故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
櫻井ジャーナル より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
日本の情況は絶望的かもしれないが、絶望への安住は服従へつながる
絶望は抵抗する気力を失わせ、従属につながる。つまり支配者は被支配者を絶望させようとする。「どうせ無駄だよ」と思わせられれば、支配システムは安泰だ。
そうした意味で、2009年8月の総選挙は大きな節目だった。選挙で世の中を変えられるという希望を持っていた国民は小沢一郎の率いる民主党に投票、獲得した議席は総議席の3分の2に迫ったのである。ウォール街やシティの支配者に従い、その手先として日本支配に協力してきた日本人たちは動揺しただろう。
アメリカにはCIA、イギリスにはMI6という情報機関が存在する。CIAはウォール街、MI6はシティが作った組織だ。こうした情報機関は米英の巨大資本のカネ儲けシステムを築き、障害を排除する仕事をしてきた。当然、日本にもそのネットワークは張り巡らされている。アメリカが各国で行う情報活動の拠点は大使館だということも有名。日本とアメリカとの関係を考える際、在日アメリカ大使館を見ることも重要だ。
自衛隊、警察、検察、裁判所だけでなく、霞ヶ関の官僚機構は、おそらく、がんじがらめである。本ブログでは繰り返し書いてきたが、CIAはメディア支配にも力を入れてきた。ここ20年ほどは広告会社の存在感が強まっている。
それだけでなく、犯罪組織やテロ組織との親和性も強い。アメリカではユダヤ系やイタリア系のギャングと手を組み、中東ではサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を使い、ヨーロッパではネオ・ナチだ。
ムスリム同胞団はハッサン・アル・バンナによって1928年に創設された組織だとされているが、19世紀にイギリスの情報機関がその基礎は作ったと言われている。社会奉仕団体的なイメージを持つ人も少なくないが、その内部には暴力的な集団が存在、第2次世界大戦当時から暗殺を繰り返してきた。
1948年12月にもムスリム同胞団はエジプト首相を暗殺するが、その報復で49年2月にバンナが殺され、組織は解体。現在のムスリム同胞団は1950年代に入ってからCIAとMI6が復活させたもの。その指導者になったサイード・クトブはフリーメーソンのメンバーで、ジハードの生みの親と言われている。こうした歴史を考えると、CIAが日本で犯罪組織やカルト団体と手を組んでいても不思議ではない。
ところで、週刊現代の2006年6月3日号に「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事が掲載されている。この段階で小沢と鳩山を軸にした民主党が警戒されている。
そして総選挙の3カ月後には「市民団体」が小沢の政治資金管理団体である「陸山会」の2004年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発する。それを受け、翌年の1月に秘書は逮捕された。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴される。
これは事実上、冤罪だったのだが、この起訴で小沢の影響力は大幅に弱まった。それだけでなく、小沢と組んでいた鳩山由紀夫は2010年6月に総理大事の座から降りざるをえなくなる。一種のクーデターだ。
鳩山を引き継いだ菅直人や野田佳彦は民主党に投票した人びとの期待に反する政策を打ち出す。ギリシャの首相になったアレクシス・チプラスと似ている。
菅直人政権時代の2010年9月、海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を日中漁業協定無視で取り締まる。当然、中国との関係は悪化した。その時、海上保安庁を指揮する立場にあった国土交通大臣は前原誠司だ。菅と前原は領土問題の棚上げ合意を壊し、日本と中国との関係悪化を図ったのである。前原はその翌月、衆議院安全保障委員会で「棚上げ論について中国と合意したという事実はございません」と発言しているが、関係者の証言を聞いても、そういう事実はある。
菅直人は首相に就任した直後、消費税率の引き上げと法人税の軽減を打ち出すなど内政面でも有権者の希望を打ち砕いた。当然のことながら民主党の支持率が急落、そこで衆議院を解散して党は惨敗し、そこから安倍晋三政権が始まる。
安倍政権は日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込む政策を続けるだけでなく、国を破壊している。中曽根康弘、小泉純一郎の系譜だ。日本を食い物にしていると言われても仕方がないだろう。1990年代のロシアでボリス・エリツィンが果たした役割に近いことを行っている。
その状態をマスコミは伝えない。「毒饅頭の食べ過ぎ」で毒が全身に回っているという人もいる。絶望的な状態だ。
しかし、マスコミが急速に腐敗し始めたのは1980年代。同じ時期に官僚の腐敗も進んでいた。当時、東大法学部で警察官僚が一番人気だという話を聞いたこともある。
