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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

伝統=善とするのが悪である。
戦闘教師「ケン」 激闘永田町編  より

上記文抜粋
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伝統イコール悪の論理

【市長「土俵で女性あいさつ認めて」会場から拍手】
 静岡市の田辺信宏市長は8日、同市駿河区で開かれた「大相撲富士山静岡場所」の土俵上であいさつし、「女性市長が増えている。日本相撲協会には対応を考えてもらいたい」と、土俵での女性のあいさつを認めるべきだとの考えを示した。
 兵庫県宝塚市で開かれた大相撲春巡業で、中川智子市長が「女人禁制」とされている土俵であいさつができず、「悔しい」と訴えたことを踏まえた発言で、会場からは拍手が送られた。
 観戦に来た人の意見は割れた。静岡県富士宮市の会社員男性(58)は「女性だけ土俵下というのは、時代に合わない。伝統は横綱の風格など、別のところで守っていけばいい」と田辺市長に賛成した。
 一方、静岡市清水区の自営業女性(49)は「相撲は国技で、日本の文化に根付く伝統は守るべきだ。人命救助など緊急時以外は、男女の世界があってもいいと思う」と述べた。
(4月10日、読売新聞)


相変わらず根拠の無い「伝統」が幅をきかせている。相撲協会は奈良時代以降の「女相撲」の「伝統」を忘れ、「神聖なる土俵に汚れた女どもを上げるのは禁忌である」との主張を貫いている。
この相撲協会が言う「伝統」は、女性を排除し、男性の優位性を誇示するための示威を正当化する原理として用いられている。

伝統は近代原理を否定する点で、存在そのものを「悪」と捉えることができる。
近代原理は、自然から人工(作為)、保守から進歩、不自由から自由などを求めることで、人類の発展と幸福を実現する考え方であると言える。これに対し、伝統と保守は、ことごとく近代原理に反するものであるが故に、近現代社会においては悪の要素となることが多い。

伝統は、確立したある様式を絶対のものとして、あらゆる改編を拒否する。同時に、「伝統」以外の様式を全否定して排除にかかることで、その様式のブランド力を確立、競争者を排除する原理にもなる。そのため、あらゆる伝統は改革(イノベーション)を否定、進歩を阻害する大きな要因となる。

今回の騒動の中で興味深かった意見の一つに、「伝統を否定しすぎた結果がフランス革命とロシア革命の悲劇ではないか」というものがあった。だが、これは原因と結果を取り違えている。
そもそもフランス革命は、放漫財政と戦費負担の増加によって財政危機に陥ったフランスが、銀行家のネッケルを大蔵大臣に抜擢、財政改革を進めようとしたところに始まった。ネッケルは、非課税だった貴族と教会に対する課税措置と宮廷費の圧縮を提案したところ、王妃・貴族・聖職者は「伝統」を盾に改革を拒否、あまつさえ国王に圧力をかけてネッケルを解任させたため、パリ市内が不穏に陥った。さらに、政府が治安維持のため軍を大量投入したことで、食糧価格が暴騰して飢饉が発生、革命が勃発するに至った。つまりフランス革命は、貴族や教会が「伝統」に固執してあらゆる改革・進歩を拒否したがために発生したのであって、この時、貴族や教会が課税に賛同していれば、少なくとも同時期に革命は起きなかった可能性が高い。

その意味では、ソ連崩壊もソ連共産党が計画経済の「伝統」から脱却できないまま、市場経済への移行改革に失敗したことによって生起した。事実、中国共産党は計画経済の「伝統」に固執せず、市場経済の導入という大改革を成功させ、一党独裁を堅持している。
このことは、進歩に対する信仰が強いはずの共産主義国家ですら、「伝統」の呪縛が重いことを示しており、この点でもやはり「伝統イコール悪」の原理が成立しうる。

