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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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みずがめ座時代  より

上記文抜粋
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極東未来地図


北朝鮮、アメリカ、中国、ロシア、韓国、日本が様々な思惑を抱き、今後どう発展するのかが不明となっている極東情勢。ここで一度冷静に考える必要があるかもしれません。

北朝鮮はイラクのフセインの失敗を見て、大量破壊兵器が本当はなかったことが、アメリカに突きいらせる理由であったと判断。自国は核武装することで同じ轍を踏まないと考えているといわれますが、確かにそのように動いています。何があっても核開発は止めない、、、そんな印象です。

アメリカが唯一の超大国というのはすでにかつての話しで、今は財政難にあえいでいます。世界のおまわりさんの役は重荷となり、自国に派兵を戻したいというのがトランプ政権の本音。衰退した白人中間層を元の元気な姿に戻すというのが、アメリカ国民との約束のはず。なので海外への派兵を含む他国との戦争は、あきらかな利益が見えない限りはやりたくないのです。

中国はバブル崩壊の危険を瀬に、内政問題で手一杯のはず。外に眼を向ける力はないと思います。北の挑発は中国にとって、なんら利益がないどころか、戦火が起これば、少数民族問題がここぞとばかりに燃え広がり、政権崩壊の可能性があるからです。なので、中国は現状維持を願っているはずです。

次にロシア、ロシアは北朝鮮の後ろ盾としての姿を現してきています。北朝鮮にアメリカや他国が攻め入るようなことがあったら、ロシアが出てくる絵を、関係国にわからせようと、今動いています。北との戦火は、ロシア介入の口実を与えますので、現在のところ、ロシアの存在はアメリカにとっては非常に怖く、アメリカが手を出せないのは、後ろにロシアがいるからです。

韓国はすぐお隣の問題であり、戦火がスタートしたら自国が危機に陥ることは承知です。なので、国連制裁決議の一方で、すぐに人道支援を決めるなど、極めてナーバスに動いています。当然のことながら、戦火が起きない方向を政権も国民も求めています。頼りのアメリカは何をしでかすかわからない、という不安。日本も好戦的態度で韓国のことなどお構いなし。中国もあてにならない。ロシアを信じることなどできない、、、と、けっこう八方ふさがりの困った状況にいますので、追い詰められた分、根源的な解決の可能性を持つのもまた韓国でしょう。

そして日本。極東での戦火は日本にとっては脅威です。日本と北朝鮮の関係は一般に言われているような関係ではなく、ある意味、親密な部分もあるのかも。安倍氏は対北に極めて挑発的で好戦的態度ですが、本音はどこにあるのかわかりません。北の脅威論を利用している姿勢が伺えるのが気になります。

以上の関係国が絡む、非常に複雑な様相を見せているのが現在の北朝鮮情勢です。今後どうなっていくのか、、、、そんな切羽詰まった時期に、日本では国会での冒頭解散がされるという話し。常識的にはあり得ないことなのですが、北問題が今は戦争に発展しないとわかっていればこその判断である可能性があるわけでしょう。今後さらに緊迫するので、今のうちしか解散できない、、、という妙な言い訳をしていますが、ならばアラートなど鳴らして欲しくないものです。

ミサイルが過ぎ去っているのを知りつつ警報を鳴らすのに似て、今は戦争の時期でないことを日本の政権は知っている可能性があります。なので、安心して、好戦的態度を貫きつつも、解散ができるのでしょう。

アメリカの本音は海外に展開する軍を戻して、無駄なお金を使いたくない、、、すぐに利益の上がらない海外派兵はしたくない、、、沖縄からも軍を引き上げたい、、、日本政府が反対するのでそれができない、、、というような状態もあり、まして極東の戦火に自身が中心になっては関わりたくない。なので、北の挑発に何もできないでいるのかもしれません。

そうしたアメリカの本音は、北が暴発してもアメリカが参戦する程度でない限りなら良し、、、平和裏に半島を統一するならそれも良し、、、そうして極東の前線は日本、ということにしたい、、、これが本音であるかもしれません。

沖縄からうまい具合に兵を引き揚げ、あとは、日本と半島が敵対する永久戦争を起こして欲しい、、、そうなれば、日本に兵器を永久に売れるはず。それにより、アメリカに巣食う戦争屋と手打ちに持ち込めるし、アメリカ自身も安泰。

そのくらい考えていてもおかしくありません。韓国はこの絵ですと統一される、、、すなわち北に飲み込まれることにもなるのですが、戦火を交えることなく、それができたなら周辺の国はどこも反対しない可能性があります。

北と南とでは優位とするものが違いますから、東西ドイツの統合の時と似て、南の経済と北の軍事が一体となった奇跡が起きる可能性はあります。韓国は大変な思いをすることになりますが、大国は北批判だけはするものの、そのまま見ている可能性が高いです。

