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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
シュタイナーから読み解く神秘学入門  より

上記文抜粋
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先日、おそらく終戦記念日ということでTVでやっていた「日本のいちばん長い日」をみた。本土決戦を主張する青年将校の畑中をみていて、先日19人を殺した犯人を思い起こさせた。

 青年将校たちは、愛国を建前としているが、その愛国は、虚栄心や利己主義の隠れ蓑で単なるエゴにすぎない。つまり掲げられる愛国はエゴの正当化の手段になりえる。
 
 過ぎたるは及ばざるが如しで、愛情であっても、行き過ぎると、かえってエゴになるので、騙されてはいけない。

 当時の太平洋戦争の政府や軍部を調べてみると、致命的なのは、報道がいい加減で、海外情報が周知徹底されておらず、大局観が完全に抜けているところにある。

 確かに諜報機関がもたらす情報は正確に近いのかもしれないが、少なくとも自国に偏ったもので、それを公平に認識し、判断を下すには、見識が必要で、それは日常の情報判断力からくる。

 日本の太平洋戦争の映画の多くが、日本側の観点のみでつくられているので、映画自体も大局観が抜けたものになっている。

 そこで、米軍側の観点から考えてみることが重要である。米国は太平洋戦争に勝ったとはいえ、その後のベトナム戦争では負けている。ベトナム敗戦については、米国でも米国側の観点のみから描かれた映画が沢山つくられたので、敗戦国が、敗戦側の観点から描くことは日本だけではない。

 ともかくも、両側の観点から考えることが重要なので、参考となる本を紹介する。

 太平洋戦争 知られざる米軍の謎 : 日本軍の謎検証委員会

 興味を引いた主な内容を少し抜書きすると、昭和帝との交流から米軍の高官で唯一人気で有名なマッカーサーは、日本のことを12歳の少年のようだ、と証言したことから、それまでの日本のマッカーサー人気が一気に下降したこと。

 また、あまり知られていないが米国の高官のニミッツやスプルーアンスは、若い頃、日本の招待で、東郷平八郎に会って感銘を受けたようなことや、逆にアーネストキングは、日本に駐留したときに、日本の駅員の不親切な対応に逆恨みし、日本を敵対し見下すようになったことなどが興味深い。

 キングを除いて、米軍のなかには、日本に反感を抱いていたものは意外と少なかったことがわかる。しかし国内世論では、鬼畜米英で、米軍は悪魔のような描かれ方をしていたようである。

 では、日本が負けた大きな理由は、勿論、当時の経済力や国土の大きな差もあったが、開戦当初は、それでも軍事技術力は互角だったそうで、その後の、科学者に対する待遇の違いや、指導者の人命に対する考えの違い、諜報の取り扱いの差から、指導者の劣化が激しかった日本が負けた、と分析できるようである。

 特に戦略の立て方の相違が大きい。米国側は飛び石作戦などをみても、防御の固いところは無視して、弱いところのみを攻めて、補給経路を絶ち孤立化させるという、いわば兵站が伸びきったところを叩くという常套手段を用い、合理的な兵糧責めをしているのに対し、日本側の作戦は非合理なものばかりで、人命の犠牲を全く考慮にいれない日和見的な希望的観測に基づいた無謀なものが多い。その最たるものが特攻作戦である。

 特攻くらい人命軽視の無謀な作戦はない。米国側の弾幕を避けて米国戦艦に命中するのには、大変優秀なパイロットを育てる必要があるのに、その特攻で、多大な労力をかけたパイロットを失うというのは、多大な損失となることがわかっていない。

 逆に、米国側は、修理設備や医療部隊が充実していて、撃墜されても、優秀なパイロットはまた復帰し、過去の経験が生かされ、飛行機や戦艦は修理されて、戦況に応じて改良を加えられ、戦局が好転していく。

 また日本側は想定外の攻撃に脆く、パニックに陥りやすいことが、米軍の調査で明らかになっているが、その傾向はいまも日本の特質として現れている。

 この違いをみていると、どこかサッカー日本代表の戦い方にも現れているようにも思える。

 米国側では、予め様々な戦略が練られ、十分に議論され、無謀で非現実な作戦は却下されるか、改善されることでより現実的に合理的になっていたようである。

 例えば、対日戦略はオレンジ作戦と呼ばれたが、それはフィリピン、グアムに展開している米陸軍がいわば囮になってしまうために、犠牲者を多数出すことが前提となっていたので、米陸軍から反対され、却下されたが、ナチスドイツの侵攻により、英米多国間のレインボー作戦の一部として練り直され、認可されている。他にも、A、B、C、Dと4つの案が練られていたという。

 つまり、米国側の戦略は戦況に応じて練り直され議論され、改善され、大局的な戦略を基本に、部分部分を戦況に応じて、改善していくという点で非常に理に叶って作戦を運用している。とにかく合理的にみえる。

