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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
東洋経済 より

上記文抜粋
・・・・・・
若い貧困者が「見えない傷」をこじらせる理由
生活保護と貧困スパイラルの密接な関係


前回記事(貧困の多くは「脳のトラブル」に起因している)では、これまで取材してきた貧困当事者と、脳梗塞で軽度の高次脳機能障害を負った著者の共通点から、「過酷な経験は人の脳を壊す」「貧困もまた脳を壊す」「壊れた結果、人は貧困から抜け出せなくなる」という推論(当事者的には確信)を立てた。
これによって、取材の中で感じたいくつもの疑問に答えが出ると感じている。たとえば、貧困取材の中で出会った当事者が、取材期間中にますます困窮度を増していく「貧困悪化のスパイラル」の理由だ。


仲岡さんという20代の女性も、そんなケースのひとりだ。仲岡さんは元は介護職で資格も持っていながら、職場内で起きた人格そのものを否定されるようなトラブルをきっかけに、メンタルを病んで失職。取材の段階では都内の大衆キャバクラに勤めていた。といってもその勤務態度は劣悪で、時間どおりに起床できないゆえの無断欠勤が続いて店から課されるペナルティが積み重なり、結局、取材から数週間後には店を飛んだ(逃げた)。

再度の連絡が来た頃には、家賃光熱費、通信費などを支払うと、次のキャバクラの面接に行く交通費もないという状態だった。

そんな折、仲岡さんの協力を得て、主治医である精神科医の問診に同席することになった。彼女いわく、そのクリニックはほとんど問診せずに精神系の処方薬の処方箋を出してくれることで有名なのだという。

精神科医に生活保護申請の相談をするも…… 

僕にとっては「ザルクリニック」(無駄に大量の処方薬を出して転売業に加担する悪質な精神科クリニック)への潜入取材という機会でもあり、仲岡さんからすれば取材を絡めれば謝礼が急場のシノギにもなるし、クリニックへ向かう足も確保できるという算段だったのだろう。加えて仲岡さんにはこの日もうひとつの目的があった。もはや生活保護を申請するしかないと覚悟を決めていた仲岡さんは、クリニックの主治医に申請のための相談をしたいというのだ。

だがこの日、このクリニックで彼女の主治医と交わした会話は、今も心の底に嫌な記憶として残っている。

その精神科は、都心繁華街の薄汚れた雑居ビルの中にあって、付近のキャバクラ嬢と風俗嬢御用達(あとヤクザも)というクリニックだったが、初老で妙に威圧的な野太い声の医師は、「じゃ、前回と同じお薬でいいですね」と冗談みたいな短時間で問診を打ち切ろうとし、すかさず仲岡さんが生活保護のことを持ち出すと、面倒くさそうに、むしろ露骨に迷惑そうに、こう言った。

「今、中村さんは仕事していないんですか? おカネがないようには見えないんですけど?」

仲岡である。目の前で電子カルテの開かれたモニターを見ながら、名前を間違えたのもショックだったが、仲岡さんは経済的な苦境はたびたび訴えてきたはずだ。だが、医療費とこの病院に来るまでの交通費を払えている時点で、そこまでの経済困窮にあるとはこの医師は到底想像がつかないのだという。


「でも電気も水道も止まってないんでしょ。僕なんか学生のとき、いつも月末になると電気止まってたよ。服だって毎回違う服を着てるじゃないの。なんというか、なにかの片棒を担ぐみたいなことは僕はしたくないんだけど」

片棒とは、暗に不正受給を言ったのか。ぶしつけな医師の言葉に、視界が歪むような怒りを感じた。

仲岡さんは話の途中ですでに涙ぐみながら、うつだとか適応障害だとかの診断書を書いてもらえれば、生活保護申請の際に交渉材料になるはずだと医師に言うが、医師は「もう少し見ないと僕から病名はつけられない」と返す。

だが月に1度しか診察の機会がないのに、そのもう少しはどれほどの長さなのか。蓄えのない人間は1カ月も失職すればあっという間に貧困のどん底だ。

とはいえ、そもそも生活保護の申請にかかりつけの精神科医の診断書は不要だ。診断書は発行にカネがかかるし、福祉事務所に申し出て精神科通院のことを言えば、ケースワーカーのほうから主治医に確認をして病状と就労可能かの問い合わせをすることになる。