北は戦火を交えずに南北の統一の絵をすすめ、半島の統一を行う。平和裏に行う点がみそで、それにより沖縄の海兵隊は本国へ引き上げ、日本からもアメリカは手を引く。北の核はロシアが責任をもってロシアに移行し、ロシアが管理する。そのため、北の核による国際的緊張はもたらさないことになる。

そうした絵になると、日本が北と共産国のせめぎあいの接点になり、アメリカ自身は退くが、常になんらかの緊張を起こさせて、対半島向けのための軍事強化を説く。この構図が続く限り、日本はアメリカから武器購入のを永遠的に行うことになる。

こうなると、日本と韓国は大変なことになりますが、他の国にとっては何ら問題がなく、日本をキャッシュ支払機として使えるわけです。日本人を働かせ、永遠に武器を買わせ、それによって世界のキャッシュカードに使う。

大国が考えているのは、大体そんなところでしょうか。ただし、上の絵がその通りに進むことにはならないと思います。時間が迫っているのです。金融の時限爆弾の炸裂の方が早い可能性があるでしょう。

今後、アメリカ、中国、韓国、イギリス、ヨーロッパ、、、どの国どの地域でも、バブル崩壊の足音が高まっています。金融の崩壊はすでに10年前のリーマンショック時に起きており、各国政府のインチキ対応の結果、ここまで伸ばしてきたにすぎません。

その金融緩和の方式自体をもう続けることができない、、、というのが、現在の基本問題です。アメリカの財政もヨーロッパも中国も、バブル崩壊に対抗しうる政策はすでに使い果たしており、もうないという現状があります。

どの国も住宅バブルによる住民を巻き込んだ形での崩壊が今後進むでしょうから、かつての日本のバブル崩壊にさらに輪をかけた大崩壊がこれから起きるのは時間の問題なのです。

大国が描く上の極東の絵が先か、金融の崩壊が先か、、、

金の世を作ってきた業が、優先することを私は感じます。どの国もどの地域も、どの企業も、個人をも巻き込むバブル化の精算時期に入ると思うのです。

日本はかろうじてこの20年、耐えがたきを耐え、バブル後の決済を終えた状態ですが、世界はこれから始まります。日本のバブルも大きかったですが、世界のバブルはかつての日本の比ではないほど大きくなっています。
日本を極東軍事情勢で押しとどめる絵だけでは、とうてい世界のバブル崩壊は防げないと思います。

日本は今後も苦しいかもしれませんが、基本的に武器さえ購入していれば世界は放っておく、、、そんな感じでしょうか。どうせ貧乏国なのですから、金さえ払っていれば、文句も言わなくなるでしょう。

しかし、世界は大混乱です。その間に日本では、フリーエネルギーを主流とする新たな科学が起こり、健康や住まい、働き方、生き方までの大革命が進行するでしょう。
いつしか世界の国が忘れていた日本が光り出していくのです。

その光景を見るのは、そんなに先のことではないと感じます。

以上の流れで進むかどうかはわかりませんが、今後、世界で崩壊するものは、お金がない、、、というところから来る現象であり、それは世界でも日本でも同様でしょう。最後に起こることは、お金全盛の世の結末を見なくてはならないということです。

個人も企業も政府も、支払うお金がなくなって潰れていく大混乱がこれから始まるのです。お金全盛の時代は、最後の最後で、その威力を見せつけ、お金によって立ったものが、お金によってすべてをうしなっていく時代の幕開けです。

この視点での見方が今後重要になっていくと思います。
トイザラスの突然の崩壊も、お金の問題であり、企業も個人も政府も同様です。お金だけが人生だと思った人は、往々にしてお金を増やすための無理を行っているものです。企業も同じです。政府も同じです。お金によって滅びる混乱で、世界の掃除が始まったのです。


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抜粋終わり


国際秘密力研究 より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:「合理主義」「理性主義」について考察する。

〇「合理主義」中村元著で理性主義を考察。「理」とは二つの意味あり。一つは人間としての道理、筋道という意味。これは人の意志に関わるので行う事も行わない事もできる。もう一つは自然法則などの客観的な法則性。こちらは人の意志に関わりなく一定である。通常「合理」と言う場合は後者に重点がある。

〇西洋の理性主義が冷たいのは「理性」というものを感情や情緒と対立するものと規定して、それらを排除して成り立つものとするからだろう。下手をすると仏蘭西革命や露西亜革命のように人間の心情や尊厳を踏みつぶして血の粛清を繰り広げる所まで行きついてしまう危うさがある。大東社系の危険性はここ。

