アレイスター・クロウリーが世界大戦を「古い時代を破壊する血の洗礼」などと言ったそうだが、世界戦争惹起工作は魔術的なシンボリックな意味もあると思われる。「ISIS(イシス)の子がホルスで、ISの次に新時代を迎える」という陳腐な発想もあり得る。基本的にオカルトと洗脳科学は重なる範疇である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
日本的「和」と「ワンワールド」の根本的違い。前者は①互いに異なるという前提(一つにする必要などない)。②互いに凡人であるという謙虚な発想が前提。後者は①「一つにしなくてはならない」という脅迫観念が前提。②自信過剰な「知的エリート」が設計図通りに「世界秩序」を作るという傲慢な発想。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
人はそれぞれ「こだわり」を持っており、それは環境などの諸事情からくる個性の違いによって異なり一様ではない。国や民族単位でも同じである。互いに「違う」という前提から出発し、自分と相手の事情を道理に基づいて比較考量しながらできるだけ折り合いをつけて調和せんと努力するのが「和」である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
一方、特定の「理念」を全人類に押し付けて画一化し全体を一握りの者が「指導」せんとするのが「ワンワールド」である。クーデンホーフ=カレルギーの「精神貴族」という理念に端的に表れている。己を「知的選良」と思い込んでいる傲慢な者達が時に「調和」を掲げつつ目指しているのは「支配」である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
石屋はよく「寛容」を掲げるが「寛容」と「ワンワールド」は両立しない。他者に寛容である為には「互いに凡人である」という謙虚さと自己相対化が必要だが、己を「指導者」と思い込んでいる者にはそれができない。また伝統思想を改竄して「万教帰一」を唱える横暴も「違い」が前提の寛容と相容れない。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
領分を超えた道理に反する不当な干渉を撥ね退ける事も「和」の働きの内である。例えば豊臣秀吉は当初キリシタン宗の信仰も認めていたが、先方が領分を超えて「和」を破壊した。日本の在来の伝統と共存しようとせず神社仏閣の破壊や奴隷貿易などの不当な干渉を行なったキリシタン勢力は打ち払われた。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
「精神的貴族」というなら、庶民を喰わせて万民を養って何ぼのもの。それを志さないの奴のどこが貴族なのか?寄生虫の間違いだろう。
当方の対工作員対処の指針もこれと同じ。こちらから干渉する事は無いが、不当な干渉を受けると断固対処する。基本的には和を重視し「来る者拒まず」で交流させて頂いている。仕掛けられなければ誰とも争うつもりはない。キリシタン勢力は不当な行為をしなければ国防的措置を受ける事はなかったと思う。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
老子は「戦は哀しむ者が勝つ」つまり戦いは好き好んでではなく嫌々する方が勝つと言った。これは老子が強調する謙譲の徳の一面である。「和」と「攘夷」(と仮称)の関係もこれに似ていると思う。人体は全体として調和していないと成り立たないが、人体そのものの破壊を防止する免疫作用も必要である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
海外から来る不当な干渉から「和」を防護する働きは国史上では主に武士が担った。武士の「武」は「矛を止める」と書くとの説は俗説とも言われるが、良い解釈だとは思う。好戦的な者は真の武士に非ず。陰謀追及は武器を用いる戦いそのものを防止する為の闘いである。世界戦争の阻止。戦わない為に闘う。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年1月2日
武器を持った戦いをしないために、陰謀論・謀略・良心のレベルで戦う・・それが力なきわれらのできること・・。
お読みくださりありがとうございます。