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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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アバンギャルド精神世界 より

上記文抜粋
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禅と念仏-1

三十年の修行

禅と念仏をやるのは、禅浄双修といい、禅関策進という書でお目にかかることができる。ところがそれを実地にやって開眼した人がいた。それが黄檗宗管長加藤慈光氏。

『私は二十歳で僧堂に入り、昼参夜参公案禅を参究したが、三年目頃から幾多の公案を透過しても、理会的解会的なことはできても真実の見性成仏はできないことを痛感するようになり、『禅関策進』を繰返し繰返し幾度も読み、自分の信念に間違いのないことを確認した。

老師方にもこのことを尋ねたが、ただ公案を一通りすませて悟後の修行に研鑽しなさいと言うことで、満足の行く回答は一つも得られなかった。

以後見性の因縁に深い老師方を尋ねるうちに、天龍の台岳老師の見性の因縁を聞き、大正九年雨安居に天龍に掛錫し、入室の時老師にその信念を申上げ、激励の言葉をいただいて孜々として精進した。

三夏を過ぎて後、黄檗禅堂独立のため呼び戻された。しかし進む道は一本である、見性成仏は何処にいてもできる己れの信念次第と思って祖山に帰った。』
(講座禅 第5巻/西谷啓治/禅と文化 筑摩書房 P321から引用)

禅と念仏とは、どっちつかずであって、一道専心でないから中途半端なものに思われがちである。ところが、一個の人間を見ると、ある時期には、只管打坐、ある時期には公案禅、ある時期には、念仏など、自分にあったものをその時の精神状態に応じて、変えていくことはままあることである。

この本気で物事に取り組む、本気で物事をやることが軽視される時代にあって、簡単に冥想法を変えすぎるのは、いささかどうかと思われるところもある。だが、例えば只管打坐専一にやり続けた人間が必ずしも身心脱落するとは限らないという側面も考えると、精神状態が坐相を決めるということもあるから、変えすぎることを一概には否定できにくい面はある。

ともあれ、加藤慈光氏は、見性に大いに心残りを持ちながら、天龍での修行にピリオドを打った。

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抜粋終わり

>禅と念仏とは、どっちつかずであって、一道専心でないから中途半端なものに思われがちである。ところが、一個の人間を見ると、ある時期には、只管打坐、ある時期には公案禅、ある時期には、念仏など、自分にあったものをその時の精神状態に応じて、変えていくことはままあることである。

>この本気で物事に取り組む、本気で物事をやることが軽視される時代にあって、簡単に冥想法を変えすぎるのは、いささかどうかと思われるところもある。だが、例えば只管打坐専一にやり続けた人間が必ずしも身心脱落するとは限らないという側面も考えると、精神状態が坐相を決めるということもあるから、変えすぎることを一概には否定できにくい面はある。

当人の意思なり覚悟の継続が一番大事で、やり方は、その方便ってことかな。


おなじく より

上記文抜粋
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禅と念仏-2


◎土を相手に念仏三昧

加藤慈光氏の続き。
禅では、老師にマンツーマンで質問をする制度が認められている。それが入室参禅。

『それ以来入室はせず、行住坐臥純一無雑の境に入ることにこれ努めた。
断食接心も七回、滋賀県慈恩寺、大阪府梅岩寺、和歌山県那智山などで、十日ないし十五日の独接心をした。天龍以来七年半、一通りの苦労を尽したが、ついに悟得することが
できなかった。

刀折れ矢尽きて地蔵寺に住職した。しかし王田老師の禅会には必ず随喜して、禅会の補佐と坐禅は怠らなかった。

繭来二十年を経て、終戦後農地開放の時五反二畝の田を小作より返して貰い、農業を始めた。その時、動中の工夫は静中の工夫にまさること百千万倍の語を思い、昭和二十二年五月一日より家族とは用件以外一切口をきかぬことを約束して、土を相手に念仏三昧に入ることにした。

