故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
月刊日本 より
上記文抜粋
・・・・・・・・
白井聡×片山杜秀 日本は破局的状況に突入した
国家は崩壊する
安倍政権は国内では森友問題や加計問題、日報問題、外交では北朝鮮問題や日米貿易問題など、多くの問題を抱えています。ところが、安倍政権はこれらに何一つまともに対応できていません。もはや国家の体を為しているのかどうかさえ疑わしい状況です。わが国はヨーロッパやソ連などと違い、先の大戦を除き、国家が崩壊するという経験をほとんどしたことがないため、国家は永続するものだという幻想を持っているように思います。しかし、国家というものは、国民や政府がしっかりしなければ崩壊します。我々はいまやその瀬戸際にいるということを自覚しなければなりません。
ここでは弊誌6月号に掲載した、京都精華大学専任講師の白井聡氏と慶應義塾大学教授の片山杜秀氏の対談を紹介します。全文は6月号を御覧ください。
日本人に生き残る価値はあるか
白井 『国体論』には内田樹さんが「菊と星条旗の嵌入という絶望から、希望を生みだす知性に感嘆」という推薦文を寄せてくださいました。私は「あれ、どこかで希望について書いたっけな」と思ったのですが、内田さんが希望を見出した理由を自分なりに考えてみました。
国体が二度崩壊するという仮説は、もともとヘーゲルの「歴史的な大事件は二度起こる」という議論に基づいています。なぜ二度起こるかというと、これは私の解釈ですが、一度では人間は納得できないからです。歴史を画する重大な事件であればあるほど、自分たちが前提とする世界観が崩れるため、「こんなことはあり得ない」とか「たまたま起こっただけだ」とやり過ごそうとする。
しかし、重大な出来事は構造的必然性から生じるものです。だから、一度やり過ごしても必ずもう一度起きる。そのときに初めて、その必然性を認めざるをえなくなるのです。
国体の歴史も同様です。戦前の国体は敗戦によって崩壊しましたが、日本人はそれに納得できず、アメリカを媒介とすることで再び国体を作り上げました。しかし、国体の崩壊は必然だったので、戦後の国体も再び崩壊しつつあるというわけです。
マルクスに言わせれば、これは茶番です。マルクスはヘーゲルを引きながら「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」と言っています。ただ、マルクスは同時に、過去に笑って別れを告げるために喜劇が必要とされるとも言っています。
だから、二度目の崩壊を迎えるのは馬鹿馬鹿しいことなのですが、大笑いして終わらせられることができるなら、そこに希望があるのかなとも思います。片山さんは希望という点についてどのようにご覧になっていますか。
片山 戦前との対比で言いますと、日本では昭和10年に「天皇機関説事件」が起こりました。天皇機関説とは憲法学者の美濃部達吉が唱えたもので、天皇は国家の最高機関ではあるが、あくまでも憲法に規定された一つの部品に過ぎないという考え方です。しかし、貴族院の菊池武夫が天皇機関説を反国体的学説だと非難したことから、時の岡田啓介内閣は「日本は機関でなく神的実体である」といった趣旨の国体明徴声明を出して、天皇機関説を否定しました。これは憲法を改正せずに解釈だけを変えたということですから、解釈改憲と言えます。
この翌年の昭和11年に二・二六事件が起こります。青年将校の一部の奉じていた北一輝の理想は改憲ですよね。天皇を有徳な実体として国民に尽くす存在に変えたかったわけでしょう。
しかし、前年に解釈改憲が行われた時点で、体制側は実はもう改憲せずとも目的は達していた。現人神として軍隊・国民に死を命ずる実体としての天皇像は、解釈改憲によって確認済みだったのです。
だから青年将校のクーデターに軍部は乗らなかった。ところが国民は右翼クーデターが怖い、大変だとか、思っていたわけでしょう。しかし本当に怖かったのは解釈改憲をやった天皇機関説事件の方ですよ。
この経過に現今を重ねますと、安倍政権も憲法を改正せずに集団的自衛権行使を容認しましたね。今再び9条改正という話が出ていて、護憲派も改憲派もそちらに目が行って興奮しているのかもしれませんが、「平成の天皇機関説事件」はもう終わっている。すでに解釈改憲によって日本がアメリカのために戦争するというルートは出来上がってしまっています。たとえ改憲を阻止したとしても、肝心な段階はもうクリアされてしまっている。
