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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
産めよ増やせよ大和撫子 より

上記文抜粋
・・・・・・・・
村上春樹は日本のドテルテかも  

日本民族の独立を願う政治家は片っ端からneokonと、そいつらとつるんだ連中に殺されたか失脚され尽くしたので

もうまともな奴はいません。最後は小沢ー鳩山だったか。それを最後にクズのオンパレード。

最近になって、統一教会が攻撃されている。アメリカの作った騒動屋を潰すことになったようだ

アメリカ自身が、全世界にバレバレが行き渡って、こりゃちとまずいのでないの、と思い始めたわけである。

この捨てられつつあるビジネスモデルにしがみついて、これが最後と金をかき集めた阿呆がヒラリーという大悪人弁護士で

騒動を起こして両者からテラ銭を取るという、最悪商売。弁護士は騒動で儲けるので、まあ当然と思っているのだろう

医者が病気を捏造して患者の体を切りまくったり、薬屋が病気妄想をばらまいて、不要な薬を売りつける。。。。

(ついに福祉なる妄想の財源が尽きて、今度は死ね死ね薬へと開発は向かうかもね。オプジーボの異常価格を見ると今や日本の皆保険は薬屋どもの利権あさりのツールに成ってしまった。)

というのと同じで、それがアメリカの作った、新自由主義なる、世界は俺様のもの思想を科学主義的に変装したものである。

要するにむき出しの利己主義に過ぎず、科学もクソもあるか。

こういう仕組みを白人どもの目の前で堂々と批判している人間が村上春樹です

大愚はひとつも読んだことないですが、受賞時の発言は見事なものです

開始>
村上春樹さんは2009年エルサレム賞を授賞しました。

エルサレム賞はノーベル文学賞の登竜門であるとも言われています。

文学者にとって注目される場で主催側のガザ地区に対する「イスラエルの戦争や暴力行為」を批判しました。

公に反イスラエルの立場をとった村上春樹は決して「ノーベル文学賞」をとれないのではないかともささやかれています。

『 こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。

もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。もちろん、私の本がボイコットされるのは見たくはありません。

しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。

おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。

「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。

おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。

「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。」
終わり>

村上春樹を支えているのは天命の意識のように思います

ええ加減にせえよ偽ユダヤども、自分をしっかり見てみいや!

と受賞の場所で言ったのであります。

この御仁にノーベル文学賞を渡したら、賞を拒否をせずに、白人貴族社会の偽善を暴く受賞演説をするでしょう

それが天命で、その天命のために自分の小説が売れている、と思っておられるようで

政治的言語に読み替えれば、ドテルテやプーチンそっくりです。

ちゃんと時代は次代の指導者を用意しているのです。

多分、トランプもアメリカらしく複雑な人間で中心が見えないが核心はそのようなものでしょう。

2009年だからもう七年前です。

アンデルセン賞でも似たことを言ったようです
開始>

受賞スピーチ全文】村上春樹さん「影と生きる」アンデルセン文学賞

前半省略
アンデルセンが生きた19世紀、そして僕たちの自身の21世紀、必要なときに、僕たちは自身の影と対峙し、対決し、ときには協力すらしなければならない。

それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。もちろん、たやすいことではありません。ときには危険もある。しかし、避けていたのでは、人々は真に成長し、成熟することはできない。最悪の場合、小説「影」の学者のように自身の影に破壊されて終わるでしょう。

自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。

明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。

ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。

影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。

侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。

自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。

そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。

傑出した小説は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超える教訓です。
終わり>


「やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。」

「西欧の作った巨大な影(人種差別と皆殺しの帝国主義)に食い尽くされるぞお前ら」、と西欧の中心で語ったと、読めるのであります



・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終り


>「やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。」

西欧だけでない。日本の「天皇制」もだ。

天皇の名の元、日本列島の若者を喰らい続けた化け物を抹殺しなければならない。

まあ、天皇は、西欧よりも末路はマシだろうが・・・・その取り巻きは、靖国の御霊も許さない。

A級戦犯同様に殺されろ!だろう。



>時代は次代の指導者を用意している


違うだろうが、曹操も、諸葛孔明も、一級の文学者である。


勢いで、今日は書きましたが、これだけ。


お読みくださりありがとうございます。


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