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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
みずがめ座時代 より

上記文抜粋
・・・・・・・・
個と場


私たちを取り囲む場所と、個人の意思や個人の思いとでは、基本的にどちらが強く影響されるかと考えた時、答えは場にあると思います。

仲間と楽しく語らう、平安で豊かな場に、一人でも批判的でおっかない感じの人が来たら、それまでの楽しい豊かな雰囲気はなくなります。個々の中にある思いはやさしさや思いやりにたとえ満ちていたとしても、その場では場の雰囲気が優先されてしまうわけです。

豊かでやさしく思いやりに満ちたものは、繊細で押しつけがありません。反対に批判的で暴力的なものは、一方的で他のものを押しやってしまいます。

戦争が近づけば、軍歌が町に流れ、平和の思いを圧倒するような雰囲気になっていくことは、日本でもドイツでも戦前に体験した通りです。今の日本も何となくそんな雰囲気に近づいている気もしますが、昔と今とでは個々の思いが違い過ぎるので、戦争など起こせませんし、万が一起こしたとしても、一体、誰が戦うのか、好戦派としても非常に心もとない状況でしょう。

ともあれ、その場に占める力は、豊かさや平安よりも、強圧的なものが強いことは事実です。

家庭内で父母が強圧的であれば、その家庭は強圧的な場を作りますので、そこに居る人は誰一人、平安でも豊かでもなく、基本的に怯えています。

子が成長する家庭という場で、怯えながら育った人と、平安で豊かで、やさしさの中で育った人とでは、天地の差があって当然なのです。

このように場は個よりも優先する性格があります。なので、良い場で育ったり、良い場の中に居られることは、本当の意味での幸福とつながりやすくなります。

なので、私たちの生きる本当の目的は、端的に言えば、良い場をつくることにほかなりません。

それぞれがそれぞれの場でどのように振る舞い、その振る舞いからもたらされるものは、平安なのかそれとも暴力なのか、、、それに尽きるわけです。

何も理想論で言っているわけではありません。また、幸福に至る色々な要素の中で、たったひとつだけ場の重要性を取り上げることに違和感を覚える人もいることでしょう。

行動で平和運動をしている人もいますし、戦争の悲惨さを訴えかける運動をしている人もいます。それは大変意味ある行動であることは事実です。私が言いたいのは、そういうことではなく、あくまで場の重要性であり、こうした平和思想も反対運動も、それを受け入れる場がない限り実現しないという点です。

まず場なのです。実はフリーエネルギーの法則がそれです。場の重要性なくしてフリーエネルギーは訪れません。スタップ細胞の実験でも成功する場合と失敗する場合があるのは、行っている内容やプロセスにその原因があるのではなく、作られる場に違いがあるからなのです。

場。その場を作る人に原因があるのです。荒れた意識の人には好い場は作れないのです。

荒れた意識、良くない思い、暴力的な発想などは、すべて個の悲観的な一方性から来るもので、全体と切り離されたところにあります。暴力的な発想には、お互いという概念がないのです。全体と切り離された個を押し出すだけ。

周辺の場を支配することで勝ったと思うのは、孤独ということです。

話しが再び精神論に流れていくので戻しますが、場とエネルギーの関係なくしてフリーエネルギーは語れません。

それを一言で言うと、重力につかまっているか、重力から自由になっているかで決まります。

重力の影響が少なくなるほど、フリーエネルギー現象は訪れるのです。場をいかに軽くするか、いかに無に近づけるか、、、、

私は子供のころから、女性の自然な集まりの中にいることに、独特の快適さを感じていました。一人はさやえんどうの皮をむき、一人は裁縫をしており、一人は隅で本を読んでいる、、、真中には果物やお芋などが置いてあり、時折お茶を飲みながら、それぞれがそれぞれの作業をしている、、、、お芋を取って宿題をしている子にあげている母や叔母、、、

何が話しの主題かもわからない会話の中には、ただただ自然さがあふれている、、、

私の子供時代にはそんな記憶がいっぱいありましたが、それこそがフリーエネルギーの原点である場であったのです。

強圧的なものが支配する場は、周辺場をつくるには強烈ですが、本当の力はありません。

なので、軍事による一方的な方向性は絶対ではなく、絶対でないどころかエネルギー本質から決定的にずれますので、実際には誰一人幸福にしません。

それで儲ける武器産業に携わる人ですら、結果的に不幸に落とし込むでしょう。誰一人幸福にしないのです。眼の前しかわからないからそんなことを平気でしてしまうのです。

フリーエネルギーは反重力に近い、重力から自由になれた時に訪れるものであり、場を強圧的に収めているところでは、あるものだけの限定的な世界であり、それ自体の持つエネルギーを亡くした時点で終わってしまいます。

