故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
アリの一言。 より
上記文抜粋
・・・・・・・
皇后が「天皇の代わり」をしていいのか
宮内庁は今月2日、天皇明仁が「脳貧血によるめまいと吐き気の症状」(3日付朝日新聞)のため「この日の公務をすべてとりやめた」(同)と発表しました。
同日は高円宮絢子氏が母親の久子氏と皇居を訪れ「婚約内定」のあいさつを行いましたが、天皇は欠席し、美智子皇后が「陛下(ママ)のお祝いの気持ちをお取り次ぎ」(3日付産経新聞)したといいます。
また同日は人事異動者の「拝謁」もありましたが、これも天皇は欠席し、皇后が「陛下のおねぎらいの気持ちをお取り次ぎ」(同)しました。
翌3日も天皇は、「脳貧血によるめまいの症状に加え、軽い腹痛」(4日付産経新聞)があり、「2日に続いて公務をとりやめ」(同)ました。
この日宮内庁総務課長が「地方行幸啓」について説明しましたが、皇后が「陛下のお考えを踏まえてお一人で」(同)対応しました。
こうして明仁天皇が病気で「公務」を休んでいるあいだ、美智子皇后が天皇の「気持ち」や「考え」を「踏まえて」、事実上天皇の代役を務めたのです。
メディアはこれをなんの疑いもなく報じましたが、ここには見過ごせない重要な問題があります。皇后は天皇の代わりができるのか、していいか、という問題です。
日本国憲法には「皇后」についての記述(規定)はまったくありません(大日本帝国憲法にもありませんでした)。
皇室典範には「皇后」の記述が4カ所あります。皇族の定義(第5条)、摂政の順位(第17条。皇后は3番目)、敬称(第23条)、陵墓(第27条)です。もちろん、この中に皇后が天皇を代行できるという規定はありません。
皇后は皇室典範第17条の摂政の順位以外には、法的に何の権限もないのです。にもかかわらず天皇の「代わり」をすることは憲法や皇室典範を無視した脱法行為と言わざるをえません。
天皇の「代わり」でなくても、皇后は日常的に天皇とともにさまざまな「公的活動」を行っていますが、それはけっして「天皇制の伝統」ではなく、3代前の「明治」以降の形態にすぎません。先鞭をつけたのは睦仁天皇(明治天皇)の皇后・美子(はるこ)でした。
美子皇后は「慈恵・教育・殖産興業」分野で積極的に行動しました。1872年に「養蚕」を始め(今日まで引き継がれています)、74年には富岡製糸工場を「行啓」。76年に東京女子師範学校(現お茶の水女子大)の設立が決まった時は「御手元金5000円」を「下賜」しています。
美子皇后がこうして「慈恵・教育・殖産興業」で「公的・国家的」活動を行った裏には黒幕がいました。伊藤博文です。
伊藤は憲法調査のため欧州を訪れた際、各国の王室活動を視察し、皇后が「慈恵・教育」分野で重要な役割を果たしていることに感銘を受けます。そして帰国後、『秘録類纂 帝室制度資料』を編さんし、その中の「帝室ヘ慈恵部ヲ置カルルコト」とする文書で、皇室に「慈恵部」を設置し「慈恵賑恤(しんじゅつ=貧困者や被災者に金品を与えること-引用者)を管轄すれば、「帝室ヲ仰慕スルコト益厚カラシメン」と述べています。「慈恵部」の総裁には美子皇后が想定されていました(西川誠氏『明治天皇の大日本帝国』講談社学術文庫より)。
皇室が国民から「仰慕」されるために、「慈恵部」をつくって皇后に担当させようという構想です。
「伊藤は、欧州で王室と慈善・教育の関係、その中の皇后の役割を発見し、皇室と慈善・教育の関係を再編した。伊藤の提案を、国母像を模索していた美子皇后は受け入れ、公的役割を果たそうとした。美子皇后の活動は、以後の皇后のあり方の原型となった」(西川誠氏、前掲書)
