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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

あえて黙っているのも手かもしれない・・・。

シュタイナーから読み解く神秘学入門  より

上記文抜粋
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今年は戊戌の年ということで、全てが増加する年なので、せめて悪を除去していかないと、来年は、己亥なので、善と悪が一つに結ばれ、勢いが増すために、革命や暴発が起こる年だからである。

 実際、60年前の1959年にはキューバ革命が起こっている。その60年前の1899年は前年からのフィリピン革命が頂点に達している。

 つまり、来年までに、今年は悪を成敗する必要がある。地上の悪を、天の恵みにより慈悲を施さなければいけない年なのである。だから、医術の年ともいえる。治療の年である。

 さて、人智学的医術が説くのは、人間の死は、肉体を失うだけで、霊魂は永遠に生き続ける、ということである。

 では、人間はなぜこの世に生まれてくるかというなら、多様多種のカオスの状態を統一する術を身に着けるためである。

 肉体は1つしかなく、物質界を生きるには他と共存共栄していかないといけない。

 この1つしかない人生を通じて、多種多様な現象を自分という1つに統一し、体現していくことが愛の働きだからである。

 物質界は陽と陰の二元性から1つの一元性として現れてくる。物質界を学ぶことは、二元性を学ぶことで、二元性から多種多様が生まれてくる。

 例えば、恋愛は多種多様だが、男女の陰陽からはじまる。昨今は同性愛が盛んだが、その心情には陰陽が絡んでいる。肉体は性は1つだが、霊魂は両性であり、肉体への表現が陰陽の男女をつくっているにすぎないからである。

 さて、先日犬HK特集で、人体のネットワークについて述べていたが、免疫がネットワークで制御されていることは、B細胞だが、イエルネがネットワークモデルで既に説明している。

 ネットワークということで、唯物論から少しはマシになり、情報論として考える事で、地上の束縛から解放されてきたが、脳で全てを説明しようとする頑迷で堕落的な知性はいまだ健在で残っている。

 唯物論では、冷凍保存し、脳だけを残すというクレイジーな事もやられているようだが、人体がネットワークであるのを理解していない。脳だけに人格があるわけではない。また海馬に記憶があるのではない。人智学から考えれば、海馬は、アストラル空間から記憶を取り出しているだけにすぎない。

 人智学では、人体の上下は陰陽論で捉え、脳は腸と対極にある。俗に認知症といわれる病気の病因は腸にあると考えている。最近、水を飲むことで、代謝を活性化し、アルツハイマー病を改善させた事例も、出てきたようである。

 人智学では、脳の病気の病因は下半身の、特に腸などにあることがわかっている。腸で行うべき消化活動、昨今では免疫提示活動とわかっているが、それが腸でできずに、脳にまで負担が及ぶと、脳で行われるので、その分の思考活動が行えずに、認知症が出てくるのである。 

 シュタイナーも頻繁に述べているが、現代の唯物論では、人智学は理解困難なので、哲学として捉えると少しは理解できるかもしれない。

 シュタイナーはオカルト生理学も講義しているが、オカルトという命名も理解困難にさせる要因の1つだろう。シュタイナーがオカルトという言葉を使う場合、それは眼には見えない隠れた存在を意味する。

 人智学では、人体を、眼に見える肉体、つまり物質体のほかに、眼に見えないエーテル体、アストラル体、自我からなるとしている。

 これをわかりやすくするなら、コンピュータに喩えて、ハード本体が物質体で、OSと電源=電気がエーテル体、ソフトウェアがアストラル体、使用者=人間という感じになるかもしれない。コンピュータで喩えると唯物論でも少しはわかりやすくなるかもしれない。

 コンピュータのハードでないソフト面、いわゆる情報通信機能は、コンピュータ言語からつくられるが、人間も似たように、宇宙言語からつくられるのが、人智学ではわかっている。