〇そもそも感情や情緒を排除した「理性」を基準にする事自体に「合理的」根拠がある訳ではない。そのような基準を設ける事自体に合理性は無く一定の判断に基づく恣意的基準だと言える。人の心情に配慮した暖かな心持ちに「道理」としての「理」があると言えるので、それを「合理的」と呼ぶ事もできる。

〇「合理的」と言う場合「目的合理的」という意味の場合が殆どである。目的の為に最大限の効率性を追求する視点である。人間的な心情や尊厳など、その過程で無視され切り捨てられるものも多い。これが果たして「合理的」と言えるのか?「合理」とはもっと人間の総体を配慮した定義づけをすべきだと思う。

〇人間の道理に合致する=合理という定義の方がよいと思う。東洋において考えられてきた道理観は大体そのようなものである。西洋の理性主義の場合は客観的な法則性に合致するというニュアンスが強い。かかる「合理」観に基づき人間社会にも自然法則のようなものがあるという独断を持ち込む場合も多い。

〇ヘーゲルやマルクスの理性主義は「客観的な法則」のようなものが人間社会にもあるという世界観である。共産主義者などは「歴史法則」を絶対の真理と信じ、人としての道理は無視する傾向があるが、それを「合理的」な態度だと思い込んでいる。大東社系の理性主義者は「理性」を掲げながら暴力を振るう。

〇「理性」「合理」という場合の「理」について以下の二つの意味。①人としての道理②客観的な法則。大東社系の理性主義者が「理性」を奉じて革命を起こした末に独裁と粛清という暴力に陥るのは「理」の定義が②に偏っているからだと考える。しかもその「理」たるや客観的でも何でもない只の独断である。

〇西洋の思想派閥を「一神教・神秘主義・理性主義」と分類しているが、理性主義も結局単なる独断を「理性」と呼んで粉飾しているに過ぎないもので、一神教や神秘主義と同質の「教義」であると言える。歴史上、理性主義者が理性的な行動をとる事は少なく、一神教原理主義者や神秘主義者と大差はないのだ。

〇自分を「理性的」で「合理的」だと思い込んでいる人間は他人の心情や尊厳を土足で踏みにじる場合が多い。「理」の定義が先ほどの定義②「客観的な法則」に偏っているからである。しかも、実際には客観的でも何でもない訳である。東洋伝統の①「人としての道理」が重要との中村博士の見解に同意である。

〇一神教系と神秘主義系に比べると陰謀追及界隈では批判的検討があまりなされていないと思われる理性主義系についてまとめて考察してみた次第である。「合理主義」中村元著を参考にした。東洋にこそ本当の合理主義の伝統がある事を論じた名著である。今年やり残しの「破NWO思想」=年末大掃除完了。

〇とかく理性主義者は勝手に拵えた独断を「客観法則」だと僭称しがちである。これは一神教徒や神秘主義者が独断的ドグマを作り上げるのと何ら変わらない。「弱者は淘汰されるべきだ」「人口削減は不可避だ」「ワンワールドは歴史の必然だ」など、全て「客観的な法則」を僭称するドグマである。

〇理性主義について考察したが、一方の一神教は「反理性主義」「反知性主義」である。キリスト教は知性や理性を徹底的に嫌悪し抑圧した。大東社系の理性至上主義はその反動として現れた。理性を至高のものとして崇拝するか、全く無意味なものとして全否定するか。西洋文明は両極端で二元論的傾向が強い。

〇理性を万能視したり崇拝するのも、全否定するのも両極端である。理性とはいわば推論の能力。推論能力は人間にとって不可欠だが、過つ事も多い心の機能である。よって、慎重に懐疑的な視点(「間違っている可能性は無いか?」など)も持つ事で初めてまともに機能する。「崇拝」などもっての外である。

〇理性は唯識の心理論で言うと「尋」「伺」である。「不定」の心所に分類される。「不定」とされるのは善にも悪にも働くからである。「理性=絶対善」と見る見方より冷静な定義である。この定義なら理性崇拝には陥らない。国際秘密力が謀略や陰謀の為に働かせる悪知恵は悪く働いた「尋」「伺」と言える。

〇「理」に二つの意味。①人の踏み行なうべき道理としての「理」②客観的な法則性としての「理」。「魔術」とは②を利用して力を生み出す技術であり、近代科学もその延長上にある。法則性自体は客観的だが、それを利用する人間の行為が道理に適っているとは限らない。秘密力の場合は①は完全に無視する。

〇②客観的な法則性を利用して「力」を生み出す国際秘密力に圧倒されて幻惑される者もいる。被幻惑者は自然法則などを利用して力を行使する国際秘密力を「合理的」だと思うのだろうか?だが、①道理を完全に無視して破壊と殺戮を繰り返す国際秘密力には「理に合致する=合理性」は微塵もありはしない。

