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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
山伏の日々 より

上記文抜粋
・・・・・・・
時間のスパン


予め言っておきますが、私は原発についてはまったくの専門外で無知です。

なので反原発派でも原発推進派でもありません。

知らないので反対も推進も出来ないのです。

反対にしろ推進にしろ得意な人、専門知識のある人に頑張ってもらうしかない。

それでも何人にも私の意見が聞きたいと言われたので自分の無知を顧みず書いて見ますね。


しかも分かり易く書いてくれと念を押されたので^^いつもより長文になります。


◎儚い命

さて、カゲロウって虫いますよね。

歌に「愛はかげろう つかの間の命」なんて歌われてますね(^_^)

実際はもっと長いんでしょうが、古来よりその成虫の期間の短さ(数時間から長くても3日ほど)より儚さの象徴として扱われることが多かったんですね。

三日間の命、そりゃ儚いもんです。

この三日の間に恋をして子を残して死んでいくんですね。

うーん、儚いですね。

でも、それは人の一生に比べればの話。

で、その人間って長生きしてもたかだか百年ぐらいの人生。

物心ついてボケるまで半分は寝て過ごして、シッカリ自分の人生歩めるのはだいたい五十年。

人間がカゲロウをみて儚いと思うように、我々の人生五十年を見て何とも儚いと思う存在がいます。

「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

↑は織田信長がよく舞ったとされる「敦盛」(あつもり)の一節で有名ですよね。

そもそもこれは仏教教義の倶舎論(くしゃろん)に「人間五十年 下天一昼夜」という言葉に基づいているとされてます(確認してない)。

我々の人生五十年、「下天」(げてん)に比べたら夢を見てる間か、幻を見てるぐらいの時間でしかないんですね。

では、その「下天」とはいったい何なのか?


◎「六道輪廻」と「三界」

その前に、インド思想では輪廻という概念が重要な要素ですが、特に「六道輪廻」なんて言ったりします。

つまり下から1地獄、2餓鬼、3畜生、4修羅、5人間、6天上

の六つ。

この六つの迷いの世界をぐるぐると生まれ変わり死に変わりしてるとされてます。

この六つの迷いの世界を抜け出ることを「解脱」といい「悟り」の世界に入る訳です。

さらに、この六つの迷いの世界を下から欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)と三分類して「三界」(さんがい)と云います。

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詳しくは↓参照
三界

↑見てもらえましたか?

見てない?それじゃ以下の話が分かりません。

必ず見て下さい。

見ましたか?

それでは論を進めます。


さて、我々「人間」が住んでるのは「八大地獄」の上の階層で、須弥山(しゅみせん)と云う山を取り込んだそれぞれ東西南北にある「四大洲」の一つ、南の「贍部洲」(せんぶしゅう)とされてます。

さて、この「四大洲」の上の階層、「六欲天」からが神々の世界となります。

よく「天下統一」なんて言い方されますが、この六欲天の下に我々の世界があるので「天下」と言われる訳です。

四大州の四つあるので「四天下」(してんげ)なんて言われたりします。

「八大地獄」から始まってこの「六欲天」までが三界のうちの「欲界」の話。

さらに色界の一番下の初禅天の三つの階層から始まって一番上の四禅天の一番上の「色究竟天」まで十七の階層があり、その上が無色界となります。

つまり神々には階層があり、上に上がれば上がるほど寿命が延びるとされてます。無駄に(^_^)

その神々の世界の一番下の「四天王天」を「下天」と云うんです。

四天王が住む世界です。

その「四天王天」の住人(住神?)の寿命は人間界の時間に換算してなんと900万年!(諸説あり)。

この神々で最も寿命が短いとされる「四大王衆天」という世界に住む神々からしても人間の命はちょっとうたた寝してるぐらいの時間でしかないということを「敦盛」の一節は言ってる訳ですね。

まぁ極端に言えば、カゲロウにとっての時間のスパンは長くても一、二週間でしょうか?

