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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

カルト国家大日本帝国・・・

世相を斬る あいば達也  より

上記文抜粋
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安倍お得意のフレーズ 靖国A戦犯合祀は普遍的価値の例外?

 現代ビジネスの書評に『靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男』の著者インタビューが掲載されていた。終戦記念日の8月15日と云うこともあり、あまり興味のない「靖国神社」のことを調べてみた。最後尾に、上述インタビュー記事を掲載しておく。

 創建1869年(明治2年)の「靖国神社」に、日本の他の神社に比して、歴史的な意義はゼロだろう。日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。早い話が、「軍人神社」と云うことになる。また、創建から類推するに、幕末明治における、長州藩中心の明治政府と親密な関係で、頭角を現した新興神社と言っても過言ではない。筆者の感覚からは、明治大正昭和の時代の政権に都合の良い人々が祀られた神社と云うことになる。詳細に調べると、酷く政治的で、魑魅魍魎な部分のある神社だと感じる。

 Wikipediaによると、戊辰戦争の新政府軍側のみが祀られている。旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外だし、西南戦争の薩摩軍は対象外だ。また、
≪幕末の志士である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎等も維新殉難者として合祀されている。これは戊辰戦争における新政府軍側の戦没者を契機として創祀された事情から戊辰以降の戦没者を対象とする合祀基準を、嘉永6年に遡らせたためである。それに対して、戊辰戦争での旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていない。ただし、禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られている。また長州藩はこの禁門の変では賊軍とされているが、戦死(実際は自害)した久坂玄瑞などは合祀されている。この他に、当時の段階でも国際法違反である外国領事館・外国人襲撃者も祀られている。≫
つまり、「仲良しグループ神社」と云う感じになる。嫌いな奴は対象外、仲良しだけ祀ろうよ、と云う按配にしか思えない。

 まあ、安倍晋三や日本会議勢力にとって、居心地のいい神社なのだろうが、赤紙で召集され、自己判断の自由も与えられずに徴兵された一般兵士、及びその家族は、戦争を引き起こし、自ら安全地帯に身を隠し、進軍ラッパに尻を叩かれ、突撃。考えれば考えるほど理不尽さが際立つ神社である。中国や韓国が、どうのこうの言うのは、あちらの好き勝手で、特にどうこうという事はない。しかし、靖国神社に参拝することが、政治活動上プラスに寄与する日本と云う国のイデオロギーには、大丈夫か、この国のデモクラシーと思ってしまう。

 また更に思うに、安倍晋三君は、ことある毎に「普遍的価値」と云う言葉を多用するが、おそらく、欧米西側諸国の価値観には「戦勝国」と云う、歴史認識が込み込みで含まれている「価値」と考えることが出来る。そうなると、安倍や日本会議や靖国神社が判断している、様々な事例や合祀した経緯などを確認してみると、「歴史修正主義」に走っている。つまり、安倍晋三君が大好きな「普遍的価値」が頭についた、外交や資金援助や安全保障の観念には、重大な非整合性が見受けられる。まあ、この問題、突きつめていくと、矢鱈面倒なのでこの辺でやめる。興味のある方は、以下のWikipediaのサイトから、重要項目を読んでみていただきたい。



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抜粋終わり

アバギャルド精神世界 より

上記文抜粋
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愛が偽りに終わる時


まともな宗教に出会うには

『愛が偽りに終わる時/山﨑浩子/文芸春秋/1994年』は、新体操の全日本選手権で個人総合5連覇を果たした山﨑浩子さんが、統一教会の定めた相手と合同結婚式まで挙げたが、後脱会した話。

統一教会の合同結婚では、見ず知らずの韓国人男性と日本人女性が結婚させられるケースが多く、その規模は何千人とも言われる。かなりの割合で離別したらしいが、もちろん子供ができたケースもある。この結婚で生まれた子は他からニーズがあればそちらに養子に出さねばならないそうだから、子供は統一教会の共有財産みたいな形になるらしい。(この事件は規模からして十分社会問題なのだが、韓国にやられ放題のマスコミも政治家もこれを大きく取り上げなかったようだ。)

そこまでやるところがカルトである所以だが、そうした子供が成長し、時々妙な失踪事件などを起こして報道されることがあるようだが、それが事件性があるのかないのかわからないけれど、子供自身の人権は確保されているのだろうか。

