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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
京の風 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
実は今、北飯山で、里山暮らし体験をしています。生きる現場をイノチ咲き合う天国に。


こんにちは。
1) イノチの現場、里山 を整備する、知見と技を知ろう。
 昨日、三人の客を飯山駅に送ってから、次男と一緒に、余頃友康さんのところにいきました。 雪深い飯山での里山暮らし体験。

 余頃さんは、千葉大の理学部で林業を専攻した森林・里山蘇生の専門家。
飯山に定着し、すっかり根付いて地元の女性と結婚し、農家の古民家を借りて、そこにストーブを設置したことから、付近の農家から、荒れた杉や果樹の廃材を使ってくれとなって、その利用が始まりました。もちろん、農地もです。人が手を入れないと、すぐに、荒れ地に変わってしまいます。
 どう手を入れるか? それを、生きるための楽しみにできないか、これが、余頃さんの哲学です。その現場は、私の住む中野市の北側(すなわち、高社山の北側)で、野沢温泉村とは、千曲川を挟んで、西側に当たります。
(観光写真で紹介される、飯山市の「菜の花」畑。その向こうに流れる千曲川。その後ろの丘陵の奥に、戸狩の集落があります。  https://medigaku.com/iiyama-nanohana/
 5月19日は、そこで、株k20が企画した、田植え体験を行います。「マイ田んぼ」を確保する、チャンスですよ)

飯山の戸狩地区は、とても美しい風景が広がります。冬には、多くのカマクラが並びます。
今日5日は、これからまた出かけます。 水田整備と、ワサビ田をつくる実習です。
昨日は、うちの倅が,斧の使い方や刃物の研ぎ方を教えてもらって、大満足でした。
参加者の中には、20歳代前半の女性もいて、電動ノコギリの使い方を習っていました。また、妙高にある、山岳ツアーや沢上りのガイド養成学校の生徒さんもいました。

これまでの、国家の行政や、マネー中心の文明システムが壊れても、それに、作用されない強い人間になる。このとき、自らの生存を確保しながら、自然の中で、人間として、心豊かに、次々と多くのイノチと響き合う楽しみを見つけて、快適に過ごす。

これには、先人たちの経験を学びながら、しかも、これまでの文明で蓄積された多くの科学的知見と、合理的な技を習得しないといけません。

2)一方、今、人類全体を見た時、「静かに人口削減」を進め乍ら、
  国際政治では、世界的課題として、<板門店を平和作りの象徴にする>

これ、実は、これまでの男性原理での人類文明を、全て総括し、一旦、停止させたうえで、何をどう生かすか、女性の視点で、再構築するものです。

もともと、男性(XY染色体)とは、女性(XX染色体)の異質であり、これは、地球上で、いろいろな環境変化の中で、種として、その個体を変化させながら、生き抜くための方法でした。
 人類に限らず、生き物の「生存」とは、 女性の手の中 に あったのです。

天才天界さんが、史上最大の秘密結社「マザー」がある、という指摘は、とても面白い。
元々、戦争や国家権力は、「男たち」の征服欲と自己顕示欲が生み出したものでした。
しかし、女性の中には、ミエハリの怠け者がいて、ある男性がより多くの収奪をして、富(贅沢)が蓄積されると、それを得ようとして、そうした男性に媚を売る女性が現れたのも、事実です。
 また、女性たちの、美しくありたい、快適に過ごしたい、という欲求が、多くの市場を生み、それが、人間(職人と芸術家)の創意工夫を引き出し続けたのもまた事実です。

 今、人類が地球的規模で、これまでの文明の整理をする時代です。
基本となる考え方は、
 何が追及すべき本質で、何が調整・修正のための道具であったかか、という、見極めです。

 自然の中に、自分の生きる世界を確立する。それも、人間として、想像と創造をもって。
基本的に、都市化・工業化・電子化は、自然のイノチのつながりを切り取り、それを人為によって商品として流通させ、消費する行為でした。
 このとき、人間社会が作り出した未来に向けたエネルギーの集積でもあるマネーを、自分の生存や他者との円満な関係作りに活かすことなく、その数字だけをもとめて、秘蔵・退蔵・死蔵させる愚は、なぜ、生まれるのか? 
なぜ、数字だけのマネーを持つ人間を、これまでの社会は、称賛してきたのか?