〇前述した「尋」「伺」」について説明する。尋は対象の全体をおおまかに推求する心理作用である。伺は対象をより細かく詳しく推求する心理作用である。「不定」の心所に分類されるのは善にも悪にも働くからである。例えば、病を治す方法を研究するのも、大量殺戮兵器の研究開発も尋・伺の働きである。

〇五感と思考(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・考える=眼耳鼻舌身意)に気を付ける、というのが洗脳対策の基本だと考える。五感のみならず思考にも気を付ける必要があるのは五感から入った情報は当の五感が途切れても表象=イメージや概念、記憶として残り思考によって反芻され刷り込まれるからだ。

〇五感には当然「色・形」「音」などの対象があるが、五感のみならず思考にも対象がある。「思考対象」がなければ「思考」も無い。「思考対象」を五感の対象と同列に見て気を付けておく事は重要である。NWO征略の思想ツールもまず五感から入り、次に思考対象となる事で心理に刷り込まれるからである。

〇シンボルや音声、文字情報はまず五感から受容されるが、それは単に瞬間的な五感では終わらず何らかの表象=イメージとして印象を残し、文字情報は概念的思考の対象となって五感が途切れても思考対象として心理に影響を与え続ける。これで思考対象にも気を付ける必要性が分かる。だから「六識」である。

〇感官と対象の接触から認識作用、さらに対象に対する「欲望」が生じる。よって「欲望」も必ず「対象」を持つ。見(眼識=視覚)た事も触れ(身識=触覚)た事もない「1億円」を「欲しい」と思う事ができるのは「1億円」という表象=イメージ、言葉、概念が思考(意識)の対象になっているからである。

〇現代人の欲望の対象の多くは五感より思考の対象ではないだろうか。電子マネーなどが最たるものだが。五感で認識されなくても「金」への欲望は際限がない。あるいは物体的な商品も実用性よりステータス誇示を目的に購入される場合も多い。このような欲望の対象の本質は観念や表象=イメージにある。

〇物体的な実態を持たない欲望の対象は無際限に作り出す事ができる。例えば「ポケモンGO」はただのデータを欲望の対象として作り出す事で多くの人間を動かせる事を示した。欲望が人を動かすなら欲望の対象を操る者が人を動かす。国際秘密力は欲望の対象を次々に作り出す事で人々を洗脳・誘導している。

〇結局現実に人の生きる世界は認識された世界である。見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・考える=眼耳鼻舌身意=六識(六境=色声香味触法を対象とする。六根・六識・六境)。この六つの認識領域に気を付ける事が洗脳防御の基本指針になると改めて思う。洗脳の経路はそれ以外にはあり得ないからである。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/815038928247865344



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抜粋終わり

>そもそも感情や情緒を排除した「理性」を基準にする事自体に「合理的」根拠がある訳ではない。そのような基準を設ける事自体に合理性は無く一定の判断に基づく恣意的基準だと言える。

同感。

>人の心情に配慮した暖かな心持ちに「道理」としての「理」があると言えるので、それを「合理的」と呼ぶ事もできる。

おなじく同感。


おなじく より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:論理学の観点から両建戦術を解析する

〇【両建の定義】国際秘密力は基本的戦略思想として「正・反・合」のヘーゲル弁証法を採用。現実への適用例「相対立する政治勢力AとBを作りだし、両方を操作して予め意図した結論Cに誘導」AvsB→C。AvsBという構造自体に着目すると「両建構造」、操作主体に着目すると「両建戦術」と呼ぶ。

〇両建戦術とは「これがダメならあれをやる」というリスクヘッジも兼ねた巧妙な戦術なので、対処する側も常に複眼的思考をしていないと騙されてしまう。パターンAとパターンBが想定されるなら根拠なくどれかを否定し想定から排除して盲点を作らない様にすべきである。複眼的思考が破両建の基礎である。

〇弁証法戦略とは一種の迂回戦術とも言える。「ワンワールド」という目的を設定した場合、一直線に「国境撤廃」を推進するのではなく、一端「ワンワールド」とは逆のナショナリズムや国家主義にテコ入れする。その上で衝突を起こし、その「反省」という名目で改めてワンワールドを強要するやり方である。

〇弁証法戦略が持つ「迂回戦術」という一側面によって国際秘密力がグローバリズムなどの各種無国境主義だけでなくナショナリズムにもテコ入れする意味が分かる。最終目標に到達するまでの一過程として最終目標とは逆の性質を持つ事柄にテコ入れする場合も多い。ここが厄介なので注意を要する点である。

〇より一層のグローバル化=全球化=NWO化を推進する為に一時的に脱グローバリズムや国家主義、ナショナリズムにテコ入れをする可能性もある。グローバリズムのみならず紐が付いた脱グローバリズムやナショナリズム(例えば国家間の衝突→戦争を煽るようなもの)も見破って騙されないように注意する。

