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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
リテラ より

上記文抜粋
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ウーマン村本は“最強反戦芸人”だ! 朝生で安倍批判連発、終戦記念日に「国よりも自分が好きなので戦争は行きません」

 芸能人による政治的発言がタブー化し、「物言えば唇寒し」の空気が蔓延するこの時代に、驚くべき論客が現れた。ウーマンラッシュアワーの村本大輔が8月11日放送の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に初出演し、タブーを破りまくったからだ。
 すでにネットニュースでは、司会の田原総一朗が「国民には国を守る義務があると思う」と発言したことに対し、村本が「絶対に戦争に行くことがない年寄りに言われてもピンともこないわけですよ。絶対行かないじゃないですか」と反論、田原が激昂したことが話題となっているが、じつは、このやりとり以外でも、村本の覚悟と本気が感じられる場面は多々あった。
 たとえば、この日の番組テーマは「安倍政治と日本の平和」で、自民党の山本一太参院議員や小林よしのり、国際政治学者の三浦瑠麗といったおなじみの朝生メンバーと肩を並べてパネリストとして登場した村本だが、初っ端から田原に「安倍晋三という男は好き、嫌い?」と尋ねられた村本は「まあ、会ったことないので好きか嫌いかわかんないですけど」と前置きしつつ、秋葉原での『こんな人たち』発言を例に挙げ、「感情的になってああいうことを言うのは大人じゃないんだなと思った」と述べた上で、こうつづけた。
「安倍さんに対していろんなニュースを見て思うのは、みなさんにぜひお聞きしたいんですけど、やっぱりこう、戦争の臭いがプンプンする人な気がする。戦争臭というか。それがずっと感じるのが怖さみたいなのがあって」
 村本は以前より共謀罪について〈国民から声を奪う法律〉と訴え〈大反対〉の意思をTwitter上でも表明してきたが、この日も安倍政権に対して「内閣改造して、メンバー改造するだけで、支持率がぐっと上がるような人たちの支持率を信じて討論するべきなのか」と疑問視。内閣改造はお為ごかしに過ぎないと喝破したのだ。


三浦瑠麗の“上から目線”発言も一蹴、「国際貢献の言葉がきれいすぎる」


 さらに、駆けつけ警護という新たな任務が加わった南スーダンへのPKO部隊の派遣についても、村本は自身の弟が自衛隊員であると明かし、スタジオの議論で「(PKOで自衛隊員が)命落とす可能性ありますよね?死ぬ可能性ありますよね?と言ったら、結構みんな簡単に『はい』って言った」ことを俎上に載せ、「そのPKOに自衛隊が行かないといけない理由を教えてもらいたいんですけど」とパネリストたちに疑問をぶつけた。
 だが、他のパネリストは、三浦が“憲法の前文に諸国民の平和や自由を尊重すると謳われているから”といつもの上から目線で語ったり、山本も「国際貢献」であることを強調しながら「日本以外はかなり亡くなっている」と述べるなど、村本が提起した「自衛隊員を簡単に死なせていいのか」という問いには答えないまま。そんな状況に、村本は、自衛隊員やその家族は生きるか死ぬかの戦時中のような思いを抱えているなかで「国際貢献という言葉がきれいすぎて」と指摘。“PKOの実態をきちんとメディアが伝え、どういう状況なのかを自衛隊員や家族にまで届くくらい議論するべきでは”と訴えたのだ。
 日本の核保有の是非について議論になれば、「お盆で返ってきている原爆で亡くなった方、人たちはどう思ってるのかな」と是非を語ること自体に抵抗感を示し、「核の抑止力っていうのは本当に意味がない」と意見を口にする。──リアリストを気取るパネリストが高圧的に振る舞うなかで、村本は一貫して、人の命の問題であるという本質を突きつけつづけた。
 しかし、村本の本領が発揮されたのは、北朝鮮問題についてだ。たとえば、「さっきから国防、国防って言いますけど、守るような状況に追い込んでいるのは政治家」と発言し、田原から「追い込んでない!」と怒鳴り散らされても怯むことなく「だから外交っていうのがあるんじゃないですか」と反論。“まずは対話から”という外交努力の必要性を村本は訴えた。その上、田原にこう迫ったのだ。
「誰かが北朝鮮に行って金正恩とちゃんと対話する、喋る。田原さん、ちょっと安倍さんに言ってきてくださいよ」
 先月、田原が官邸で安倍首相と対面し、そこで「政治生命を賭けた冒険をしないか」と提案したと報じられたが、このとき田原は「安倍首相による電撃訪朝、金正恩委員長との首脳会談を提案したんじゃないか」という噂があることを本サイトは指摘したが、村本は直接、田原に対して「電撃訪朝とか安倍さんはできないんですか?」と問いただしたのだ。

