故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
スプートニク より
上記文抜粋
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障害者施設襲撃 プーチン大統領 安倍首相に哀悼の意を表す
プーチン大統領が日本で起きた障がい者施設襲撃事件のシニズムと残酷さに衝撃を受けている。プーチン大統領は安倍首相に哀悼の意を表明した。ロシア政府のプレスサービスが伝えた。
火曜日26日の深夜、植松聖(サトシ)容疑者は刃物を持って障がい者施設「津久井やまゆり園」の入所者に襲い掛かった。津久井やまゆり園は神奈川県相模原駅から2kmのところにある。事件の結果、19人が死亡した。
「か弱い障がい者に対し行われた犯行のその残酷さとシニズムに衝撃を受けている」と弔電に記されている。
プレスサービスで伝えられたところ、プーチン大統領は犠牲者の遺族への同情と支援の言葉を伝え、負傷者全員の早期回復を願った。
・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
谷間の百合 より
上記文抜粋
・・・・・・・・
言葉(哲学)のない日本の政治家。
障害者施設での大量殺傷事件に対して、アメリカ政府は「嫌悪感を覚える」とコメントし、プーチン大統領は総理宛の弔電に「その残忍さに動揺した」と書いていました。
ところが、日本政府や政治家から、そのようなコメントは聞こえてきません。
嫌悪感も覚えず、残忍さに動揺もしなかったのでしょうか。
それとも、犯人にシンパシーでも感じたのでしょうか。
それとも、追及すれば安倍政権の責任に行き付くことを薄々感じて、口を噤んでいるのでしょうか。
総理は「原因究明に全力を挙げる」と言いましたが、できるわけありません。
海外のテロでは、卑劣な行為を断じて許せないとコメントするのが通例のようになっているのに、それがなぜか言えなかったようです。
犯人が手紙の中に二度「安倍晋三様」と書いていることからも分かるように、総理を頼みとし、総理なら分かってくれるという思いこみから凶行に及んだと考えられなくもないのです。
いくら鈍感な総理でも自分が生んだモンスターかもしれないと感じたのではないでしょうか。
麻生さんなんか、内心ニヤリとしたかもしれません。
菅官房長官は聞かれてもいないのに、ISとは関連がないようだと言ったのですが、これから日本で起きるテロはISだという印象操作(すりこみ)なのでしょう。
気になるのは、テレビが犯人の手紙を大きく映し出して解説していることです。
まるで、ナチスの優生思想を喧伝しているみたいです。
手紙に書かれていた言葉の数々は、とくに若ものの脳を直撃するでしょう。
もしかしたら、それが狙いなのかも?
「雨ニモマケズ」の中に、「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」(よく見聞きし分かり、そして忘れず)というフレーズがありますが、人間が人間であるということは、よく見聞きして分かることにあるのではないでしょうか。
「そして忘れず」とは反省することの大切さを言っているのだと思います。
見聞きして分かろうとしないから、言葉が貧しいのは当然です。
だから、とくに政治家に言葉=哲学がないのです。
根本は「愛」の問題だと思います。
(ところで、プーチン大統領の今年中の訪日は大丈夫なのでしょうか。)
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・・・・・・・
抜粋終わり
同じく より
上記文抜粋
・・・・・・・
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」(「雨ニモマケズ」より)
資本主義、新自由主義、コスト至上主義が植松と言う人間を生み、その予備軍を量産しました。
最後の決断をプッシュしたのは、いうまでもなく、安倍政権が秘めているナチスへの傾倒です。
かれは裁判でこう言うでしょう。
安倍晋三様なら分かってくれているはずだと。
総理は未だこの事件についてのコメントを出しません。
かれの考えを否定できないなにかがあるのでしょうか。
もしかしたら、あまりにも自分の考えに似ていたことに愕然としたのかもしれません。
先日、NHKで81才の女性のヘルパーさんを取り上げていましたが死が近くに迫っている老人にとって彼女はかけがえのない存在のようでした。
よく、「息が合う」と言いますが、実際、介護してもらう人と介護する人の息が見事にあっていました。
共に、長い人生を生きてきて、すでに生命力が下降の一途を辿っている者同士だからということもあるでしょうが、わたしには彼女の人間性に負うところが大きいように思えました。
だれにでもできることではありません。
寝たきりになっている老人にとって、傍で掃除機をかけられたり、洗濯機を回されたりバタバタされるのは苦痛以外のなにものでもないでしょう。
掃除なんかしなくても、ゴミは拾えばいいし、ホコリはそっと拭き取ればいいだけだと思いますが、ヘルパーさんは、決められたことをし、決められていないことはしません。
まして、若いヘルパーさんは生命力が旺盛な上に生活がかかっていますから老人と息が合うことはムリでしょう。