人間にとっての時間のスパンは親子三代と云っても百五十年から二百年ぐらいでしょうかね。

「国家百年の計」なんて云いますが、まぁ妥当だと思います。

それ以上になると想定し得ないということです。

当ブログで一貫して「明治維新」を批判してますが、150年前のあの当時の人たちが今の日本を想定してたでしょうか?

戦後70年、東京の都市計画にあたった当時の人たちが現在の姿を思い浮かべられたでしょうか。

私たちはほんの数十年先も想定出来ないんです。

出来ても数年後、10年後ぐらいじゃないでしょうか。

神々の世界の時間のスパンとなると、それこそ何百万年です。


◎例えば・・

話は逸れますが、中国の侵略によって国をズタズタにされ現在もなお虐殺と迫害が続くチベット。

現在そのチベットの亡命僧が日本にもかなり来てますが、チベット仏教にも代表的な宗派が四つあります。

ゲルク派、ニンマ派、カギュー派、サキャ派。

ゲルク派はダライ・ラマ法王が所属していて有名ですね。

私個人は特にニンマ派が好きです。

さて、我が国は「文永・弘安の役」で二度に亘って元からの侵略に遭いました。

これに対して天皇から全国の神社仏閣に「元軍調伏祈祷」(げんぐんちょうぶくきとう、元をやっつけろ!というお祈り)の勅令(ちょくれい、天皇の命令)・勅願(ちょくがん、天皇のお願い)があり、また鎌倉武士団の大活躍によってこれを撃退しました。

この時、元軍の総大将フビライの師であったのがサキャ派のパクパという文化的には非常に偉大な方でした。

しかし、このパクパさん率いるサキャ派は命令とは云え「日本調伏祈祷」(日本をやっけるゾ~って祈り)を総出で行っている訳です。

現在、サキャ派を除く三宗派のチベット仏教僧が我が国へ亡命してますがサキャ派の僧侶だけはなかなか日本に来られないと云う噂を耳にします。

これは「文永・弘安の役」の二度に亘る侵略は今からだいたい800年前ぐらい。

800年なんて神々の時間のスパンで考えるとつい数分前あたりの感覚じゃないんですかね?

つまり、数分前に不意に殴りかかってきたヤツをそう簡単には受け入れたくないのは当然ですよね?

だって、ついさっき殴りかかってきたヤツが「助けて!」なんて言ってきても「何言ってんだテメぇー!」って話です。

なのでサキャ派が我が国に入れないのは当然かな?なんて思います(^_^;)


◎神の力

さて、原発についてやっと本論に入ります。

誤解を受けないように最初から言いますが、核エネルギーが体に有害であるとか無害であるとか半減期が短いと「危険」で長いと「安全」とかもどーでも良いです。

広島・長崎で二度に渡って被曝しても最近まで活動されてた方もいますね。

これは被曝しても長生き出来る例になりますね。

そんなことより、そもそも私は核エネルギーについてほぼ知らない。無知。

問題の本質は、時間のスパンと欲。

何万年とかかる半減期。

もちろん体内にある放射線源として半分以上を占めるカリウム40の半減期も13億年と言われてますが、それを人為的に操作することが我々「南贍部洲」(なんせんぶしゅう)の住人に出来るのか?ということです。

何万年、何十万年という時の流れは神々の領域。

つまり核エネルギーというとてつもない「神の力」は我々に繁栄をもたらし、そして我々はそれを享受してきました。

しかし、人間は「欲界」に生きる生命体なので当然「欲」があります。

「六欲天」という神々の世界ですらその名の通り「欲」があります。

核エネルギーという「神の力」は利用の仕方によっては人類を幸福へ導くことも出来ればたった数発で滅亡させることもできます。

この「神の力」を我々欲深な人間がコントロールできるのでしょうか?

我々欲深な人間がコントロールできると勘違いしたとき、「神の力」を手に入れたと勘違いしたとき、神々からの手痛いしっぺ返しがあるときではないでしょうか?