いたたまれなくなって僕がそう口を挟むと、医師はことさらに面倒くさそうに「はいはい、そういう確認が来たらちゃんと言っておくから。でも精神科にかかってる人間が全員生活保護なんか受けたら大変だよ。こうして薬だって出してるんだしさあ」。

追い返すように問診を打ち切られ、待たされてイラついた顔の次の患者に思い切りにらみつけられながら診察室を出た。

聞いているかぎり、この医師は生活保護制度についての知識もあいまいで、なんと生活保護の申請は区のハローワークに行けばいいと思っているようだった。

薬がもらえるという理由で精神科を利用

本当に冗談のような話だが、最も残念だったのは、クリニックからの帰り道で仲岡さんが、今後もその精神科クリニックに通うことで問題ないと言ったことだ。

その理由は、とりあえず行けば短時間で薬をもらえるから。それまでにもいくつかの精神科クリニックを回り、面倒くさいことを聞かずにスムーズに薬をくれるこのクリニックにたどり着いたのだという。

彼女にとっては、精神科通院は「頭痛持ちの人が薬局に通って頭痛薬を買う」のと同じ感覚で、ただ抑えがたい心の痛みを緩和する薬を、自身を切り刻み消し去りたい衝動と戦う輾転反側(てんてんはんそく)の夜にあらがうための薬を、簡便に与えてくれる存在として、このクリニックを選択、利用していた。

明らかにこのクリニックはそうした需要の「客」に対応することに特化していた感はあるが、ここでは精神科医療がすべてこうしたいい加減なものだとか、そうしたクリニックが横行しているとか批判したいわけではない。

問題は、その後の仲岡さんの状況が、加速度的に悪くなっていったことだった。


このクリニック同行後、仲岡さんは居住地の福祉事務所に赴き、生活保護の申請をした。今思えば、なぜ取材にかこつけて同行させてもらわなかったのかと後悔しているが、僕は貧困周辺者の取材をずっと続けていながら、自力でこうして生活保護の申請までできた取材対象者を彼女のほかに数名しか知らなかった。

申請をしようにも窓口で挫折したり、そもそも申請に必要な書類作成などの事務仕事ができずに窓口にも至らなかったというケースは嫌というほど見てきてはいる中で、少なくともこの時点で仲岡さんは、なんとか福祉事務所のサービス時間内に起床してたどり着くことができ、煩雑な事務仕事を伴う申請資料集めなどもすることができた。

僕はそんな仲岡さんをほかの取材対象者と比較して、比較的能力が高く、自力でやっていける人なのだと思ってしまった。後の彼女を見れば、それは奇跡的というか、仲岡さんが最後の最後に絞り出した力だったのだが……。

生活保護の受給を審査するケースワーカーは、当然、その業務として現在と過去の仲岡さんの就業状態や、なぜ失職したのか、なぜ精神を病んだのかといったことまで立ち入って聞き込んだようだ。そんな面接ののち、仲岡さんから僕の携帯電話に、激しい嗚咽で何を言っているのかまるでわからない留守電が入っていることが何度かあった。

担当ケースワーカーとは決定的に反りが合わないようだった仲岡さんだが、生活保護の申請は存外に短期間で通った。あのクリニックの医師にも確認は行ったようで、あの医師が問い合わせに「現状で就業は無理」の返答をしてくれたのは意外だったが、やはり僕は彼女が自らの努力と能力で面倒な申請をクリアしたのだと、少し尊敬するような気持ちにすらなっていた。

ベッドから起き上がれなくなった

だがその後、生活保護受給者となった仲岡さんのメンタルは加速度的に悪化していった。

食材の買い出しといった必要最低限の行動以外は、自宅のベッドから起き上がれなくなり、自傷も激しくなり、それまではなかった精神科の処方薬と酒を同時に飲むということも始め、何度かOD(過剰服薬)で救急搬送された。それは何か、それまで単に包帯を巻いて隠していただけの大ケガの切り傷があらわになって、とめどなく大量の血液が流れだしたかのように見えた。

