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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
闇の正体は 偽ユダヤ (グローバリズム) より

上記文抜粋
・・・・・・・
部落の起源

☆ 順ちゃんの捜索からも言われていますが 日本には



新羅 百済 高句麗の 身分の高い人たちが 自国での紛争から逃れてきた。



そのことを知ってはいましたが、 けれど その古いことを持ち出して 「中国や朝鮮は日本を侵略した」という論法は、今、まさに 日本を乗っ取っている なりすましが言うことです。



あんたが言うか? という思いです。





それが 侵略だったのか あるいは 日本の原住民も それなりに仲良く 技術を学びながら共存していたのか。



共存ではなかったのでしょうか。



そして そのほうが 日本人としては 嬉しいです。





非差別部落とは その時々に 「勝者」であるものが 「敗者」を閉じ込めていた場所 というのは 本当と思います。



肝心なのは 今に続く 背乗りの 現支配層なので 古いことは 気楽に知っていく歴史と思っています。





ただ 引用しているのが 矢切 さんのものなので プロパガンダ用ではないと 思っています。



いかに 日本の教科書で嘘を教えているかを知ればよい。 それは 今現在の なりすましに都合のよい 「歴史」

になっているはずです。







◎ 「タブー視」されているものにこそ真実が隠されている



日本人は単一民族ではない



『日本は島国であるため、現在に至るまで外国からの侵略を受けてこなかった。だから、我々日本人は純血であり単一民族である。』



当たり前のように、そう考える日本人は多いと思います。





確かに、北海道から沖縄まで肌の色・顔つき・体格までほぼ同じ、同じ日本語を使い、同じ教科書で学び、同じ文化を共有している。あまりに統一されているため、自分らが単一民族だと思い込んでしまうのは無理からぬことでしょう。





でも、それはあくまで現代でのこと。



歴史をさかのぼれば、日本列島には様々な民族が渡来しているのが確認できます。





北方からは騎馬民族が渡来し、朝鮮半島や中国大陸からは当時の一大勢力が入り込み、太平洋側からはアラブ・ペルシア・東南アジアの民族が海洋民族として漂着している。





もちろん、日本列島にも太古から住む原住民は確認されています。彼らこそまさに純粋なる日本人といえるのでしょうが、残念ながら、原住民族は渡来民族により淘汰されてしまいます。





日本原住民には抗うだけの力がなかったために、力のある渡来人によりアッサリ支配され、差別され、やがては命までも搾取されてしまいました。



そうして日本の歴史は、渡来人たちによる長きに渡る支配が続くことになるのです。





ところが先述の通り、その渡来人たちにしても、騎馬系・大陸系・半島系・海洋系と民族が違います。当然ながら、彼ら自身も互いに反目し合い、権力の奪い合いが起こります。



時の権力者が没落すれば、別の民族が支配権を奪いとるといったように、世界史と同様、日本の支配者も次々と交代を繰り返しました。





支配者層が変われば、差別される側も変わります。



日本が特殊なのは、敗者=差別される側は常に特定の居住区に押し込まれたという点にあるでしょう。「ゲットー」は、日本においては太古の昔からあったわけです。





負けた側はことごとくゲットーに入れられ、被差別部落民にされてきた。



「和をもって尊し」なんて、平和ボケした現代日本人の妄想ですよ。





歴史をつぶさに見ていけば、日本人は決して単一民族などではないし、日本は「和」どころか「差別」で成り立ってきた国だ、ということがおわかりいただけると思います。







部落差別の起源は藤原王朝にある

藤原鎌足(ふじわらの かまたり)





中臣 鎌足(なかとみ の かまたり)のちの藤原 鎌足は、飛鳥時代の政治家。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖。



大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。『藤氏家伝』には「偉雅、風姿特秀」と記されている。字は仲郎。





