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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

ジャズと暴力と権力と。

逝きし世の面影  より

上記文抜粋
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『そもそも、同調圧欲が強すぎる(建て前や規律重視の)日本人には向いていなかった黒人音楽(ジャズ)に挫折したk_yahata氏の必然的悲劇』

毒舌家のコメディアン北野たけしが東京スポーツで、
『片山右京が富士山で遭難したらしいね。これ訓練なんだろ? 南極に行こうとしてたヤツが富士山で遭難してたらダメだろ。』
『片山にはオレは一回会ったくらいだけど、日本人のF1レーサーって 何でF1やるのかよく分からないね。世界とはレベルが違うもの。 』と語っているが、今回の日野皓正児童虐待(ビンタ)事件ではyahata氏も同一のことを語っていた。
ジャズの演奏者もファンも同じで、誰一人も日野皓正を世界的なジャズの大家とは認めていないのである。(一回も勝てなかった日本人F1レーサーの片山右京と同じ)
ロックバンドのメンバーは固定している。ところがジャズバンドは個人奏者の集まり(日替わり)なので固定していない仕組みなので、日本の場合には余計に陰湿な個人に対する排除(いじめ)が発生するとの怖ろしい事実も告発していた。

まったく知らなかったが『日本ではJAZZと「左」は同じカテゴリーだった驚きの真実! (^_^;) 』

yahata氏の目指していたJAZZを、左翼とか革新の言葉に置きかえて読めば、『お前たちは間違っている』(今までが間違っていた)とのオルタナティブな左翼護憲派ブログ『逝きし世の面影』読者諸氏のほぼ全員に対して99%以上当てはまるでしょう。今回yahata氏の具体的に指摘したことが、あまりにも自分自身にもピッタリだった。
思い当たる『悲しい事実』が多すぎて、到底涙なしには読めないのである。

(おまけ)


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抜粋終わり

片山右京さんは、確かに世界で活躍されたが「世界的」とまでは言わない。

たとえば、日本人でインディー500だったか優勝した人は世界で「代わりのない」人って意味では世界的って言い得るのかもしれない。
昔のたとえになるが、F1でシューマッハとかプロストとかセナとかマンセルなら、「代わりの無い」ってことで、世界的って言い得る。