伊藤をトップとする明治(薩長土肥)政府は、女帝・女系天皇は認めず、憲法(大日本帝国憲法)にも皇后の権限はなんら明記しない一方、皇后に「慈善・教育」分野で活動させ、天皇制を浸透させる役割を果たさせたのです。
その明治政府の意図が、新憲法下の「象徴天皇制」にも引き継がれ、今日の皇后の「公的活動」につながっています。
今後、明仁天皇の「病気休養」は増えるでしょう。そのたびに美智子皇后が「天皇の代わり」をする可能性があります(さすがに「国事行為」は代行しないとしても「公的活動」を代行する可能性はあります)。また、明仁天皇が退位後に死去した場合、「美智子上皇后」が「明仁上皇」に代わって「公的活動」を行う可能性もないとは言えません。
しかしこれらはいずれも、憲法・皇室典範が想定していない脱法行為であり、けっして許されるものではありません。
「(象徴)天皇制」の是非を考える上でも、「皇后・上皇后」の動向(公的活動)に注意を払う必要があります
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋おわり
>こうして明仁天皇が病気で「公務」を休んでいるあいだ、美智子皇后が天皇の「気持ち」や「考え」を「踏まえて」、事実上天皇の代役を務めたのです。
> メディアはこれをなんの疑いもなく報じましたが、ここには見過ごせない重要な問題があります。皇后は天皇の代わりができるのか、していいか、という問題です。
>皇室典範には「皇后」の記述が4カ所あります。皇族の定義(第5条)、摂政の順位(第17条。皇后は3番目)、敬称(第23条)、陵墓(第27条)です。もちろん、この中に皇后が天皇を代行できるという規定はありません。
> 皇后は皇室典範第17条の摂政の順位以外には、法的に何の権限もないのです。にもかかわらず天皇の「代わり」をすることは憲法や皇室典範を無視した脱法行為と言わざるをえません。
ただの家族なら、「おかあさんが、おとうさんの代理をする」のは間違いではない。
でも、天皇家は、国家の機構の一部で、そのようなことはできない。
するなら「臨時摂政」などとして合法的に就任するとかしなければならない。
仮に「一家のことだから」となると、そうはいかない。
「天皇家のことが天下・日本の政治・国家機構の事だから、臣下・庶民が諫言しないとならない」
ちょうど武則天が、自分の甥っ子を立太子にと望んだ時に、宰相の狄仁傑に「ダメ」といわれて
「皇帝一家のことだから好きにさせろ」と言った時
「王者は四海を家とする。全てのものが家族であり、宰相である自分があずかり知らぬはずもない」
と反論して、自己の意見を通した。
参考
日本はそういうのがおざなり・・・だから天皇制がダメなのです。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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皇后が「天皇の代わり」をしていいのか
宮内庁は今月2日、天皇明仁が「脳貧血によるめまいと吐き気の症状」(3日付朝日新聞)のため「この日の公務をすべてとりやめた」(同)と発表しました。
同日は高円宮絢子氏が母親の久子氏と皇居を訪れ「婚約内定」のあいさつを行いましたが、天皇は欠席し、美智子皇后が「陛下(ママ)のお祝いの気持ちをお取り次ぎ」(3日付産経新聞)したといいます。
