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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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中外日報 より

上記文抜粋
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死の床に寄り添い共に念仏 役割見直される「臨終行儀」

2016年12月7日付 中外日報(深層ワイド)

宗教的な要素を交えて、亡くなる人を看取る「臨終行儀」。ほとんど姿を消したが、いま再び関心が高まりつつある。遺族に与える深い安心感や教化力に目を向ける僧侶もいれば、急速に高齢化する社会の中で、役割を見直そうという動きもある。(丹治隆宏)

長崎県島原市の浄土宗崇台寺の安藤光宣・前住職(70)は、30年余り前に檀信徒の臨終に寄り添った経験を、今でも鮮明に覚えている。

1985年12月、入院していた総代の70代男性の妻から寺に電話がかかってきた。「3日ほど昏睡状態が続き、意識がない。聞こえもしない、見えないかもしれない。だけど来ていただいて、お念仏を称えていただけませんか」

男性は山陰地方で生まれた。生家とも縁遠くなり、10年ほど前から崇台寺の檀家になった。1年ほど前に、大学病院でがんの手術をした後、総合病院に移っていた。

安藤前住職は法衣に袈裟を身に着け、病院へと向かった。到着した時間は、医師の回診に重なっていた。病室前で待っていると、看護婦に招き入れられた。

ベッドで眠る男性の右手側に安藤前住職が立ち、妻や医師らが見守る中、善導大師の「発願文」を読み上げた。

読経後、耳元で語り掛けるように念仏を称えた。しばらくすると、意識がないはずの男性の目が開き、うつろに天井を見上げるようにして、「南無阿弥陀仏」と大きく声を絞り出した。さらに何かを求めるように、右手を盛んに動かした。近くに置いてあった手帳などを渡しても動きは止まらなかった。

その時、安藤前住職に枕の下からはみ出た数珠の房が見えた。引っ張り出して手に触れさせると、男性は胸の上で両手を合わせた。

合掌した手に、安藤前住職が数珠を掛けると、親指と人さし指で挟むようにして持ち直した。浄土宗特有の握り方だった。心身に培った信仰が、にじみ出た一瞬だった。

男性は「自分は新参者だから」と、崇台寺で行事があれば数時間前に来て、境内を掃き掃除したり、座布団や木魚を並べたりした。本山への団体参拝や、檀信徒の親睦旅行などにも必ずと言っていいほど参加していたという。

安藤前住職が南無阿弥陀仏と称え続ける中、男性は再び眠り始めた。寺に戻った翌朝、「いま亡くなった」と電話があった。妻は「あの時のお念仏が最後でした。後はずっと眠り続けていました」と話した。

「最期の言葉が『南無阿弥陀仏』とは、こんなにありがたいことはない。主人は極楽に行きましたね」と、妻は男性の往生を確信し、信仰を強くした。安藤前住職は「臨終行儀には、強い教化の力がある」と力を込める。


遺族への強い布教力に着目


「臨終行儀」は、遺族らに強い宗教的な感情を呼び起こす。グリーフケアに携わってきた僧侶は、患者のケア、看取り、遺族のサポートという一連の流れの中に、「臨終行儀」を置き直そうとする。一方で、在宅医療に関わる医師は、僧侶らが日常から「死」に目を向けながら、檀信徒に関わることの重要性を指摘する。

安達俊英氏 病院死増え看取り減る 僧侶にも大きな経験

臨終行儀には、古くから宗派を超えて多くの僧侶が思いを寄せてきた。恵心僧都(942~1017)は『往生要集』で臨終の作法や、死に行く人が思い浮かべるべき浄土の光景などを細かく記した。真言宗、曹洞宗、日蓮宗の僧侶らも看取り方について文献を残している。地域によっては、特徴ある臨終の民間習俗が伝わっていた所もあった。

だが、今ではほとんど行われていない。知恩院浄土宗学研究所の安達俊英嘱託研究員(59)=大阪市天王寺区・浄土宗圓通寺=は「臨終行儀が行われなくなるのは、病院で亡くなる比率に比例している」と指摘する。

厚生労働省「人口動態統計」によると死亡者の場所別の割合は、1951年には自宅が82・5%、病院などの医療機関は11・7%だったが、約60年後にはほぼ逆転。2010年、医療機関で最期を迎えたのは8割を超え、自宅死は12・6%にすぎなかった。病院死の増加は、僧侶を看取りの現場から遠ざける大きな原因になった。

安達氏自身も、自坊の先々代が戦後間もない頃まで、臨終行儀を営んでいたと聞いているが、自身は経験したことがない。

だが、布教の観点から強い関心を寄せている。「臨死のときは本人だけでなく、周囲の人々も宗教的になる。亡くなった人が往生できたという確信は、大きな影響を与える」と考えている。