でも片山さんは世界にお呼びがあったが「掛買の無い」ってことでない。
日野さんもそのレベルと言い得る。


八幡謙介ギター教室in横浜講師のブログ  より

上記文抜粋
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といったルールでソロを回していく。

全員が同じ小節だけソロをしていくというのもルールの範疇です。

そしてここは、ある意味ドラマーが目立つためのセクションといってもいいでしょう。

なぜなら、ドラムソロの間は完全に自分だけになるので。

ですからドラマーにとっては「ここぞ!」という場面になります。

当然かっこよく目立とうとするし、そうあるべきところです。

少年が問題とされる行為をしたのはこのセクションであることを押さえておく必要があるでしょう。



では次にジャズという音楽の<精神>について述べておきます。

これを理解しないと問題の本質が見えてこないからです。

ジャズには<逸脱>という暗黙の精神が存在します。

これは「ちょっとぐらい人と違っててもいいんだよ」といったレベルではなく「逸脱しなければジャズじゃない」といったほとんど強制に近いものだと考えて構いません。

例えば、「礼節を重んじない者は日本武道をやる資格がない」というのと同じです。

ジャズが面白いのは、この<逸脱>が単なる精神論ではなく、音楽的手法として存在していることです。

例えば「アウト」という技法がそれです。

「アウト」とは、コードにない音(外れた音、指示されていない音)をわざと使って独特の浮遊感や緊迫感を出すジャズの必須テクニックです。

メロディやハーモニーにおける「ジャズっぽさ」というものはこの「アウト」の産物であり、<逸脱>の成果です。

リズムにおいてもジャズでは少し遅らせたり揺らしたりし、正しいリズムから<逸脱>することがよしとされます(これは目指す演奏によって違ってきますが)。

歌もそうです。

ジャズシンガーで譜面通りに歌を歌う人はいません。

ジャズを歌う場合は正しいメロディから<逸脱>し、その場その場で自分らしく作り替えることが必要となります。

このように、ジャズという音楽にはあらゆる演奏(歌)、あらゆる場面に<逸脱>が求められるのです。

そうした<逸脱>の歴史がジャズの歴史と言っても過言ではないでしょう。

ちなみに、日本人のジャズが面白くないというのは日本人含め世界の共通認識ですが、なぜかというと<逸脱>したがらないからです。

仮に<逸脱>するとしても、過去の前例やその場の空気、指導者のGOサインを見てからようやく、という人がほどんどです。

日本のジャズシーンに仮に<逸脱>があるとすれば、それは根回しされ事前に許可されたものです。

そうでないと空気が読めないとされ、使ってもらえなくなるからです。

プロのジャズミュージシャンでも、誰かが<逸脱>したら怒る人がよくいます。

日本人にはそういう人が多いです。



最後に、ジャズのルールとしてもう一つ説明しておきます。

ジャズは<逸脱>する音楽ですが、同時にそこからの<回復>も必要です。

<逸脱>しっぱなしではめちゃくちゃになるだけです。

コードやリズムからいっとき<逸脱>しても、また元にひょいと戻れるスキルも絶対に必要とされます。

この<逸脱>と<回復>をきっちり使いこなせるのが一人前のジャズミュージシャンです。

<逸脱>は勇気さえあれば誰でもできますが、そこからの<回復>はスキルや経験値がなければ難しいです。



では改めて話を戻しましょう。

少年の行為は、



1、ドラムが目立つセクションで

2、尺を守らずに<逸脱>し

3、そこから<回復>できずに場が崩壊してしまった。



というものですが、僕からすればこの少年はジャズの精神をしっかりと持っている立派なジャズミュージシャンだと思えます。

おそらく彼が<逸脱>したのはトレーディングの場面のみでしょう。

それは自分が<逸脱>してもいい場面をきちんとチョイスしていたことの裏付けとなります(トレーディングはドラムが目立つ場面)。

そして、「おのおの決まった小節ずつ平等にソロを回す」という決まりを本番で無視し、自分だけのドラムソロとして食ってしまうことは、<ジャズ的>には全然ありです。

ただしその後に<回復>できなかったのは彼の責任なので、その点は叱責されてもいいと思いますが、中学生ということを鑑みれば仕方ないで十分済ませられます。

それにしても、この少年の勇気には脱帽です。

考えてみてください、日本人の中学生が世界的アーティストの監督する舞台の本番で、自らルールを破りジャズの精神に則って<逸脱>したのです!(しかもスティック取り上げられても、髪を掴まれても反抗してる!!)

この一点だけ見ても僕には彼がそこらへんのプロよりも立派な「ジャズミュージシャン」であると思えます。



ここで疑問が生じます。

ではなぜ生粋のジャズミュージシャンである日野皓正は少年を称えずに暴行を加えたのか?

正直、僕には全く理解できませんが、おそらく監督である自分の指示に従わなかったのが気にくわなかったのでしょう。

あるいは、みんなが平等な尺でソロを回しているのに少年がそのルールを破ったことに怒ったのか。

何にせよ、日野の怒りは<ジャズ的>に不当であり、私には見当違いに思えます。

バンドメンバーの誰かが本番で打ち合わせと違うことをやりだしたなんて彼の長いキャリアで数え切れないほどあっただろうし、それを本番中になんとかまとめあげ着地させるスキルも持っているはずです。

そういった音楽的解決をせず、感情にまかせて舞台上で児童暴行に及んだ日野皓正を擁護する価値はありません。

「世界的ジャズミュージシャンが怒るほどだから、少年の行為が<ジャズ的に>間違っていたんだろう」と考える人もいるでしょう。

それは権威主義というものです。

この少年は今回の事件にめげずに、今後も本番でどんどん<逸脱>してほしいと思います。

それこそがジャズなのですから!




