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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。
読めないニックネーム より

上記文抜粋
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ねこた‏ @lakudagoya 2016年2月16日
違いのわかる陰謀論ってコーヒーの宣伝かよって。で、耶蘇教信者は仏教と耶蘇教は同じなんて、またまたマニさんみたいな事言っちゃってるけどさ
引用《西洋思想すべて「ゴッドや不滅の霊魂など、永遠の不変の超越的なものが実在する」
仏教「全部、妄想だね」》
これのどこが同じなんだよ教えてくれ

ーーー

理性は神秘的だという思想をスピ系は嫌う。
スピ系を否定する啓蒙主義派閥が崇めているのが理性だから。
啓蒙主義の百科全書派は、
百科事典=言葉で定義が書いてある
でわかるように言葉を重視。
スピ系は言葉を軽視するわりに、スピの言葉で書かれた教義から全く自由でないのが泣けてくる。

仏教は理性「も」非理性「も」重視で両者の中道が目標。


仏教は偽物対策に、
これがなければ仏教ではない三要素(または四要素)を定めており、
三法印(四法印)という。
仏教カルトが抜いたり、弱めたりしているのが三法印(四法印)。

“三法印とは
①「諸行無常」=万物は常に変化し一定の物は無い。
②「諸法無我」=存在するすべてのものは実体がない。
③「涅槃寂静」=輪廻の苦を抜け出せば煩悩に迷うことのない境地に至る。
この三法印に、「④一切皆苦(すべては思い通りにはならないという人生の実態)」を加えて四法印とする場合があります。
四法印とは「物事は常に変化しており、それ自体で存在し続けるものはないのに、ずっとあり続けると錯覚し、執着して苦を招くことになる」ことを戒めるものです。”
(14)仏教の本質とは
http://shukyo-kataru.com/archives/31

∸――

(大乗)仏教の定義=三法印or四法印を中核とする思想。
仏教三(四)大中核
=三法印or四法印を否定する思想は仏教ではないです。

仏教四大中核
⓵変わらないものは何もない
(不変のゴッドや一者なんて妄想)

②あなたも私もそれ以外もそれぞれが「構成要素の関係によって成立(=縁起=空)」している。
あなた以外の存在抜きの「独立している、絶対に変わらない『あなた』の実体(本体)」なんてない。
(あらゆる存在に「不変の本体」なんて存在しない
=西洋思想の中核の否定)

③欲望を消して安らかになることが最高の幸せ
(愛は欲望なので悪。つまり愛の神✝は悪魔)

④苦しみではないものはない。
欲望を満たした直後の満足感ですら、永続せず新たな苦しみの原因となるから結局は苦しみである。
(絶対善は妄想。よって悪の要素ゼロのゴッドなんて妄想)

絶対に同じではない、仏教を十字と新十字と同じだと叫んで統合する「ふりをして四法印の要素だけを抜いて仏教を殺す」ことをやっているのが今の支配層。

“四法印(しほういん)(…)に反するものは仏教ではないとされ、昔から仏の真説かどうかを判断する基準とされてきた。

諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、一切皆苦(いっさいかいく)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)、の四つを四法印といい、一切皆苦を除いた残りの三つを三法印(さんぼういん)という。これらはもちろん仏法を流布するときの旗印でもある。

     諸行無常

第一の法印の諸行無常は、あらゆる現象は絶えず変化しており、一瞬たりとも同一ではない、ということである。

諸行は、認識できるすべてのもの、縁によって生起したあらゆる現象を意味しており、もしも諸行が一瞬であっても変化せず同一であれば、永遠に変化は起きないことになる。なぜなら前の一瞬に変化せず同一であれば、次の一瞬も変化せず同一でなければならない。それでなければ同一とはいえないからで、するとどこまで行っても変化は起きないという理屈が成り立つのである。
(…)
諸行無常は特別の証明を必要としない、日常経験している目前の事実でもある。
(…)
諸行無常から老病死の苦しみも生じてくるが、無常は悪いことばかりではない。子供が誕生して成長するのも、作物が成長して実りの秋を迎えるのも、願いごとが一歩一歩成就していくのも諸行無常だからで、良いとか悪いとかの価値判断は諸行無常に含まれていない。
(…)
    諸法無我

第二の法印である諸法無我は、「認識できるすべての存在は我ではない」ということで、諸法は諸行と同じことを意味しており、我は「不滅の我」を意味する。

諸法が無我であるのは、諸行が無常だからで、変化する世界の中に、変化しない自分など存在しないということである。
(…)

     一切皆苦

諸行は無常だから、諸法は無我であり、そして一切皆苦である、と第三の法印へ続く。

自分というものが、常住なる存在であれば老病死の苦しみは起こらないはずだが、無常なる存在であるため変化にともなう苦に付きまとわれるのである。そして苦の代表として四苦と八苦が説かれる。

