忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/04     03 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  > 05
Admin | Write | Comment
P R
アバンギャルド精神世界 より

上記文抜粋
・・・・・・・・
荘子 我は死に憩う

◎古の真人は、生を喜ばないし死をいやがらない

荘子の大宗師篇から。
『夫れ大塊は我を載するに形を以ってし、
我を労するに生を以ってし、
我を佚(やす)んずるに老を以ってし、
我を息(いこ)わするに死を以ってす。』

【大意】
大自然は、
我を大地に載せるために身体を与え、
我を労するために生を与え、
我を安んずるために老いを与え、
我を憩わせるために死を与える。

また大宗師篇には、
『古の真人は、生を説(よろこ)ぶことを知らず、死を悪(にく)むことを知らず。その出づるや訴(よろこ)ばず、其の入るや距(こば)まず。』

【大意】
古の真人は、生を喜ばないし、死をいやがらない。生から死に出ても喜ばないし、死から生に入っても拒まない。

栓ずるところ、荘子にとっては、生と死を比べると死の方が憩いを与えてくれるものであり、生より好もしい。そして何より生から死に入ったり、死から生に出たりするのも自由えあるということ。

ここを、倫理や哲学や宗教イデオロギーとして考えると先へは進めない。密教やクンダリーニ・ヨーガのあの神人合一、中心太陽への突入があってはじめてこれが言える。死の世界を窮めて、生の世界を知る冥想技術だからである。

ただし荘子には冥想技術らしい記述はほとんどない。
密教だから。


・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>ただし荘子には冥想技術らしい記述はほとんどない。
>密教だから。

松岡正剛さんによると、空海さんは、「荘子型の文に遊ぶ」人になりたかった。けど「文び王型の文人」だった、そうです。


大師編纂の辞典をみても、妖怪や草木・動物の記述が多いそうで。

そういう意味で、荘子が結構好きだったようだ。

「山中に憩う」みたいな漢詩も多く作っているし。




て話は戻って、


>そして何より生から死に入ったり、死から生に出たりするのも自由えあるということ。

>ここを、倫理や哲学や宗教イデオロギーとして考えると先へは進めない。密教やクンダリーニ・ヨーガのあの神人合一、中心太陽への突入があってはじめてこれが言える。死の世界を窮めて、生の世界を知る冥想技術だからである。


それなりに経験して、「生死は一如」と言い得るし、そう生きれる。

でもそれを経験できない・してない人間に押し付けないでほしいよね・・・大日本帝国や日本会議カルト倶楽部みたいに・・・。

て真に経験した人間は、押し付けもしないし、底抜けにやさしい・・・荘子や空海をみてもそうだし・・・・。


まあそういうお話。



お読みくださりありがとうございます。

PR
Comment
Name
Title
Mail(非公開)
URL
Color
Emoji Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Comment
Pass   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]