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抜粋終わり


これがクラッシクの「整えられた」コンサートなら、最終手段だったかもしれない「ビンタ」

だが、逸脱も含まれてそれを良しとするジャズでは、そりゃビンタして場をしらけさせた日野の無力さ・力の限界・支配願望の表れ・ととっても間違いない。


私が「体罰を原則悪とする」ってのは、教える側が圧倒的に力と権力を持った状態で、暴力で抑え込むのは、洗脳か奴隷調教で一方的な「タコ殴り」とおなじであるからである。

仮に許容されるのなら

1・対等の関係で信頼関係が深い。

2・緊急避難的で

3・体罰を行使した方が、それを非道の非常であるとわきまえている

4・その体罰の副作用の原因を自分で全部責任を取る。

て条件があればで、そのような事態は、実はあまりない。


体罰を容認するようになると、この上記の稀な場合だけでなく、圧倒的な力をもった人間が、好き放題にできるようになるので、本当は「全面禁止」としいのだ。
が、阿呆なリベラルが、「火急の時の緊急避難処置」も否定するのも、結構怖いのだが。


おなじく より

上記文抜粋
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「有料のコンサートなら演者はたとえ子供でも客を楽しませるべき」

確かにそうです。

ここでまた新しい”ジャズ的”なトピックが見えてきました。

ジャズのリスナーが楽しむ”べき”ものは何でしょうか?

それこそが<逸脱>です。

「今日のプレイヤーはどんなすごい<逸脱>を見せてくれるのだろう?」

「このメンバーでどんな<逸脱>した曲をやるのだろう?」

「あそこのクラブよりこっちのクラブのほうがもっと<逸脱>してるらしいぞ」

ジャズファンはそうやってワクワクしながらお店に足を運ぶものでした。

しかし現代の、それも日本の中学生が教育の一環として行うジャズコンサートの観客は、ジャズにそれを求めていなかった(あるいはジャズをもっと行儀のいいものと思っていた)。

だから<逸脱>した少年(ドラマー)を批判した。

しかし、本来のジャズのギブアンドテイクの関係性からすれば、少年の<逸脱>は、正しく観客を楽しませようとした行為だと僕には思えます(もちろん、明確にその意図はなかったとしても)。

少年「ルール破ってやんぜ!」

ジャズファン「うおー、やりやがった!(でも<回復>できなかった…、うん、次回がんばれ)」

本来それだけの話だし、ジャズファンならそのカオスを楽しめるはずです。

それが楽しめなかったらジャズはむいていないというだけの話です。

・・・・・・・中略・・・・


「信頼が足りない」……確かにそうですね。

でもそれは少年だけの問題でしょうか?

共演者の中学生の少年への信頼はどうでしょう?

ジャズのセッションでは暴走ともとれるような<逸脱>を、残りのメンバーが一致団結して<回復>させるという場面がいくらでもあります。

たとえ<逸脱>したやつが気にくわなくても、放置するということはありえません。

観客がいるステージならなおさらです。

<逸脱>した少年が演者失格ならそのステージにいて何もできなかった他の子供も同様なのでは?と僕は思います。

一説によると少年は他の子をあおって何かしようとしていたとか。

もしかしたら少年の頭には<回復>点が見えていたのかもしれません。

結局それは暴力でつぶされてしまいましたが。

ジャズにおける信頼とは、「お前が無茶してロストしても絶対に助けてやる、だから好きなだけ<逸脱>しろ!」という相互の連帯だと僕は思います。

「お前が<逸脱>したら場が崩れる、他の子が迷惑する、だから<逸脱>するな」では

全てが縮こまってしまい、つまらなくなります。

結局それが現代日本のジャズの考え方となってしまっているのですが。


・・・・・・中略・・・・

当人同士解決しているならそれで終わりだとは思いません。

なぜなら、日野は本件において本人の意思にかかわらず音楽講師という立場を代弁するポジションに立っているからです。

日野が「俺は生徒を殴る」と言えば世間は「音楽講師は生徒を殴る」「ジャズの現場では現場監督がプレイヤーに暴力を振るうのが当たり前」と捉えます。

教室を経営しているもの、子供向けのジャズイベントを開催するジャズミュージシャンからすれば完全なるとばっちりです。

だからこの問題はしっかりと報道されてほしいと僕は願っています。



最後に、ついでなので僕が一番好きな<逸脱>したライブ演奏をご紹介します。

マイルス・デイビスの下記アルバムに入っている「There is No Greater Love」という曲です。

YOUTUBEで検索すれば出てきます。

わけわからんテーマ、急に演奏をやめるドラムとピアノ、そこからのみごとな<回復>、ソロをコーラス中盤で終えるマイルス(本来そこで終わったらダメです)、あまりにも普通すぎるソロを吹くジョージ・コールマン(サックス)をいたずらっ子のように煽りまくるハービー(ピアノ)とトニー(ドラム)。