 唯物論では、人間や人体を物質で解釈するが、人間や人体を宇宙言語からどう解釈するかが人智学の課題である。

 物質体は、眼にみえる物質からできているから、わざわざ説明しなくても唯物論でも自明だろう。問題は、眼に見えない人体、宗教でいわれる霊魂=精神である。

 霊魂を肉体につなげるのが人智学でわかっているエーテル体で、いわば糊の役目を果たし、光からつくられる。神道の注連縄などの結界は、エーテル界を表現しているようにみえる。エーテルは、物質と霊魂を結び付けるからである。

 エーテルは物質ではなく、単純にいうなら、機能を現わし、イメージするなら、不可視な波動といえるだろう。

 更にアストラル体は、光の通り道、物理学でいう時空からつくられる。この時空は、時間で仕切られた単なる空間ではなく、様々な出来事や事象が記録された媒体となっているらしい。

 現代物理学でいうなら、超弦理論のM(膜)理論のDブレインのようなものだろうが、唯物論では超弦理論が限界だろう。

 そして、自我とは、正に神の存在といえる「我(私)は我なるあり」の統一体を意味する。人間一人一人が我(私)という意志をもてるのは、神からこの自我を授かっているからで、この自我で統一の領域を拡げるのが、宇宙での人間の役割というわけである。

 自我には、全てをバランスしまとめる能力がある。その自我は、宇宙全体の統一力からきている。さしずめ、太陽系は太陽が統一しているが、人間の自我は、太陽からきている。

 太陽系を1つに統一しているのが太陽である。

 さて、誰もが幸せを求めて生きている事に異論はないだろう。問題は、幸せというのが、十人十色で、万人共通のものでないところにある。幸せを求める自由という問題を抱えている。

 しかし、人類が永遠に幸せであるためには、人類全体の幸せと、各個人の幸せは一致しなければならない。各個人の幸せが、人類全体の幸せでないと本物の幸せではないのである。

 つまり、人類全体の幸せと各個人の幸せが一致するところが天国なのである。

 人智学的にいうなら、自我が満ち足りた安定状態にある事が幸せである。だから、各個人の自我が、人類全体の集合自我のなかに、満ち足りた安定状態を探さないといけない。

 人類全体の幸せのなかに、自分の幸せを探さないといけない。しかも、宇宙は益々多様化していく。

 そのために輪廻転生があり、人生での自己認識がある。

 神秘学では、人類の未来の集合自我のことを、霊我=マナスと呼び、不死鳥=フェニックスに譬えている。

 キリストは、イエスという杯のもとに霊我を携えて、地上に現れ、人類の幸せの見本を示した。

 他の不足分を補いあい、共に助け合うことで、誰一人の落第者や犠牲者を出す事なく、人類全体が幸せになるという見本である。
 
 互いに助け合うと人類全体の幸せになる、というのが、カルマの法則である。

 クリスマスとは、このカルマの法則が地上に示されたときなのである。だから、キリストが最後の晩餐に弟子たちに謙譲の精神を示したように、上は下を助け、異質なものを遠ざけるのではなく、近づいて世話をし、互いに助け合うことを、人類に約束させた日なのである。

 この約束を守るのなら、神に背いて悪魔に靡いた原罪を赦そう、というのがクリスマスなのである。

 そういう精神に欠けているのが、いまのこの国の上層部である。特に政府は、このような態度と真逆にある。

 この国の昨今の仕事観や教育観をみていると、中世の悪しき伝統を感じざるを得ない。強圧的で非常にわざとらしい。上下断裂の様相を呈している。仕事や教育が押し付けになっているのが、一番の問題である。

 中世では、仕事や教育は修行の一環で、霊能力獲得のための手段だったのだが、唯物論が蔓延って、地上生活での物質的幸せを追求するあまりに、精神を忘れ、形骸化し、動物と同じく、単なる調教と化してきた。暗黒の時代といわれるのも当然である。

 人類が高貴な精神を忘れ、獣化してきた。

 人類全体の幸せのなかに個人の幸せをみつけるのは、なかなか困難だが、例として、日本サッカーの浦和レッズサポーターのコレオが挙げられる。個人サポーターの応援が、競技場全体の美的応援に見事につながっている。