ということは、歴史が繰り返すならカタストロフもいよいよ近い。私は国体の二度目の崩壊はすでに始まっており、もはや不可逆的なところまで来てしまったのではないかと思います。もう行くところまで行くしかない。そして、実際に国体の崩壊を迎えたとき、「やっぱりこうなったか」と笑うのかもしれません。
しかし、先の国体崩壊では原爆まで落とされました。今度はどうなるか。生き残って笑えるでしょうか。
白井 肝心なことはすでに終わっているのではないかという今のお話、相当に怖いんですが、私も同感なんです。国体の第二の死がハードランディングになるなら、戦争か経済破綻、あるいはその両方ということになると思います。
ただし、これから破局はやってくると考えるべきではない。日本はすでに破局的状況に入っていると言わざるをえません。そもそも安倍政権が5年間も続いているということ自体、破局ですからね。それから原発事故の対応だってそうです。実は日本はもう死んでおり、その事実が様々な出来事によって証明されているというのが現実のところだと思います。……
・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
>日本人に生き残る価値はあるか
自力で
1天皇制を廃止 で革命
2天皇家追放 で革命
3天皇家抹殺 で革命
のいずれかが出来たら、十二分に、生き残る価値はあるが・・・。
DEEPLY JAPAN
上記文抜粋
・・・・・・・・・
白井聡×片山杜秀 日本は破局的状況に突入した
白井さんと片山さんといえば若手の研究者としてどちらも非常に有能な方だと私は思っているのだが、そのお二人が揃って、これはマジでやばいと言っているというのはそれこそ心胆寒からしめるとはまさにこのことといった状況。
白井聡×片山杜秀 日本は破局的状況に突入した
http://gekkan-nippon.com/?p=13490
白井さんの方は自説の「永続敗戦」のコンセプトから説き起こして、かつての天皇の位置にアメリカが入っている、つまりアメリカ様が我々を愛してくださってる的な構造になっていることを危惧しているといういわば構造理解。
片山さんの方はそれとはいささか違う入口ではあるのだが、実は両者の論は同じ機構を表から眺めるか中から眺めるかの違うでしかないのだろうと私は思う。
片山さんは、前に島薗氏と対談されているところで指摘された、神聖なる存在としての天皇と象徴としての天皇の差異とこれがもたらす効果から、このようなご発言をされたものと思う。
お二人を重ねると、構造理解と、内部で動く外から見えないが内部統制に役立つ動機付けの説明が重なってる。怖いですよほんと。
で、構造は外から無理やり変革することは表面的には可能だが、内部の動機付けの方がよほどやっかいだ。
つまり、うかつに、たいした考えもなしに、水戸学的というか尊王攘夷的というか、中朝論的というかといった世界を開けてしまったことが問題だと片山さんは思ってらっしゃるのではないかと拝察する。
しかしそれは「破局」かどうか、不確かかもしれない。というより、私が思うに、破局する力さえ失ったことがさらに問題なのではありますまいか。戦前の明徴論以降の日本というのは民の側(あるいは異論を持つ側)に力がなくなった状態ですし。
だから「もはや不可逆的」という事態であると認識されている、と。
とはいえ、絶望は私の性にはあわないので、ここからどうしたらいいのかと考えるに、これはつまり、カルトでない右派と抵抗者としての左派をかき集めていくしか手はないんじゃないですかね。
ドイツで、右からAfD(ドイツのための選択肢)、左からディーリンケ(左翼党)というエスタブリッシュメント枠に収まらない(嫌われる)勢力が存在しているような恰好。
イタリアの現在も要するに脇から出て来たところが、ある種正気(sane)な勢力となってる。
日本でできる気はさらさらしないんだが(泣)、しかしそれぐらいしか思いつかない。
■ 参考
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』by 片山杜秀×島薗進
空っぽの国体明徴運動と日本の「悩み」
■ オマケ
この対談のタイトルは結構刺激的なのでみんなどうやって読んだのだろうかと思ってtwitterを見て見たが、安倍がどうした、のあたりに食いついちゃってますよね。いやもっと大変なんだと気付かれてないと思いますよ、片山先生。
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・・・・・・・・・