北朝鮮非難にも村本は「日本だって北朝鮮を侵略した」と毅然と発言

 このとき、田原は「できないことないでしょ」と答えたが、日頃から対北朝鮮への「防衛戦争」準備の必要性を語っている小林よしのりなどは「対話してもね、嘘しかつかないの」と村本の意見を一蹴。だが、村本はこうした意見に、こう反論した。
「すいません、すごいバカな喩えするんですけど、たとえば日本なんかも昔はヤバイときあったわけですよね。北朝鮮を植民地にしたりとか、っていう歴史があったわけですよ。満州とかあるわけですよ。ドイツなんかもあるわけですよ。どの国にも反抗期があるとしたら、北朝鮮に対して『こいつやべえ奴ら』だと、『話すのやめようぜ』っていう対応していたら、どんどんどんどん悪くなっていくと思う。最終的にはアメリカっていうめちゃめちゃ強いヤンキー連れてきて『殴る』って言ったら殴り返してくると思うんですよ」
 さらに、山本一太議員が、拉致問題を例に「日本人みんな基本的に北朝鮮嫌いですよね?」と言うと、村本はすかさず「ぼく、嫌いじゃないです」と返答。やはり、このように持論を述べたのだ。
「ぼくの友だちが北朝鮮の学生とこのまえ喋ったときに、日本のね、北朝鮮の拉致問題の話をしたときに、だったら日本はそのまえに北朝鮮を植民地にしているじゃないかと。なんで自分たちの都合のいいところだけ切り取るんだということを喋っていたんですよ。それで『嫌い』って、都合いいなって思うんですよね」
 朝鮮半島を植民地にしたという歴史を踏まえないで拉致問題だけを問題にし、憎悪を煽るのは都合が良すぎる──。「どの国にもある反抗期」という表現は問題を矮小化する危険性があるが、それでも日本が北朝鮮と同様に「ヤバイ国」だったこと、そして、そもそも朝鮮半島を侵略した加害国であることを前提にしなければならないと、村本ははっきりと口にしたのだ。
 拉致問題の議論のなかで、日本の加害責任に踏み込んだ発言をテレビでおこなった芸人が、近年いただろうか。過去には爆笑問題の太田光も近いことを述べていたが、いまはテレビでそんな話はしない。「北朝鮮との対話」を求める時点でネトウヨが大騒ぎするのに、さらに加害責任にまで言及するなどということはタブー中のタブーだからだ。
 しかし、村本は毅然と発言した。たしかに、これまでもベッキーをはじめとするタレントの不倫を断罪してバッシング攻撃に晒す道徳ファシズムを批判したり、前述したように共謀罪に反対を表明するなど、批判や炎上に晒されるような問題にもはっきり意見してきた。だが、現在のテレビと芸能界が置かれた状況を肌身で感じているであろう芸人である彼が、評論家でさえ尻込みする問題に突っ込んだのだ。正直、ここまで本気でぶつかる芸能人を見たことはない。

朝生出演の理由を「百田尚樹という人の安っぽさを見て俺でもいける」と

 しかも、村本がすごいのは、発言がネット上で炎上しても、まったくたじろいだりしていないことだ。
 村本の「植民地」発言に対しては、案の定、〈植民地支配じゃなく併合だ〉〈コイツは拉致問題と植民地を同等と考えてる馬鹿、こんなゲスで馬鹿を出すな〉などと攻撃を受けたが、村本は撤回することなく、逆に高校の日本史教科書採択率の高い山川出版社の参考書をひきながら“韓国併合によって日本は完全に朝鮮半島の植民地支配した”との記述をつきつけた。一方、『朝生』への出演についても、こう述べている。
〈百田尚樹という人と杉田水脈と言う人が朝生に対して自分たちの動画で語っていた。そのほとんどが安っぽい想像と自分主観の人格批判。あれを見た時に、あれでもでれるなら、おれもいけるな、と緊張はなくなった。〉
『朝生』に初出演した百田が無知を晒してとんだ赤っ恥をかいたことは既報の通り【http://lite-ra.com/2017/06/post-3215.html】だが、その後、百田がおこなった“負け犬の遠吠え”のレベルの低さによって、村本がのびのびと発言できたのなら、百田の言動にも意味があったというべきかもしれない。無論、村本は放送中の発言が攻撃に遭っても、番組出演や終戦記念日に際した感想を、このように投稿している。
〈年寄りに、若者はいざとなった時に日本を守るために戦争が起きたら戦うべきと言われても、過去にその年寄り達がおかした失敗から学んで同じ間違いを犯さないようにするのが次の世代。年寄りは、愛国心押し付けるより経験から学ばせてくれ。そう思った夜。議論はとても楽しかった。〉
〈軍人さんがいたからいまの平和があるって言うやついる。もしいま戦争が起きたら10代20代の若い子が戦争にいく。これからの若い子が爆弾で体バラバラになってまで得る平和に強い疑問がある。〉
 終戦記念日のきょう、テレビは相変わらず北朝鮮のミサイル攻撃の脅威を煽り、バスに設置された慰安婦像について政府の見解だけを垂れ流している。当然、朝鮮半島に対する加害責任に言及する空気など微塵もない。そんななかで、歴史を修正しようとする偽物を見分け、しっかりと人の命から学ぼうとする村本。彼はきょう、こうツイートした。
〈終戦記念日
僕は国よりも自分のことが好きなので絶対に戦争が起きても行きません
よろしく〉
 どれだけ批判を浴びても胸を張って自分の意見を貫くこの姿勢を、ぜひずっと続けてほしい。