この「神の力」に群がったバカな連中、それに依存してその利権を手放すまいと考えてる連中は、いまだに「神の力」を利用でき、コントロールできると考えています。

こういった目先の利権を求めるバカどもは一旦「神の力」が暴発したとき、「大暴悪神」として荒れ狂いすべてを滅茶苦茶にしてしまうことを想定できません。

我々人間は「欲に目がくらむ」生き物なのです。

どんだけ左巻きが「平和」だの「平等」だの「人権」だのと唱えても、どんだけ右巻きが「道義」だの「徳義」だの唱えても、「欲」があるんだからしゃーないんだな。

つまり「神の力」を使えるのはそれこそ神か、三界を超越した仏様にしか出来ないんじゃないだろうか?

なにも「欲を無くせ!」なんて云うつもりはない。

どれだけ「欲」をコントロール出来るかが鍵なんです。

そのためにはその欲をコントロールするための「価値観」が必要であり、その根源である「世界観」が必要なんじゃなかろうか。



◎結論として

長々と書いてきましたが、我々は原発に限らず自らを取り巻く自然環境について余りにも無頓着になり過ぎた。

なにも東電や自民党や官僚のバカたちだけの問題ではないと思う。

その原因はやはり明治の廃仏毀釈によって失われた「世界観」ではなかろうか?

我々にとっては長い長い時を経て培ってきた「世界観」はこの時、壊された。

一千年の時を超えて積み重なってきた「世界観」とは私たちの「価値観」の根源なんです。

我々が日々日常生活を送っていくうえで、行動を意識せずに規定し、その行動の原理となるのが価値観であり、その根源が世界観なのです。


明治以前は神仏習合的世界観があった。

明治以後はそれを迷信とされた。

神仏習合のという世界観は、長い間、日本人の心に深くしみ込んできたものである。

自然界の発展生成の威霊を神とし、内省に基づき道理に合った行為を仏の教えとし、これらが一つになることで日本の文化も形成されてきた。

たとえば農業に関して云えば、ただ自然界の生成力にまかせておくよりも、春に植えて夏に草を取り、秋に収穫し、冬に農地を休ませるという四季の循環に従った、道理にかなったあり方によって、その生産力が増大するのである。

自然界の威霊である神々と、正しい道理である仏法が一つになることで、その法(みのり)がこの国を形造ってきた。

仏教伝来以前から我が国はシャーマニズム(神降ろし)やアニミズム(自然崇拝)の信仰があった。

仏教伝来以降、それらと習合して教義体系が確立して行く。

例えばすべての自然界のものには魂が宿るとするアニミズムには天台宗でいえば「山川草木悉有仏性」と云うすべてのものには仏になる素質を持っている、或いは見出そうとする思想にすぐに結び付く。

これは真言宗のすべてのものは大日如来の現れとする「六大縁起説」とも直結する。

シャーマニズム的なものは天皇の祭儀に主に見受けられる。

我が国はこういった錯綜複雑なものを一つのものに集約していき消化してきた。

それをぶっ壊し全部バラバラにし、迷信としたのが薩長らのテロリストたちがクーデターによって打ち立てた明治新政府である。

明治新政府の神仏を無理矢理分け、仏法や民間信仰の神々を毀釈(こわし、すてる)する政策によって、ただ表にばかり向かい、内省を失い、正しい因果の道理を失ったことによって分裂症状をおこしてしまった社会が、明治から現代に至る日本であろう。

その意味でも、正しく神仏習合を理解してゆくことが大切であると思う。

そして我々が持っていた独自の「世界観」をもう一度確立していくべきであると思う。

強過ぎる神の光を和らげて、我々を救う姿とすることを和光同塵(わこうどうじん)というが、その時こそ核エネルギーを和光同塵することが出来るのではないでしょうか。

「たといヒマーラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない。」by釈迦


・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


全部が全部、この記事に賛成でもないけど、

神仏習合の精神を取り戻すし、「天皇真理教」「偽耶蘇」「和風耶蘇」から日本を取戻したい。

また

>「たといヒマーラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない。」by釈迦


てのも大事。




まあ参考に・・・


お読みくださりありがとうございます。
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