めっちゃ面白いですよ。

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・・・・・・・
抜粋終わり


結局は、中学生の逸脱を、力づくで止めて、着地に失敗したのが日野氏だったてこと。

ビンタの後の、コンサート会場のしらけて凍った沈黙。

これがビンタが、音楽的も、中学生の暴走独奏よりも、失敗したモノだったという証拠なのです。



体罰って、しない方がいい。特に子供・児童生徒は、厳禁・禁止。



大人の場合でも「パワハラ」も頻繁に起きる。雇用主が雇われ人に平然と暴力を振るっていた。




私も不覚に、日野氏の体罰を容認してしまっていた。ごめんなさい。



この逸脱を、力ずくで止めるのを「是」としてまう。それもジャズでだ。それが私もまだまだ日本帝国の呪縛にとらわれているってこと。
本当に気を付けないと・・・。

まだ、この力ずくで止めるのを「みんなの和」のためって「ジャズのコンサート」でやるってことが、日本帝国が「神仏」よりも「道徳」よりも「権威・権力」が創造主な「中世」な「お猿さん」ってこと。



逝きし世の面影  コメント欄  より

上記文抜粋
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「権威依存主義」からの逸脱こそJAZZでは (海坊主)
2017-09-08 22:11:45
件の有名ジャズトランペット奏者の騒動ですが、宗純様が取り上げられた軍隊の悪しき風習の残滓と共に、日本に強く蔓延る権威主義への盲従、つまり権威依存主義という問題も孕んでいるようです。

「世界が認めた」や「世界の」という枕詞が大好きで、外部の評価で自身の規範すら容易に揺らがせる無神教民族が抱える悲しき「権威依存主義」ゆえ、件の有名奏者が権威でないことをこれ幸いと叩いているように私に見えます。
その文脈で今回の記事を読み返すと権威依存主義に捉えられた者の悲哀を感じさせます。

「読んでいるうちに、思わず涙が出てきた」ですが、有名だが権威でない者を叩く(被害者に讃えるように擁護する)という行為を正当化できる機会を得たと錯覚させ、自己再生産的な浄化(カタルシス)を生み出してしまう、その構図に対して表現した良いタイトルだと思ってました。

もし、件のジャズトランペット奏者がその分野で押しも押されぬ権威であったとしたら、ここまで話題にならなかったでしょうし、小さく葬り去って居たことでしょう。それが徴兵制式軍隊の発足からの伝統と言えるでしょう。強い者が強いうちは平伏し忖度するのに、一度権威の皮が引き剝がされれば、川に落ちた犬を叩くかのようにヒステリックに糾弾する。

いつも見ている風景ですね。
JAZZは形式美や様式美から逸脱して自己内面に持つ独自の規範に従って紡ぎ出す表現であって、その表現には責任が伴うのだからそういうこともある、とこの事件を受け止めて居ます。

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抜粋終わり


>無神教民族が抱える悲しき「権威依存主義」ゆえ

無神教民族ていうのでなく、明治以降の「天皇真理教」というカルトのすさまじさ。

>もし、件のジャズトランペット奏者がその分野で押しも押されぬ権威であったとしたら、ここまで話題にならなかったでしょうし、小さく葬り去って居たことでしょう。それが徴兵制式軍隊の発足からの伝統と言えるでしょう。強い者が強いうちは平伏し忖度するのに、一度権威の皮が引き剝がされれば、川に落ちた犬を叩くかのようにヒステリックに糾弾する。

同感。


やはり、革命が大事かな・・・。




お読みくださりありがとうございます。



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