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抜粋終わり


>そんな状況に、村本は、自衛隊員やその家族は生きるか死ぬかの戦時中のような思いを抱えているなかで「国際貢献という言葉がきれいすぎて」と指摘。“PKOの実態をきちんとメディアが伝え、どういう状況なのかを自衛隊員や家族にまで届くくらい議論するべきでは”と訴えたのだ。

見事。

ていうか「きれいごと」で内実を検証しないのが、どこが政治なのか、軍事では全くない。

こりゃ、日本の政治って呪術だったのか!!


>年寄りに、若者はいざとなった時に日本を守るために戦争が起きたら戦うべきと言われても、過去にその年寄り達がおかした失敗から学んで同じ間違いを犯さないようにするのが次の世代。

その通りだ。

それを阻害する天皇崇拝・天皇制を廃してみんな健康になろう。


>「すいません、すごいバカな喩えするんですけど、たとえば日本なんかも昔はヤバイときあったわけですよね。北朝鮮を植民地にしたりとか、っていう歴史があったわけですよ。満州とかあるわけですよ。ドイツなんかもあるわけですよ。

これに関しては、面白い話を

DEEPLY JAPAN のコメント欄 より

上記文抜粋
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戦前も幼稚でした (ブログ主)
2017-08-16 13:38:45
私は黙らない さん、ども。

反論ということじゃないですが、戦後幼稚になったというのは議論のあるところじゃないですかね。私は戦前の方がさらに幼稚だったと考えます。
要するに、国際情勢についてあまりわかってないうちに武器もたされて強くなった錯覚をしたところが躓きの石で、戦後はむしろいろいろと交際範囲が広がって見えるところも増えた。ところが、そうでないドツボにはまったままの一群がいた。いわば熟成した幼児性みたいな集団(笑)。ここに大勢の人がつられた、というのげ現時点ではなかろうか、など思います。

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抜粋終わり


戦前は、幼稚だった。国際政治のおいては。

いや今も十分幼稚だが、日本会議とか右翼とかいう強烈な「大人の幼稚園児」が日本を支配しているのが現実。

さらに


戦闘教師「ケン」 激闘永田町編 より

上記文抜粋
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航空人事から見た日本の戦争運営について


1941年7月に海軍省が「対米開戦を辞せず」を決定した際(そして南部仏印進駐)、航空本部長だった伯父は「こんな航空戦備で対米戦などできるわけがない」「長期戦をどう戦うつもりなんだ」と噛みついたという。
工業力や資源、資金などの対米格差については、いくらでも知る機会があるが、今日は現代ではあまり顧みられない組織人員の面から考えてみたい。

開戦時の日本海軍の常用航空機定数は3019機で、運用に必要な搭乗員は3445名だったが、海軍所属の搭乗員は全3615名に過ぎなかった。このうち勤務2年以上の熟練搭乗者は49.5%だった。だが、42年末までに2300人からの搭乗員が失われ、熟練搭乗員の割合は22%にまで落ち込んだ。開戦時の米海軍が保有していたのは約4千機、同6千人だった。職場で一人でも有休を取ったらもう組織が回らないという日本型組織の体質は昔から同じだったのだ。

42年8月に始まるガダルカナル航空戦を見た場合、日本軍は892機、搭乗員1881名を失ったが、米軍が失ったのは621機、同420人だった。開戦当初の搭乗員数と比較した場合、日本が半分を失ったのに対して、米国は7%に過ぎなかった。
他の海戦も同様で、例えば一般的に「引き分け」と認識されている珊瑚海海戦を見た場合、日本海軍は航空機100機、搭乗員104名を失ったのに対して、米海軍が失ったのは同128機、35名だった。
同じく日本では一般的に「痛み分け」と解釈されている南太平洋海戦(1942年10月26日)を見た場合、確かに物理的には両軍ともに空母1隻撃沈、同1隻中破なのだが、空母搭乗員の損失は日本128名に対して、米39名だった。