一週間にしてほぼ念仏三昧に入ることを得て、歓喜勇躍正念相続にこれ努めた。

五月二十三日十一時半、昼のサイレンを聞いて寺に帰り、足を洗うため井戸端で水を吸み冷水を足に掛けた、その瞬間何のありがたき因縁ぞや、豁然としてこの事を了得した。

禅に志して満三十年、五十にして初めてこれを得るとは。歓喜の涙は目に溢れ、手の
舞足の踏む所を知らずと言うもかくやと思われた。早々に衣を改め、木堂に登り、仏天に対し今日あらしめた広大の加護を謝しました。』
(講座禅 第5巻/西谷啓治/禅と文化 筑摩書房 P321-322から引用)

この後、悟後の修行に入るのだが、大燈国師、関山国師もそれには苦労したことを引き、これを行解相応、行とは行動、解とは悟りで、悟った人間の社会的不適応の調整には苦労したらしいことを述べている。

念仏に切り替えて一週間でマントラ・シッディに入り、その正念を家族とも口を利かない沈黙によって保ち、生業は他人と会話をしなくても済む農業。

こうして、最後まで投げない執念が30年ののち実を結んだのだろう。

それにしても大悟以前でも正念というのだろうか。大悟以前も正念だったら逆転はない。あらゆる宇宙の滅亡もない。

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抜粋終わり

宗教ってのはそれなりに使えるモノが多いが、あまりに汚れて、その汚濁で、自他を傷つけている。
そういう意味で「洗濯」「掃除」しなければ、危ない。

でも「マインドフルネス瞑想」も用心した方がいいのかも・・・

それに倫理観とか概念も持たないと危ないかも・・





概念・思想も知らないと、瞑想法も、技術~魔術になる。





追加で王陽明の記事も

おなじく より

上記文抜粋
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仕事の上での修行

◎事上磨錬

王陽明の特徴は、仕事の上での修行を説いたことにあるように思う。知行合一とか事上磨錬とは、毎日の仕事の中で、知的に知った天の理を実地に適用していくのが修行であるという意味に読める。

王陽明の修行は、3本立てであり、儒学の教義の研究が一つ、端坐澄黙して静一を求めるというメディテーションが一つ、そして仕事の上での修行が一つである。

仕事の上での修行とは、インドの分類では、カルマ・ヨーガになるのだろうが、四書の中庸に「誠なるものは天の道なり、これを誠にするものは人の道なり」とあり、また王陽明も「それ天地の道は誠のみ、聖人の学は誠のみ」(南岡の説)と語り、天の道である誠を実現するのは、人の行為つまり日常の仕事であることを言う。

日々の、善であり無私である、仕事や、家事や、学生の人だったら勉学の積み重ねによっても、ついには誠に至るのである。

王陽明は、抜本塞源論で、中国の歴史・社会では、功利があまりにも優先され過ぎたことによって、本当に天の理を求める方向に儒学が行かなかったをことを嘆いている。そうした風土の中で、誠を実現する手段としては、まず学による概念の確立と実際の仕事の上でのそれの実現が優先度が高いとしたようだ。

現代もこれだけ功利優先の時代になってしまえば、この2手法が有効と考えられるが、今度は知性が進化しすぎて、誠の正当性について容易に疑念をさしはさまれる惨状であるため、その柱の片方は既に崩れさっている。

王陽明は、冥想については、あまり多くを語っていないのか、後世の弟子達は教義・哲学への関心が高いため冥想への関心を惹かなかったのか、冥想にはあまり言及がない。
また王陽明自身が、大悟はある特定の坐法によるものではないと見ていたことも影響があるかもしれない。

当時も今も冥想しづらい環境だが、日々の仕事を誠心誠意こなしていくことも、ひとつの冥想たりえることを私も信じている。


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抜粋終わり


誠実に生きる・・・これが一番大事だろう。

あと瞑想とか・・・


真摯に生きる・究極を生きるってのは、多分宗教別や宗派・やり方など、あまりこだわってはいけないのだろう。

自分自身、いかに真摯に慈悲を持って生きるか・・・

宗教・思想もそういう意味での「大変革」というか「大洗濯」に時代に入ったのだろうかね・・


信じるのもその方便にすぎない・・・


まあ仮説です。


>まず学による概念の確立と実際の仕事の上でのそれの実現が優先度が高いとしたようだ。

空海も「まず書物を読んで学問してから、修行しよう」と言っていたとか。






お読みくださりありがとうございます。
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