 スポーツの報道によれば、サポーターが自主的に応援を行っているという。強制でなく、自主的なのが重要である。

 しかし、自主的でなく、与えられたものであれば、ダメである。与えられた安定は、自分でつくりだした安定ではないので、容易に揺らぐ。いろんな困難に出会って、自分で安定をみつけないと、ダメなんである。

 この国の教育や仕事をみていると、与えることばかりで、しかも強制であるのは、非常に問題で、まるで中世の悪しき伝統の修行のようにみえる。仏教で譬えるなら、苦行や荒行である。

 御釈迦さんは、自ら苦行や荒行をしても、悟り=霊能力は獲得できないばかりか、無意味と悟って、やめてしまって、スジャータに乳を飲ませて貰い、菩提樹の下で、霊能力を獲得したのは有名な話である。 

 無意味な苦行や荒行を奨励しているのが、この国の現状である。

 例えば、それはサービス残業であったり、夏休みの宿題などである。欧米では、休息も重要と考えられていて、休息をとるのも仕事のうちである。

 休みのない生活は、睡眠のない生活と同じで、人間らしい生き方とはいえない。

 教育先進国で優秀なフィンランドには宿題はなく、勉強も自主的に行うそうである。シュタイナーも述べているが、自主的な教育、つまり自己教育でないと教育は意味をもたない。

 この国の教育に欠けているのが自主性であることは一目瞭然であろう。

 子どもを躾けるには、まず親や大人がその見本を示さないとダメである。大人が嘘をつくなら、子どもも嘘をつくのは当然である。7歳までの子どもは大人を真似るからである。

 これは大人が教育に自主性をもたないからである。子どもが勉強するには、大人が勉強しないといけない。一緒に勉強するしかない。


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抜粋終わり

>唯物論では、人間や人体を物質で解釈するが、人間や人体を宇宙言語からどう解釈するかが人智学の課題である

空海も「言葉」ってことは重視している。言葉は実存するっていうかなんというか・・・

その一つの表れを、「アカシックレコード」とか唯識思想の種子なり薫習とかいうと思う。

>無意味な苦行や荒行を奨励しているのが、この国の現状である。

>例えば、それはサービス残業であったり、夏休みの宿題などである。欧米では、休息も重要と考えられていて、休息をとるのも仕事のうちである。

>休みのない生活は、睡眠のない生活と同じで、人間らしい生き方とはいえない


だから「親殺し・子殺し」や鬼畜の所業がまかり通る日本。

>教育先進国で優秀なフィンランドには宿題はなく、勉強も自主的に行うそうである。シュタイナーも述べているが、自主的な教育、つまり自己教育でないと教育は意味をもたない。

>この国の教育に欠けているのが自主性であることは一目瞭然であろう。

>子どもを躾けるには、まず親や大人がその見本を示さないとダメである。大人が嘘をつくなら、子どもも嘘をつくのは当然である。7歳までの子どもは大人を真似るからである。

>これは大人が教育に自主性をもたないからである。子どもが勉強するには、大人が勉強しない

そもそも「人間らしい生き方」をなるべくさせないようにしている日本で、人間としての自主のある大人などどれだけいるのか。家畜か奴隷に育てられた人間が急に人間して生きれるはずもない。

また為政者・権力層・天皇家自体が、人間としての自主性も弱いので、そのようなことも考えもしない。ので、他者・市民を奴隷化するしか考えない。

国家が、幼児期から日本人を奴隷化・家畜化するのが、日本国・天皇真理教国家日本なのである。


つながっているこころ2   

結構意味深・・・。

DEEPLY JAPAN  より

上記文抜粋
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北のミサイルはタリンも射程内だぜと吹きまくる安倍ちゃん

この人たちは本当に気持ちが悪い。

「タリン射程」と吹聴 安倍首相は北ミサイルの“広告塔”