日本の航空機は防弾性能や通信装備を犠牲にすることで、攻撃力や運動性能において米軍に対し優位に立ち、超エリート教育で練度においてもアメリカにひけを取らない水準に達したが(全体の練度において日本軍が米軍に優位に立っていたというデータは無い)、これは「一度限りの会戦であれば負けない」という話であって、戦争が長期化すればするほど優位性を失うものだった。事実はより過酷で、日本軍は開戦から一年でアメリカに対する優位を失っていた。

開戦前、日本の搭乗員教育は、教官1人に生徒1人という超エリート教育だったが、アメリカでは教官1人に6~8人は当たり前だった。これには国民教育水準の背景があって、米国では当時すでに若者が普通に自動車運転免許を持っていたが、日本では運転免許など現在の航空機免許レベルの特殊技能だったため、搭乗員候補の基礎があまりにも違った。
これは搭乗員養成にかける予算にも顕著に表れている。日本海軍の航空関係予算に占める搭乗員養成費の割合は、1938年で0.08%、1940年で0.21%、1941年で0.16%と常に超低位で推移していた。ここにも「社員にカネを掛けるなんてタダのバカ」という日本型経営の決定的脆弱性が見られよう。

なお、ソ連では1937年に「全ソグライダー協会」が設立され、コムソモール員を中心に参加が奨励され、同時に「パイロット15万人計画」が策定された。戦時中、中学生のゴルバチョフがトラクターを運転していたことを考えても、兵舎に入るので初めて汽車に乗ったという若者が少なくなかった日本とは、機械文明の裾野が違いすぎたのである。

興味深いのは、アメリカが士官搭乗主義で9割士官、1割下士官だったのに対し、日本は真逆で1割士官、9割下士官だったことで、この辺にも「飛行機を飛ばせれば十分」と考えていた日本人の思考法を見て取れる。
また、元々日本は「総力戦を戦い抜き生き残って大帝国をつくる」ことを目的にファッショ体制(社会統制によるミリタリズムの最適化)を選択したはずだが、現実には中世ばりの「一回戦って負けたら終わり」という軍備しかつくれなかった。この辺は改めて別稿にて検討したいが、果たして伯父上を除く御先祖方が「総力戦とは何か」をきちんと理解していたのか、あの世で問い詰める必要がある。

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抜粋終わり

>興味深いのは、アメリカが士官搭乗主義で9割士官、1割下士官だったのに対し、日本は真逆で1割士官、9割下士官だったことで、この辺にも「飛行機を飛ばせれば十分」と考えていた日本人の思考法を見て取れる。
>また、元々日本は「総力戦を戦い抜き生き残って大帝国をつくる」ことを目的にファッショ体制(社会統制によるミリタリズムの最適化)を選択したはずだが、現実には中世ばりの「一回戦って負けたら終わり」という軍備しかつくれなかった。この辺は改めて別稿にて検討したいが、果たして伯父上を除く御先祖方が「総力戦とは何か」をきちんと理解していたのか、あの世で問い詰める必要がある。


そもそも、「生き延びるを悪とする」ような軍事態勢・思想で、「なまじ知恵を持つと、天皇制を疑う」と国民を馬鹿にしようとしたいた日本帝国。

一億総バカが、明治朝日本帝国の理想で、前の戦争は「みんな阿呆になって心中する」という、耶蘇金・ユダキンからみたらバラの花園のような世界です。


毎度言うが、「天皇制」など幼稚で阿呆でないと到底信じれない制度・思想である。

むろん今上さんが国事行為を通じて国民に貢献しようとされているのは承知だが、「天皇は神聖で、その継続のために国民を犠牲にしても可」などいう天皇制を支持できるはずもない。
皇統ってのが皇族・天皇にあるように、国民にもそれなりの血統ってので現時点まで命を記憶を紡いでいる。
自分たちの命を尊厳を捨ててまで暴君の血統の保持になんで犠牲にならないといけないのであるか。悪政で殺され殺されかけているのに、なぜそれを支持する帝王・王侯を支えねばならないのか。
自分の家族すら守れない情況に追い込んだ当事者に、なんの情けをかける必要があるのだろうか。

「天皇」が消滅したくらいで日本国が無くなるのなら、その程度の国民だったのだ。自分たちから新たな帝王を担ぎ出せない脆弱惰弱で自立できない奴隷であったことの証明である。


脱天皇・入地球。


それがこれからの日本列島の課題。


お読みくださりありがとうございます。
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