ジャーナリストの、むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったように、その時点で「ジャーナリズムはとうにくたばった」(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)情況だったのである。そうした情況を換えられず、30年近くになるわけだ。今さらの「絶望」ではない。その中から希望を見いだすしかないのだ。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
異端者の交差路 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
同調圧力やマウンティングへの対応と捉え方について
付和雷同の方が多い世の中だから。
自分なりに筋を通してブレない意見を言い続ける事が変な奴扱いになる、ってのも多いね。
みんな、それが怖くて、段々自分で考えて意見を言わなくなる。周囲の顔色を窺ってからウケそうな意見だけ波に乗って強気で叫ぶ。
そういうのも「普通」という幻想の影に隠れた複雑骨折だと思う。
だから、ザコとDQNは相手にしない。
ザコとDQNでもない普通っぽい奴にも邪険にされるとキツいけど、そういうのは、やっぱり精神衛生上、自分自身の仲間が必要だね。
ザコとDQNに囲まれた場所で、長く奮闘し過ぎないのも大切だと思う。
結局は人間て、自分の理解者や協力者が現れた時に道が拓けるんだよ。
でも、それを欲するあまり付和雷同してしまうと、どんどん自分てものがなくなって、刹那的な流れになって行くから、その絶え間ないバランスなんだよな。
マウンティングする奴は、自分がマウンティングするから嫌われる、とよく分かっていない。
無抵抗な相手、優しい相手を与しやすい存在と見なして片っ端からマウンティングしようとするから、好意的に接してくれる対象を自ら潰している事になり、当人も慢性的に孤独に苛まれる。
有害な存在だから嫌われるのだが、どうも悪循環があるらしく、嫌われ者だから、マウンティングして、ある種の優劣関係で上位に立つ事でその欠乏感を補おうとしているようだ。
でも、自身も不幸になるのに、なんでそんな奴が増えるか、と冷静に考えると、やはり「社会全体が経済競争を中心とした競争社会で、そういう文化だから」というところなんだろう。
ザコとDQNは相手にしない。
この視点が大切。
DQNって、軽率だったり粗暴だったりする奴を指すネットスラングだから、古い日本語の言い回しでは「粗忽者」くらいなのかも知れない。ただ、性質として元来そそっかしい人もいるものだから、人間的な品行として愚かだ、と感じる相手、という意味合いを含めようとするとやや微妙な気もする。
心の真っ直ぐな無学の者はザコではない。彼らの言葉は彼らなりの見えている現実が率直に語られているので耳傾けるべきだ。
ファッショナブルに自己表出してパレードをするレインボープライドはDQNではない。それはたとえ自分とは違う性質の者でも、この世界をより豊かにしてくれる。
心根の歪んだ邪まな者がザコだ。彼らがどんなに情報通で言葉巧みであっても、ザコはザコとして感覚で分かる。
独りよがりで他人が迷惑する事を押し付けがましくする連中がDQNだ。関わるだけ損だ。
無名であろうが、無学であろうが、心真っ直ぐな者はザコではない。誰かを追い落とす事で自分の地位を獲得しようとするのでなく、自分自身の命が輝くために自己実現しようとする者は愚者でも粗忽でもない。
ザコとDQNの状態にある人物を相手にしていてはキリがないが、誰しも本来ザコでもDQNでもない存在になれる。そういう事だと思うね。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
天皇制は、DQNとザコをこよなく愛する。
彼らが、天皇家の手足になって、人間を攻撃するからだ。
人間と天皇制の共存は不可能である。
モラルの破壊は、すさまじい。
さらに、それに多くの日本人が馴らされてしまった。
天皇制が、その是正を阻む。
易姓革命・市民革命しか、モラルの回復ができないところに来つつあるが、天皇制はそれを断固拒むだろう。
天皇制とともに日本人は死に絶える。
それが可能性が高い一番の絵だ。
昏君・暴君・暗君がでてモラルを壊すと、革命で、それを是正して社会が存続できた。
でも日本では神の子天皇を廃する論理は、日本の中ではない。
そもそも天皇は民の生活の一切の責任を負わんので、なんのペナルティーを与えられない。
そのミニチュアが、責任を取らない多くのトップなのである。
こんな狂った社会が、少なくとも150年続いてきた。
倫理も論理も、弊履の如く捨て去られた。
今の日本は、ゾンビ列島に過ぎない。
そう、自然現象か外国の解放軍によって滅びる時に、天皇家と日本帝国を絶滅させるための手助けをするしか、下手したら、日本人には出来ることは無いのかもしれない。
それがモラル・倫理破壊の恐ろしさであり、天皇制廃絶をいわないといけない理由でもある。
追記
で、維新かよ・・・だが、与党離れは確実。
政治的にアホだが、ようやく気づきだしたか・・
諦めても良いけど、どうかわるか、見ものでもある。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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日本の情況は絶望的かもしれないが、絶望への安住は服従へつながる