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221202/1


「北朝鮮は、いまやタリンを射程に入れる弾道ミサイルを発射するなど重大な脅威だ」

 昨年11月29日に北が発射した火星15は米本土が射程に入る。中国、ロシアの上空を通過する西回りなら、エストニアにも届く射程だ。だが、再突入技術に難があるといわれているし、西回りは中ロが黙っていない。もはや安倍首相は北ICBMの“誇大広告塔”と化している。

何をする気なんでしょうね。多分、「国際社会」という名のthe Westの一部が、また何か組みだすのかなと想像。カナダあたりに注目かも。わからんけど。

で、タリンが北朝鮮のミサイルを怖がる理由なんて何もないでしょう。ロシア軍の地上侵攻という語を聞けば条件反射的にただちに騒ぐけど(笑)。ついでにいえば、天下の犯罪者集団であるNATOは、バルト三国を取って、やったねロシアに近づいた!となっているわけだが、もしロシア軍が本気でやるんだったらバルト三国をどうやっても守れないというのは、もはや定説。ロシアとバルト三国の距離が近すぎるから。

近すぎるというか、ロシア革命以前、1700年代初頭から200年以上そこはロシア帝国だったので、まぁなんてか、バルト三国はロシアにとってはどうやっても限りなく自国領に近い隣接地。その前はスェーデンのドミニオン(半独立国、おおむね自治領)だった。この日本語wikiの書き方は微妙ですね。あたかもエストニアが独立していたかのような錯覚をもたらそうとして書いてると思う。英語版では、ドミニオンの下りがある。

その後、1629年までに現エストニアのリヴォニア北部も支配下に入る。レヴァルはエストニア公国の首都となり発展して行くが、その後、大北方戦争により1710年にロシア・ツァーリ国の支配下に入り、エストニア公国は1721年にロシア帝国の県に格下げされた。



Dominions of Sweden

緑、黄緑のところがスェーデン帝国の支配下。で、それが北方大戦争でスェーデンが敗北し、ロシアが勝ったところからロシアの近代の勃興がはじまる。このへんはそういえば、ウクライナ危機の時、キッシンジャーが、クリミアはロシアだ、ロシアの勃興はポルタヴァの闘いで勝利した時から始まるのだ、西側の人たちはロシアがウクライナとは切っても切れないのだと理解しろよ、ほんとにもう、云々と語っていたことがある。このへんは、さすがにネオコンのバカどもとの違いを見せたなと思ったものだった。

ウクライナ危機をどうやって終わらせるのか/キッシンジャー


それはそもかく、過去100年間は、西側(現在はNATO)がロシアを攻める際にカギを開けさせるポイントですね。だもんで、バルト三国は総じていえば、ナチスびいきが世界中で最も目立つし、過去二十数年何度注目されても西側勢は決して彼らを非難しなかった。

そして、ウクライナ問題でナチ末裔が勃興したのに伴い、最近では、ラトビアが、ソ連赤軍に協力した人とナチに協力した人をどちらも同列に扱う法案を通したとかでロシアの眉を吊り上げさせていた。

Latvian president endorses law equating Red Army veterans with SS storm troopers

http://tass.com/world/984041



と、そういうところに、かつて満洲国の建国に労のあった岸信介を祖父とする安倍ちゃんが出かけていって、金をくばる、と。私にはもう、さめやらぬロシアの東西挟撃ごっこにまた夢中になっているとしか思えません。

このへんで書いた通り。

イージス・アショアで東西挟撃&三海プロジェクト



あと、安倍政権は親米政権というより親イスラエル政権、あるいは親シオニズム政権だと考えるといいんだろうなとも思う。岸さんあたりを込みにして。

それに対して日本の自民党には、目立って親アラブ、反イスラエルの人たちがいたし、日本国民も70年代あたりまでは総じていえばそうだったと言っていいんじゃないかと思う。田中角栄失脚の一つの理由もこのへんにあるんじゃないかと私は疑っていたりもする。

