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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
徽宗皇帝のブログ より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
止まることも下がることも進むこと同様に意義がある

どうも人間というのは「進む」ことに過度にプラスイメージを持ち、止まることや後退することに過度にマイナスイメージを持ちすぎる気がする。「進化論」が世界的に大うけし、「社会進化論」にまで広げられたのもそのためだろう。会議などでも、威勢のいい「前進主義」の意見が慎重論を圧倒し、会社や組織を破滅させたりする。慎重論は「勇気が無い」と簡単に片づけられ、ゴミ箱行きになるのである。先の戦争での軍部の行動は、まさにそうして日本を地獄に引きずりこんだわけだ。
自然界では、進化に目的など無い。と言うより、たまたま環境の変化にうまく適合した変異個体が新環境で優性な種になっただけのことで、生物が意図的に進化したわけでも何でもないのは当然の話だが、進化(というより変化でしかないのだが)と進歩を混同するのが「進歩主義者」の常なのだろう。実際の人生では、立ち止まらないと周りの風景さえロクに目に入らないのだが。


(以下引用)



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・・・・・・・・
抜粋終わり


進化ってある意味で意味ない・・・

たまたま生き残っただけなのだから・・・・運が良かったってことだ。


酔生夢人のブログ より

上記文抜粋
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都市と田舎の和解


ナドレック氏の「映画ブログ」から一部転載。
「若おかみは小学生」というアニメ映画の感想記事の一部である。

(以下引用)


■「理想の共同体」のあり方

 実のところ、「子供も働く里」というモチーフこそ、宮崎駿監督、高畑勲監督と仕事をしてきた高坂監督が、両監督から受け継いだ重要な特色であろうと思う。

 花の湯温泉で働く子供はおっこだけではない。温泉街で一番大きな旅館の跡取り娘で、おっこのライバルともいえる秋野真月(あきの まつき)も旅館のために働いてるし、菓子屋の娘・池月よりこも店の手伝いに忙しい。
 しかもこの温泉街に、高坂監督は裏設定を仕込んでいた。温泉街を走るタクシーやリムジンはEV車(電気自動車)ばかりで、エンジン音もなければ排気ガスも出さないのだ(外からやってきたグローリー水領のクルマは除く)。その上、地熱発電があり、山の上の高原では野菜を作り、牧畜もしているという。観光資源として温泉もあることで、花の湯温泉はある程度自給自足できる一つのクニ(別世界)になっているのだ。
 現実と非現実のバランスを少し変えて創造した、子供も労働に従事できる独立国。それが花の湯温泉だ。

 これはまさに、高坂監督がアニメの世界に入るきっかけとして挙げる『未来少年コナン』(1978年)――宮崎駿監督のあの傑作テレビアニメで描かれた理想郷、ハイハーバーを思わせる世界観だ。ハイハーバーも農業や漁業を営みながら、大人も子供も皆で働く村だった。『風の谷のナウシカ』の風の谷を挙げてもいい。宮崎駿監督最大のヒット作(であり高坂希太郎氏が作画監督を務めた)『千と千尋の神隠し』も、異世界の湯屋で小学生が働く話だった。
 やはり高坂監督がその名を挙げる『アルプスの少女ハイジ』――高畑勲監督の名作のアルプスの村も、ヤギ飼いのペーターに代表される、子供が元気に働く世界だった。高畑勲氏が監督し、宮崎駿氏が場面設計・美術設計を担当した『太陽の王子 ホルスの大冒険』の東の村も同様だ。

 一方で、『未来少年コナン』にはハイハーバーとは対照的な工業都市インダストリアがあり、『風の谷のナウシカ』には風の谷とは対照的なトルメキアがあった。『アルプスの少女ハイジ』にはアルプスの村とは対照的な大都会フランクフルトがあった。
 宮崎駿、高畑勲両氏が繰り返し描いたのは、「都会」と「反都会的な理想の共同体」の対比であった。