こうした彼女の状況は、本人からではなく同じキャバクラに勤めていた友人の女性から聞いた。

「仲岡ちゃん、また介護で働くって、今、役所がいろいろ指導(就労指導)してるって」

そんな報告が友人づてで来たのが、生活保護受給から半年ほど経った頃だったろうか。僕自身も少し電話で話をしたが、その直後、その友人から、仲岡さんが盛大なODをやらかした末に病棟のある精神科病院に入院したと聞いた。

「さすがに面倒見きれないっつうか、仲岡ちゃんちょっと人生積んでるし、あたしらも巻き添えは嫌なんで」。数少ない友人たちも、そんなことを口にして彼女の下を去っていった。

どうしてこうなってしまったのだろう。



少なくとも取材初期の段階では、メンタルを病んでいるという割に仲岡さんはけっこうしっかりして見えたし、こう言ったら失礼だが、夜職としてはずいぶん一般職務能力が高いという印象。ほんの半年で、ここまで孤立した廃人のようになってしまうとは、僕はまるで想定していなかった。

この短期間の凋落の理由を考えてみた。そもそも彼女の貧困への入り口は、前職の介護職での過酷なトラウマ体験。その段階で、不眠やパニックがあって精神科通院を始めていたが、これは本連載が指摘し続けている「見えない傷・見えない痛み」を心と脳に抱えている状態だったと言える。だが彼女はここで、ひとつの間違いを犯してしまった。

確かに当時の彼女にとって、薬で心の痛みを緩和することがいちばんのニーズだったのかもしれないが、彼女はその痛みを本質的になくす「治癒」を目指す医療ではなく「一時的な痛みの緩和」に飛びつき、自身の貧困生活のストレスの中でその傷を悪化させていった。精神科と同時にカウンセリングにかかることは、費用的な面であきらめているようだったし、「最悪、つらけりゃ薬で寝逃げすればいいんで」とも言っていた。

だがそれは彼女だけの過ちだろうか? ここでの問題は、こうした彼女の誤った自己治療に、医師が加担していたことだ。あのクリニックの医師は何だったのだろう。なんだかあの医師は、ドラッグストアで第一類医薬品を対面販売する薬剤師に近い存在に思えた。待合室で見ているかぎり、問診にかける時間は平均で5分といったものだったから、ドラッグストアよりもスピーディかもしれない。

もちろん僕自身、精神科医や精神科クリニックがそんな存在ばかりではないことを知ってはいるが、その一方で、取材対象者たちが「薬局のように精神科クリニックを使う」のも見てきた。悪いことに、キャバクラを中心とする夜職の人々の中には、不規則な生活の中で「薬で寝て薬で起きる」といったことが悪しき慣習化している側面もある。仲岡さんも当初はそうした周りの流れに従っただけだったのかもしれない。

精神科医は貧困問題にも知識を持つべき

だが大前提として、精神科に救いを求める=心に痛みを抱えた状態は、つねに失職や収入の喪失と相関性がある。ならば本来、精神科医は心の痛みに対する対症療法のみならず、根本的にその心の痛みの原因を取り除く医療や、患者の就業や所得の状態に興味を持ってほしいし、貧困問題にだってある程度の知識があるべきではないのか。ソーシャルワーカーにつなぐルートや、生活保護申請のノウハウなども知っているべきだ。

願わくば、投薬以外のカウンセリングについても、保険適用の医療であってほしい。現状で保険が利くカウンセリング的医療は認知行動療法などに限定されているが、うつが国民病とまで言われる中、対症療法が中心というのはどうにも腑に落ちない。

精神科とは、本来、貧困当事者のワン・ストップ・サービスを提供する場にもなるはずのポジションなのだ。さすがに「生活保護の申請はハローワークへ」などと思っている医師は特殊かもしれないが、現状貧困の当事者にとって精神科医療がなせていることはあまりにも少なく感じてならない。

加えてもうひとつ。当連載の前々回で「僕自身は現状の生活保護制度に否定的」とした部分に言及したい。

まず生活保護の申請段階について。これは仲岡さんの取材以外でも感じていたことだが、メンタルにトラブルを抱えた者が生活保護の申請をすると、申請段階でメンタルの状態が一段階、いや、数段階悪化するようなケースをいくつか見てきた。

そこで行われていることは、おそらく生傷=トラウマ記憶のほじくり返しだ。心に傷を残すような過酷な体験をした結果、貧困に陥った人々にとって、その体験を思い出し、聞き出され、他人に語るということは、被害の追体験にほかならない。パニックを抱えた当事者にとって、自分のつらい記憶を思い出し、かつ現状の窮状を体系立てて話すことが、いかに苦痛を伴い困難なことなのか。