ところがそれがあれよあれよという間に代わって、同時にアラブもだいぶ変質していった。

多分、向こう1、2年の間に、ここらへんを解きほぐすようなことになるのかなという気がする。

いずれにしても、日本人にとっては安倍ちゃんの行動はとうてい理解できるものではない。もうこの人たちは、日本国を私領だと思ってると思うな。

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抜粋終わり

>いずれにしても、日本人にとっては安倍ちゃんの行動はとうてい理解できるものではない。もうこの人たちは、日本国を私領だと思ってると思うな。

自主性なく地獄の住人ですからな、日本の為政者層は・・・

参考 真っ当・・・あるいはすでに日本は地獄であった。


地獄の住人でキチガイ・・・


易で「今の日本」を聴いてみた・・・

地火明夷 の 初爻

参考 

上記文抜粋
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この地火明夷は、坤の地の下に、離の日輪が没した象を取ったものです。

一つ前の火地晋は昇り進む卦でしたが、進めば遂には、どこかに障害が生ずるものですので、晋の次にこの明夷が配されました。

しかし、あるいは進んで傷むというより、晋の明と明夷の暗との循環、そして晋の昼と明夷の夜との交換とし、ふたつの卦を綜卦の立場から観察することが相応しいです。

そして晋を進むとするならば、明夷は隠れるです。

「夷」という字は、大と弓を重ね合わせた文字です。

大弓は物を傷つけ破る物なので「明夷」は明るさを破るで、闇と同じです。

明るさが失われたのは、正常ではありません。

正常でない事は、いつかは旧に復さずにはいられません。

それで悩みつつも正しい所を守っていれば、再びその正しいものが正しいものとして通ずる時が来る。

そのことを「明夷は艱貞に利ろし」としています。

前に天山遯という卦がありましたが、これも陰が陽を侵していくという正常さを失った時で、君子は山の中に隠れて災いを避けたほうが良いと言っていました。

しかし、この明夷では「艱貞に利ろし」と教えているのです。

この点は遯と明夷とでは、まったく違います。

なぜなら遯は、邪悪なものが下から起こって来る卦ですから、君子は逃れて災いを避けました。

しかし明夷は、暗の世を作ったのは上にある暗愚な君の故であり、たとえ暗愚であろうと一国の主であるからには権力を持っています。

だから逃げても逃げおおせない。

逃げられないなら、逃げ出したい気配を見破られて、ひどい目にあうより自分自身もまた、明るさが失われている世の中に似合うよう、その明徳を覆い隠し、君子は和して同ぜずで、悩みつつも貞しさを守って行ったほうが良い。

それが、明夷に処する唯一の道なのです。



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・・・・・・・
抜粋終わり


参考 2

上記文抜粋
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「艱難汝を玉にす。昼行灯の時も必要。」
明らかなるもの、正しきものが覆い隠されて、暗闇、邪悪が支配する象。
聡明さが傷つけられ、暗愚がはびこる象。
正しきものが艱難辛苦を強いられる。禍、障害の多い時。隠忍自重、時を待つこと。



「明夷(めいい)」とは明るさが傷つき破れる、と言う意味です。明るいのが正常と考えれば正常で無い状態です。しかも上に立つ者、組織のトップに立つ者、権力を持つ者、が暗愚であるため、その下に居る能力の有る者が冷遇され、或いは危害を加えられる時です。
こんな時は有能の者はその能力を圧し隠し難を避け、正常な状態が戻るのを待つことが賢明です。
古代、殷の紂王によって幽閉されながらじっと耐えて殷が倒れた後に周を興した文王、危険を承知で紂王を諌めた箕子、の例を引いています。

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・・・・・・
抜粋終わり


参考 3

上記文抜粋
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八卦のrika-n.gif離(り)の上に、konchi-n.gif坤(こん)を重ねた形。