抜粋終わり
>しかしそれは「破局」かどうか、不確かかもしれない。というより、私が思うに、破局する力さえ失ったことがさらに問題なのではありますまいか。戦前の明徴論以降の日本というのは民の側(あるいは異論を持つ側)に力がなくなった状態ですし。
なんというか、ある意味で、完全に「天皇を日本人が見はなしている」ってこととも言い得る。
>とはいえ、絶望は私の性にはあわないので、ここからどうしたらいいのかと考えるに、これはつまり、カルトでない右派と抵抗者としての左派をかき集めていくしか手はないんじゃないですかね。
>ドイツで、右からAfD(ドイツのための選択肢)、左からディーリンケ(左翼党)というエスタブリッシュメント枠に収まらない(嫌われる)勢力が存在しているような恰好。
>イタリアの現在も要するに脇から出て来たところが、ある種正気(sane)な勢力となってる。
>日本でできる気はさらさらしないんだが(泣)、しかしそれぐらいしか思いつかない。
必要あれば、天皇家を抹殺できるほどの「愛民救国」の士たちが、不可欠。
天皇を越えて、明治も当然超えて・・・日本に帰れるか・・・
今の現状は・・・不可能・・・・
まあ「不死鳥は生焼けでは復活できない」というので、
今度こそ、天皇制・天皇家を完全に焼き殺して、完全に日本人の社会を復活させるのだ。
国体とは、日本人を閉じ込める天皇が作った牢獄なのであり、その破壊は、日本人の開放なのである。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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白井聡×片山杜秀 日本は破局的状況に突入した
国家は崩壊する
安倍政権は国内では森友問題や加計問題、日報問題、外交では北朝鮮問題や日米貿易問題など、多くの問題を抱えています。ところが、安倍政権はこれらに何一つまともに対応できていません。もはや国家の体を為しているのかどうかさえ疑わしい状況です。わが国はヨーロッパやソ連などと違い、先の大戦を除き、国家が崩壊するという経験をほとんどしたことがないため、国家は永続するものだという幻想を持っているように思います。しかし、国家というものは、国民や政府がしっかりしなければ崩壊します。我々はいまやその瀬戸際にいるということを自覚しなければなりません。
ここでは弊誌6月号に掲載した、京都精華大学専任講師の白井聡氏と慶應義塾大学教授の片山杜秀氏の対談を紹介します。全文は6月号を御覧ください。
日本人に生き残る価値はあるか
白井 『国体論』には内田樹さんが「菊と星条旗の嵌入という絶望から、希望を生みだす知性に感嘆」という推薦文を寄せてくださいました。私は「あれ、どこかで希望について書いたっけな」と思ったのですが、内田さんが希望を見出した理由を自分なりに考えてみました。
国体が二度崩壊するという仮説は、もともとヘーゲルの「歴史的な大事件は二度起こる」という議論に基づいています。なぜ二度起こるかというと、これは私の解釈ですが、一度では人間は納得できないからです。歴史を画する重大な事件であればあるほど、自分たちが前提とする世界観が崩れるため、「こんなことはあり得ない」とか「たまたま起こっただけだ」とやり過ごそうとする。
しかし、重大な出来事は構造的必然性から生じるものです。だから、一度やり過ごしても必ずもう一度起きる。そのときに初めて、その必然性を認めざるをえなくなるのです。
国体の歴史も同様です。戦前の国体は敗戦によって崩壊しましたが、日本人はそれに納得できず、アメリカを媒介とすることで再び国体を作り上げました。しかし、国体の崩壊は必然だったので、戦後の国体も再び崩壊しつつあるというわけです。
マルクスに言わせれば、これは茶番です。マルクスはヘーゲルを引きながら「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」と言っています。ただ、マルクスは同時に、過去に笑って別れを告げるために喜劇が必要とされるとも言っています。
だから、二度目の崩壊を迎えるのは馬鹿馬鹿しいことなのですが、大笑いして終わらせられることができるなら、そこに希望があるのかなとも思います。片山さんは希望という点についてどのようにご覧になっていますか。