これまで講演などで「現代の往生伝を作りたい」と話してきた。往生を遂げた人物の信仰態度や、臨終時の様子などを集めた伝記は、平安時代や江戸時代に数多く作られた。具体的な事例を示すことで、「私も浄土に行くことができるのではないかと、往生に親しみを感じさせる役割があった」という。

「先祖のためにという人は多くても、自分が往生するために念仏する人は少ない。往生を目指しての念仏を広める一つの手だてとして、現代でもこんな最期の迎え方がある、こんな現象があると知っていただけたら」と思い描く。

一方で、僧侶が臨終行儀をすることについて、「檀家さんの死の床に一緒にいさせていただくことは大きな経験。亡くなった方のお葬式をしても、思いが自然と違ってくるだろうし、浄土往生についても胸を張って話すことができるようになるのではないか」と語る。

大河内大博氏遺族の思い受け止め ケア担い嘆きに寄り添う


医療従事者や宗教者でつくる仏教看護・ビハーラ学会は、「現代版臨終行儀を考えるつどい」を今年2月まで12回にわたって開いてきた。現在も課題を引き継いだ勉強会が、ほぼ隔月で開かれている。

「つどい」には毎回25~30人が参加。医師や看護師、ケアマネジャー、僧侶らが意見を交わした。臨終行儀そのものについて検討するよりも、死生観を育むことをテーマにして、看取った経験や看取られる不安などが語られた。

「つどい」の世話人を務めた上智大グリーフケア研究所の大河内大博・主任研究員(37)=大阪市住吉区・浄土宗願生寺=は、臨終行儀を遺族のケアとの関わりで捉える。「亡くなった人が救われている、次の世があるという思いがあれば、悲しみはあっても、基底には『また会える』といった安心がある」

だが、宗教者が「次の世界」だけを説くならば、遺族の感情との間に溝が生まれるという。「次の世界を伝えるのは僧侶の役割だが、それは結論。今会いたいというかなわない気持ちを抱いて、もがいている遺族の思いを受け止めることが前提になる」と十分な配慮が必要だとする。

大河内氏は兵庫県川西市の市立川西病院でスピリチュアルケアに携わってきた。「看取りの現場に宗教者がコミットして、そこで患者さんのケアを担い、遺族の嘆きに寄り添う。それらが連綿とつながっていくことを目指している。その延長線上で自然と臨終行儀が見直され、求められるようになるのではないか」と話す。

大河内氏は現在、自宅での看取りに関心を寄せる。今年10月で病院での取り組みに区切りをつけ、来年4月からは在宅医療を中心にする医師と連携しながら、宗教者としての役割を探る。

波江野茂彦医師 宗教者は生活の場に 仲間と共に死と向き合う

2025年には、約800万人の団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)になる。厚生労働省は同年をめどに、重度の要介護状態の高齢者でも地域社会で暮らし続けられるようにするための「地域包括ケアシステム」を、ボランティアやNPOなども巻き込みながら構築するとしている。自宅で最期を迎える人たちや遺族を支える仕組みづくりは、これから大きな課題になる。

「つどい」のもう一人の世話人、波江野茂彦医師(54)は、在宅療養を望む患者たちへの訪問診療を中心に行う医療法人拓海会神経内科クリニック(大阪府豊中市)の院長だ。死によって人生が完成すると捉えて最期と向き合う「完成期医療福祉」を唱え、13年に亡くなった医師の神代尚芳氏から大きな影響を受けた。

「つどい」は、「二十五三昧会」に興味を抱いていた神代氏の思いを受けて、波江野氏らが企画したものだった。

「二十五三昧会」は『往生要集』に依拠して、平安時代中期に25人の結縁衆で組織された念仏結社。約束をまとめた「二十五三昧起請」には、往生を期して毎月15日に法会を営み、結衆が病気になれば互いに看病し、看取り合うことなどを定める。

波江野氏は、集った仲間たちが死を学び、見つめながら生きていたことに着目する。

神経難病、認知症や末期がんなどの多くの患者と関わってきた。完治を目標にするのではなく、生きることを支える医療を目指してきた。

「死を恐れる」という医療技術では太刀打ちできない心の在り方が、過剰な医療措置への欲求を生む。患者の生活の質を低下させ、看病する家族を疲れ果てさせることにつながる場合もあった。

波江野氏は宗教者に、「生活」の中に入り込んでいくことを求める。「お寺には檀家さんがいる。手の届く範囲で、その方々に目を向けてほしい」

医学が飛躍的に進歩する中で生まれる「死が遠ざかるという幻想」が、自分や家族の死から目を背ける「あがき」をもたらすという。

宗教者が生活の場に入り込み、檀信徒らと共に「死」に向き合う姿勢を育むことが重要だとする。


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抜粋終わり


結構いい記事かも。

科学では死の恐怖から逃れない。

そもそも科学は、宗教・思想の一端にすぎないからね・・・。

「科学は、真言密教・仏教の一部だ」と南方熊楠。

お読みくださりありがとうございます。
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