さて山﨑浩子さんの洗脳を晴らした経緯は実に簡単に書いてあり、統一教会を脱会した牧師に福音主義と統一教会の教義の比較を説明してもらったところ、統一教会の教義が福音主義と正反対であったことに気が付いたのが大きかったようだ。

実際は、そう簡単に洗脳が解けたわけではなかったようだが、彼女は教会内でエリート扱いされていたので、わりと自由な思考ができる環境下にあったのが幸いしたようだ。

この本はオウム真理教事件の前であり、カルトが社会的に脅威であると公的に認知される以前の時期の本。いまやカルトは「私はカルトでございます」などと正体を明かして接近してくるものではなく、もっとも巧妙なアプローチで来る。

その結果、カルトの金集め手法は、ネットワークビジネス、マーケティング、特殊詐欺などに応用され、相互にノウハウを高め合って現代に至る。

若くて信仰心の芽のある人は、とりあえず手近な宗教グループやサークルにコンタクトすることが多いが、まともなグループばかりではない。だからといってカルトの知識もないまっさらな求道心だけの人が、どれがまともで、どれがまともでないか見抜く目を持つには、ある程度の知識と直観は必要である。

悟っていない者にその真贋を見抜く目はなく、縁だけが本物に出会えるかどうかを決めるというのは、その通りなので、そこは厳しいけれども祈るしかあるまい。


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抜粋終わり


昨日、「日本のいちばんながい日」っていう映画をTVで少しつまみしながら見ていた。

皇居でのクーデターを起こした若手将校は、正真正銘の「キチガイ」であるが、そもそも若くして少佐になるくらいだから阿呆でなく、そこそこ人望もあったから、不徳な人でもなかった。
また、クーデター失敗を確信しつつ、誰も聴いてないラジオ演説をしていて、なにか悲しくなってきた・・・。

226といい、軍部の独走と言い、宮城クーデターといい、ある意味で「維新志士の行動の焼き直し」であった。


明治以降の深刻な後世に残った精神的疾患は

1・過剰な精神主義・「命がけならなにをしてもいい」愛国無罪 =愛国カルト


2・場当たり的な無責任の利益追求のエゴイズム 


であったと思う。

1は建前。2が本音。

前の敗戦で、1が否定された。

でも2は、ほぼなにも矯正されず、今の世の中になった。


で、日本会議とか偽復古志向の連中が、1を復活させようとしているが、その連中は、ほぼ「既得権集団」であり、2の「むき出しのエゴイズムによる収奪」が難しくなったので、敗戦前までの、収奪構造の復興を目論んでいるのである。


そもそも1も2も明治維新の維新志士たちの行動原理であった。

明治とは、ほぼカルトとエゴイズムの共同の産物だったのである。


明治カルトは、今の体育会系の思想である。

マトモな人も、カルト、たとえば、オウムとかに入信してしまえば、簡単に狂信者になる。


宮城クーデターの若手将校・暴走を続けた軍部の軍人・226の暴走将校

一体「ISIS団」とか「アルカイダ」とかに入ってしまった若者とどこが違うのだろうか・・

おなじなのである・・・

失敗して勝手に自己陶酔して自死をする。自爆テロとかわらんである。

もっというか社稷万民・国家のために、「敵の銃口のために、生き延びる」「法を糺すために、刑死するために、生きる」ことも必要な人たちも多くいたのではないのか。


その人たちを全否定するのではない。日本の場合はそもそも国家・社会が「カルト宗教国家」であったのだから、

>だからといってカルトの知識もないまっさらな求道心だけの人が、どれがまともで、どれがまともでないか見抜く目を持つには、ある程度の知識と直観は必要である。

>悟っていない者にその真贋を見抜く目はなく、縁だけが本物に出会えるかどうかを決めるというのは、その通りなので、そこは厳しいけれども祈るしかあるまい。

てこともあるので・・・もって瞑すべしというべきなのか・・・

彼らは暴走して死ぬことで、その悪夢の連鎖を防ごうとしたのかもしれない・・・


ふと思う、靖国神社はつぶれると思う。

この山河・国家のために、命を捨てることもいとわぬ人たちなら、靖国という狂気の妄想を捨て去ることを是とするだろう・・・
日本人は優しいので、別の形の神仏習合の慰霊の形にかわると思うので・・・・



カルトを終わらんと、日本の存続は、あり得ないだろう・・・



お読みくださりありがとうございます。

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