明夷とは、明るさを夷(やぶ)る、または単に夷られ傷つけられる、という意。
易位生卦法によれば、火地晋より来たものとする。
火地晋は太陽が地上にある形だが、この地火明夷は、太陽が地中に没した形である。
太陽が地中に没し入れば、明るさは夷られて昏暗の夜となる。
だから明夷と名付けられた。
また、内卦の離を文明とし麗(つ)くとし、外卦の坤を暗昧とし順とすれば、内卦の自分は明だけど、外卦の坤暗なる相手に麗き順(したが)って、自分の明るさを暗まされ夷られる様子である。
だから明夷と名付けられた。
また、離を火とすれば、火は高いところにあれば、よく遠くを照らすが、低いところにあっては、遠くを照らせない。
まして、火の上に坤暗の物を覆うときは、忽ち真っ暗になる。
だから明夷と名付けられた。
また、下は明らかにして、上は坤暗な様子だが、上で命令する者が坤暗ならば、下の者がどんなに明らかであっても、その明らかさが用いられることはない。
だから明夷と名付けられた。

卦辞
明夷、利艱貞、

明夷は、艱(くるし)んで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

この卦は、君子は小人に傷(やぶ)られ、賢臣は暗君に傷られるときである。
こんなときに君子たる者は、先ず第一に、艱難(こんなん)であることを覚悟し、自らはどんなに艱難しても、貞正であるよう心がけるべきである。
例えば、殷(いん)末の紂(ちゅう)王の非道に、周(しゅう)の文王や、箕子(きし)の取った方策のように。

周の文王は、六十四卦の卦辞を作った人物である。
殷を将軍家とすれば、言わば周は外様大名である。

紂王は民衆を酷使し、自らは酒池肉林の乱痴気騒ぎを楽しみ、それを諫める者は片っ端から征伐していたので、誰も咎めることはできなかった。
君子として立派な人間になるよう心がけていた文王としては、こんな世の中は辛い。
しかし、外様だから、紂王を諫めようとすれば、他の人々と同様に、即刻征伐されるのはわかりきっている。
そこで、今は明夷暗主の時と覚悟し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、内には文明貞正の徳を修めていても、敢えてその素振りを外に見せず、君子たる善政は自分の領地内だけにし、紂王に対しては柔順の臣節尽くした。
それでも不審を抱かれ幽閉もされたが、そのときも文句は言わず、ひたすら時運の艱難に安んじていた。
その文王の態度は、次第に民衆を動かしていった。
やがて文王が没して子の武王の時代になる頃には、多くの人々の願いは周に託され、その武王の元に人々が蜂起し、殷は滅亡し、周の時代になったのである。

一方の箕子は、殷の宗室であり、紂王の叔父である。
要するに親族内戚なのだが、君子たる人間を目指していたので、その非道を不愉快に思っていた。
しかし諫めれば殺されるし、従えば自らも非道の片棒を担がなければいけない。
そこで、殺されず、しかも非道に加担しない方法はないかと思案した。
思いついたのは、気が触れたように装うことだった。
すると紂王は、気が触れたと信じ、それ以上、箕子に何も命令しなくなり、殺されることもなかった。

外様大名と親族内戚では、手段はことなるが、とにかく二人共、このように明夷の時局を艱難して貞正を守り通したのであって、そういう思いが、艱しんで貞に利ろし、という言葉となったのである。

・・・・・中略・・・・

初九、明夷于飛、垂其翼、君子于行、三日不食、有攸往、主人有言、

初九(しょきゅう)、明夷(めいい)のとき于(ここ)に飛(と)ぶ、其(そ)の翼(つばさ)を垂(た)れん、君子(くんし)于(ここ)に行(ゆ)けども、三日(みっか)まで食(くら)わず、往(す)る攸(ところ)有(あ)れば、主人(しゅじん)言(ものいい)有(あ)らん、

