故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
アバンギャルド精神世界 より
上記文抜粋
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玉城康四郎の仏光明
◎個人的でかそけきものだが
1960年代に玉城康四郎が、ギリシアに旅行した時に、アテネのホテルで突然ものすごい悪寒に襲われた。医者の呼び方も知らないので、ベッドにもぐりこんでひたすら仏を念じた。
彼がこれまで学んだ知識や知恵も役に立たず、肉体はただ悶えているばかりであったが、仏を念ずるということがだんだん広がってきて、すべてが仏の光明に貫かれ、この身このままが浄土となり、悪寒はたちまち快楽(けらく)に変わったという。
(出典:冥想と経験/玉城康四郎/春秋社P107)
彼によれば、これは一種の即身成仏だそうだが、南無阿弥陀仏と念じているうちに、いつしかすべてが仏光明になりきったのだろう。
妙好人には、この種の体験は時折見られる。
彼はこの体験の後も冥想を続けているが、時にその根源のものが吹き通しになり、身心が光明そのものになるものの、時がたつともとの木阿弥になると正直に告白している。
冥想を続けていると、時熟してこのようなことがあるものだろうと思う。それは個人的でかそけきものだが、本人にとっては重大なもの。
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抜粋終わり
面白いと思う。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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玉城康四郎の仏光明
◎個人的でかそけきものだが
1960年代に玉城康四郎が、ギリシアに旅行した時に、アテネのホテルで突然ものすごい悪寒に襲われた。医者の呼び方も知らないので、ベッドにもぐりこんでひたすら仏を念じた。
彼がこれまで学んだ知識や知恵も役に立たず、肉体はただ悶えているばかりであったが、仏を念ずるということがだんだん広がってきて、すべてが仏の光明に貫かれ、この身このままが浄土となり、悪寒はたちまち快楽(けらく)に変わったという。
(出典:冥想と経験/玉城康四郎/春秋社P107)
彼によれば、これは一種の即身成仏だそうだが、南無阿弥陀仏と念じているうちに、いつしかすべてが仏光明になりきったのだろう。
妙好人には、この種の体験は時折見られる。
彼はこの体験の後も冥想を続けているが、時にその根源のものが吹き通しになり、身心が光明そのものになるものの、時がたつともとの木阿弥になると正直に告白している。
冥想を続けていると、時熟してこのようなことがあるものだろうと思う。それは個人的でかそけきものだが、本人にとっては重大なもの。
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