絶望は抵抗する気力を失わせ、従属につながる。つまり支配者は被支配者を絶望させようとする。「どうせ無駄だよ」と思わせられれば、支配システムは安泰だ。
そうした意味で、2009年8月の総選挙は大きな節目だった。選挙で世の中を変えられるという希望を持っていた国民は小沢一郎の率いる民主党に投票、獲得した議席は総議席の3分の2に迫ったのである。ウォール街やシティの支配者に従い、その手先として日本支配に協力してきた日本人たちは動揺しただろう。
アメリカにはCIA、イギリスにはMI6という情報機関が存在する。CIAはウォール街、MI6はシティが作った組織だ。こうした情報機関は米英の巨大資本のカネ儲けシステムを築き、障害を排除する仕事をしてきた。当然、日本にもそのネットワークは張り巡らされている。アメリカが各国で行う情報活動の拠点は大使館だということも有名。日本とアメリカとの関係を考える際、在日アメリカ大使館を見ることも重要だ。
自衛隊、警察、検察、裁判所だけでなく、霞ヶ関の官僚機構は、おそらく、がんじがらめである。本ブログでは繰り返し書いてきたが、CIAはメディア支配にも力を入れてきた。ここ20年ほどは広告会社の存在感が強まっている。
それだけでなく、犯罪組織やテロ組織との親和性も強い。アメリカではユダヤ系やイタリア系のギャングと手を組み、中東ではサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を使い、ヨーロッパではネオ・ナチだ。
ムスリム同胞団はハッサン・アル・バンナによって1928年に創設された組織だとされているが、19世紀にイギリスの情報機関がその基礎は作ったと言われている。社会奉仕団体的なイメージを持つ人も少なくないが、その内部には暴力的な集団が存在、第2次世界大戦当時から暗殺を繰り返してきた。
1948年12月にもムスリム同胞団はエジプト首相を暗殺するが、その報復で49年2月にバンナが殺され、組織は解体。現在のムスリム同胞団は1950年代に入ってからCIAとMI6が復活させたもの。その指導者になったサイード・クトブはフリーメーソンのメンバーで、ジハードの生みの親と言われている。こうした歴史を考えると、CIAが日本で犯罪組織やカルト団体と手を組んでいても不思議ではない。
ところで、週刊現代の2006年6月3日号に「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事が掲載されている。この段階で小沢と鳩山を軸にした民主党が警戒されている。
そして総選挙の3カ月後には「市民団体」が小沢の政治資金管理団体である「陸山会」の2004年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発する。それを受け、翌年の1月に秘書は逮捕された。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴される。
これは事実上、冤罪だったのだが、この起訴で小沢の影響力は大幅に弱まった。それだけでなく、小沢と組んでいた鳩山由紀夫は2010年6月に総理大事の座から降りざるをえなくなる。一種のクーデターだ。
鳩山を引き継いだ菅直人や野田佳彦は民主党に投票した人びとの期待に反する政策を打ち出す。ギリシャの首相になったアレクシス・チプラスと似ている。
菅直人政権時代の2010年9月、海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を日中漁業協定無視で取り締まる。当然、中国との関係は悪化した。その時、海上保安庁を指揮する立場にあった国土交通大臣は前原誠司だ。菅と前原は領土問題の棚上げ合意を壊し、日本と中国との関係悪化を図ったのである。前原はその翌月、衆議院安全保障委員会で「棚上げ論について中国と合意したという事実はございません」と発言しているが、関係者の証言を聞いても、そういう事実はある。
菅直人は首相に就任した直後、消費税率の引き上げと法人税の軽減を打ち出すなど内政面でも有権者の希望を打ち砕いた。当然のことながら民主党の支持率が急落、そこで衆議院を解散して党は惨敗し、そこから安倍晋三政権が始まる。
安倍政権は日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込む政策を続けるだけでなく、国を破壊している。中曽根康弘、小泉純一郎の系譜だ。日本を食い物にしていると言われても仕方がないだろう。1990年代のロシアでボリス・エリツィンが果たした役割に近いことを行っている。
その状態をマスコミは伝えない。「毒饅頭の食べ過ぎ」で毒が全身に回っているという人もいる。絶望的な状態だ。
しかし、マスコミが急速に腐敗し始めたのは1980年代。同じ時期に官僚の腐敗も進んでいた。当時、東大法学部で警察官僚が一番人気だという話を聞いたこともある。
ジャーナリストの、むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったように、その時点で「ジャーナリズムはとうにくたばった」(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)情況だったのである。そうした情況を換えられず、30年近くになるわけだ。今さらの「絶望」ではない。その中から希望を見いだすしかないのだ。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
