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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

666を再度易的に解釈してみる。

666の数字の解釈。

読めないニックネーム 再開版 666はソロモンのシンボル!666の解釈集。太陽神、イスラムの数秘術、ギリシア式民主主義、新プラトン主義説。悪魔という解釈はデマなので無視。

に触発されて・・。

一度 坤の卦と書いたが、坤為地ではない。


もう一度、易で解釈してみる。

梅花心易的な方法で。


6~乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の見方で、見ると、坎

それが二つ、まず繋がる。

で3つ目の6を変爻で、6つ目と解釈する。

で、

坎為水 の上六

の卦ができるのですな。


参考
http://iching.malo.jp/category/kan-i-sui#.WUTbyOvyi7R

上記文抜粋
・・・・・・・

【キーワード】
・坎為水:水、底知れないもの
・風水渙:分散、散らす

【表面に表れたヒント】
・状況は険しい。
・一難去ってまた一難。しかし、焦ってはならない。
・やり方次第で災いは福となる。

【ヒントを解釈する指針】
・元々道理から外れているので、時を待つほかない。

【背後に隠された微妙な機微】
・何ものにもとらわれない水は妙に律義なところもある。冬には氷結し、春になれば必ず溶ける。
・柔軟性を持つこと。


・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり

参考 2 
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/ekikyou/ekikyou_body.html

上記文抜粋
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習坎、有孚。維心亨。行有尙。
【読み】
習坎[しゅうかん]は、孚有り。維れ心亨る。行けば尙ばるること有り。

初六、習坎、入于坎窞。凶。
九二、坎有險。求小得。
六三、來之坎坎。險且枕。入于坎窞。勿用。
六四、樽酒簋、貳用缶。納約自牖。終无咎。
九五、坎不盈。祇旣平、无咎。
上六、係用徽纆、寘于叢棘。三歳不得。凶。
【読み】
初六は、坎を習[かさ]ねて、坎窞[かんたん]に入る。凶なり。
九二は、坎に險有り。求めば小しく得。
六三は、來るも之くも坎坎たり。險且つ枕。坎窞に入る。用うること勿かれ。
六四は、樽酒簋、貳[くわ]うるに缶[ほとぎ]を用う。約を納るるに牖よりす。終に咎无きなり。
九五は、坎盈たず。旣に平かなるに祇[いた]らば、咎无し。
上六は、係ぐに徽纆[きぼく]を用い、叢棘[そうきょく]に寘[お]く。三歳まで得ず。凶なり。

〔彖傳〕習坎、重險也。水流而不盈、行險而不失其信。維心亨、乃以剛中也。行有尙、往有功也。天險、不可升也。地險、山川丘陵也。王公設險、以守其國。險之時用、大矣哉。
【読み】
〔彖傳〕習坎は、重險なり。水流れて盈たず、險を行きて其の信を失わざるなり。維れ心亨るとは、乃ち剛中なるを以てなり。行けば尙ばるること有りとは、往きて功有るなり。天險は、升る可からざるなり。地險は、山川丘陵なり。王公は險を設けて、以て其の國を守る。險の時用、大いなるかな。

〔象傳〕水洊至、習坎。君子以常德行、習敎事。
【読み】
〔象傳〕水洊[しき]りに至るは、習坎なり。君子以て德行を常にし、敎事を習[かさ]ぬ。

習坎入坎、失道凶也。
求小得、未出中也。
來之坎坎、終无功也。
樽酒簋貳、剛柔際也。
坎不盈、中未大也。
上六失道。凶三歳也。
【読み】
坎を習ねて坎に入るとは、道を失いて凶なるなり。
求めば小しく得とは、未だ中を出でざればなり。
來るも之くも坎坎たりとは、終に功无きなり。
樽酒簋貳とは、剛柔の際[あいだ]なればなり。
坎盈たずとは、中未だ大ならざればなり。
上六は道を失う。凶なること三歳なるなり。

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・・・・・
抜粋終わり



変卦は、風水渙になる。

参考
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-64.html

上記文抜粋
・・・・・・・

八卦のkansui-n.gif坎(かん)の上に、sonfuu-n.gif巽(そん)を重ねた形。

渙は、散らす、渙散、離散、といった意。

この卦は内卦の坎を水とし、外卦の巽を風とすれば、風が水の上を行く様子である。
風が水上を行くときには、必ず水を吹き渙(ちら)すものである。
だから渙と名付けられた。
また、内卦を自分とし坎を険難とし、外卦を相手とし巽を従うとすれば、自分に険難があり、相手がそれに従うことであって、これは相手が自分の悩みを渙す様子である。
これまもた渙と名付けられた所以である。
また、坎を水とし冬とし氷とし、巽を春とし風とすれば、厳寒の凍氷を春の風が渙散させる様子である。
だから渙と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは天地否から来たものとする。
天地否の九四が内卦に来て二爻に居り坎の主爻となり、六二は外卦に往き四爻に居て巽の主爻となったのが、この風水渙である。
九四が来て二爻に居るというのは、天気が下って坎の雨となった様子であって、六二が往きて四爻に居るのは地気が上って巽の風となった様子である。
天地の気が塞がれているときには、風雨を以ってこれを渙散させるのは、雷雨をもって屯欝の気を解くのと同様である。
だから渙と名付けられた。
またこれを人事に譬えて国家政経の道を判断するときには、先ず天地否の卦の形を国家に道無く閉塞壊乱のときとする。
その打開策として、九四は内卦にやって来て二爻の臣位に居り、剛中の才徳を以って、九五の剛中の君を、同徳を以って相応じ助けるのである。
と同時に、六二が外卦に往き、四爻執政大臣の位に居て、柔正の徳を得て、九五の君と陰陽正しく比し親しみ、よく補佐するのであるる。
これは、二と四との二人の臣が共に力を合わせ、国家の否塞を開通させ、混乱を消散させる様子である。
だから渙と名付けられた。