〇「両建」は人間の思考の隙を突いて巧妙に入り込んでくる。ある判断Aを下すと別の判断Bは排除される。「時間」が捨象される形式論理学上は「Aは非Aではない」という矛盾律が成り立つが「時間」の形式を持ち常に変化する現実世界ではある状況ではAであり別の状況では非Aであるという事がありうる。

〇ある状況はAであり、別の状況では非Aであるというのが現実世界の論理である。「A≠非A」は時間を捨象した単なる思考上の規則に過ぎない。形式論理は思考の規則であって、時間が経つにつれ状況が刻々と変化する現実世界の論理ではない。形式論理を現実の論理と混同し絶対化するなら形而上学になる。

〇両建はある意味形式論理の絶対化であり、現実の具体的な状況や条件を無視し2択を迫る思考の罠なのだ。よって、形式論理に囚われて「AかBか」という2択を現実世界に適用する思考パターンに馴染んでいると容易に両建の罠に落ちるのである。両建戦術では形式論理の罠に嵌め、弁証法の論理で誘導する。

〇両建戦術は「形式論理」と「弁証法論理」の合わせ技である。まず、人々の形式論理的思考に乗じて「AかBか」という2択を迫り、2つの陣営に分けた上で衝突を煽る。ここまでは形式論理である。対立構造が形成され衝突が煮詰まったら予め設定した「C」という結論に誘導する。これが弁証法戦術である。

〇同一律も矛盾律も言葉を使う思考の規則であり思考の世界の約束事である。現実世界では同一律も矛盾律も厳密に成立するとは言い難い。例えば人は成長するにつれて変化するので10年前のAと今のAが完全に同一だとは言い難い。逆に変化しつつも連続するのでAと非Aが同じだとも言える。要は視点次第。

〇「変化しつつも連続するのでAと非Aが同じだとも言える」について補足。10年前の甲を「A」とすると、今現在の甲は厳密には「非A」である。しかしながら、変化しつつも人格的同一性は維持されている。変化しても甲はあくまで甲という人物である。そうでないなら社会的存在として存立できない。

〇このように言葉と思考の世界ではない現実世界を観察するならば形式論理はあくまで思考の規則であり約束事に過ぎない事が分かる。約束事はどこまでも約束事である。現実の世界にそのまま適用するとおかしな事になる。「右か左か」という左右両建構造もかかる人間の思考の癖に付け込んで設定される罠だ。

〇「論理」の話。「論理的」かどうかは「必要」という偶然的な要素とは関係が無い。「必要」は具体的な条件や文脈によって決まる(「空腹だから食物が必要」など)。それに対して「論理」は純粋に思考と言葉の規則。不必要なホラ話にすら論理がある。異なる次元にある「論理」と「必要」を混同する愚。

〇問題となるのは特定の事柄を論証する説明が論理的か否かで「論理的に必要か」という表現は無意味(「必要条件か」は有意味)。論拠と結論が論理的に繋がっているかだけが肝心。「論理」と「必要」は別次元。必要は具体的な条件次第。例えば飢えた人が何かを食べる必要があるのは論理の問題ではない。

〇「あなたの推論には論理的な間違いがある」は有意味だが、「あなたの推論には論理的必要が無い」は意味をなさない。「推論の必要性」は論理によっては決定できない。それを決定するのは実際に人を説得しなければならないなどの具体的な条件や状況。逆に不必要な嘘話にすら言葉である以上論理がある。

〇論理の話の続き。「論理」とは言葉の繋がりの規則なので「論理的」である事は事実の有無や真偽とは関係が無い。虚偽にも論理がある。例えば「①大前提・犬は魚類である②小前提・ポチは犬である③結論・ポチは魚類である」という三段論法は論理的には正しい。しかし犬は魚類ではないので虚偽である。

〇「論理的」と「合理的」が混同して使われる場合が多いと感じる。言葉と言葉の繋がりが飛躍する事無く繋がっていれば「論理的」だと言える。しかし、論理的でも虚偽や空想である可能性もある。事実の有無は論理的な正しさとは別次元なので具体的に検証しなければならない。「合理的」はこの局面で使う。

〇「論理」の「理」は文字通り「論の理」。つまり言葉や思考の筋道の意味。それに対して「合理」の「理」は言葉に限らないもっと広い意味での筋道。「目的合理」という場合は目的を達成する為に効率のいい筋道を意味する。個人的には「合理」を「道理に合致する」という意味でも使いたいと思っている。