これは僕自身が高次脳機能障害を抱えて再認識した点でもあるが、心に大きな傷を抱えた者に過去の聞き込みをすることは、そのことが原因で当事者が死んでしまえばそれは間接的な殺人にもなりかねない危険な行為だ(これは記者業にも同じことが言えるから自戒を込めたい)。


にもかかわらず、かねてから生活保護のケースワーカーは、新卒公務員が配属される「外れ部署」だったり、「修業の場」化しているというのは、すでに多くの報道などでも指摘され、僕自身も現役のケースワーカーから何度も聞き取っていること。

この生活保護の窓口セカンドレイプともいえる状況が当事者の苦しみしか生まないならば、生活保護のケースワーカーは、最低限の心理職の専門性を持つ人を配属するか、心理職とつねに連携できる態勢であるべきなのではないか。仲岡さんが受給開始直後に倒れたのは、それまでなんとか気力で自分を支えてきた彼女が、最後の力を振り絞って無理解なケースワーカーと苦手な舌戦を繰り広げ、疲労困憊してついに倒れたということなのだと思う。

加えて、仲岡さんの場合は、半年ほどで少し調子を取り戻して就労指導が始まったところで、さらに一気にどん底に落ちて病棟入りとなった。

ここで仲岡さんにはいくつかの不運が重なっている。

それは、彼女がもともと非常に責任感のあるパーソナリティの持ち主で、生活保護に頼らずいち早く仕事ができるように戻りたいと思ってしまったこと。さらに前職が資格持ちの介護職=職能があったということだ。つまり彼女は外見や言動から「そろそろ働けそうだな」と判断されてしまったのだ。

高齢や障害傷病などで明らかに就労困難と見なされる生活保護受給者以外には、ケースワーカーから就労指導がある。評価基準は、肉体労働ができる、軽い労働ならできる、デスクワークならできる、と段階を踏んだものになるが、仲岡さんの場合は自身に社会復帰の希望が強く、働かなければならないという義務感も強く、まだ資格も生きていた。

だがそれは、本当に「働ける」状態だったのだろうか。

仲岡さんの状況を外科的外傷に置き換えると、彼女は足を骨折して休養中。仮骨が出来上がった段階で本人は歩けると判断し、走り出したら再骨折どころか開放骨折して骨が肉を突き破って出てきてしまって、大流血。そんなエグい絵面が思い浮かぶ。

ここで問題なのは、彼女はいつから働「ける」のか。そしてその判断基準だ。彼女が心に負ってきた傷は、前職の介護職時代のトラウマ体験のみならず、子供時代の父親の暴力や、その後叔母の家で肩身狭く過ごした経験などが積み重なったものだった。こうした積年こじらせ続け、完治しない傷の上に傷を積み重ねてきたような者が、ばったり倒れて働けなくなって、いったいどれほどの時間をかければその傷が就労可能なほどに回復するのか。半年なはずがない。

少なくともあのとき仲岡さんに必要だったのは、就労指導ではなく、まず日々の支払いといったストレスから解放されて心を休める休息の時間。それもある程度まとまった規模の時間が必要なはずだ。

心に抱えた見えない激痛が前回提言したように脳の機能阻害状態に起因するとして、たとえば同様のトラブルを抱えた脳卒中患者の脳の回復は、年単位の時間規模を要している。だとすれば彼女のようなケースが回復に至るには、傷つけられてきた人生の長さよりはるかに長く、それを耐えてきた時間よりもはるかに長い時間が必要だったのではないか。

その期間を短縮するためにも、そこ必要なのは就労指導ではなく医療的ケアだ。

すべてのタイミングが、環境が、狂っていたように思えてならないのだ。

かかるべき精神科を間違え、専門性の低いケースワーカーが心の傷を悪化させ、誤ったタイミングの就労指導で最終的に倒れることで、本来、そこそこの就労能力を有していたはずの彼女の社会復帰は、大きく先延ばしされることとなってしまった。なんという損失だろう……。

