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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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アバンギャルド精神世界 より

上記文抜粋
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日本人と奇跡への期待感

奇跡は突然には起こらない

ドストエフスキーの小説カラマーゾフの兄弟で、ギリシア正教会のゾシマ長老が周辺信者などから、死にさいして、死体が腐らないで芳香を発するなどの奇跡を期待されたのだが、予想に反して、ゾシマ長老の死体は腐臭を発し始め、周辺の人々に、奇跡が起こらなかった当惑が広がっていったくだりがある。

これに対して日本人の奇跡への期待感は、童話笠地蔵の話が一つのシンボルである。老人が、雪が降りしきる大晦日に、売れ残った笠を町はずれの地蔵様にかけて帰宅したら、老妻だけがそれを喜んでくれた。その夜地蔵様が返礼の宝を満載して自宅前に置いて帰っていったというもの。

そんなことは実際にはほとんどないかに見える。でもそれは一日一晩では起きることはまずないが、人は何十年かけて、細かなとるに足らないように見える善行を積み重ねて、大八車に満載された宝を得るということはわりとあるものだ。

時間軸を何十年と長くとれば、笠地蔵のような奇跡はよくあるし、一日一晩でそれが起きないことも日本人は生活の知恵として知っている。ロシア人と違って、その辺の分別はあるのが日本人というものだ。

本家ババジも人間にとって最も重要な修行法の一つはカルマ・ヨーガだとも言っている。因果は昧(くら)ますことはできない(不昧因果)。カルマ・ヨーガに一発逆転はないが、現世利益を積み上げることはできる。

だが、積み上げた現世的メリット、この世的幸福や金は、時間が経つにつれ変質し、死によってすべてを喪失することが見える。そこで人は、人生の空たるに直面し、それまでの頑なな考え方に飽くまで退行したり、絶望してうつや自殺に行ったり、オープン・マインドして直面して覚醒に向かったりする。

ゆえに万人にとって、この世で生活するというカルマを果たしつつ、この色即是空の局面に準備をするというのがノーマルな求道生活である。

出家者であったスワミ・ラーマなら、名前は肉体に付属するが、魂は死をはさんで継続するみたいに、はなからこの世的幸福を問題にしないのだが、凡俗はそうはいかない。

超人的能力を発揮する人というのはいるものだが、そうした人は前世から修行を積み重ねているものだと思う。

ハタ・ヨーガをやる人は、ハタ・ヨーガで鍛え上げた肉体でもって次の転生で覚醒しようと目論むものだし、出神を一生修行してきた気功の人もその人生ではちょっとしか出神しないこともあるので、次の転生で勝負をかけようと思うこともある。

音楽、絵画、将棋、囲碁、スポーツなどで、そういう超人的能力を示す人がいた場合、世間では生まれつきなどというが、一回の人生ではそうはなるまいと思う。それこそ何回も生まれ変わっては、同じ道での努力を積み重ねてきた人物なのだろうと思う。

奇跡は突然には起こらない。


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抜粋終わり

積善の家には福来る。と易。

「ひたすら義を集積する」と王陽明。



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