片山 戦前との対比で言いますと、日本では昭和10年に「天皇機関説事件」が起こりました。天皇機関説とは憲法学者の美濃部達吉が唱えたもので、天皇は国家の最高機関ではあるが、あくまでも憲法に規定された一つの部品に過ぎないという考え方です。しかし、貴族院の菊池武夫が天皇機関説を反国体的学説だと非難したことから、時の岡田啓介内閣は「日本は機関でなく神的実体である」といった趣旨の国体明徴声明を出して、天皇機関説を否定しました。これは憲法を改正せずに解釈だけを変えたということですから、解釈改憲と言えます。
この翌年の昭和11年に二・二六事件が起こります。青年将校の一部の奉じていた北一輝の理想は改憲ですよね。天皇を有徳な実体として国民に尽くす存在に変えたかったわけでしょう。
しかし、前年に解釈改憲が行われた時点で、体制側は実はもう改憲せずとも目的は達していた。現人神として軍隊・国民に死を命ずる実体としての天皇像は、解釈改憲によって確認済みだったのです。
だから青年将校のクーデターに軍部は乗らなかった。ところが国民は右翼クーデターが怖い、大変だとか、思っていたわけでしょう。しかし本当に怖かったのは解釈改憲をやった天皇機関説事件の方ですよ。
この経過に現今を重ねますと、安倍政権も憲法を改正せずに集団的自衛権行使を容認しましたね。今再び9条改正という話が出ていて、護憲派も改憲派もそちらに目が行って興奮しているのかもしれませんが、「平成の天皇機関説事件」はもう終わっている。すでに解釈改憲によって日本がアメリカのために戦争するというルートは出来上がってしまっています。たとえ改憲を阻止したとしても、肝心な段階はもうクリアされてしまっている。
ということは、歴史が繰り返すならカタストロフもいよいよ近い。私は国体の二度目の崩壊はすでに始まっており、もはや不可逆的なところまで来てしまったのではないかと思います。もう行くところまで行くしかない。そして、実際に国体の崩壊を迎えたとき、「やっぱりこうなったか」と笑うのかもしれません。
しかし、先の国体崩壊では原爆まで落とされました。今度はどうなるか。生き残って笑えるでしょうか。
白井 肝心なことはすでに終わっているのではないかという今のお話、相当に怖いんですが、私も同感なんです。国体の第二の死がハードランディングになるなら、戦争か経済破綻、あるいはその両方ということになると思います。
ただし、これから破局はやってくると考えるべきではない。日本はすでに破局的状況に入っていると言わざるをえません。そもそも安倍政権が5年間も続いているということ自体、破局ですからね。それから原発事故の対応だってそうです。実は日本はもう死んでおり、その事実が様々な出来事によって証明されているというのが現実のところだと思います。……
・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
>日本人に生き残る価値はあるか
自力で
1天皇制を廃止 で革命
2天皇家追放 で革命
3天皇家抹殺 で革命
のいずれかが出来たら、十二分に、生き残る価値はあるが・・・。
DEEPLY JAPAN
上記文抜粋
・・・・・・・・・
白井聡×片山杜秀 日本は破局的状況に突入した
白井さんと片山さんといえば若手の研究者としてどちらも非常に有能な方だと私は思っているのだが、そのお二人が揃って、これはマジでやばいと言っているというのはそれこそ心胆寒からしめるとはまさにこのことといった状況。
白井聡×片山杜秀 日本は破局的状況に突入した
http://gekkan-nippon.com/?p=13490
白井さんの方は自説の「永続敗戦」のコンセプトから説き起こして、かつての天皇の位置にアメリカが入っている、つまりアメリカ様が我々を愛してくださってる的な構造になっていることを危惧しているといういわば構造理解。
片山さんの方はそれとはいささか違う入口ではあるのだが、実は両者の論は同じ機構を表から眺めるか中から眺めるかの違うでしかないのだろうと私は思う。
片山さんは、前に島薗氏と対談されているところで指摘された、神聖なる存在としての天皇と象徴としての天皇の差異とこれがもたらす効果から、このようなご発言をされたものと思う。
- 片山 戦前との対比で言いますと、日本では昭和10年に「天皇機関説事件」が起こりました。天皇機関説とは憲法学者の美濃部達吉が唱えたもので、天皇は国家の最高機関ではあるが、あくまでも憲法に規定された一つの部品に過ぎないという考え方です。しかし、貴族院の菊池武夫が天皇機関説を反国体的学説だと非難したことから、時の岡田啓介内閣は「日本は機関でなく神的実体である」といった趣旨の国体明徴声明を出して、天皇機関説を否定しました。これは憲法を改正せずに解釈だけを変えたということですから、解釈改憲と言えます。
