故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
櫻井ジャーナル より
上記文抜粋
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障害者は抹殺すべきだとする考え方は庶民をロボット化しようという支配層の思いを反映したもの
7月26日の午前2時半頃、神奈川県相模原市の障害者施設へナイフを持った男が入り込んで19名を殺害、26名が負傷、そのうち20名は重体だという。午前3時頃、警察に出頭した人物は「障害者なんていなくなればいい」という趣旨のことを話しているとする情報が「捜査関係者」から流れている。今年2月から障害者の殺害を予告する言動があり、予告通りに実行した。医療機関も警察も止められなかった、あるいは止めなかったと言える。こうした情報が正しいなら、その人物が実際に殺したように感じられるものの、疑問点もあり、真相はまだ不明だ。
しかし、この事件が現在の日本を象徴しているように見えることも事実である。「生長の家」を始めた谷口雅春を信奉している人びとに安倍晋三政権は支えられているが、支持者たちの一部はヘイト・スピーチやヘイト・デモを実行してきた。公然と国籍や民族によって差別してきたわけだ。随分前から中国や韓国/朝鮮を罵る本や記事も書店に溢れ、社会に受け入れられている。
学校で進められてきた日の丸や君が代の強制は特定の思想や歴史観を強要することにつながる。これらは侵略の象徴と見なされているからだ。明治維新から1945年の敗戦まで続けられてきたアジア侵略の肯定(侵略ではなかったという主張)は平和を望む人びとへの恫喝につながる。
昨年6月8日に文部科学省は教員養成系と人文社会科学系の学部や大学院のほか、司法試験合格率が低い法科大学院の廃止や見直しに取り組むように求める通知を国立大学へ出したが、政府/支配層の不正を暴き、批判する人びとの拠点を破壊するという側面がある。
そうしたことはアメリカで先行している。学者の狙い撃ちもあり、例えば、イスラエルを厳しく批判してきたデポール大学の教員、ノーマン・フィンケルスタインは内定していた終身在職権を取り消されている。シオニストはフィンケルスタインのような人びとを「自己憎悪(Self-hating)」派だと批判、ハーバード大学教授で親イスラエル派のアラン・ダーショウィッツは反フィンケルスタインのキャンペーンを数カ月に渡って展開、大学に圧力をかけて彼との雇用契約を打ち切らせてしまった。ちなみに、日本では過去の侵略を口にする人びとを安倍政権の支持者たちは「自虐史観」だと批判する。
日本でも思想統制を強めようと考えているわけだが、その目的は、支配者たちに命令されたことを疑うことなく実行するロボットのような人間を作ることにある。したがって、思考力だけでなく、運動能力が原因で「ロボット」になれない人びとも排除される。安倍政権の周辺は考える国民だけでなく、自分たちのために働けない人間も望んでいない。教祖や権威などの言うことを疑わずに信じ、服従、行動する「臣民」を望んでいる。要するに、カルトの信者のような人びとだ。
コスタ・ガブレスが監督、2003年に公開された映画「アーメン」はナチス時代のドイツを舞台にしているが、その冒頭で障害者がガス室で虐殺される場面が出てくる。ナチスは自分たちにとって邪魔な存在を抹殺しただけでなく、無用だと判断された人びとも抹殺していったのである。これは歴史的な事実だ。
ルター派の牧師だったマルティン・ニーメラーの詩には、コミュニスト、社会民主主義者、労働組合の活動家、そしてユダヤ人など少数民族をナチスが抹殺していったことが書かれているのだが、その前に障害者が犠牲になっている。
社会的な弱者を切り捨てる政策を進めてきた日本で最も弱い立場にある障害者を殺そうとする人物が現れても不思議ではない。アジア諸国の人びとを劣等だと位置づけ、自分たちと同じ人間として扱う必要はないという考え方と基本的に同じだ。
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抜粋終わり
ナチと日本会議と、同じでしょう。
いやナチとそもそも国家神道=天皇崇拝は、同じでした。
ユダヤ人を虐殺しなかったか如何かしか差はなかった。
