生贄集めの霊感ビジネス
>生贄集めの霊感ビジネスとして始まった天皇カースト教は同業に敏感である。

そうですね、本当に。


書き込みありがとうございます。
2018/12/07(金) 20:41 | 遍照飛龍

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