- (中略)
- この経過に現今を重ねますと、安倍政権も憲法を改正せずに集団的自衛権行使を容認しましたね。今再び9条改正という話が出ていて、護憲派も改憲派もそちらに目が行って興奮しているのかもしれませんが、「平成の天皇機関説事件」はもう終わっている。すでに解釈改憲によって日本がアメリカのために戦争するというルートは出来上がってしまっています。たとえ改憲を阻止したとしても、肝心な段階はもうクリアされてしまっている。
お二人を重ねると、構造理解と、内部で動く外から見えないが内部統制に役立つ動機付けの説明が重なってる。怖いですよほんと。
で、構造は外から無理やり変革することは表面的には可能だが、内部の動機付けの方がよほどやっかいだ。
つまり、うかつに、たいした考えもなしに、水戸学的というか尊王攘夷的というか、中朝論的というかといった世界を開けてしまったことが問題だと片山さんは思ってらっしゃるのではないかと拝察する。
しかしそれは「破局」かどうか、不確かかもしれない。というより、私が思うに、破局する力さえ失ったことがさらに問題なのではありますまいか。戦前の明徴論以降の日本というのは民の側(あるいは異論を持つ側)に力がなくなった状態ですし。
だから「もはや不可逆的」という事態であると認識されている、と。
- ということは、歴史が繰り返すならカタストロフもいよいよ近い。私は国体の二度目の崩壊はすでに始まっており、もはや不可逆的なところまで来てしまったのではないかと思います。もう行くところまで行くしかない。そして、実際に国体の崩壊を迎えたとき、「やっぱりこうなったか」と笑うのかもしれません。
とはいえ、絶望は私の性にはあわないので、ここからどうしたらいいのかと考えるに、これはつまり、カルトでない右派と抵抗者としての左派をかき集めていくしか手はないんじゃないですかね。
ドイツで、右からAfD(ドイツのための選択肢)、左からディーリンケ(左翼党)というエスタブリッシュメント枠に収まらない(嫌われる)勢力が存在しているような恰好。
イタリアの現在も要するに脇から出て来たところが、ある種正気(sane)な勢力となってる。
日本でできる気はさらさらしないんだが(泣)、しかしそれぐらいしか思いつかない。
■ 参考
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』by 片山杜秀×島薗進
空っぽの国体明徴運動と日本の「悩み」
■ オマケ
この対談のタイトルは結構刺激的なのでみんなどうやって読んだのだろうかと思ってtwitterを見て見たが、安倍がどうした、のあたりに食いついちゃってますよね。いやもっと大変なんだと気付かれてないと思いますよ、片山先生。
・・・・・・・・
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抜粋終わり
>しかしそれは「破局」かどうか、不確かかもしれない。というより、私が思うに、破局する力さえ失ったことがさらに問題なのではありますまいか。戦前の明徴論以降の日本というのは民の側(あるいは異論を持つ側)に力がなくなった状態ですし。
なんというか、ある意味で、完全に「天皇を日本人が見はなしている」ってこととも言い得る。
>とはいえ、絶望は私の性にはあわないので、ここからどうしたらいいのかと考えるに、これはつまり、カルトでない右派と抵抗者としての左派をかき集めていくしか手はないんじゃないですかね。
>ドイツで、右からAfD(ドイツのための選択肢)、左からディーリンケ(左翼党)というエスタブリッシュメント枠に収まらない(嫌われる)勢力が存在しているような恰好。
>イタリアの現在も要するに脇から出て来たところが、ある種正気(sane)な勢力となってる。
>日本でできる気はさらさらしないんだが(泣)、しかしそれぐらいしか思いつかない。
必要あれば、天皇家を抹殺できるほどの「愛民救国」の士たちが、不可欠。
天皇を越えて、明治も当然超えて・・・日本に帰れるか・・・
今の現状は・・・不可能・・・・
まあ「不死鳥は生焼けでは復活できない」というので、
今度こそ、天皇制・天皇家を完全に焼き殺して、完全に日本人の社会を復活させるのだ。
国体とは、日本人を閉じ込める天皇が作った牢獄なのであり、その破壊は、日本人の開放なのである。
お読みくださりありがとうございます。
PR
同感。
第三次世界大戦は、「邪教帝国日本」対「世界」でしょうな。
書き込みありがとうございます。