もっと凶悪になり日本に君臨し続けている。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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障害者は抹殺すべきだとする考え方は庶民をロボット化しようという支配層の思いを反映したもの
7月26日の午前2時半頃、神奈川県相模原市の障害者施設へナイフを持った男が入り込んで19名を殺害、26名が負傷、そのうち20名は重体だという。午前3時頃、警察に出頭した人物は「障害者なんていなくなればいい」という趣旨のことを話しているとする情報が「捜査関係者」から流れている。今年2月から障害者の殺害を予告する言動があり、予告通りに実行した。医療機関も警察も止められなかった、あるいは止めなかったと言える。こうした情報が正しいなら、その人物が実際に殺したように感じられるものの、疑問点もあり、真相はまだ不明だ。
しかし、この事件が現在の日本を象徴しているように見えることも事実である。「生長の家」を始めた谷口雅春を信奉している人びとに安倍晋三政権は支えられているが、支持者たちの一部はヘイト・スピーチやヘイト・デモを実行してきた。公然と国籍や民族によって差別してきたわけだ。随分前から中国や韓国/朝鮮を罵る本や記事も書店に溢れ、社会に受け入れられている。
学校で進められてきた日の丸や君が代の強制は特定の思想や歴史観を強要することにつながる。これらは侵略の象徴と見なされているからだ。明治維新から1945年の敗戦まで続けられてきたアジア侵略の肯定(侵略ではなかったという主張)は平和を望む人びとへの恫喝につながる。
昨年6月8日に文部科学省は教員養成系と人文社会科学系の学部や大学院のほか、司法試験合格率が低い法科大学院の廃止や見直しに取り組むように求める通知を国立大学へ出したが、政府/支配層の不正を暴き、批判する人びとの拠点を破壊するという側面がある。
そうしたことはアメリカで先行している。学者の狙い撃ちもあり、例えば、イスラエルを厳しく批判してきたデポール大学の教員、ノーマン・フィンケルスタインは内定していた終身在職権を取り消されている。シオニストはフィンケルスタインのような人びとを「自己憎悪(Self-hating)」派だと批判、ハーバード大学教授で親イスラエル派のアラン・ダーショウィッツは反フィンケルスタインのキャンペーンを数カ月に渡って展開、大学に圧力をかけて彼との雇用契約を打ち切らせてしまった。ちなみに、日本では過去の侵略を口にする人びとを安倍政権の支持者たちは「自虐史観」だと批判する。
日本でも思想統制を強めようと考えているわけだが、その目的は、支配者たちに命令されたことを疑うことなく実行するロボットのような人間を作ることにある。したがって、思考力だけでなく、運動能力が原因で「ロボット」になれない人びとも排除される。安倍政権の周辺は考える国民だけでなく、自分たちのために働けない人間も望んでいない。教祖や権威などの言うことを疑わずに信じ、服従、行動する「臣民」を望んでいる。要するに、カルトの信者のような人びとだ。
コスタ・ガブレスが監督、2003年に公開された映画「アーメン」はナチス時代のドイツを舞台にしているが、その冒頭で障害者がガス室で虐殺される場面が出てくる。ナチスは自分たちにとって邪魔な存在を抹殺しただけでなく、無用だと判断された人びとも抹殺していったのである。これは歴史的な事実だ。
ルター派の牧師だったマルティン・ニーメラーの詩には、コミュニスト、社会民主主義者、労働組合の活動家、そしてユダヤ人など少数民族をナチスが抹殺していったことが書かれているのだが、その前に障害者が犠牲になっている。
社会的な弱者を切り捨てる政策を進めてきた日本で最も弱い立場にある障害者を殺そうとする人物が現れても不思議ではない。アジア諸国の人びとを劣等だと位置づけ、自分たちと同じ人間として扱う必要はないという考え方と基本的に同じだ。
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抜粋終わり
ナチと日本会議と、同じでしょう。
いやナチとそもそも国家神道=天皇崇拝は、同じでした。
ユダヤ人を虐殺しなかったか如何かしか差はなかった。
もっと凶悪になり日本に君臨し続けている。
お読みくださりありがとうございます。
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