故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
酔生夢人のブログ より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
指の長さを切りそろえる
「癸巳存稿」という昔の中国の随筆の中にこんな話がある。建隆年間というのは北宋の第一代の年号で、太祖は北宋初代皇帝。次の赤字部分が、引用。(大滝一雄訳)
建隆年間のこと、竹木務監督が、積まれている材木の長さがふぞろいなのを気にして、それを切りそろえたいと願いでた。すると太祖はその上申書の末尾に、「お前の手の指にも長短がないわけではなかろう。どうしてそれを切りそろえないのか。長いものは長いなりに、短いものは短いなりにしておくがよい」と返事を書きこんだという。
わたしの親戚に、この上申書と返事を見たものがある。この(太祖の)ことばというのは、信じてもよさそうだ。
お役人(管理者)というのは、自分の管理するものを整然としたい欲求が強いのだろう。今の日本の教育の画一主義というのも、その根源はそこにあるのかもしれない。手の親指も人差し指も中指も薬指も小指もみんな同じ長さに切りそろえたがるわけである。そういう「指の長さの揃った手」が、はたしてどれだけの働きができるものだろうか。
指の長さを切りそろえるというイメージが強烈なので、メモしておく。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
プロクルーステースの寝床ってことわざが、欧州にある。
ちなみに建隆年間は、建国初期の頃と思う。
>「お前の手の指にも長短がないわけではなかろう。どうしてそれを切りそろえないのか。長いものは長いなりに、短いものは短いなりにしておくがよい」
これは、宋太祖の趙匡胤なら言いそうなことだと思う。
「子供の頃から「王様・皇子さま」とか言われると、ロクな人間にならん。」と自分の子供たちは成人するまで爵位を与えなかったとか、面白い人だ。
おなじく より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
引いてばかりだと土俵を押し出されるのは自明のこと
差別主義者を批判する非差別主義者(差別反対論者)に対して、「お前ら(差別反対論者)も我々(差別主義者)を差別しているではないか。自己矛盾だ。言行不一致だ」と反論する差別主義者の論法があるわけだが、下のカール・ポパーの言葉はこうした論法へのいい対処法(つまり、自己矛盾に悩む寛容主義者の精神安定にいい教え)である。
以前に孔徳秋水氏がよく言っていた「応報論(応報主義)」と似ているだろうか。つまり、「寛容には寛容で返し、不寛容には不寛容で返す」わけである。
寛容主義はべつに「すべてに寛容であれ」と主張しているわけではない。まあ、それをかなり高次元で主張したのはキリストくらいだ。(「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」「汝の敵を愛せよ」というわけだが、キリストも実は自分の思想的敵対者であるパリサイ人、つまり当時のユダヤ教指導層の言動に対しては非常に不寛容だったのである。)「無抵抗主義」のガンジーもそれに似ているが、無抵抗と寛容は同じではない。
(以下引用)
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>寛容主義はべつに「すべてに寛容であれ」と主張しているわけではない。まあ、それをかなり高次元で主張したのはキリストくらいだ。(「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」「汝の敵を愛せよ」というわけだが、キリストも実は自分の思想的敵対者であるパリサイ人、つまり当時のユダヤ教指導層の言動に対しては非常に不寛容だったのである。)
なぜ、江戸幕府や太閤さんが、耶蘇を禁じたか。
そりゃ、耶蘇が不寛容な宗教、他の宗旨の連中を迫害、時に殺戮して、寺社を破壊放火したからである。
不寛容を大目に見ていると、寛容が破壊される。
それは「悪貨は良貨を駆逐する」「邪曲、直に勝る」というがごとし。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
指の長さを切りそろえる
「癸巳存稿」という昔の中国の随筆の中にこんな話がある。建隆年間というのは北宋の第一代の年号で、太祖は北宋初代皇帝。次の赤字部分が、引用。(大滝一雄訳)
建隆年間のこと、竹木務監督が、積まれている材木の長さがふぞろいなのを気にして、それを切りそろえたいと願いでた。すると太祖はその上申書の末尾に、「お前の手の指にも長短がないわけではなかろう。どうしてそれを切りそろえないのか。長いものは長いなりに、短いものは短いなりにしておくがよい」と返事を書きこんだという。
わたしの親戚に、この上申書と返事を見たものがある。この(太祖の)ことばというのは、信じてもよさそうだ。
お役人(管理者)というのは、自分の管理するものを整然としたい欲求が強いのだろう。今の日本の教育の画一主義というのも、その根源はそこにあるのかもしれない。手の親指も人差し指も中指も薬指も小指もみんな同じ長さに切りそろえたがるわけである。そういう「指の長さの揃った手」が、はたしてどれだけの働きができるものだろうか。
指の長さを切りそろえるというイメージが強烈なので、メモしておく。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
プロクルーステースの寝床ってことわざが、欧州にある。
ちなみに建隆年間は、建国初期の頃と思う。
>「お前の手の指にも長短がないわけではなかろう。どうしてそれを切りそろえないのか。長いものは長いなりに、短いものは短いなりにしておくがよい」