生活保護担当職員の専門性向上を求める

こう考えていくと、やはり現状の生活保護制度は、明らかに不備が多すぎて、全肯定はまるでできない。現状の社会のリソースを考えると遠大で非現実な理想論にも思えてしまうが、願わくばまず上記したような生活保護の担当職員の専門性向上、そして医療との連携で、貧困当事者を「扶助」ではなく「治癒」に導く積極性がほしい。

連携する医療とは、心に抱えた見えない痛み(脳の機能阻害状態)をケアする医療であって、まずはその痛みを医学的に可視化し、病名診断すること。さらにここでも「対症ではなく治癒」を目指した医療。同時に見えない傷の治癒具合を可視化することもまた必要で、本人の意思だけではなく、明確な診断基準をもって「この人はそろそろ就労可能」と判断できるようになること。つまり「貧困者の医学的エビデンス」だ。この基準が科学的でなく現場の専門性のない職員の判断のみが基準なら、それこそ不正受給問題なども本質的に解決はしない。

書けば書くほど理想論に思えてくるが、前回指摘したように貧困と脳のトラブルに関連性があるならば、希望もある。基本的に人間の脳神経細胞とは一度壊れてしまえば不可逆(元には戻らない)とされているが、脳には壊れた部分をほかの細胞が補っていく機能が備わっていて、機能的には「可逆性」があり、人の脳は発達し続ける器官だからだ。次回のテーマは「貧困当事者に必要な脳のケア」だ。

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抜粋終わり



なんとなく、この記事を読んで思ったのが、日本の精神医療の世界は、低級霊の支配下にあるように思える。

シャンティ・フーラ より

上記文抜粋
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 不気味だと思うのは、7月22日には安倍首相が山崎学日本精神科病院協会会長と会食し、23日にゴルフを楽しんだ三日後に相模原市の障害者殺傷事件が起こっています。これをもって、事件と関係があるとは言えませんが、山崎学氏の「正念場」という記事では、"中国の挑発が続いている。まさに正念場である"と書かれてあり、安倍政権を持ち上げ、大いなる期待感を寄せています。また過去の日本精神科病院協会の式典には、改憲派リーダーの櫻井よしこ氏が講演していたり、「憲法から国民主権、基本的人権、平和主義を削除しよう!」が持論の長勢甚遠・元法務大臣が招かれており、とても障害者を守ってくれるとは思えないような人物が重宝されています。
 障害者の方々が危機感を抱くのも無理ないと思います。

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抜粋終わり



精神医学の世界は、前線の真面目な人は居るでしょうが、組織的には、「精神医療を食い物にする下衆」なのが、残念な事実になるようです・・・


低級霊というと

現代を斬る より

上記文抜粋
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低級霊は人間の体内や潜在意識にいるのでその人の行動パターンやどこをどう押したらよろめくかなどお見通しなのです。

疑り深い人物には次の手、奥の手と魔手を伸ばして来ますが本来筋違いな不平不満・妬み嫉み・誇示請求などは低級霊の特徴です。

神秘や宗教に好意的な人は不思議現象を尊重し見上げてしまうので注意が必要です。

低級霊はおだて・くすぐりも得意ですw 現代社会は商業主義の勢いも強くこの低級霊の気功術を歓迎して受容しているところがあります。

新興宗教や霊能者による低級霊の気功術=洗脳操作に翻弄利用される場面が日々あるかも知れません。
このような怨霊の顕現・化身を昔古文では「鬼」と呼んだそうです。

低級霊と雖も決して弱くはなく、むしろかなり強大な部分があるようです。

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抜粋終わり

低級霊が実在するか?

わからんけど、その概念はもって対処した方が無難に思えます。

「集合的無意識」「帝網重々の世界」「気」「シンボル・象徴による記憶や想念の喚起」とかの組み合わせである程度説明はできそうに思う。

そういう低級霊的な思想・考えにとらわれると、そういう行動・思考を誘発してしまう。


>本来筋違いな不平不満・妬み嫉み・誇示請求などは低級霊の特徴です。

など、日本の医療の世界・ネトウヨ・アベ政権とその支持者・ネオコン・日本の支配層は、まさに低級霊そのものではないでしょうか。


低級霊=畜生精神・餓鬼地獄の生き方に、占領されているのが、今の日本社会であり、それが明治から延々と続いてきたと、認識するのが、生存の重要なカギの一つに思えます。


お読みくださりありがとうございます。
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