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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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孫子 戦わずして勝つべし 曹操の「孫子」理解と活用 より

上記文抜粋
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 その意味で、曹操が「孫子十三篇」を注釈したことは興味深い。曹操は
「{数ある兵法書の中でも}孫武の著す所、深きかな」
 とその注釈の序文で溜息をついた。この「深きかな」は、老子の影響の強い「孫子十三篇」のうちにはらんでいる哲理性とからんでいる。他の兵書は、実戦に即した戦術書でしかない。兵法が哲学にまで達していない。役に立ちそうで、実際は役には立たない。戦術だけでは、戦争に勝てないからだ。それを孫子は見抜いていただけでなく、兵法の極意は、万象の極意と等しいことを見抜いた。つまり兵法の極意は、宇宙の原理にかなっているはずだと見た。というよりも、宇宙の原理にかなっているにしかすぎぬことを見抜いた。それが、幅広く兵法を語りながら、抽象的哲学的なものになるゆえんである。
 具体性{現実性}の信仰の者にとって、アプストラクトは、もっとも苦手とするものだが、東郷元帥やナポレオンが、たえず「孫子」を戦場でひもといたのは、これを読むと、ただちにそこに応用例がならんでいたからでない。戦場は、現実は、宇宙は、そのような安直な手引きを拒んでいる。その上に立つ「孫子」は、カンニングのきかない兵法書である。それをあえて彼等がたずさえたのは、現実に裏付けられたアプストラクトであるがゆえに、「自然」に等しく、そこから無限のインスピレーションの泉を汲むことができることをおそらく知っていたためだ。「聖書」の効用と等しく、まさに「孫子十三篇」は、聖人の書なのである。曹操もそのような使いかたをし、戦場にたずさえたはずだ。

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抜粋終わり


私の考え方に結構この部分の文章は大きく影響を与えていると思う。

あまりに具体的でわかりすぎるものは胡散臭く感じる。

善悪二元論とか、唯物論とか、胡散臭いし、進歩思想も、胡散臭く思う・・・。


お読みくださりありがとうございます。
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