〇「合理」に関しては以前考察した。
【「合理主義」中村元著で理性主義を考察。「理」とは二つの意味あり。一つは人間としての道理、筋道という意味。これは人の意志に関わるので行う事も行わない事もできる。もう一つは自然法則などの客観的な法則性。こちらは人の意志に関わりなく一定である。通常「合理」と言う場合は後者に重点がある。】
https://twitter.com/kikuchi_8/status/815038928247865344

〇論理の話の続き。よく「日本人は論理的思考が苦手」と言われるがさにあらず。我が国は奈良時代に論理学を受け入れていた。「それは一部の仏僧(当時の知識人)のみ」と言ったところで西欧で最初にアリストテレス論理学を受け入れたのも一部の神父のみである。しかも受容の時期は日本の方が数百年早い。

〇我が国が奈良時代に受け入れた論理学は印度に由来するもので「因明=いんみょう」と言う。奈良の仏僧によって学ばれた。因明は古因明と新因明に分かれる。古因明は印度の哲学学派「ニヤーヤ派」が整備した。それに対し新因明は唯識派に属する陳那が整備した。我が国に輸入されたのは新因明の方である。

〇ニヤーヤ学派は提案(宗)・理由(因)・喩例(喩)・適用(合)・結論(結)という五支からなる「五支作法」と呼ばれる論証式を作った。陳那はこれを提案(宗)・理由(喩)・喩例(喩)の三支に改めた。前者が古因明で、後者が新因明である。因明は流派を問わず印度の各哲学学派の共有財産となった。

〇陳那の論理学まとめ。①提案・理由・喩例(宗・因・喩)からなる論証式=三支作法。②因の三相(正しい理由である為の三条件)。「AはBである。Cであるから」という論証の場合Cが正しい理由である為の条件は三つ。①CはAの性質である。②CはBに随伴(BがCを遍充≒包摂)③Cは非Bから排除。

〇陳那が唱えた「遍充」とは概念間の包摂関係を意味する。類概念は種概念を遍充している。例えば「人間」という概念は「生物」という概念によって遍充されている。より普遍的な概念がより特殊な概念を遍充するのである。主張命題の述語が根拠を遍充しているとそれは正しい理由とされる(因の第二相)。

〇西洋の論理学が「演繹」重視なのに対し、印度の論理学は「帰納」重視だと言われている。陳那はある命題の根拠が正しいと言える為の条件(因の三相)を究明した。因の三相は帰納推理が成り立つ為の条件。印度の論理学の論証式では必ず具体的事例を挙げる事を必須とする点も「帰納」重視の表れと言える。

〇陳那は論理学と認識論を重視したが、認識論においては確実な認識手段を知覚(現量)と推理(比量)に限定した。そして概念(共相)を介在しない知覚(現量)を対象そのもの(自相)を捉える一番確実な認識手段とした。このような陳那の経験主義的な姿勢も帰納重視の論理学に反映していると思われる。

〇因の三相を「提案・安倍は売国奴だ。理由・ISDSで主権放棄するから」という論証式で考える。①第一相・「ISDSで主権放棄するから」は提案の主辞「安倍」に属する。②第二相・「売国奴」は「ISDSで主権放棄するから」を遍充。③第三相「ISDSで主権放棄するから」は非・売国奴から排除。

〇①②③を説明する。①は「ISDSで主権放棄する」のは「安倍」だという事。②「ISDSで主権放棄する」人物は必ず売国奴である事(逆に全ての売国奴が「ISDSで主権放棄する」とは限らない)。③「ISDSで主権放棄する」人物は非売国奴の集合から排除される(売国奴以外の何ものでもない)。

〇「AはBである。Cだから」という命題で「因の三相」を考える。①第一相・CはAが持つ属性でなければならない。②第二相・Cが必ずBに随伴する事。全てのBがCである必要はない。③第三相・Cは非Bの集合から排除されていなければならない。そうでないならば「AはBである」理由になり得ない。

〇陳那(ディグナーガ)が唱えた「因の三相」とは何らかの命題を立証する場合に挙げる根拠や理由が正しいと言える為の条件を明らかにしたものである。「因の三相」を備えていれば(三つの条件に全て適合していれば)その理由は正しいとされる。自他の主張命題の根拠を吟味する際に役に立つ考え方である。

〇日本人にとっての陳那の因明は西洋人におけるアリストテレスの論理学みたいなものではないだろうか。こういう知的遺産は是非掘り起こして活用していくべきだと考える。戦国時代においてアリストテレスの論理学を駆使するイエズス会宣教師に対して仏僧は陳那が開発した因明を駆使して対抗した事だろう。

〇陳那の因の三相は此縁性(しえんしょう)と呼ばれる「縁起」のもっとも基本的な形式「此れが有れば彼有り。此れが無ければ彼無し。」をベースにしていると思われる。随伴と排除の関係である。「渇愛が有れば苦が有る。渇愛が無ければ苦が無い。」「火が有れば煙が有る。火が無ければ煙が無い」など。