空気で膨らんだ風船の口を開けるようなもので、すぐにエネルギーは枯渇してしまいます。

皆さんは私の考えを甘いと取られるかもしれませんが、事実だから仕方ありません。

皆さんが元気で生きていられるのは、強圧的な場の中で安泰を得ているからではなく、皆さんは忘れているかもしれない、皆さんはどこかで体験した安らかな場の思いによって、実は生かされているのです。

命を生かし、はぐくむものは、場にあります。場がなければ、エネルギーは訪れません。

そして、場を作る責任はすべての個にゆだねられているのです。そこをエネルギー空間にするのも、苦しい放出空間にするのも、あなた次第という選択の自由の中で私たちは生きているのです。

今の悲しい場の時代に、ある讃美歌を思い出しましたので、その歌詞を下記します。うろ覚えなので、もしかしたら間違っているかもしれませんが、おおまか、内容はあっていると思います。(讃美歌228番)

ガリラヤの風 かおるあたり あまつ御国は近づけりと  のたまいてより いく千歳ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を

戦いの日に いこいの夜に 御国をしたう熱き祈り 捧げられしはいく千度(ちたび)ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を

憎み争い 後を絶ちて 愛と平和は四方にあふれ みむねのなるは いづれの日ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を



・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


話はかわるが、なぜ若者にまだそこそこ安倍政権の支持があるのか?

それは、まさに学校の教室を安倍政権が再現しているから・・・

このような劣悪な環境に今の学校はなっていて、そこで育った・・・


小泉郵政選挙の結果は、まさに受験戦争を生き延びた若者たちの価値観の表れだった。
で、簡単にだまされたけど・・・。

まさにすでに30年前のいじめ自殺から、今の日本がこうなる可能性は示唆されていた。


てのが私の仮説。



お読みくださりありがとうございます。
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無題
  • from 笑む :
  • 2017/11/17 (17:04) :
  • Edit :
  • Res
いつもとても参考になる記事とご意見をありがとうございます。

こちらの記事を拝見して、新muさんの「パラダイス文書」ついにアップルに迫る!のコメント覧だと思うのですが、「黒曜石は夢見ている」さんの[2014/02/18]アトラスのりんご をどなたか書き込まれて・・(今はもう確認できません、コメントを受付ておられません。)

何となく気になっておりました。気になる箇所は、

・・・結界が崩れて 塞がれていた自然の気が 
再び吹き出して 地上に流入してくると
自然の気に耐えられない者たちが
消えて行くというのは
上へと伸びる 自然の気の緩衝によって

地球の重力が軽くなれば
私たちは重力の重さに苦しめられることもなく
もともと 屈強なアトラスに戻るから
彼らが私たちを支配することが
難しくなるということ
人が罠にはめられるときは いつも
りんごが登場する
・・・・・
(ロックフェラーセンター前にアトラス像が・・・彼らの支配の原型なの・・)

・・・・・
(・・アトラスの人柱のことなんだよ・・)
八百万の柱とは それだけで多くの人々が犠牲になっているということ
神様と崇めつつ柱にして 結界を支えさせている
アトランティスからの伝承

それから
記事中に重力についてのコメントが紹介されています。(東京湾 2014/02/09 の記事のコメント覧)

愛さんのおっしゃる
「良い場を」と「重力から自由に」と、とても関連がある「黒曜石は夢見ている」さんの記事だと思います。
いかがでしょうか?

それから「馬・場・葉」の解釈がわからないのですが・・・。

(わたくし事ですが『渡良瀬橋』が、特別な唄らしいです。後日書き込みのタイミングがあるようでしたら...。)

カオスの次の未来を目指したいですが...
突破口が見つかるとよいです。



Re:無題
2017/11/18 18:16
>それから「馬・場・葉」の解釈がわからないのですが・・・。


これは駄洒落です。

それもありますが、あまりに日本人が「場の空気」っていうのに支配され過ぎることへの皮肉です。

その時次第に変わるうつろなモノにしがみ付くな!!ていう皮肉です。

日本人は、ただ、あまりに場の空気を読みすぎます。空気の奴隷です。

また空気に従うのは、考えずに済みますし、責任も回避しやすい。

下衆いですは・・・で、延々と奴隷で居続ける。まあ空気だけ読んで論理も文脈も探ろうとしないと、放射能に殺されます・・・。

それの愚行に裁きの時が来ているのでしょう。



あと、人を犠牲にするシステムは必ず崩壊する・・・て私の仮説です。少なくとも当初はその犠牲者に敬意を持っていたでしょうが、日常化すると、侮蔑して、やがて排斥する。
結局は人食いシステムなのですよね・・


結局は愛なり慈悲なりが足りないと、日本製品でもダメになるように・・・


書き込みありがとうございます。
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