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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

「天皇のために」という人は、精神科に要加療入院です。

谷間の百合 より

上記文抜粋
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「天皇の為に」は禁句にすべき.

菅野完さんの著書「日本会議の研究」の中に、「日本青年協議会」の学生組織に身を置く青年が、そこで語られる言葉が情念ばかりで論理性が無いことに嫌気がさし、批判的になっていくエピソードが書かれています。
あるとき京大農学部卒の会員が、あまりにも天皇、天皇とうるさいので「天皇陛下がサリンを撒けっていうたらサリンを撒くのですか」と挑発したところ、日ごろ、天皇陛下のお考えだけを忖度しろと言っていたその会員は
「もう、ホンマに、文字通り頭抱えて悩み出したんですよ。う~とか唸って。2時間くらいず~っと唸りながら考えてるんです。」
という状態になったと。
なぜ、「そのときは身を挺して天皇をお諫めしてお止めする」という簡単な答えが浮かんでこないのかとわたしは恐ろしくなりました。
と同時に、戦前、戦中の軍人にはこういう人間が多かったのではないか、そして、そういう思考停止の組織によって日本は戦争に引きずり込まれ、310万の同胞の犠牲を出したのではないかと思わざるを得ませんでした。
「天皇のため」との一言で、すべてが進み、そして、すべてが片付けられてしまった、、
いま、また同じような人間によって同じようなことが進行しています。
「考える」「論理的かつ柔軟に考える」という知的習慣のない人間がまた「天皇のために」という言葉の上で胡坐をかいて威張るような社会がすぐ眼前に迫っています。


セウォル号では、高校生たちは教師の船室から出ないようにという指示に従ったばっかりに船と運命をともにしてしまいました。
そのことで、曽野綾子さんが自分なら、緊急の場合は先生の命令に従うなと子どもに教えておくと書いていましたが、わたしもそう思います。
先生の命令云々ではなく、いざというときにはとっさの判断が生死を分けた例をわたしたちはたくさん見てきました。
そのとっさの判断が身に付くのは、先人や大人の経験や知恵に依るものであって、そういうもっとも大事な言い伝えが断絶していることがいちばんの問題ではないでしょうか。
東北の沿岸部には「津波てんでん」ということが言い伝えられています。
「いのちてんでん」とも言うそうです。
とても重い言葉です。
そのためには、あの人の考えは絶対だとか、あの人についていけば間違いないというような考えは捨てるべきではないでしょうか。
自分を守るとは、まず、そういう考えを捨てることから始まるように思います。
天皇も人間で、過たれることがあるかもしれません。
そういうときは身を挺してお諫めするのが真の尊皇です。
そんなことも分からない人間の集団、組織が安倍政権の背後で蠢いているのです。



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抜粋終わり

>あるとき京大農学部卒の会員が、あまりにも天皇、天皇とうるさいので「天皇陛下がサリンを撒けっていうたらサリンを撒くのですか」と挑発したところ、日ごろ、天皇陛下のお考えだけを忖度しろと言っていたその会員は
「もう、ホンマに、文字通り頭抱えて悩み出したんですよ。う~とか唸って。2時間くらいず~っと唸りながら考えてるんです。」
という状態になったと。
なぜ、「そのときは身を挺して天皇をお諫めしてお止めする」という簡単な答えが浮かんでこないのかとわたしは恐ろしくなりました。


京大卒って、日本では一応結構の知性・知能があるはずです。

が、これですは。

キチガイです。


論語で
「あいつらは、数合わせ程度ですは。でも君主を殺す・とか、両親を殺せ・とは、絶対に従いませんよ」
と孔子が自分の弟子について話している。


天皇に「サリン撒け」言われたら、それを実行したら、日本国は「オウム真理教」と同程度の「カルトキチガイ集団」になり下がり、天皇は麻原彰晃と同レベルの人間になってしまう。
ので、道義的にも、政治・戦略的にも、諫言し諌止しなければ、ならない。