この卦は、離明な者が坤暗な者に傷(やぶ)られ、内卦は外卦のために傷やれ、下の三爻は上の三爻のために傷やれる義とする。
もとより明夷は、破敗(やぶ)れの時であって、卦中の六爻はともにみな傷られる義があるのだが、内卦三爻は、とくにその傷れが痛大な者とする。
そこで、内卦三爻の爻辞には、みな句首に、明夷のとき、とあり、その傷れの甚だしいことを示している。
今、初九の爻は六四に害応されるので、六四のために傷られる者である。
さて、八卦の離は、上下の陽を翼、真中の陰を胴体として、飛鳥という義があるが、内卦はその離である。
初九はその飛鳥の翼に当たる。
また、初九は最下の爻なので、垂れ下るの象とする。
これは、初九が傷れの時に当たって、安居することができないので、飛び去ってその傷害を避けようと欲するが、卦の初なので遠く去ることもできない様子である。
鳥が翼を垂れて、遠くに飛べないに。
だから、明夷のとき于に飛ぶ、其の翼を垂れん、という。
続く君子以下の部分は、この義を直ちに人事について示したものである。
初九は安居することはできないので、行き去って傷害を避けようと欲するが、明夷の初めなのでそれはできないばかりか、却って傷害を増し、悩みを加え、その困窮の甚だしさは何日も食事ができないほどに至る。
だから、君子于に行けども、三日まで食らわず、という。
三は多数の義である。
このようなときに何かを為そうとしても、結局は傷害を受けるだけで、どうにもならない。
だから、往る攸有れば、主人言有らん、という。
主人とは初九を指し、傷れを受ける主であることを示す。
言有らんとは、忠告を受けるということであって、ここでは、傷れが有るという義である。
これは、水天需の九二、天水訟の初六に小有言とあるのと、同様である。
ともあれ初九は、居ることも行くこともできず、ひたすら時が過ぎるのを待つしかないとき、なのである。

・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


>紂王は民衆を酷使し、自らは酒池肉林の乱痴気騒ぎを楽しみ、それを諫める者は片っ端から征伐していたので、誰も咎めることはできなかった。
君子として立派な人間になるよう心がけていた文王としては、こんな世の中は辛い。
しかし、外様だから、紂王を諫めようとすれば、他の人々と同様に、即刻征伐されるのはわかりきっている。
そこで、今は明夷暗主の時と覚悟し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、内には文明貞正の徳を修めていても、敢えてその素振りを外に見せず、君子たる善政は自分の領地内だけにし、紂王に対しては柔順の臣節尽くした。
それでも不審を抱かれ幽閉もされたが、そのときも文句は言わず、ひたすら時運の艱難に安んじていた。
その文王の態度は、次第に民衆を動かしていった。


まさにこの通りである・・・



先日、有名ブロガーのFさんに叱られて凹んでいるが、まさにこの卦の通りなのである。

朝鮮半島への外交をみても、この卦そのもの・・・。


誰が、この地獄の住人・傑紂の天皇真理教徒を、討伐しなければならない・・・。

でも、まだ日本国内では力が無い・・・私も蟷螂の斧以下・・・


少し慎もうと思うが、どの程度の慎めばいいのか、阿呆なのでわからない・・・

ていうことは悪党にいびられ殺される「明」をもった賢者でもないので、今まで通りでもいいかもね・・・。


そういえば、皇帝に諫言して悪徳宦官のための島流しになった王陽明が、その島流しの途上で易を立ててこの地火明夷を得た・・・

それにあやかれれば、幸いだが・・・


そういえば、新井先生が、講演のレジュメ

>一時的な崩壊がないと、救済できない。 世界を舞台に 日本の企業活動。

一時的な崩壊が無いと、日本人を救えない。同感。

天皇制もご臨終にすべき。

だが少し怖いのは・・・・

敗戦時の凄まじいカルトの跋扈と薬物中毒の蔓延を見ると・・・

天皇制は存続し続けているのに、簡単に薬物中毒やカルト信仰になった明治天皇真理帝国の末路・・
それを見ると、もっとモラルが破壊されている状態で、天皇と言うカルトの本尊がなくなると・・・やり方次第ではもっと壊れるだろう・・

でもこれを突破しないと、日本人は生き延びれない・・。

でも、よく考えると、明治維新というカルト国家成立の方が、文化的破壊なり変化が激しかったのに、敗戦後よりも混乱は少なかった。

やっぱ「神仏習合」や「三方得」の思想が生きていた方が、日本人は強く真っ当だったのである。

それの復興ないまま、カルトの本尊の消滅・・・少々怖い気がする・・。







お読みくださりありがとうございます。


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