〇西洋では認識論が発達するのが遅かった。「神」が認識を保証してくれるという前提があったからである。それが崩れ始める近世初頭になるまで本格的な認識論は現れなかった。一方、「絶対神」の観念が希薄な印度では認識論が早くから発達した。特に仏教の認識論は精緻を極めた。陳那はその大成者の一人。

〇説一切有部は外界(境)がそのまま認識されるとした。経量部は外界は直接認識されず外界が表象として認識されるする表象主義的な認識論である。これは近代になってカントが論じた認識論と似ている。唯識では外界の存在そのものを否定し、主客は相互依存(依他起)しており全ては認識作用=識だとした。

〇陳那の認識論では有効な認識手段は知覚と推理に限定したが、ニヤーヤ学派では知覚・推理・証言・比定の四つを有効な認識手段として認めた。陰謀追及的には「証言」は重要である。情勢分析のソースも大半がニュース、ネット情報、書籍などの謂わば「証言」だからだ。ソースの信頼性の吟味が重要になる。

〇陰謀追及における情報の分析では情報のソースの信頼性や複数のソースを比較対照するなど十分に吟味する必要がある。証言は「見る」「聞く」など知覚によって認識するものの証言で指し示されている事実そのものについては直接知覚している訳ではない。証言を知覚や推理と区別する意義はあると思われる。

〇「論理」を考える為の資料として印度哲学の中でも論理の研究を専門としたニヤーヤ学派とその姉妹学派であるヴァイシェーシカ派について少し調べた。印度哲学と言えば「梵我一如」を旨とするヴェーダーンタ学派のような神秘主義的な学派のみならず合理主義的な学派もある。神智学一派が無視する側面だ。

〇NWO征略で思想工作を担当する神智学一派は印度思想に執着して憑依の対象とするが彼らが利用するのは神秘主義的思想ばかりである。論理と合理を重視する学派は無視する。支配ツールに向かないからだろう。現に印度では論理学はヴェーダの権威を軽視するものとして当初支配階級から警戒されたらしい。

〇古代印度の六派哲学の一つにヴァイシェーシカ派という学派があった。「勝論派」と言う。勝論派では世界を「六句義」という六つのカテゴリで説明する。六句義は実体・属性・普遍・特殊・運動・内属の六つである。「概念に対応する実在が外界に存在する」「世界は言語表現通りに存在する」という思想。

〇勝論派では「白い牛が歩く」という事態は「白い牛が歩く」という言語表現に正確に対応していると考える。「歩く白い牛」という実体に「牛性」という普遍、「白い」という属性、「歩く」という運動が内属していると考える。主体・運動・属性は相互依存=縁起すると考える龍樹とは正反対の発想である。

〇勝論派哲学は言葉と逐一対応する事物が実在すると考えるとどういう世界観が出来上がるかを示すモデルケースだと言える。逆に「言葉と現実にはズレがある」と考えたのが龍樹である。勝論派と中観派は全く逆方向に思考を徹底したよき論敵同士だった。それにしても印度人の思考の徹底ぶりには驚かされる。

〇ヴァイシェーシカ派の姉妹学派が論理学と認識論の研究が専門のニヤーヤ学派である。認識と論証に関する十六のカテゴリを設定。ベーダーンタ派が「梵我一如」という神秘的境地に至る事を「解脱」としたのに対し、ニヤーヤ派は「論理学と認識論を極める事」を「解脱」とした。合理主義的な学派である。

〇ニヤーヤ派とヴァイシェーシカ派はベーダーンタ派などに比べると合理主義的な学派である。西洋の結社やその手先のカルト勢力は印度哲学の神秘主義的な部分だけをつまみ食い的に剽窃して利用するが印度哲学の強靭な論理的思考は忌避する。印度哲学を神秘主義だけと思い込むと神智学一派などに騙される。

〇ヴァイシェーシカ哲学の六句義の「句義」(パダ・アルタ)とは「語の対象」を意味する。即ち語が示す対象的実在には六つのカテゴリがあるというのが「六句義」の意味である。語が示す概念を実体視・実在視する考えである。概念の実体視を批判する龍樹とは対照的な発想であり、激しい論争が行なわれた。

〇印度哲学は神秘主義的な学派と合理主義的な学派に二分される。ベーダーンタ派やミーマーンサー派は前者で、ニヤーヤ派とヴァイシェーシカ派は後者。サーンキャ派は二元論的。ヨーガ派のヨーガは全学派共通。仏教は合理主義的だが渇愛を取り除いて苦の滅を目指す倫理的な色彩の強い実践哲学だと言える。