異端者の交差路 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
同調圧力やマウンティングへの対応と捉え方について
付和雷同の方が多い世の中だから。
自分なりに筋を通してブレない意見を言い続ける事が変な奴扱いになる、ってのも多いね。
みんな、それが怖くて、段々自分で考えて意見を言わなくなる。周囲の顔色を窺ってからウケそうな意見だけ波に乗って強気で叫ぶ。
そういうのも「普通」という幻想の影に隠れた複雑骨折だと思う。
だから、ザコとDQNは相手にしない。
ザコとDQNでもない普通っぽい奴にも邪険にされるとキツいけど、そういうのは、やっぱり精神衛生上、自分自身の仲間が必要だね。
ザコとDQNに囲まれた場所で、長く奮闘し過ぎないのも大切だと思う。
結局は人間て、自分の理解者や協力者が現れた時に道が拓けるんだよ。
でも、それを欲するあまり付和雷同してしまうと、どんどん自分てものがなくなって、刹那的な流れになって行くから、その絶え間ないバランスなんだよな。
マウンティングする奴は、自分がマウンティングするから嫌われる、とよく分かっていない。
無抵抗な相手、優しい相手を与しやすい存在と見なして片っ端からマウンティングしようとするから、好意的に接してくれる対象を自ら潰している事になり、当人も慢性的に孤独に苛まれる。
有害な存在だから嫌われるのだが、どうも悪循環があるらしく、嫌われ者だから、マウンティングして、ある種の優劣関係で上位に立つ事でその欠乏感を補おうとしているようだ。
でも、自身も不幸になるのに、なんでそんな奴が増えるか、と冷静に考えると、やはり「社会全体が経済競争を中心とした競争社会で、そういう文化だから」というところなんだろう。
ザコとDQNは相手にしない。
この視点が大切。
DQNって、軽率だったり粗暴だったりする奴を指すネットスラングだから、古い日本語の言い回しでは「粗忽者」くらいなのかも知れない。ただ、性質として元来そそっかしい人もいるものだから、人間的な品行として愚かだ、と感じる相手、という意味合いを含めようとするとやや微妙な気もする。
心の真っ直ぐな無学の者はザコではない。彼らの言葉は彼らなりの見えている現実が率直に語られているので耳傾けるべきだ。
ファッショナブルに自己表出してパレードをするレインボープライドはDQNではない。それはたとえ自分とは違う性質の者でも、この世界をより豊かにしてくれる。
心根の歪んだ邪まな者がザコだ。彼らがどんなに情報通で言葉巧みであっても、ザコはザコとして感覚で分かる。
独りよがりで他人が迷惑する事を押し付けがましくする連中がDQNだ。関わるだけ損だ。
無名であろうが、無学であろうが、心真っ直ぐな者はザコではない。誰かを追い落とす事で自分の地位を獲得しようとするのでなく、自分自身の命が輝くために自己実現しようとする者は愚者でも粗忽でもない。
ザコとDQNの状態にある人物を相手にしていてはキリがないが、誰しも本来ザコでもDQNでもない存在になれる。そういう事だと思うね。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
天皇制は、DQNとザコをこよなく愛する。
彼らが、天皇家の手足になって、人間を攻撃するからだ。
人間と天皇制の共存は不可能である。
モラルの破壊は、すさまじい。
さらに、それに多くの日本人が馴らされてしまった。
天皇制が、その是正を阻む。
易姓革命・市民革命しか、モラルの回復ができないところに来つつあるが、天皇制はそれを断固拒むだろう。
天皇制とともに日本人は死に絶える。
それが可能性が高い一番の絵だ。
昏君・暴君・暗君がでてモラルを壊すと、革命で、それを是正して社会が存続できた。
でも日本では神の子天皇を廃する論理は、日本の中ではない。
そもそも天皇は民の生活の一切の責任を負わんので、なんのペナルティーを与えられない。
そのミニチュアが、責任を取らない多くのトップなのである。
こんな狂った社会が、少なくとも150年続いてきた。
倫理も論理も、弊履の如く捨て去られた。
今の日本は、ゾンビ列島に過ぎない。
そう、自然現象か外国の解放軍によって滅びる時に、天皇家と日本帝国を絶滅させるための手助けをするしか、下手したら、日本人には出来ることは無いのかもしれない。
それがモラル・倫理破壊の恐ろしさであり、天皇制廃絶をいわないといけない理由でもある。
追記
マスコミは信じてはならない。
昨日の選挙で、自民党は選挙前の66人から57人に惨敗している。
ところがNHKをはじめマスコミは、選挙前後の比較は隠し、過半数を維持して勝利し憲法の3分の2に届かない、と偽造してニュースにしている。
惨敗し、やっと過半数が維持できた。
それが正しい報道だ。
— 乱暴戯児 (@FNR4aFS4sTLVNkp) 2019年7月21日
で、維新かよ・・・だが、与党離れは確実。
政治的にアホだが、ようやく気づきだしたか・・
諦めても良いけど、どうかわるか、見ものでもある。
お読みくださりありがとうございます。
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然り。
書き込みありがとうございます。