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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
アバンギャルド精神世界 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
蘇生と臨死体験

生きるということは他者に自分自身を差し出すこと

テレビドラマERで救急救命が日常的にあることを見て、人間の死は、蘇生プロセスの中で、何度も回避され得るというのが社会的に知られるようになった。

そうした蘇生科学の方面から臨死体験は改めて注目されるようになってきた。

アメリカの見習いプロテニス選手だったローラリンという女性は、20分で終わるはずのありふれた手術の最中に、医師が誤って腹部大動脈に穴を開けたため、大量失血して心停止、死亡した。

彼女は、体外離脱し、手術台の自分の肉体を見た。
真っ暗闇の中に自分がいることに気がつき、地平線のかなたに温かなまばゆい光が見え、それが自分を手招きした。

更に亡くなった義兄に出会い、自分の人生を理解できるようにする旅に連れ出してくれた。彼と別れると同時に彼女は自分の肉体に戻った。

この後、彼女の人生で大きく変わったことが2点。一つは、この体験のあと、自分は「知らない土地にいる異邦人」のようだと感じるようになったこと。
また生きるということは他者に自分自身を差し出すことだと知ったこと。

彼女は、毎日、明日はないかもしれないと思って、その日を精一杯生きようとするようになったという。(以上のローラリンのエピソードは、「人はいかにして蘇るようになったのか/サム・パーニア&ジュシュ・ヤング/春秋社p172-173から抜粋」)

臨死体験は、無数のレベル、無数の体験があり、バラついているが、これは十牛図でいう第三図見性は通過している。なかなかこういうのはない。地平線のかなたに温かなまばゆい光を見たのは、神に出会ったこと。そして「自分は「知らない土地にいる異邦人」のようだと感じるようになった」ことは、大悟を経た禅者の人生観に等しい。

死者がすべて悟れるわけではないように、臨死体験者すべてが、臨終正念、覚醒するわけではない。ただ、大悟すれば、彼女のように、『生きるということは他者に自分自身を差し出すことだ』と知り、無私(諸悪莫作 衆善奉行)を生きるのが自然になる。

この世界観は、戦中の滅私奉公を批判する左な人々からは叩かれるかもしれないが、人間の自然はそうなっているのだから仕方ない。


・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

>生きるということは他者に自分自身を差し出すこと

滅私奉公だと、その差し出す自分すらないのだから、意味ね~は。


だいたい、滅私奉公を呼号する人の「そういうやつらを利用して我利我利で行きたい」といういうことの美しさに反比例する醜さがモロにわかる。

けど、私は滅私奉公は悪いとは思わないけど、
本当に滅私奉公しているの人は、他者にそれを強制しないし、ことさらに「自分を滅する」ようなことはしてない。

あとで、たとえば亡くなってから「滅私奉公」と言われるけど、当人は自己の誇りや喜びで行っていて、「自分を捨てる」など貧相なことを思ってないのが大多数である。

自分を捨てるようでは、滅私奉公を真にはできません・・・ていうか、


ことさらな滅私奉公は、すさまじいエゴイズムです。


またいうと、我利我利の自分だけの生き方も、滅私奉公とかいう自分だけを切り捨てるエゴ丸出しの生き方も私は嫌いです。


やはり、光武帝の

他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ 

が一番いいですは。


我利我利でもなく、滅私奉公という隠れ「エゴイズム」でもなく、良いですは・・・

楽しいしね。


参考 光武帝と建武二十八宿伝 より


上記文抜粋
・・・・・・・
 皇太子劉陽は、劉秀が働いてばかりで休もうとしないのを見て、おりを見て諫めた。
「陛下は古の聖王禹王や湯王のように賢いのに、黄帝や老子のように体を大事することの大切さを忘れています。心を休めてゆっくりとなさってください」

 劉秀はこれに対して、
「私は自分からこれを楽しんでしているのだ、だから疲れたりしないのだよ」

 と答えたのである。現代中国語の成語「楽しめば疲れない(樂此不彼)」として知られるものである。

 これは決して事務が好きだという劉秀の地味な性格を表現したものではない。『論語』にある
孔子の言葉、
「良く知っているというのは、それを好きでやっているというほどのことではない。好きでやっているというのは、それを楽しんでやっているというほどのことではない(知之者不如好之者,好之者不如樂之者。)」

 という言葉を受けたもので、体を心配する息子に対して、
「俺は既に聖人の最上級に達しているのさ!」
と洒落っ気を込めて言ったもので、現代人ならばさしずめ人差し指を立てて横に振ったり、ウインクしていう台詞なのである。

・・・・中略・・・・


楽しめば疲れない(樂此不彼)。
この原理はフロー現象として知られ、ハンガリーの心理学者チクセント・ミハイの研究で有名である。フロー現象とは一つの活動に没入して他の何ものも問題とならなくなる状態であり、それ自体が楽しく純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすようになるのである。
こうした状態では無尽蔵にエネルギーがあふれ疲労を感じないのである。


・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり







お読みくださりありがとうございます。

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