これは、宋太祖の趙匡胤なら言いそうなことだと思う。
「子供の頃から「王様・皇子さま」とか言われると、ロクな人間にならん。」と自分の子供たちは成人するまで爵位を与えなかったとか、面白い人だ。
おなじく より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
引いてばかりだと土俵を押し出されるのは自明のこと
差別主義者を批判する非差別主義者(差別反対論者)に対して、「お前ら(差別反対論者)も我々(差別主義者)を差別しているではないか。自己矛盾だ。言行不一致だ」と反論する差別主義者の論法があるわけだが、下のカール・ポパーの言葉はこうした論法へのいい対処法(つまり、自己矛盾に悩む寛容主義者の精神安定にいい教え)である。
以前に孔徳秋水氏がよく言っていた「応報論(応報主義)」と似ているだろうか。つまり、「寛容には寛容で返し、不寛容には不寛容で返す」わけである。
寛容主義はべつに「すべてに寛容であれ」と主張しているわけではない。まあ、それをかなり高次元で主張したのはキリストくらいだ。(「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」「汝の敵を愛せよ」というわけだが、キリストも実は自分の思想的敵対者であるパリサイ人、つまり当時のユダヤ教指導層の言動に対しては非常に不寛容だったのである。)「無抵抗主義」のガンジーもそれに似ているが、無抵抗と寛容は同じではない。
(以下引用)
哲学者カール・ポパー
「寛容な社会は不寛容を許容するべきか?もし不寛容な者にまで寛容であろうとすると寛容な人々も、寛容な社会も、彼らに壊される。不寛容や迫害を説くいかなる扇動も犯罪でなければならない。矛盾しているようだが、寛容性を守るには、不寛容に不寛容であるということが必要だ」 pic.twitter.com/7H46rTYW4n
— ブレーメンの音楽隊 (@PachelbelCanonD) 2018年6月20日
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>寛容主義はべつに「すべてに寛容であれ」と主張しているわけではない。まあ、それをかなり高次元で主張したのはキリストくらいだ。(「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」「汝の敵を愛せよ」というわけだが、キリストも実は自分の思想的敵対者であるパリサイ人、つまり当時のユダヤ教指導層の言動に対しては非常に不寛容だったのである。)
なぜ、江戸幕府や太閤さんが、耶蘇を禁じたか。
そりゃ、耶蘇が不寛容な宗教、他の宗旨の連中を迫害、時に殺戮して、寺社を破壊放火したからである。
不寛容を大目に見ていると、寛容が破壊される。
それは「悪貨は良貨を駆逐する」「邪曲、直に勝る」というがごとし。
お読みくださりありがとうございます。
PR
なるべく早く離れられる…
「魔法の言葉」を紹介しますね。
それは…
「○○さんと、ステキな理由で卒業します!」
この言葉を何度も何度も言っていると…
まず心がスッキリしてきます。
そして「きたるべきとき」がきたら…
あなたも想像しないような
「ステキな理由」が起きて…
ちゃんと卒業(離れられること)ができるんですよ。」
https://ameblo.jp/tsumakiyoko/entry-12095835013.html
から引用
人だけじゃなくて思想等にも使えたらいいなと思います。
>
>なるべく早く離れられる…
>
>
>
>「魔法の言葉」を紹介しますね。
>
>
>
>
>それは…
>
>
>「○○さんと、ステキな理由で卒業します!」
>
>
>
>
>この言葉を何度も何度も言っていると…
>
>
>
>まず心がスッキリしてきます。
>
>
>
>そして「きたるべきとき」がきたら…
>
>
>あなたも想像しないような
>
>「ステキな理由」が起きて…
>
>
>ちゃんと卒業(離れられること)ができるんですよ。」
>https://ameblo.jp/tsumakiyoko/entry-12095835013.html
>から引用
>
> 人だけじゃなくて思想等にも使えたらいいなと思います。
同感です。
そういえば、嘉田元滋賀県知事が、「卒原発」っていうフレーズを出したのはよかった。
けどそのフレーズが善すぎたのもあって、不正選挙でつぶされたかも・・
書き込みありがとうございます。
私はキリスト教はよくわかりませんが、30そこそこの大酒飲みで自己中な奇人のイエスが好きなんですけどね。子供の頃、日曜教会に行かされてましたが洗礼しませんでした。怖かったです。
>私はキリスト教はよくわかりませんが、30そこそこの大酒飲みで自己中な奇人のイエスが好きなんですけどね。子供の頃、日曜教会に行かされてましたが洗礼しませんでした。怖かったです。
で、日本の済公って名乗りませんか?
済公 参考
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/jigong.html
参考 2
http://ichiku37.blogspot.com/2014/01/blog-post_8.html
済公 ウイキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/済公
書き込みありがとうございます。
ローマは十字架の屍体のイエスだらけで悪魔の都。バチカンの教皇はどれだけイエスが憎いのか。
日本の済公の出現は?
運命やいかに?
ありがとうございました。
>ローマは十字架の屍体のイエスだらけで悪魔の都。バチカンの教皇はどれだけイエスが憎いのか。
>日本の済公の出現は?
>運命やいかに?
>ありがとうございました。
空海さんと一休さんを足して、二で割ると、済公かな。
こういうゆるさと凄味がいいですね。
お返事ありがとうございます。