 だが、『平成狸合戦ぽんぽこ』が理想郷を存続させる運動の敗北を描き、『かぐや姫の物語』が「理想の共同体」の消滅に直面して茫然とする主人公を描いたように、「都会」と「反都会的な共同体」の対立関係は永続的なものではなかった。
 たとえ環境に優しいEV車でも、それを作るには工業社会の工場が必要だし、それを動かすには電気エネルギーをもたらす巨大な機械設備が必要だ。一定以上の人口に衛生的な住環境や医薬品を与えるには工業の力が必要で、それを提供するために人が集まった場所が「都会」なのだ。「反都会的な理想の共同体」といえども、「都会」の支えがなければ存続できない。一方を支持するのは両方を支持することであり、一方を否定するのは両方を否定することだ。なのに両者を対立関係で捉えていては、永続的な社会は構築できない。

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抜粋終わり

>たとえ環境に優しいEV車でも、それを作るには工業社会の工場が必要だし、それを動かすには電気エネルギーをもたらす巨大な機械設備が必要だ。一定以上の人口に衛生的な住環境や医薬品を与えるには工業の力が必要で、それを提供するために人が集まった場所が「都会」なのだ。「反都会的な理想の共同体」といえども、「都会」の支えがなければ存続できない。


逆の言い方をしよう。

そもそも空気や水は、都市ではできない。田舎・自然があってこそ存在しえる。

都会の喧騒で安心して暮らせないし、画一化した都会では、教育には不都合も多い。

都会の汚い空気や水では人間は健全に成長しえないし健康を維持できない。


で田舎は田舎で、上記のような都会のサポートが無ければ運営していけない。


となると、相互補完関係になる。


でも私はどちからというと田舎・地方に少し重点を置く。

そもそも「国破れて山河あり」というか、その山河と人が生きていたら、天皇など無くても国家や社会は再生できる。

でも人や、山河がなくなると、いくら天皇がいようが都会の施設があろうが、他国の領土になるしかない。

命に近い方を尊ぶ・自然に近い方がより人間・国家の根源があるので、重視する。

所詮、都会・国家・文明など、人が作ったモノ・・・人がいて、そのノウハウと志と素材があれば、いくらでも作り直せる。
復元力・回復力が強い方が、より有利だし、根源的なのである。

その根っこが無くなると、すべてを失うのだから。



お読みくださりありがとうございます。
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農村で都市を包囲する。
  • from ローレライ :
  • 2018/11/28 (18:01) :
  • Edit :
  • Res
農村で都市を包囲する、と毛沢東の語った戦略の上に世界の工場中国やシルクロード経済がある。昔は誰も想像付かなかった。
Re:農村で都市を包囲する。
2018/11/29 16:55
>農村で都市を包囲する、と毛沢東の語った戦略の上に世界の工場中国やシルクロード経済がある。昔は誰も想像付かなかった。


なるほど。

目から鱗とれたような。

書き込みありがとうございます。
本当の21世紀?
  • from ナオト :
  • 2018/11/28 (19:18) :
  • Edit :
  • Res
「私たちが暮らす21世紀は、当初予定されていた未来から「Bルート」に逸れた偽の21世紀だ――。米国の未来学者が9月に発売した著作「FAKE FUTURE(偽の未来)」が話題を集めている。

 未来学の重鎮として知られる米国人ハーマン・トースター氏(83)の著作。発売後1カ月で80万部を突破した。トースター氏は同書の中で「この世界は、本来たどるはずだった本当の21世紀=Aルートから外れ、偽の21世紀=Bルートに迷い込んだ」と主張する。

 「FAKE FUTURE」によると、本当の21世紀「Aルート」では、透明なチューブ状の道路が流線型を基調とした超高層ビルに絡まるように伸び、空飛ぶ自動車が行き交っているという。また、世界政府による理性的な統治によって、戦争やテロは過去のものになっており、体に張り付くようにフィットした服を着た市民によって平和な都市生活が営まれている。

 このような未来像は、古くから未来予想図として世界中で描かれてきた。しかし、トースター氏はテレビや航空機など予想が実現していることを根拠に「途中までは予想図通りの『Aルート』を進んでいたはずだ」と主張。さらに「どこかの分岐点で『Bルート』を選択して偽りの未来に舵を切ったことが、技術の停滞や民主主義の劣化など現在抱える諸問題の根源になっている」と分析する。