また同日は人事異動者の「拝謁」もありましたが、これも天皇は欠席し、皇后が「陛下のおねぎらいの気持ちをお取り次ぎ」(同)しました。
翌3日も天皇は、「脳貧血によるめまいの症状に加え、軽い腹痛」(4日付産経新聞)があり、「2日に続いて公務をとりやめ」(同)ました。
この日宮内庁総務課長が「地方行幸啓」について説明しましたが、皇后が「陛下のお考えを踏まえてお一人で」(同)対応しました。
こうして明仁天皇が病気で「公務」を休んでいるあいだ、美智子皇后が天皇の「気持ち」や「考え」を「踏まえて」、事実上天皇の代役を務めたのです。
メディアはこれをなんの疑いもなく報じましたが、ここには見過ごせない重要な問題があります。皇后は天皇の代わりができるのか、していいか、という問題です。
日本国憲法には「皇后」についての記述(規定)はまったくありません(大日本帝国憲法にもありませんでした)。
皇室典範には「皇后」の記述が4カ所あります。皇族の定義(第5条)、摂政の順位(第17条。皇后は3番目)、敬称(第23条)、陵墓(第27条)です。もちろん、この中に皇后が天皇を代行できるという規定はありません。
皇后は皇室典範第17条の摂政の順位以外には、法的に何の権限もないのです。にもかかわらず天皇の「代わり」をすることは憲法や皇室典範を無視した脱法行為と言わざるをえません。
天皇の「代わり」でなくても、皇后は日常的に天皇とともにさまざまな「公的活動」を行っていますが、それはけっして「天皇制の伝統」ではなく、3代前の「明治」以降の形態にすぎません。先鞭をつけたのは睦仁天皇(明治天皇)の皇后・美子(はるこ)でした。
美子皇后は「慈恵・教育・殖産興業」分野で積極的に行動しました。1872年に「養蚕」を始め(今日まで引き継がれています)、74年には富岡製糸工場を「行啓」。76年に東京女子師範学校(現お茶の水女子大)の設立が決まった時は「御手元金5000円」を「下賜」しています。
美子皇后がこうして「慈恵・教育・殖産興業」で「公的・国家的」活動を行った裏には黒幕がいました。伊藤博文です。
伊藤は憲法調査のため欧州を訪れた際、各国の王室活動を視察し、皇后が「慈恵・教育」分野で重要な役割を果たしていることに感銘を受けます。そして帰国後、『秘録類纂 帝室制度資料』を編さんし、その中の「帝室ヘ慈恵部ヲ置カルルコト」とする文書で、皇室に「慈恵部」を設置し「慈恵賑恤(しんじゅつ=貧困者や被災者に金品を与えること-引用者)を管轄すれば、「帝室ヲ仰慕スルコト益厚カラシメン」と述べています。「慈恵部」の総裁には美子皇后が想定されていました(西川誠氏『明治天皇の大日本帝国』講談社学術文庫より)。
皇室が国民から「仰慕」されるために、「慈恵部」をつくって皇后に担当させようという構想です。
「伊藤は、欧州で王室と慈善・教育の関係、その中の皇后の役割を発見し、皇室と慈善・教育の関係を再編した。伊藤の提案を、国母像を模索していた美子皇后は受け入れ、公的役割を果たそうとした。美子皇后の活動は、以後の皇后のあり方の原型となった」(西川誠氏、前掲書)
伊藤をトップとする明治(薩長土肥)政府は、女帝・女系天皇は認めず、憲法(大日本帝国憲法)にも皇后の権限はなんら明記しない一方、皇后に「慈善・教育」分野で活動させ、天皇制を浸透させる役割を果たさせたのです。
その明治政府の意図が、新憲法下の「象徴天皇制」にも引き継がれ、今日の皇后の「公的活動」につながっています。
