忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/04     03 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  > 05
Admin | Write | Comment
P R
森へ行こう  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・

「きれい事の社会」(中味を問わない日本人)


昨日、あおさんが

結局子供は安心さえできれば多少間違えてもなんでもいいと思う
間違えてもまた戻ればいいんだ
勉強が大事なんじゃないと思う
勉強も大事なんだと思う
一生懸命になりすぎないのが実は一番しんどかったりするんですよね
こんなんいってたらダメかなぁ…

とコメントを入れて下さいましたが、毎回ブログに書き込んで下さるあおさんの文章を読んでいて感じたのは、「あおさんは子どもの頃からずーっと“いい子”だったのではないか」ということと、そして今、子育てを通して、その「いい子」に疑問を感じ、「いい子」から抜け出そうとしているのではないかということです。

でも、そのような気持ちを自分の中の「いい子」が否定してくる・・・、あおさんの文章からは、そんな葛藤と思春期の少女のような心の揺れを感じます。

あおさんはみんな分かっているのでしょう。でも、その「分かっていること」に疑問を感じている。

だからそれを否定しようとするのだけど、「じゃあどうしたらいいのか」ということも見えず、反発しながらも「正しい」と教え込まれてきたことの正しさも理解出来てしまう。

今、あおさんが向き合っているのは、「我が子」でも「自分の子育て」でもなく、「子育てを受けていた頃の自分」なんだろうと思います。


子ども達がケンカをしていると、お母さんや先生は「どうして仲良く出来ないの、仲良く遊びなさい」と子どもを叱ります。

そのような「みんなと仲良くしよう」という言葉に異論を唱える人は多くないと思います。実際、お母さん達も先生達もみんなこのようなことを言っています。

でも、確かにその言葉自体は間違っていないのかも知れませんが、そういうことを子ども達に押しつけることはおかしいのではないでしょうか。

などというと「じゃ、子ども達が仲良くしなくていいのか」というような反論をしてくる人もいるかも知れませんが、私が言っているのは、その言葉の内容の是非ではなく、どんなに正しいことであろうと、それは子ども達自身が自分の体験と感覚で気付くべき事であって、「仕付け」と称して大人が押しつけることではないのではないかということです。

本当の仕付けとは、「子ども達が自分自身の体験と感覚でそのようなことに気付くように導くこと」であって、「言葉だけで結論を押しつけること」ではないのです。

言葉だけで結論を押しつけるのは非常に簡単です。自分が手本を示す必要もありません。しかも、内容が正しければ誰も反論できません。

多くのお母さん達が「仕付け」と称してやっていることも、学校で「道徳」と称してやっていることも同じです。

でもそこには、「子どもの成長を支える」という発想がありません。ただ、「大人の言うことに素直に従うよい子」を育てようとしているだけです。

よく聞くのは、「イジメは良くない、みんなで仲良くしよう」と指導している教員の世界には、結構イジメがあるという話です。

「仲良くしなさい」と言っているお母さん達は仲良く出来ているのでしょうか。「ケンカしない=仲がいい」とごまかしているのではないでしょうか。

「タバコはからだに良くないからタバコを吸うな」と指導している先生が、職員室でタバコを吸っている所を目撃された、という話も聞いたことがあります。

「なんで約束を守らないの」と叱っているお母さんが平気で子どもとの約束を破っています。

日本人は昔から「見かけだけ整えればOK」「本音と建前を使い分けるのは正しい」という価値観を持っています。

「本音」は見えないけど、「建前」は見えるから、そこだけ整えておけばOKということです。

それは、封建社会の中で、支配され、抑圧されてきた人々が、「本当の自分」を守るための智恵だったのかも知れません。

でも、日本人はその支配者が消えてしまった後でも、「きれい事の社会」を維持しようとしています。

そして、親も先生も中味がなく空疎な「きれい事」ばかりを求めています。その姿は封建時代の支配者のようです。

日本の社会には「きれい事」だけで事を済まそうとする人たちがいっぱいいます。

テストもまた同じだと思います。点数だけ良ければ、学んだことが子どもの成長とつながっていなくても、OKなんです。

勝手に「点数が良い=ちゃんと学んだ」という公式を作って、それで満足しているのです。

「良い子=人間的に素敵な子」というインチキ公式もあります。

日本人には「ラベルや容器が立派なら中味は問わない」とか、「中味について問うのは失礼だ」という無意識の感性と習慣があります。

だから、箱物行政が盛んなんです。

スウェーデンなどに政治家や教育関係者がよく視察に行くそうですが、でも、彼らは資料を読み、箱物を見て回るだけで、実際にそこで働いている人たちの話を聞いたり、その人達と対話することはないそうです。

興味があるのは制度や箱物だけであって、中味には興味がないのです。

このことに対する反省がない限り、日本はどんどん沈没していきます。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

中身が無い人間だから、「中身」を問わない。

アホです。

猿です。

でも日本人は猿ではありません。

絶滅して、ニホンザルに日本を明け渡しましょう。

それが嫌なら、中身を問いましょう。中身を鍛えましょう。

それならニホンザルと共存できます。

再見!
PR
Comment
Name
Title
Mail(非公開)
URL
Color
Emoji Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Comment
Pass   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]