 それは、支配・従属構造の中で、支配的地位を得られる、と、皆が錯覚してきたからでした。
 マネーは、人間を動かすエネルギーの一つで、しかも、集中・蓄積・段階的な利用が可能です。
 これを、恣意的に使いたい人間が、国家権力を作り、さらに、都合の悪いものを、抹消したり、あるいは、さらに国家権力に、マネーを使わせるために、戦争をしてきました。

 このことに今、世界の知性が大反省とともに、いつまでも、気づかないままの愚か者に対して、相当な決意を以て、その処分に入ったのです。

 未来をどうするのか? 全体の未来と、自分自身の未来。
人間だけが、未来を意識し、今の自分、そして、自分の社会、さらに、人間以外の生命との関係性を、自分の意思で、再構築できます。
 このとき、自分は、この今に、どうしたいのか? どう、意識の芽を育てるのか?
ここで、自分にしかない、「種」を自覚し、それを、一生をかけて、そだて続けると決意する。
 これは、2000年前に、自分の心に聞けと、イエス・インマヌエルが言ったことですが、それを、天才天界さんが「シード(種)」といって、明確な「認識」として取り出してくれました。 感謝です。

 私たちは、地球に生まれ、多くのイノチとともにあります。それぞれが、心を持ったコスモスなのですが、これは、幾重にも重なり合いながらも、私たちが、心に抱いた未来像に向けて、お互いにとっての素敵な関係性を確認し、それを、実践することで、より、楽しく、色鮮やかな花を、処々に咲かすことが可能です。

余頃先生の里山教室は、そこに集う人間の心も含め、ほんとうに、いろいろ考えさせてくれます。

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

>天才天界さんが、史上最大の秘密結社「マザー」がある、という指摘は、とても面白い。

>しかし、女性の中には、ミエハリの怠け者がいて、ある男性がより多くの収奪をして、富(贅沢)が蓄積されると、それを得ようとして、そうした男性に媚を売る女性が現れたのも、事実です。

これはちょうど幻の桜がいう「ユタのおばば」{ユダのおばばか?}ということと思う。

易にこういうのがある。

坤為地 より

http://ekikyou-dokugaku.com/koniti6.html

上記文抜粋
・・・・・・・・
まずは、やさしい解説から
<爻辞の訳>
「龍が野で戦い、血を流している」

龍というのは坤為地ではなく、強さの象徴「乾為天」を表すはずでした。

しかしなぜか、坤為地の上爻に突然、現れましたね。

これは、従う卦「坤為地」であるのに、一番上の位まで来てしまい、いらぬ強さを持ってしまったのです。

しかし本質は坤為地ですから、本当に強いわけではありません。

それで血を流す羽目になっているのです。


・・・・・中略・・・・


「龍」というのは、陰が極まり上って行って、強い勢いとなったもののことで、坤が乾の龍と同じような勢いを得たということです。

しかし全陽の卦である「乾」の龍は、元々強剛です。

一方、坤の龍は、陰の道が極まって物すごく強くなりました。

それが両立することとなれば、「共に傷つき血を流す」ことになります。

その血の色が「玄黄」だと言うのです。

「玄」は乾の色で、天の色。「黄」は坤の色で、地の色です。

しかし坤の龍は、そのようにいくら強くなったとしても、本性は陰のままなのです。

また、陰も陽も、長じていくと互いに変化します。

それと同じことが卦の上爻でも言えます。

初爻は初めであり、上爻は他の事柄へと移りゆくところです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

私が20年以上前にいろいろ煮詰まって困り抜いた時に、この卦がでて、あわてて高校の恩師に電話をして、精神科を教えてもらい駆け込んだ。

河村真光さんは「正常な判断ができない」と書いてある爻。


欲と見栄で、正常な判断ができない。

安倍夫人と安倍母堂をみたら、そのモノだろう。



男女平等は「正しい」けど、いびつに社会に引きずり出すの是とする「フェミニズム」とかは、なんかこの「オババ」がらみに思う。
「オババ」への怨念か?「オババ」自体が判断力を失って、表の名誉も総取りに来たからなのか。


この卦の変化のあとは、山地剥の上6で、剥落寸前。


ただ
http://ekikyou-dokugaku.com/santihaku6.html
・・・・・・・
この上爻は、この卦で唯一の陽爻です。

物に当てはめてみると、木の頂上にポツリと残った大きな果実で、これは人や鳥獣が、いかにしてもと狙ったにもかかわらず、どうしても取ることができません。

あまりに大きく、あまりに高く、あまりにも固いので(外卦艮より)、人にすれば世の中に溶け込まない、剥のような良からぬ世界にあっても、超然と高山に隠居している君子ですから、これを追剥(ついはく)することなど、とてもできない。

「碩果食われず」とは、そういった意味です。

いかに世が乱れ、多くの善良な者が亡されて行ったにせよ、正義の種は亡び去ってしまうことなく、いつかはまた勢いを得てくるのが天道の理です。

その時には、今まで正しい認識は持ちながらも時の勢いに抗し得ず、涙ながらに邪悪な世に従っていた三爻のような庶民が喜び迎えて我世の春を楽しむでありましょう。

それが「君子は輿を得」です。

上爻に残っていた君子の果実が、失われず再び正しい世を盛り返してきますと、今度は一変して小人は消え去らねばならなくなります。

「小人は盧を剥す」は、小人が居場所を失うことを言っています。

正義が栄える世となれば、世論も生気を吹き返し、小人を追放することとなるのです。


・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

善道をいって、復活するか・・このまま惰性と悪事で、破たんするか・・



お読みくださりありがとうございます。
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