今後、明仁天皇の「病気休養」は増えるでしょう。そのたびに美智子皇后が「天皇の代わり」をする可能性があります(さすがに「国事行為」は代行しないとしても「公的活動」を代行する可能性はあります)。また、明仁天皇が退位後に死去した場合、「美智子上皇后」が「明仁上皇」に代わって「公的活動」を行う可能性もないとは言えません。
しかしこれらはいずれも、憲法・皇室典範が想定していない脱法行為であり、けっして許されるものではありません。
「(象徴)天皇制」の是非を考える上でも、「皇后・上皇后」の動向(公的活動)に注意を払う必要があります
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋おわり
>こうして明仁天皇が病気で「公務」を休んでいるあいだ、美智子皇后が天皇の「気持ち」や「考え」を「踏まえて」、事実上天皇の代役を務めたのです。
> メディアはこれをなんの疑いもなく報じましたが、ここには見過ごせない重要な問題があります。皇后は天皇の代わりができるのか、していいか、という問題です。
>皇室典範には「皇后」の記述が4カ所あります。皇族の定義(第5条)、摂政の順位(第17条。皇后は3番目)、敬称(第23条)、陵墓(第27条)です。もちろん、この中に皇后が天皇を代行できるという規定はありません。
> 皇后は皇室典範第17条の摂政の順位以外には、法的に何の権限もないのです。にもかかわらず天皇の「代わり」をすることは憲法や皇室典範を無視した脱法行為と言わざるをえません。
ただの家族なら、「おかあさんが、おとうさんの代理をする」のは間違いではない。
でも、天皇家は、国家の機構の一部で、そのようなことはできない。
するなら「臨時摂政」などとして合法的に就任するとかしなければならない。
仮に「一家のことだから」となると、そうはいかない。
「天皇家のことが天下・日本の政治・国家機構の事だから、臣下・庶民が諫言しないとならない」
ちょうど武則天が、自分の甥っ子を立太子にと望んだ時に、宰相の狄仁傑に「ダメ」といわれて
「皇帝一家のことだから好きにさせろ」と言った時
「王者は四海を家とする。全てのものが家族であり、宰相である自分があずかり知らぬはずもない」
と反論して、自己の意見を通した。
参考
日本はそういうのがおざなり・・・だから天皇制がダメなのです。
お読みくださりありがとうございます。
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自分に意識を戻すーーーー!!ひたすらリピート。
自分の頭の中が、
色んな思考でぐちゃぐちゃし始めたら、
それが自分の望んでることがどうか確認ー。
違ったら手放すー。
イヤ〜な思考やモヤモヤが
すぐに手放せなかったら、(手放すことについてはまた後で書くね)
★ほんの少しだけでいいからそれよりマシな思考にする。
(一気に素晴らしい思考にしようとしない。それやろうとしても、弾かれてまた外に出されて余計にイヤな気分になるから。だからほんの少しだけ。)
↓
★マシな思考を選んで、少し緩んだら、
さっきのよりさらにもう少しマシになる思考を選ぶ。
↓(ほんの少しずつのバージョンアップを繰り返す。ちょっとホッとしてくる。すると、良い思考が入る隙間ができる)
↓
★そのままホッとしたら終わりでもいいし、
調子に乗ってきたらそのまま流れに任せて、
気持ちいい思考をたっぷり出してあげる。
こんなの繰り返してるとねー、
ほんとに気持ち良くなる!!
あれ?さっきまでヤな気持ちだったけど、周り関係なく自分で勝手にさっさと気分良くできるんだーー!みたいな。
自分の機嫌を他人や出来事にとってもらう必要がなくなってくる!
