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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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国際秘密力研究 より

上記文抜粋
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カルトにはまらない為の思考上の指針

〇カルトにはまらない為の思考上の指針①体系化された思想・哲学(宗教的なもの含む)は一つの世界観モデルと捉え絶対視しない②書籍、特定人の主張・見解の類は参考にとどめ自分で思考する為の補助・素材とする。③できるだけ自分で確かめる実証性と常に「自分は間違っているかも」と自己懐疑心を持つ。

〇日本では多様な宗教が許容されてきたのは、宗教を一種の「世界観モデル」と捉える構えがどこかにあったからだと考えている。諸外国、特に一神教圏からすると日本人は神道も仏教もあるいは儒教もと無節操に見えるらしいが、人間が世界解釈する際の一つのモデル=宗教という構えなら複数あるのが自然だ。

〇世界の解釈モデル=宗教・思想・哲学。これが相対主義的と感じるのは一神教的な宗教モデルに影響されすぎているからではないだろうか。日本の歴史を見ると神仏共存神仏習合は一般的で、仏僧が「神国日本」と言ったり、禅と念仏の併修、仏僧が独自の「神道」を作ったり、神官が儒学を学んだり、は普通。

〇もちろん一向宗や日蓮宗など、熱心な「信仰心」(一神教的な意味での)に基づく排他的硬直性をもつ一神教的な宗教モデルはあるにはあるし、大きな力を持ったことはあるが、それで日本が全て覆い尽くされる事は無かった。神社にもお寺にもお参りする、という構えが日本人には一般的となっている。

〇江戸初期の禅僧でキリシタンを理論的に論破した「破吉利支丹」を書いた鈴木正三は禅と念仏を併修。禅と念仏が一神教的意味での「宗教」と捉えられていたらこれは無理。キリスト教とイスラム教の併修が不可能なように。座禅も念仏も煩悩退治の方便と捉えていたからこそ可能だった。世界観モデルも方便。

〇東洋思想や東洋医学等をカルトが憑依して乗っ取っている場合が多いが、その場合には、「形而上学的実体・超越者」「背後世界(イデア界等)の優越」「終末思想」「救世主思想」等々、本来日本や東洋には無いか、あってもメインストリームではない要素が見られるかどうかが見極めるための指標になるように思う。

〇東洋的な思想を掲げていても、今あげた要素をどこかにひそませているかどうかがチェックポイントになるように思うす。例えば、オウムはヨガを唱えながら、絶対神としてのシヴァ神への帰依を説き、、麻原=救世主妄想を持ち、グノーシス主義的霊肉二元論を前提とし、終末思想の最たるものであるハルマゲドン思想を保持等々。このような事例が多いので是非気を付けるべきである。

(了)



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抜粋終わり

>宗教を一種の「世界観モデル」と捉える構えがどこかにあったからだと考えている。

剣術や武術でいう「流儀」が、宗教ですは。

宗教は信じても、いいけど、それも相対的に考えているから、良い。



そうでないのは、オカシイし、日本ではない。


お読みくださりありがとうございます。

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『方便としての律法なのがイスラム』
  • from ローレライ :
  • 2015/10/13 (11:55) :
  • Edit :
  • Res
『方便としての律法なのがイスラム』なのに科学を否定する『イスラム過激派』はキリスト教起源のカルト信仰。
Re:『方便としての律法なのがイスラム』
2015/10/13 19:27
>『方便としての律法なのがイスラム』なのに科学を否定する『イスラム過激派』はキリスト教起源のカルト信仰。

然り。

キリスト教はカルトの親玉。

イエスのホルマリンを崇めさせる、悪魔教。

イエスは天界で激怒しとると思うぞ。


書き込みありがとうございます。
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