 このような米軍側の太平洋戦争の戦略を一言でいうなら、秀吉の高松城水攻めに似ている。日本列島が高松城になり、周囲を海で囲まれているので、海軍力、つまり資源輸送力が奪われると、籠城するしかなくなる。
 
 ちなみに兵糧攻めは、相手に比べ、味方の戦力と資金が巨大で、なるべく味方に損害を与えない戦法である。

 この本については、謎というべきものではないが、太平洋戦争のまとめのようなものなので、また後で紹介したいと思う。当時日本のなかで、大局観をもっていたのは、欧米の貴族と交際のあった昭和帝ぐらいだったように思えてくる。

 ネットからの情報などで、国体維持=天皇制維持はバチカン経由で天皇の金塊が使われたものと思われるからである。
 
 さて、人がなぜ戦うかといえば、自分とは全く異なる相手を受け入れるかどうかが問題で、器量が狭いと、相手を受け入れられないからである。

 要するに、戦うかどうかは、相手を認められるかどうかにある。

 ここに比較の問題が生じる。

 比較するには、条件を揃えないといけないため、どうしても物質的になる。定規や尺度が必要になる。定規をつくるには単位を決めないといけないが、単位は物質的観測から物質生活に沿うように選択される。

 だから、この決定には、量子力学でいう観測問題を孕む。量子力学では、例えば、電子は観測するまでは、波動関数の状態で、複素数を用いた表記により示されるが、存在のあらゆる可能性を秘めている。

 観測してはじめて、電子の姿が明らかになる。電子の姿といっても、軌道でしかわからない。

 しかも、電子は、例えば、水素原子のなかの電子であったり、または、銅原子のなかの電子であったり、様々な元素のなかの電子として、絶えず変遷を続けるので、この電子は、あの電子ではないと比較することは不可能なんである。
 
 電子などからなる物質とは、このように形態が移り変わってしまうので、比較するのは全く意味がない。

 だから物質的比較は全く無意味なんである。

 物質的比較を基礎にした分別知などは、またその集合体である唯物論は、静的な場では束の間の意味をもつかもしれないが、動的な状態ではほとんどがガラクタの寄せ集めでしかない。

 ソクラテスはこのような知をいくら集めても、真理には到達しないという無知の知を説いた。


・・・・中略・・・

フリーエネルギーは、自分の認識を変えることである。自分とは、神から生じるものなので、神の変化力といえる。相手に合わせ、自分を変えることは苦難を伴うが、その苦難がフリーエネルギーに変わるのである。

 物質を変えようとする霊力は、この自分が変わろうとする自我の力である。他人を変えようとするのではなく、自分が変わろうとする、愛の力である。




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・・・・・・・・・
抜粋終わり

> また日本側は想定外の攻撃に脆く、パニックに陥りやすいことが、米軍の調査で明らかになっているが、その傾向はいまも日本の特質として現れている。

>この違いをみていると、どこかサッカー日本代表の戦い方にも現れているようにも思える。

>米国側では、予め様々な戦略が練られ、十分に議論され、無謀で非現実な作戦は却下されるか、改善されることでより現実的に合理的になっていたようである。

>例えば、対日戦略はオレンジ作戦と呼ばれたが、それはフィリピン、グアムに展開している米陸軍がいわば囮になってしまうために、犠牲者を多数出すことが前提となっていたので、米陸軍から反対され、却下されたが、ナチスドイツの侵攻により、英米多国間のレインボー作戦の一部として練り直され、認可されている。他にも、A、B、C、Dと4つの案が練られていたという。

>つまり、米国側の戦略は戦況に応じて練り直され議論され、改善され、大局的な戦略を基本に、部分部分を戦況に応じて、改善していくという点で非常に理に叶って作戦を運用している。とにかく合理的にみえる。




なぜ日本が「戦略の練り直し」ができないのか。

一つは、ある一面は激烈な阿呆であること。

大局観を持つよりも「根性・気合」で乗り切って先のことは考えない阿呆病。

もう一つは、一つの体勢・局面にあまりに適応しすぎて「過剰適応」という状態になり、変化が難しくなるから。
恐竜が絶滅したと同じ原因。



過剰適応しないと、その社会では生きれない。それが日本であり、それが日本の宿アである。

これが「すごい技術・工芸」を生んだ一因だが、そればかりになった「社会の画一性」というかそういうのがあると思う。
もっというと「一極集中社会の病気」であろう・・・。

過剰適応しないと、「ニート・引きこもり」になり、過剰適応すると社会の変化についていけず、社会の変化を阻害させる。
で、真っ当に社会が動くかよ・・・・

教育・思想に根本的過ちがある日本社会。


お読みくださりありがとうございます。
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