藤原鎌足は7世紀半ば頃の人。蘇我入鹿を殺害し大化の改新を行なった人物であるのは、歴史の教科書に書かれてるとおりです。



この藤原鎌足こそ、藤原氏に絶大なる権力をもたらした人物であり、藤原王朝の始祖ともいえる人物です。





実はこの方、日本人ではありません。中国大陸からの渡来人です。



当時の中国大陸には「唐」という国があり、藤原鎌足は唐からやって来た将軍です。





本名は『郭務悰』



※読み方はわかりません





「藤原鎌足」は後からつけた日本名です。



☆ かくむそう ではないでしょうか (管理人)





郭将軍はなんとなく日本に流れ着いたわけではなく、明確な目的をもって日本列島に渡来しています。



その目的とは、母国「唐」からの「倭国を植民地支配せよ」との指令を果たすこと。



現に、渡来の際、郭将軍は10,000超もの兵士を引き連れてますからね。



これはもはや渡来とは言わず、「侵略」とみなすべきでしょう。





藤原鎌足こと『郭務悰』の、その後の活躍?は目覚しいものがありました。





1.まず蘇我入鹿を殺害することで騎馬民族である蘇我氏を没落させ、権力闘争に勝利します。



2.母国「唐」から持ち込んだ律令制度(大宝律令)により強引に中央集権化を推し進め、支配体制=部落差別を一気に確立する。



3.特に日本古来のの原住民への差別は強烈で、蝦夷地(現在の東北地方以北)に追いやり、人以下の扱い。





原住民に関しては差別するだけでは済まず、男女を強制的に隔離してしまいます。男は奴隷にして死ぬまで酷使し、女には積極的に唐民族の種付けを行いました。



徹底的な民族浄化です。



ちなみに、原住民の女性に産ませた子供はみな賎民扱い、つまり部落民扱いだったそうです。



父親が支配者層であれど母親が原住民=部落民であるかぎり子供も部落民、というわけです。





「征夷大将軍」の名があるように、こうした「蝦夷地征伐=民族浄化」と「ジェノサイド(大量虐殺)」は藤原王朝以降も続いていくことになります。こうして、日本古来の原住民はジワジワと絶滅させられたというわけです。





現代では、東北や北海道には部落はないとされていますが、それは大きな誤解です。



東北・北海道そのものが一つの巨大な部落なんです。



大き過ぎて、わかりにくいだけ。







「四つ」は源氏、「八つ」は平氏が起源



藤原王朝が終焉を迎えると、源氏と平氏が勢力を伸ばし始めます。



源氏は、北方から渡来した騎馬民族の末裔。



平氏は、太平洋側から渡来した海洋民族の末裔。





源氏側は騎馬民族であるため、動物に関わる仕事に長けていたそうです。



たとえば、動物の皮はぎから始まり革製品の作製、家畜の屠殺や食肉の加工などがそう。





平氏側は海洋民族であるため、海産物の収穫や加工、操舵の技術に優れていました。



平氏が水軍の運用に長けていたのはこのためです。(壇ノ浦では源氏に負けましたけどね。)





当初は平氏が隆盛を極めていましたが、後に源氏によって打倒されたのは、みなさんご存知のとおりです。





その源氏にしても、鎌倉時代を築き上げたまでは良かったのですが、後に信長などの戦国大名によって叩き潰されることになります。



ちなみに、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は部落出身者ですよ。



従来からの酷い差別からなんとか抜け出そうと、下克上を起こしたわけです。





隆盛を失った源氏は、動物を生業とする特性を蔑まれ、差別されることになります。



「四つ」とは四足歩行=動物を意味するもので、源氏の末裔を指す、れっきとした差別用語です。もっとも「四つ」なんて今じゃ死語ですけどね。知ってるのは、古い世代だけでしょう。





「八つ」は海洋民族である平氏を指す差別用語です。



が、なぜ「八つ」と呼ばれるのかはわかりません。僕の勉強不足です。わかり次第、追記しましょう。





現代日本人のほぼ全ては、元を正せば部落民

なぜ僕が、ここまで部落の歴史を熱弁するのか?