一人になると不安だと訴えていた老人は、彼女に看取られて静かに息を引き取ったということです。
体力のない老人でも、社会に対してお金には代えられない貢献ができるのです。
人は生活のために働いたり、あるいは自己実現を目指して努力したりするのですが、どっちにしろ自分のためです。
よく思うのが、なんで自分のためにそんなに努力ができるのかということです。
死んだらそれで終わりだと思っているのなら、努力することも宗教も哲学も必要ないではありませんか。
なんで、有名になりたいのか、なんで金メダルがほしいのか、わたしなら、そのための努力なんかしたくない。
有名になるということは自由を放棄することです。
一生自分でない自分を生きることになるかもしれないのです。
きのう、「雨ニモマケズ」のことを書きましたが、いい大学、いい会社に入るための勉強ってつまらなくないですか。
世の中のことを、よく見聞きし分かることの方がよほど楽しいと思いませんか。
わたしには腰痛があるので、代わりに稲の束を背負うことは出来ませんし、気が弱いから喧嘩や訴訟の仲裁はできません。
しかし、子どもの看病や死にそうな人のところに行ってその傍らに静かに座っていることはできそうです。
むかしはそういう人がたくさんいたのではないでしょうか。
しかし、そういう人は見事に世の中から姿を消しました。
お金にならないことはしなくなりました。
もちろん、生きるため、家族のためにお金を稼ぐことはイチバン大事です。
しかし、ムヒカ大統領はその上で人のためになる何かをしなさいと言いました。
忘れられないエピソードがあります。
路上に行き倒れて死にそうになっている男性に、マザーテレサが微笑みかけたところ、その男性が恍惚の表情を浮かべながら息を引き取ったというお話です。
その男性にとって、人生において、自分に微笑みかけてくれたのは、マザーテレサが初めてで最後の人だったということでした。
男性に奇跡が起きたのです。
なにも頑張らなくても、特に何もしなくても、微笑みだけで世界を変えることができるということです。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」
・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
私も谷間の百合さんと同感です。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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障害者施設襲撃 プーチン大統領 安倍首相に哀悼の意を表す
プーチン大統領が日本で起きた障がい者施設襲撃事件のシニズムと残酷さに衝撃を受けている。プーチン大統領は安倍首相に哀悼の意を表明した。ロシア政府のプレスサービスが伝えた。
火曜日26日の深夜、植松聖(サトシ)容疑者は刃物を持って障がい者施設「津久井やまゆり園」の入所者に襲い掛かった。津久井やまゆり園は神奈川県相模原駅から2kmのところにある。事件の結果、19人が死亡した。
「か弱い障がい者に対し行われた犯行のその残酷さとシニズムに衝撃を受けている」と弔電に記されている。
プレスサービスで伝えられたところ、プーチン大統領は犠牲者の遺族への同情と支援の言葉を伝え、負傷者全員の早期回復を願った。
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抜粋終わり
谷間の百合 より
上記文抜粋
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言葉(哲学)のない日本の政治家。
障害者施設での大量殺傷事件に対して、アメリカ政府は「嫌悪感を覚える」とコメントし、プーチン大統領は総理宛の弔電に「その残忍さに動揺した」と書いていました。
ところが、日本政府や政治家から、そのようなコメントは聞こえてきません。
嫌悪感も覚えず、残忍さに動揺もしなかったのでしょうか。
それとも、犯人にシンパシーでも感じたのでしょうか。
それとも、追及すれば安倍政権の責任に行き付くことを薄々感じて、口を噤んでいるのでしょうか。
総理は「原因究明に全力を挙げる」と言いましたが、できるわけありません。
海外のテロでは、卑劣な行為を断じて許せないとコメントするのが通例のようになっているのに、それがなぜか言えなかったようです。
犯人が手紙の中に二度「安倍晋三様」と書いていることからも分かるように、総理を頼みとし、総理なら分かってくれるという思いこみから凶行に及んだと考えられなくもないのです。
いくら鈍感な総理でも自分が生んだモンスターかもしれないと感じたのではないでしょうか。
麻生さんなんか、内心ニヤリとしたかもしれません。
菅官房長官は聞かれてもいないのに、ISとは関連がないようだと言ったのですが、これから日本で起きるテロはISだという印象操作(すりこみ)なのでしょう。
気になるのは、テレビが犯人の手紙を大きく映し出して解説していることです。
まるで、ナチスの優生思想を喧伝しているみたいです。
手紙に書かれていた言葉の数々は、とくに若ものの脳を直撃するでしょう。
もしかしたら、それが狙いなのかも?