そもそも、自分の機嫌が周りに左右されるのはとても不自由。
自分の機嫌の責任を何にもとらせない。
物に自分の機嫌をとらせない。
状況に自分の機嫌をとらせない。
環境に自分の機嫌をとらせない。
人に自分の機嫌をとらせない。
起こってる出来事に自分の機嫌をとらせない。
お金に自分の機嫌をとらせない。
自分のやってることの内容に自分の機嫌をとらせない。
私の機嫌は〇〇次第…にしない。
私の機嫌は私次第。
私の機嫌の良さは、私の中にある。
私から生み出せる。
内側からどんどん出してあげる❤︎
自分の機嫌を自分が取ってるだけで、
他の物や事に振り回されて機嫌が良くなったり悪くなったりしない。
自分が自分の機嫌を良くしてる限り、
ずっと機嫌いい。
ちょっと気を抜いて、
外側にフォーカスがはじまると、
とたんに自分の機嫌の悪さを周りの状況のせいにしはじめるから面白い。
自分の感情や自分の機嫌の責任の取れなさを、
八つ当たりという形で、
子どもや旦那によく撒き散らす(笑)
けど、それをやった後ってめっちゃ後味悪い。
もちろん、それで色んな気付きを得て、またパワーアップするんだけど、
気付くたびに、
子どもや旦那はマジで関係なかった!!!ということが腑に落ちる。」
から引用
もちろん意図的に不機嫌にされていないという前提はあります。
>から引用
>
> もちろん意図的に不機嫌にされていないという前提はあります。
なるほど。
書き込みありがとうございます。
2018-06-27 11:40:14 より
>日本のマスコミではあまり伝わらない世界の状況を、星の上からお伝えしておきたいと思った次第です。ただし、世界でも日本でも色々とあると思いますが、一見悪く進んでいる様に見えて、実は良い世界になる方向へ進んでいるように見えますので、あえて語らせていただきました。
楽観的に見えているようで、苦しみを伴い、苦しいようでも・・
「禍福はあざなえる縄のごとし」
この世の幸と不幸は、より合わせた縄のように、
常に入れ替わりながら変わっていく。禍福はわざわいと幸せ、という意味。
みんな順番に
常に入れ替わりながら変わっていく。
https://www.youtube.com/watch?v=uiXDF4jcZXM
みんな夢でありました
書き込みありがとうございます。
田んぼは無事でしたか?
あちこちで田んぼに泥水が入っていますね
うちの親戚も土嚢を積んで持ちこたえてました
西日本の農産物がやられたら大変です
河川敷に置かれた、福島除染のフレコンパックもどうなったでしょう?
これらのことに気を遣うことなく
あちこちにお出かけの天皇ご夫妻がついに
お慎みあそばされたようです
天皇が国民と目線を同じくすると書いていらっしゃった方々は
どうお考えでしょうね?
この記事の代理報告のあとも
あちこちお出かけの老夫婦、どこが体力ないのやら
と、嘆く皇室ファンも多いです
御大層に北海道も被害・狙ったみたい。
で、日本の皇族って、東洋の帝王らしくないですよね・・・特に明治以降は・・
書き込みありがとうございます。
こういうこと、詳しく知らないので書き込める立場にないのですが、
自分たちが「飼いならされ」てしまったわけでしょ・・
天皇家、皇族 を云々より
自分ひとり でも 「政府」に文句を言う時間を「救済に」身体を張っている方を尊敬し、
自分のできる事、私とすると「食べて応援」や「みんなで放射能」でも 共にする。
苦しみを分け合っていこうよ・・
辛い、大変な状況に目を向けて 今起きていることの救済を優先する事で
世の中がかわって(時間がかかっても)いくと思っています。
現地で「救済」、行動している人をみて
自分は何で応援できるのかなぁ、
やっぱ 行動できなきゃ、「救済」できないと痛感します。
とわいえ、生まれてから天皇教に洗脳されている現状をみると、なんとかしないと・・・
でその手始めの自力救済で「天皇制廃止」のキャンペーン的に訴えているわけですよね。
書き込み有難うございます。
>外側にフォーカスがはじまると、
とたんに自分の機嫌の悪さを周りの状況のせいにしはじめるから面白い。
>自分の感情や自分の機嫌の責任の取れなさを、
とても大切だと思います。
ぶろぐ主さま ちょっと 外側に(天皇の単品フォーカスぎみ)かな?
如何ですか?
(言葉が過ぎていましたら、ごめんなさい。)
でもね、そういうことでも、揺り動かす必要もあると思ってます。
書き込みありがとうございます。
引用記事もよいですが、お考えを
平易なことばを使って一つの記事にしてみるのも良いかと。
>引用記事もよいですが、お考えを
>平易なことばを使って一つの記事にしてみるのも良いかと。
>
めんどくさがりなのと、時々忙しくなるのでね・・・
たま~に全文書くときにありますよ。
書き込みありがとうございます。