別に、文部科学省にケンカを売りたいわけではありません。



日本社会はいつの時代(近代に至るまでの)においても、一部の支配者層と膨大な数の部落民で構成されてきた、ということをわかってほしいのです。



つまりは、僕らはみな、先祖を辿れば部落民なのです。





特に関西においては、今でも部落差別が色濃く残っています。でも差別する側って、わけもわからず差別している場合がほとんどなんですよ。



親がそう言ってたし、みんなもそう言ってるから、あそこは部落なんだと。



それが、彼らが差別する理由です。



いやいや、先祖を数代さかのぼれば、あんたらみんな部落民だからね。





最後に



こうした僕の歴史観は、『八切史観』に基づいています。文部省お抱えの歴史学者からは異端視され、ボロクソ言われてますけどね。



八切先生の、被差別部落の歴史を事細かく調べ上げる中で真実の日本史を確立するという試みは、非常に信頼性が高いと考えています。



かなり難しい本ではありますが、興味のある方は是非一読されることをオススメします。





日本古代史入門



posted with ヨメレバ

八切 止夫 作品社 2005-05

Kindle



ちなみに、上記はあくまで参考画像です。Kindle Unlimitedに登録すれば、月額980円で普通に読むことができます。



https://escapepoor.com/histories/the-truth-of-history/






☆ 江戸時代は 中国が 間接統治していたという証拠文書はあります。



そして 江戸時代は 今現在より 「責任」に対しての 倫理は 私にはあるように見えます。



世界から エンペラーとして手紙が届いたのは 徳川幕府に対してです、これも 証拠文書があります。



つまし 天皇制国家 数千年 ということが 一瞬にして 嘘とばれるのです。



すごいですね その嘘を 言い続けているって。



日本になかには あまりにも多くの 百済 新羅の 技術的な恩恵があります。 



すべてを 「日本」という仮想の国としていこうとして 天皇制国家にしていこうとしているのですね。



なりすまし族たちの 中国 朝鮮への 発狂的なバッシングは 



自分たちが 本当の日本人で お前たちは侵略者だと言っているようですが、



本当の原住民は もっと穏やかのはずです。



日本人原住民が 絶滅したのか 分かりません。



また 平氏 源氏 とも もとを辿れば ユダヤという説もあります (ツィートテレビ)










・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>2.母国「唐」から持ち込んだ律令制度(大宝律令)により強引に中央集権化を推し進め、支配体制=部落差別を一気に確立する。

>3.特に日本古来のの原住民への差別は強烈で、蝦夷地(現在の東北地方以北)に追いやり、人以下の扱い。

>原住民に関しては差別するだけでは済まず、男女を強制的に隔離してしまいます。男は奴隷にして死ぬまで酷使し、女には積極的に唐民族の種付けを行いました。

>徹底的な民族浄化です。

2はともかく、3は、面倒くさくてしてないように思う。

そもそも唐は太宗以来「異民族は異民族で統治する」ってのが伝統で、李衛公問対でも言われている。

だが、郭務宗でなく、その副官とかならどうか・・・

そもそも郭務宗は、大史令。国家の「暦」と歴史編纂の役がある重要な立場。

で、情報活動もできるそこそこ大事な役目の部署。

で、この説を唱えた人は、郭務宗の後任の大史令を確認しているのだろうか?

私は、唐書を読んではないので、この説は、疑わしいと思うし、そういう後任の大史令とか書いてないので、信じない。

でももう少し穏当な説を考えれる。

南詔という国があり、そこで捕虜になった唐の官僚が出世して大臣になっている。
その人が政治を指導している。参考

唐滅亡後だが、科挙に落ちた文人の韓知古が、遼の軍師・参謀になっている。

まあ逆に王玄策のようにインドで大功を上げながら、普通に過ごした人もいるけど。

そう見ると、鄭回や韓知古のように郭務宗かその部下が成ったとみて良いと思う。


お読みくださりありがとうございます。
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