「雨ニモマケズ」の中に、「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」(よく見聞きし分かり、そして忘れず)というフレーズがありますが、人間が人間であるということは、よく見聞きして分かることにあるのではないでしょうか。
「そして忘れず」とは反省することの大切さを言っているのだと思います。
見聞きして分かろうとしないから、言葉が貧しいのは当然です。
だから、とくに政治家に言葉=哲学がないのです。
根本は「愛」の問題だと思います。
(ところで、プーチン大統領の今年中の訪日は大丈夫なのでしょうか。)
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抜粋終わり
同じく より
上記文抜粋
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「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」(「雨ニモマケズ」より)
資本主義、新自由主義、コスト至上主義が植松と言う人間を生み、その予備軍を量産しました。
最後の決断をプッシュしたのは、いうまでもなく、安倍政権が秘めているナチスへの傾倒です。
かれは裁判でこう言うでしょう。
安倍晋三様なら分かってくれているはずだと。
総理は未だこの事件についてのコメントを出しません。
かれの考えを否定できないなにかがあるのでしょうか。
もしかしたら、あまりにも自分の考えに似ていたことに愕然としたのかもしれません。
先日、NHKで81才の女性のヘルパーさんを取り上げていましたが死が近くに迫っている老人にとって彼女はかけがえのない存在のようでした。
よく、「息が合う」と言いますが、実際、介護してもらう人と介護する人の息が見事にあっていました。
共に、長い人生を生きてきて、すでに生命力が下降の一途を辿っている者同士だからということもあるでしょうが、わたしには彼女の人間性に負うところが大きいように思えました。
だれにでもできることではありません。
寝たきりになっている老人にとって、傍で掃除機をかけられたり、洗濯機を回されたりバタバタされるのは苦痛以外のなにものでもないでしょう。
掃除なんかしなくても、ゴミは拾えばいいし、ホコリはそっと拭き取ればいいだけだと思いますが、ヘルパーさんは、決められたことをし、決められていないことはしません。
まして、若いヘルパーさんは生命力が旺盛な上に生活がかかっていますから老人と息が合うことはムリでしょう。
一人になると不安だと訴えていた老人は、彼女に看取られて静かに息を引き取ったということです。
体力のない老人でも、社会に対してお金には代えられない貢献ができるのです。
人は生活のために働いたり、あるいは自己実現を目指して努力したりするのですが、どっちにしろ自分のためです。
よく思うのが、なんで自分のためにそんなに努力ができるのかということです。
死んだらそれで終わりだと思っているのなら、努力することも宗教も哲学も必要ないではありませんか。
なんで、有名になりたいのか、なんで金メダルがほしいのか、わたしなら、そのための努力なんかしたくない。
有名になるということは自由を放棄することです。
一生自分でない自分を生きることになるかもしれないのです。
きのう、「雨ニモマケズ」のことを書きましたが、いい大学、いい会社に入るための勉強ってつまらなくないですか。
世の中のことを、よく見聞きし分かることの方がよほど楽しいと思いませんか。
わたしには腰痛があるので、代わりに稲の束を背負うことは出来ませんし、気が弱いから喧嘩や訴訟の仲裁はできません。
しかし、子どもの看病や死にそうな人のところに行ってその傍らに静かに座っていることはできそうです。
むかしはそういう人がたくさんいたのではないでしょうか。
しかし、そういう人は見事に世の中から姿を消しました。
お金にならないことはしなくなりました。
もちろん、生きるため、家族のためにお金を稼ぐことはイチバン大事です。
しかし、ムヒカ大統領はその上で人のためになる何かをしなさいと言いました。
忘れられないエピソードがあります。
路上に行き倒れて死にそうになっている男性に、マザーテレサが微笑みかけたところ、その男性が恍惚の表情を浮かべながら息を引き取ったというお話です。
その男性にとって、人生において、自分に微笑みかけてくれたのは、マザーテレサが初めてで最後の人だったということでした。
男性に奇跡が起きたのです。
なにも頑張らなくても、特に何もしなくても、微笑みだけで世界を変えることができるということです。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」
・・・・・・
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抜粋終わり
私も谷間の百合さんと同感です。
お読みくださりありがとうございます。
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