卦辞
渙、亨、王*假有廟、利渉大川、利貞、

渙は、亨(とお)る、王(おう)有廟(ゆうびょう)に*假(いた)る、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

*假は、沢地萃や雷火豊と同様に、通本ではこの假(「仮」の正字)を使っているが、中州はニンベンではなく彳(ギョウニンベン)だとしている。
しかし、その字はJISにもユニコードにもないので、ここでは*假で代用しておく。

およそ天下の事物は、否塞して難渋するときは、必ずこれを渙散させないといけない。
その渙散させるときをもって、否塞していたのが亨通するのである。
要するに、交代生卦法で、天地否から来たとするから、渙は亨る、というのである。

さて、王道の興廃は、まったく人民によるところである。
民衆は国の本である。
民衆の心が集まるときに国は興り、民衆の情が渙散するときに国は廃れる。
民衆を集め、その民衆の心を化服させるには、何を置いてもまず孝である。
その孝の道の高く盛んなものは、祖先に孝なるを以って至極とする。
『論語』にも、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳は厚きに帰す、とある。
終わりを慎むとは、親の葬儀や祖先の祭祀を丁重に行うことである。
祖先の祭祀は至誠至敬を以ってすれば、祖霊が集まり、誠敬がないときには、渙散して祖霊は集まらないものとする。
だから、水火既済の九五の爻辞には、東隣に牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)に実あって其の福を受くるに如かず、とあるのである。
禴祭とは質素な祭りである。
形ばかりの大きな生贄を供える祭りよりも、供えは質素だが誠敬がこもっているほうが、福は受けられるものだ、ということである。
したがって、この風水渙の渙散の気運のときには、王者は渙散しようとしている祖先の霊を祭祀で集め、孝を尽くすのが大事なのである。
祖先に孝を尽くすことにより、風水渙の気運で渙散しようとしていた民衆の心もひとつに集まるのである。
だから、王有廟に*假る、という。
有廟とは、廟を有(たも)つ、といったニュアンスで、廟に集めた祖霊を渙散しないように有つようにとの教戒が込められている。

大川を渉るに利ろし、というのは、海や大きな川を渉るには、船が必要である。
この卦は、坎の水の上に巽の木の船が浮かんでいる様子でもある。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

天下の否塞を渙散させて亨通させるも、大川を渉るも、共に貞正に行われることが大事である。
邪に事が行われるのであれば、災いを起こし、害を生じるものである。
大川という険難を渉るにしても、貞正に流れや風波を読まずに、いい加減な判断で行けば、身命はどうなるかわからないものである。
だから、貞しきに利ろし、という。


・・・・・・中略・・・・・

上九、渙其血、去逖出、无咎、

上九(じょうきゅう)、渙(ちら)さんとして其(そ)れ血(ち)あり、去(さ)りて逖(とお)くに出(い)ず、咎(とが)无(な)し、

血とは傷害の喩えである。
水天需の六四、風天小畜の六四に血とあるのと同義である。
まず、上九は渙の卦の極に居て、険(なや)みを渙らすことの極にいる者とする。
もとより陽剛の才が有るとしても、不中不正なので、坎の険みを渙らすにも、大いに労苦奔走する者である。
なおかつ、天下の険みは、すべてが同じとは言えない。
必ず大小軽重浅深といった違いがある。
したがって、これを渙すにも、また必ず大小軽重浅深の違いがある。
その中の、大いに深く重い険みを渙そうとする者は、その労苦することが最も大にして、その成功を得ることが最も難しいものである。
今、この上九の爻は、渙散の卦の至極に居るので、その渙らすべき険難も、当に至極なのである。
そこで、この上九の爻は、君命を奉じ、遠く外国へ往き、険みを渙らすの義とする。
特にその渙らす険みは、最も重く深く大にして、その渙らす者も渙される者も、共に傷害を蒙り、血を出すがごとくの時であり事である。
だから、渙さんとして其れ血あり、去りて逖くに出ず、という。

さて、己が傷害を被るのであれば、咎有りとするところだが、陽剛の才力を以って、終にはその渙散の成功を得るのである。
成功を得れば、咎はないに至る。
だから、咎无し、という。


・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


参考 2 
http://www.keisho.server-shared.com/64/k59.html

上記文抜粋
・・・・・・・

上爻

爻辞 渙其血。去逖出。无咎。
(そのちをかんす。さりとおくにいづ。とがなし。)

対処法 「流血沙汰から遠ざかり、危険から遠く流れ去る。問題はない」。
面倒なことから速やかに退き、安全を図る時です。「見ざる、聞かざ る、いわざる」に徹すること。

・・・・・・
・・・・・
抜粋終わり


そんなに悪くは無い。


666は悪魔の数字と喧伝するのは、そういう風にしたい連中の策謀・妄想で、


・状況は険しい。
・一難去ってまた一難。しかし、焦ってはならない。
・やり方次第で災いは福となる。

とできるのだ。


一面的な見方は騙される元・・・


お読みくださりありがとうございます。

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