 また将来の展望について、トースター氏は「今やAルートに引き返す方法はなく、この現実を享受するしかない。世界中を見渡しても誰一人として『バラ色の22世紀』を提示していないことからも、Bルートの結末は明らかだ」と悲観的見解を示している。

 分岐点でBルートに迷い込んだとするトースター氏の主張は、現在米国でネット上を中心に論争を巻き起こしている。「著者の妄想」「三文SF」という批判がある一方、「今の国際情勢を見ればBルートを選んでしまったのは明らか」「Aルートから来ました。まだ自動車が地上を走っていて驚きです」など共感する声も多く、現在その評価は真っ二つと言ったところだ。

 主張を疑問視する意見について、トースター氏は書評誌のインタビューで「たかが雨傘ひとつすら進歩しない今の社会を見渡せば『子供の頃に夢見た未来と違う』と違和感を覚える人は多いだろう。その直感的な違和感こそ、ここではない別の場所に『本当の21世紀』が存在する何よりの証拠だ」と反論している。」
http://kyoko-np.net/2018102601.html
から引用

「本当は新たな帝国   アトランティス帝国が生まれる準備が


そのタイミングで   数千年前   数万年前から


用意されていたのかもしれないのに


どこかで歯車が狂い始めて


もう二度と戻れない   狂った歯車のまま


走り出している





なんてね




そんな妄想が   とめどもなく   流れてくる






うろ覚えなんだけど   この世界に生まれてきたことに   違和感を感じる


そう想っている子供や   そう想いながら成長した大人がいる


そんな話を聞いたことがある



魂はこの時代   この場所を選んで   生まれてきたのに


生まれてきたら   なにかが違う   ここは違う


そう感じている子供が   少なからずいるとか





見えない世界の設計図と   現実が大幅にずれていて


生まれ落ちてみたら   大きく違っていた


戸惑いを隠せない魂が   たくさんいるような気がする





クリスタルチルドレンとか   レインボーチルドレンとか


発達障害とか


この世にやって来てみたら   驚くほどこの世界に


アトランティスのような   霊的な広がりがないことを知って


波長がまったく合わなくて   チャンネルを合わせられない


困惑している子供たちが   たくさんいて


そのまま大きくなって   ずっと混乱したままでいる


そんな大人たちが   たくさんいるのかもしれない」

「311の前   ううん


911の前までかな?


高層ビルに囲まれて   自由移動する未来都市


そんなきらびやかで   息がつまりそうな


ハイテク都市のイメージ


少年少女が心を躍らせるような   ドラえもんの未来の世界


そんなイメージが   姿を消した


パニック映画が増えて


なぜかテラフォーミングとか   火星移住とか


地球脱出へ


未来のイメージが移っている




人々が気づいてしまったの


手塚治虫が描いたような   SF作家が示したような


未来都市に   希望はないって




遅すぎたの



70年前なら   まだ間に合ったかもしれないのに」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?m&no=873
から引用

 本当の21世紀とはドラえもんの未来の世界のような世界に繋がる世界かもしれない。

 なお、その世界にはもう行けないようです。
Re:本当の21世紀?
2018/11/29 16:59
> 本当の21世紀とはドラえもんの未来の世界のような世界に繋がる世界かもしれない。
>
> なお、その世界にはもう行けないようです。

私の考えるAルートは、せいぜい今の日本に福一事故がなかったら・て程度です。

90年代なり80年代後半には、今のようになりそうな予兆は見えてました。

そもそもあの時代はアジアや南米・アフリカの貧困の解消など、口先だけ・・

90年代の半ばに東欧では「民族浄化を防ぐ」とか言いながら能無しでミサイルの雨降らしていた欧米。

こいつらの根性の悪さと、それに追随しても「やり過ぎ」とも言わない根性なしで下衆の日本天皇カルト。

こんなになって当然ってこと。


書き込み有難うございます。
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