憑依型戦術の例。一神教や西洋神秘主義と日本の伝統思想を付会して改竄する、日猶同祖論など裏権力に好都合な「偽史」を製造し自称愛国者に刷り込む事で裏権力の援兵化するなど。革命型戦術の例。フランス革命やロシア革命が代表例。最近ではシリアで反政府軍を育成して内乱を引き起こした工作が典型。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
保守派は革命型戦術だけを問題にし憑依型戦術に無頓着な傾向があり歴史と伝統に対する乗っ取りや改竄に対して無批判かつ無防備になりがちである。逆にリベラル派は人工芝運動のような革命型戦術に騙されがちである。憑依型戦術と革命型戦術の双方に目を配り、どちらも批判・追及する事が重要である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
さらに具体例を述べる。右派勢力の背後には新興宗教がいる事が多いが、明治以来の新興宗教は神道や仏教に見せた一神教や西洋神秘主義の類。左派勢力は革命型戦術にシンパシーを持ちシリアの反政府勢力に同情したりする。ジーン・シャープの革命マニュアルが「左翼推薦図書」の一つに挙げられたりする。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
右派は憑依型戦術に加担し、左派は革命型戦術に加担しがち。逆に憑依型戦術への追及は革命型戦術に乗ぜられ、革命型戦術への追及は憑依型戦術に乗ぜられる可能性もある。要するに左右両建構造と対応する。この両建に嵌められない為には両方に注意してどちらも批判する視点(中道)を持つべきである。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
「日本人としての誇りを持ちながら自国の暗部を凝視する」という憑依型戦術の追及は高度なバランス感覚と強靭な耐性が要求される。これがない場合は端的に目を逸らすか、半ば精神無国籍人(謂わば「新人」)又は脳内外国人と化して高所から部外者的に日本をただただ貶すかのどちらかになりがちである。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
これに比べて革命型戦術への追及は比較的分かりやすい。シリア政府倒壊工作を見ても分かるように国家転覆のやり方が非常に見えやすいからである。それに対して憑依型戦術は伝統文化や愛国心そのものに擬態し又は「愛国者」を偽装する傀儡を送り込んだりするので革命型戦術より見抜くのがより難しい。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
憑依型戦術を追及する際にバランス感覚や強靭な耐性に欠けると、憑依型戦術自体から目を逸らすか、半ば精神的無国籍人又は脳内外国人と化し安全圏に逃げた上で部外者的に日本をボロクソに貶すか、になりがち。両者は真逆に見えるが同根であり、丁度左右両建に対応する。勿論前者が右で後者が左である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
「日本人としての誇りを持ちながら」の条件を欠くと精神的に日本人である事を止め「新人」(精神的無国籍人)と化してひたすら日本をを貶し「自国の暗部を凝視する」事に耐えられない場合は事実上蓋をして憑依型戦術に加担する事に。憑依型戦術に対する追及は真の独立的思考者にのみ可能な営為である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
「日本人としての誇りを持ちながら自国の暗部を凝視する」為に必要な「バランス感覚と強靭な耐性」が無い場合は、仏蘭西石屋系の自虐史観派になるか(反日左翼化)、英国石屋系の憑依型戦術に加担するか(反日右翼化)、いずれかに陥る可能性が高い。畢竟するに左右両建構造の実態とはこれだと思う。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
人は易きに流れがちである。よって大抵は自虐史観派か、憑依型戦術加担派かになり、これが事実上左右の陣営を形成する。独立的思考者として憑依型戦術を追及する事はこの多勢には加わらず独立独歩を持する孤高の道である。よって思考の独立性を維持するには「孤独を恐れない」事も条件に加わると思う。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
こんな事を書くと「お前はできているつもりか」と言われそうである。とんでもない。常に自己点検しつつ独立的思考者たらんと努力を重ねるのみである。そもそも「思考」は「これでよし」と自足した瞬間に停滞するのではあるまいか。常に考えを更新していく柔軟さが必要。その為に対話や闘論を重視する。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年10月13日
日々精進。いろいろな意味でも
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