人生には楽しいこともたくさんあると思いたくなるが、迷いの生活は一切が苦であると仏教は説く。煩悩のためにあらゆることが、悩み、もめ事の原因になるからである。

無常によって生ずる苦はすべての生き物に与えられており、自分だけが苦しんでいるのでも、人間だけが苦しんでいるのでもない。だから苦を見つめることから、すべての生き物に対する思いやりの心が生まれてくる。したがって苦は慈悲のタネといえるが、修行によって滅すべき対象でもある。

     涅槃寂静

第四の法印は、「涅槃は寂静にして無苦安穏(むくあんのん)なる理想の境地である」という涅槃寂静である。

涅槃は「吹き消すこと」あるいは「吹き消された状態」を意味し、吹き消すべきものは苦の原因となる煩悩の炎である。

「むさぼりの炎、いかりの炎、愚痴の炎が、とこしなえに消えた状態」、それが涅槃寂静の境地であり、そこに真の楽があるということから寂滅為楽ともいう。ここが仏教の最終目的地なのである。

煩悩の炎は我に執着することから燃え上がる。我に執着する心を、我執(がしゅう)とか自我の迷執(めいしゅう)といい、これが迷いと苦しみの根っこである。自分の車の中はきれいにするがゴミは外に放り出す、というのも自我の迷執のなせるわざである。

無常であり、無我であるのに、その道理を知らず一時の借り物でしかない体を、これが自分だと執着することから老病死の苦が生じる。

その執着の対象となる我というものは、どこにも存在しないのだから、我執を捨てて煩悩の炎を消しなさい、そこに本当の安らぎがある、というのである。

悟りを開いても老病死を避けることはできないが、そこから生じる心の苦しみは解決できる。苦も楽も心が作り出しているからで、迷いをはなれた人にとってこの世は苦に満ちた世界ではない。”
http://www7b.biglobe.ne.jp/~zuiun/45houin.htm

両建て。弁証法といえば、
実在論(本当は~、真の~。絶対形而上)
VS
反実在論(形而上絶対否定or無記)

もそうかもね。
反実在論が仏教系。
でも仏教も涅槃は諸行無常の法則から外れている(有為法と無為法)ので、絶対形而上完全否定ではない気がする。
絶対形而上の定義が、人間が至れない、不変常住なら完全否定。
涅槃は人間がいたれる。涅槃も空。
実在論いっちゃうと間違いなく執着になるから無記だったのでしょうね。
そもそも仏教も輪廻(生とは個人の一生のことではなく永続する!)という実在論が大前提だし。
大乗が絶対形而上要素
(戒律とか涅槃とか、諸行無常でも変化しない善と悪行がある点)
を入れているのは、個人的救済から大衆統治用に改造した結果でしょうね。
だって原始仏教通り「いかなる意味でも生産するな」だと亡国まっしぐらだし。
だから儒教と道教を入れた。

実体思想も否定し、仏すら絶対的存在ではないとする仏教こそが真の啓蒙主義で理性主義でしょう。
宗教の世俗主義って要は本人に意識させずに潜在意識に宗教思想を刷り込むってことだから害悪。
だって「無宗教です」と平然と言えるレベルに無知ならそりゃあ騙されるよね。
宗教の世俗主義って「本人の自覚なしに潜在意識に刷り込んで操れ!」ってこと。
無宗教ですって平然といいつつ異教を迫害する労働教を見ると自覚無いのはまずい。
世俗主義って幼児洗礼とか生まれたときからカルト教団に登録みたいな害悪なのでは?

スピって戒律を誓うことがない
=信者が暴走することを防ぐ装置がない、
よって悪意で作られた欠陥品。これもステルス化の害。

仏教、密教、バラモン、ヨガ(大衆化でない方)などでやる、
「人前で自分で声に出して戒律を誓うことで強固な縛りをかける技術」を抜いている時点で悪。
せめて本の冒頭に悪用禁止、健全な道徳を持って活用しましょうぐらい書いとけ。
儒教取り入れた時に「易姓革命=徳がない道徳失った君主は殺してOK」を消したかどうか気になる。
現在の儒教カルトは易姓革命を抜いてあるからね。
これ戒律抜いた仏教カルトと同じだからね。
権力者に道徳を守らせる防御装置抜いたらカルト確定。
カルトの作り方マニュアル。
道徳を抑える要素を抜け。


∸――

多くの嘘を見抜ける一つの知識を与えられるようにしないといけません。
勉強時間は限られていますから。
たとえば、仏教は縁起さえわかれば他もわかります。
無常・苦・無我は、縁起を三つの仕方で表現しているだけ。
だから縁起説の勉強をまず重点的にすべきなのです。
縁起説はスピのような盲目的信仰を否定します。
縁起説はなにごとにも原因があるという教え。
だから法則があるという発想につながります。
そして、原因(成立条件)があるのだからそれはそのうち失われるから永続しないということがポイント。
つまり空と諸行無常。



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・・・・・・・・
抜粋終わり

>「人前で自分で声に出して戒律を誓うことで強固な縛りをかける技術」を抜いている時点で悪。

真言律宗がその辺は良い。戒律を、仏と人に誓う。参考




お読みくださりありがとうございます。

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