てそれも理解できない。

となると、知能が破壊していると言い得る。



私は「天皇を崇拝してます」って人は、信じないし、「同じ人間として遇すべきか危うい人」と思うことにする。

その人たちは「同じ人間」という対等さ・命の平等が存在しない「差別主義者」であるのが明白だからである。


参考
光武帝と建武28宿将
http://www.geocities.jp/kaysak864/liuxiu/42.htm

上記文抜粋
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 皇帝となるとたくさんの人材が必要であるから、賢者と聞けば朝廷から使者を送って仕えるように連絡する。
 太原の周党は評判高い賢者であり、劉秀は人を使わして朝廷へと招聘した。ところが周党は朝廷まで来たものの劉秀の面前で自らの志を述べ、仕官を断ったのである。劉秀の面子は丸つぶれであるし、側にいた大臣も不敬であると大いに怒ったが、劉秀は、
「いにしえより聖王には、伯夷、叔斉のような家臣にならない者がいるものだ。太原の周党が私に仕えないのも志というもの。帛四十匹(帛は絹であり当時の現物貨幣)を賜うことにしよう」
 と詔して、周党を郷里へと帰してしまったのである。
 劉秀が万人を平等に対することは大衆にも広く知られていた。
 大原の人、荀恁は、賢者として名声が高く、劉秀が招聘したが断って山野に暮らしていた。周党や荘光と違って、朝廷からの迎えの車を完全無視したのである。
 劉秀の死後、息子の明帝の時代に明帝の弟東平王劉蒼が驃騎将軍となり、荀恁を招聘すると応じて現れた。明帝はこれを不思議に思ってからかった。
「先帝(劉秀)が君を召したときは来なかったのに、驃騎将軍(劉蒼)のときに来たのはどういうことか」
「先帝は徳を持って恵みを下しますので、臣は来ないことが許されました。驃騎将軍は法律で下のものを取り締まりますので、臣は来ないわけにいきません」
 法律で上下を分けて考える劉蒼に対し、劉秀はどんな立場の人間の意志も尊重して平等に接しており、民間人までが劉秀という皇帝に対しては対等に自分の意志を主張してかまわないと認識していたことがわかる。
 荀恁がもしも誰に対しても拒絶していたなら、それは荀恁の剛直な性格を示すに過ぎない。劉蒼と劉秀で態度が違うことで、劉秀が他の貴人とは全く異なる存在と見なされていたことがわかるのだ。誤解のないように言うと、劉蒼は才能豊かで性格も謙遜で評判高く、本来親族を重用することを嫌う明帝が敢えて起用するほどの人物である。劉秀はそうした常識の範囲の人格者とは違う異次元の存在と見なされていたのである。
 賢者は、暗君に会えば山野に隠れ、名君に会えば出て来て君主を補佐するが、劉秀に会えば賢者も一個の自由な人間に立ち戻り、行くも来るも自在となる。聖王の政治は「野に遺賢なし(賢者はすべて君主に仕えるので民間で遊んでいたりしないということ)」とされるのに、劉秀の時代には野にも遺賢があふれていた。それは劉秀が人間の貴賤、年齢、性別などを一切気にしない徹底した平等思想を持っていたからである。長い中国史の中でも、賢者に無視されることで賞賛されるのは劉秀一人であろう。

平等思想の源泉・戦場とユーモア
 こうした劉秀の平等観はどこからきたのか。
 一つは戦場である。戦場では皇帝といえども将軍に従わなければならないとされているのだ。皇帝であるより、将軍として戦場に生きた劉秀は、法律に将軍の姿を見て、そこに万人が従わなければならないと考えたのかもしれない。
 優れた将軍は兵と同じ待遇でなければならないとされる。食事も兵士と同じでなくてはならず、すべての兵士が休むまで休んではならないのだ。そしてその通りに、皇帝でありながら兵士と同じく自ら武器を取って戦ったのが劉秀である。皇帝であるよりもまず将軍として生きた劉秀は、平等であることこそが人の能力を最大に発揮できることを知っていたのである。

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抜粋終り

>平等であることこそが人の能力を最大に発揮できることを知っていたのである。

日本人て、それをなんとなく皮膚感覚では知っている。ように思えるが・・・。

現実は大違いで、

権威権力で他者を踏みつぶすという毒酒のどす黒い快感に酔って、

日本人・日本社会は、死滅へ突き進んでいるように思える。

もう「天皇のため=天皇真理教」は、精神医療の治療対象にすべきで、これこそ「強制入院」の対象であろうね。


お読みくださりありがとうございます。

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