【参考】 ペレストロイカを再検証する

常にイノベーションが求められる現代社会にあっては、伝統は個人レベルに止め置くべき倫理とすべきなのだろう。


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抜粋終わり

私は「伝統=悪」とは思わない。

そもそも伝統って意味があったり効能があって、存続してきた面もある。

でもその意味なり効能を検証しないと「守株」の故事のようなものになる。

その検証を排除するのなら、それは「伝統=悪」となるのだろう。

私的には
「伝統=善・とするのが悪である」

と思う。

伝統も、所詮人間の人為。

>ネッケルは、非課税だった貴族と教会に対する課税措置と宮廷費の圧縮を提案したところ、王妃・貴族・聖職者は「伝統」を盾に改革を拒否、あまつさえ国王に圧力をかけてネッケルを解任させたため、パリ市内が不穏に陥った。
>さらに、政府が治安維持のため軍を大量投入したことで、食糧価格が暴騰して飢饉が発生、革命が勃発するに至った。
>つまりフランス革命は、貴族や教会が「伝統」に固執してあらゆる改革・進歩を拒否したがために発生したのであって、この時、貴族や教会が課税に賛同していれば、少なくとも同時期に革命は起きなかった可能性が高い。



いっそ、伝統を墨守して滅びるのも面白い。特に天皇などその典型だろうな。


お読みくださりありがとうございます。

拍手[1回]

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コメント

1. 無題

女性が「相撲なんてなくてもいいんじゃない?」
と言えば、どうするのでしょう?
たいていの場合は女性を裏切る女性が出てくる のですが、
各々の考えに従って行動すれば、自ずと結果は出るでしょう。

渾沌堂様は大峰山の女人禁制は如何考えられますか?
私は実際に登って来ましたが、正面から登ると2時間弱で
頂上に着くのに、稲村岳周りだと5時間くらいかかります。

実際私が中学生のころに、大阪市立中学は夏の林間学校を
大峰山でしていたのですが、私の年から大峰山はやめになりました。
それからの衰退ぶりは周知の事実です。

私も数年まえに正面から登りましたが、
別にどうってこともありませんね。
要するに、自分で考えるかどうかです。

女人禁制の長所は人数が半減するので(実際はもっと減るでしょう。宗教は女性の方が
おおいから)山はきれいでした。女性トイレも要りませんしね。
しかし、女を見下して修行が出来るかどうかは知りません(笑)
何しろ山から下りたら、旅館で女を侍らせてお酒を飲んで
精進明けという宴会をするのですからね。
勿論不純異性行為もしていたでしょうね。

Re:無題

女人禁制は、あれはあれでいいとは思いますが、なんというか画一的にやると、悪事の抜け道が出てくる。

思考停止が一番恐ろしいです。

それなりに意味はあると思いますが、確か役行者の従者の前鬼・後鬼は、夫婦だったとか。
それを考えると、「女人にも開放する日・週間」とかした方が良いのでしょうが、その辺は、頭が悪いのでしょうね・・。

修験の「女人禁制」は、一種の「戦場とかの異常状態」の体験になりますので、その有用性と、精進落としは、大過ないとは思いますが、その辺の内実を検証しないと、大峰修験の衰亡死の運命ですよね。


>各々の考えに従って行動すれば、自ずと結果は出るでしょう。

追記ですが、石鎚山修験とか、女人禁制が解けていたり、数日残してあとは解禁とか修験の道場でいろいろになってます。

そもそも「四国遍路」も一種の修験の修行でもあります。お遍路近代中興の功労者の中務茂兵衛さんが、晩年に修験の本山の一つの聖護院が免状をだしているのでもわかります。

で大峰修験が南北朝の騒乱で衰えたときに、その後しばらく白山修験が日本第一の修験の道場になった時期もあります。

どうなるかは、その山・集団が社会・倫理にどう対応するかと、その霊場の霊力の二つの要因がありますが、まあ集団の構成員のモラルが堕落すると、霊力もそれに続いて落ちて行く物です。


男子禁制が善くて、なぜ女人禁制が悪のなのか?という意見も当然出てくるし、男女平等なら、その辺のことを勘案しないと、ただのイデオロギーの押し付けになります。

が、本質的に男女は違うけど平等なのですから、その辺をわきまえないと、これもダメでしょう。


この「女人禁制・男子禁制」とかの論は、微妙で難しいところもありますので、これで書ききれるとは思いませんが、それを「伝統」として「守株」に「墨守」するしか能がないのなら、話にならない・てのは確かなことかもしれません。


これで如何でしょうか。

書き込みありがとうございます。

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