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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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戦闘教師ケン 激闘永田町編 より

上記文抜粋
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日本型組織の終焉

『OECDスキル・アウトルック 2017年版 』より。日本の労働者は読解力でも数的思考力でも「低い」者が圧倒的に少なく、OECD平均が23%のところ、日本は10%しかいない。にもかかわらず、労働生産性ではOECD内で最低レベル。この意味するところは、「エリートが無能だから」「無能なエリートが排除されない」「硬直した会社組織、市場、行政制度」などが考えられる。

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まず日本型システムは組織内部の交渉コストが異様に高く、迅速な判断や対応ができない構造になっている。例えば、私の妹は外資系銀行のディーラーだが、上司はシンガポールにいて、指示を受けたり、仰いだりするのは週に1回あるかないかだと言う。彼女の前勤務先は、国内トップ水準の不動産会社だったが、会議の多さと「ホウレンソウ」の煩わしさ、様々な意味不明な拘束や不文律に飽き飽きさせられていた。
つまり、一定の権限が付与されていても、個々人の判断では容易に行使できず、かといって必ずしも上に決定権があるわけでもなく、「何時、誰が、どこで」決めるのか全く不明な組織、システムなのだ。
意思決定の遅さは権限と責任の所在が不明確なシステムや組織文化に起因する。会議の多さは1つの象徴だが、現代社会あるいはグローバル市場に適合できなくなっている(競争力を持たない)のは間違いない。

新国立競技場の新設、建設費肥大化問題で、誰が最終責任者なのかが議論になったのは、つい最近のことだったが、原発再稼働問題でも同じことが起きている。これに関連して「インパール作戦は誰が決めたのか」も検証したので、記事を読んで欲しい。
意志決定過程や責任の所在が非常に不明確なのは、昨今に始まったことでは無いのだが、全く改善されそうに無いし、問題意識すら持たれていない。

・新国立競技場の責任者は誰? 

これはトップレベルだけの話では無い。例えば、残業=時間外労働は、管理者の命令をもって所定の手続きがなされて初めて成立しうる。これは、労働法で決められていることなのだが、現実には命令も手続きもまともに行われず、「何となく」習慣的に残業がなされるため、記録すら無い「サービス残業(違法労働行為)」が横行している。
公式統計上、日本の平均労働時間は年間1800時間弱とされているが、実際には2300時間を超えるとも言われ、年間500時間以上が「命令と手続きの無い違法労働」と見て良い。これでは、労働生産性が上がるはずも無い。

この意味するところは、日本の管理職は、部下の労働時間を管理する必要が無く、労働者はおろか労働組合も「自発的に」違法労働時に従事するため、生産性の向上にコストを支払うよりも、「率先してただ働きに従事する」労働者を酷使する方が「楽」なのだ。つまり、管理能力が低くても務まることを意味する。

そもそも日本の労働者は「職能」ではなく「人格」で雇用され、職務が限定されないため、成果を測る術がなく、組織や上司に対する忠誠度で昇進が決められていることが大きく影響している。
能力ではなく忠誠度で昇進が決められているということは、管理職は管理能力、マネージメント能力ではなく、組織に対する忠誠心を示さねばならず、結果・成果よりも「努力しているところを見せる」ことに長ける傾向が強くなる。その行き着くところは、「ガンバリズム」であり、精神主義でしかない。
有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

また、日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。

日本では明治以降、「忠実で勤勉な臣民を涵養して偉大な帝国をつくる」ことをスローガンとし、大戦後は「帝国」が「西側自由陣営の一員」になったものの、基本方針に変化は無かった。だが、実際には「上司や組織の顔色をうかがいながら、不平不満を言わず、仕事するフリをするだけ」の社会組織になってしまった。評価基準が、具体的な成果では無く、「組織と上司に忠誠を貫いた」なのだから当然だ。これは、小中学校の内申点から仕込まれているのだから、もはや「洗脳」と呼べるレベルであろう。
日本型組織は、グローバル化に対応できず、沈んでゆくのみだ。


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抜粋終わり

>有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

だよね・・・

魏徴は、日本には存在しない。

ていうか諫言をして「忠誠心を疑う」ような人間が指導者なのだから、そりゃ、日本型組織が続くわけがない。

>「何時、誰が、どこで」決めるのか全く不明な組織、システムなのだ。

こんなんで戦えるはずもない。戦争などしたら一瞬で負けだ。これもたぶん「天皇陛下の忠誠」のためだろう。

>また、日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。


信賞必罰・能力を十全に活かすための降格が無い。こりゃ、負けますは・・・。

あるいは給料だけ課長よりも少しあげて、課長に戻すとかあると思うが・・・それもないのだろう。「メンツ」とかでな。


あと、明治以降の日本人にとって「集団での評価」ってのは絶対に近い。
「天皇真理教」の中、組織の中の評価・特に公的組織の評価は絶対になった。
現人神さまの組織の評価だものね。
南方熊楠が、学会で弾かれ、宮沢賢治が地方で鳴かず飛ばずで死んだのも、これだろう。
逆にいうと、組織内での評価・地位こそが絶対なので、組織内の地位は絶対なので、「職務のための降格」など憤死か逆切れのテロになる。
それくらいに社会的に単一化して貧相になったのが近代以降の日本なのだろう。



>実際には「上司や組織の顔色をうかがいながら、不平不満を言わず、仕事するフリをするだけ」の社会組織になってしまった。評価基準が、具体的な成果では無く、「組織と上司に忠誠を貫いた」なのだから当然だ。これは、小中学校の内申点から仕込まれているのだから、もはや「洗脳」と呼べるレベルであろう。
>日本型組織は、グローバル化に対応できず、沈んでゆくのみだ。

沈めばいいのだ。

不死鳥は生焼けでは甦れない。{銀河英雄伝説 のセリフだったか}


お読みくださりありがとうございます。
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