〇原始仏教もニヤーヤ派やヴァイシェーシカ派と同じく合理主義的だが主知主義的ではない。ニヤーヤ派は論理学と認識論を極める事を目指すが、原始仏教は「渇愛の滅による苦の滅」を目指す実践重視の哲学である。だが後には中観・唯識に至り論理学と認識論が発達した。ニヤーヤ派とはライバル関係である。

〇ヘーゲルの弁証法では正・反・合の変化の過程を設定するものの、歴史の最終到達点みたいなものを想定する点でギリシャ的というよりペルシャ的である。ヘーゲル哲学はプロテスタント神学の哲学版などと言われる所以である。キリスト教はペルシャ起源の「歴史の終わり」を想定する終末史観が濃厚である。

〇「変化の相を捉える思考方法」という「弁証法」の広義の意味では東洋の哲学にも当てはめられる場合がある。だが「弁証法」というとヘーゲルの弁証法が真っ先に連想されるので好ましい分類法とは思えない。ある種の憑依型戦術である。そもそも弁証法とは古代ギリシャでは問答法とか対話術を意味した。

〇「論理学を生み出したのはギリシャとインドだけ」と言われるが、アリストテレスが整備したギリシャの論理学は諸学問をやる為の「オルガノン(道具)」という性質なのに対し、インドの論理学は各哲学学派間の論争から生まれた討論術を起源としているようだ。後者はさながら討論マニュアルのようである。

〇ニヤーヤ学派が論理学を研究する学派だった(古因明)が、これに対して陳那が新しい論理学を確立した。陳那が確立した論理学(新因明)は我が国も奈良時代に取り入れている。中村元氏によると因明が現在も伝統として学ばれ続けているのは日本だけだそうである。日本人には論理学の伝統があるのである。

〇陳那の論理学まとめ。①三支作法②因の三相③九句因。①三支作法とは主張命題(宗)・理由(因)・例証(喩)の三支から成る論証式。それ以前の論証式はニヤーヤ派が確立した主張命題(宗)・理由(因)・例証(喩)・適合(合)・結論(結)からなる五支作法だった。陳那は合と結を削り三支とした。

〇②因の三相とは主張命題を立証する理由が備えるべき三つの条件。㈠遍是宗法性。理由が主張命題の主辞に属す。㈡同品定有性。理由が主張命題の賓辞を必ず伴う(煙があれば必ず火がある等)㈢異品遍無性。理由が主張命題の賓辞の補集合から排除。㈡㈢を合わせて遍充(賓辞が理由を包摂する関係)と言う。

〇③九句因とは理由(因)の9のパターンの事。理由が賓辞の集合の全体にあるか・一部にあるか・全くないかの3パターンあり、それが補集合にも言えるから3×3で全部で9パターンとなる。正しい因(正因)は因の三相を満たすもののみ。それ以外は全て間違った因(相違)と正否不明の因(不定)である。

〇こういう論理学が奈良時代から学ばれていた事を見ても「日本人は論理的思考が苦手」は嘘だと分かる。日本には西洋の自由七科=リベラルアーツに相当する「五明」があった。どちらも論理学を含む。戦国時代に襲来したイエズス会宣教師は論理学を身に着けていたが、我が国の学僧は因明を身に着けていた。

〇戦国時代に日本がキリスト教の侵略を打ち払う事が出来たのは宣教師が身に着けていたアリストテレス論理学に対抗できる「因明」という論理学で鍛えた論理的思考があったのも大きいのではないかと考えている。当時の仏僧は宣教師と対等以上の論争を行なっている。武力だけで思想工作を破る事はできない。

〇因の三相を「主張命題:声は無常である。理由:原因によって成るから。」で説明。①遍是宗法性とは「原因によって成る」が主辞「声」の属性である事。②同品定有性とは「原因によって成る」が必ず賓辞「無常」を伴う事。③異品遍無性とは「原因によって成る」が賓辞「無常」の補集合「常住」に無い事。

〇同じく「主張命題:声は無常である。理由:原因によって成るから。」で「遍充」を説明する。この場合、遍充とは主張命題の賓辞「無常」が理由「原因によって成る」を包摂する関係である。包摂されるので「原因によって成る」は必ず「無常」の集合に存在し、無常の補集合「常住」には決して存在しない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/863883059459874816


(了)


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・・・・・・・・・
抜粋終わり

>戦国時代に日本がキリスト教の侵略を打ち払う事が出来たのは宣教師が身に着けていたアリストテレス論理学に対抗できる「因明」という論理学で鍛えた論理的思考があったのも大きいのではないかと考えている。当時の仏僧は宣教師と対等以上の論争を行なっている。武力だけで思想工作を破る事はできない

南方熊楠は「科学など仏法の一部に過ぎない」という主張している。然り。


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