故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
山崎行太郎ブログ 毒蛇山荘日記 より
上記文抜粋
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櫻井誠と廣松渉ー「在特会」の系譜学。ー「ネット右翼亡国論」のためにー。
悪名高い「在特会」の櫻井誠(高田誠)とその出身地、福岡県北九州周辺を取材・調査して、その取材・調査したデータを根拠に、櫻井誠を、上から目線で、批判・冒涜する安田浩一の『ネットと愛国』を読んでいると、自然に廣松渉という哲学者の存在を連想した。
左翼と右翼。秀才と劣等生。東大教授と怪しい右翼市民活動家。
一見、まったく異なる経歴と思想の持ち主だが、ともに福岡県出身であり、ともにその思想が深く故郷の風土に根ざしている土着(存在論)派の思想家だからだ。
佐藤優は、『廣松渉論』で、廣松渉と大江健三郎を並べて、こう言っている、
【誤解を恐れずにいうならば、彼らの深層心理の根底にはつねに「田舎」や「土着」が巣くっていた。彼らにとって「都会」「中央」「世界」はあくまでも「思想的立身出世」を実現場所である。と同時にそれは「敵地」でもあった。】
と。
廣松渉と大江健三郎、そして櫻井誠。
「誤解を恐れずにいうならば」、そこに共通するものがある。
小市民的似非インテリ・安田浩一には、それが見えていない。
安田には、表層的なイデオロギー次元のものしか見えていない。
哲学や思想、文学は、イデオロギー的次元にとどまっていては駄目だ。
安田浩一の『ネットと愛国』の「櫻井誠批判」は、イデオロギーの次元にとどまっている。
何故、櫻井誠が、一部の日本人とはいえ、熱烈な支持者を持つのか、が分かっていない。サブタイトルには、「在特会の闇」という言葉もあるが、すこしも「在特会」の闇に切り込んでいない。表層をなぞっているだけである。(続く)
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・・・・・・・・・
抜粋終わり
>何故、櫻井誠が、一部の日本人とはいえ、熱烈な支持者を持つのか、が分かっていない。
その理由は
>【誤解を恐れずにいうならば、彼らの深層心理の根底にはつねに「田舎」や「土着」が巣くっていた。彼らにとって「都会」「中央」「世界」はあくまでも「思想的立身出世」を実現場所である。と同時にそれは「敵地」でもあった。】
であると思う。
櫻井某が、コリア・中国に怒号し、都市の在日を排斥するのは、一種の「田舎者」だったてことと、
「都市」やその裏側に居る「世界」に押しつぶされようとしている「地方・田舎」の「感情的な代弁者」だったから、という面もある。
排外感情と、「地方・田舎の自己防衛反応」のミックスゆえに、強烈に動き、かつ心酔者が増え、その異常な「排外主義」を受け入れてしまう・・・。
同じく より
上記文抜粋
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「上からの哲学」と「下からの哲学」ー櫻井誠と廣松渉(2)ー「在特会」と「物象化論」の哲学。
私が愛読する吉本隆明の『転向論』のテーマは「大衆の原像」だが、それは、要約すると、民衆や土地、風土いう人間存在の土壌の深くに根ざしていない思想は駄目だと言うことである。
私は、「右翼過激派」の櫻井誠と「左翼過激派」の廣松渉の存在を考える時、この「大衆の原像」という言葉を思い出す。
私見によれば、櫻井誠も廣松渉も、大衆や民衆に根ざした思想家である。
逆に、たとえば、「学者の会」や「憲法学者」や「芸能人」まで立ち上がり、巨大な大衆運動に盛り上がった「反安保法制デモ」に若干に違和感を感じたのだが、それは、あのデモが、「大衆の原像」に根ざしたものではなく、「上から目線」で、大衆や民衆を見くだすかのような「上からの哲学」にもとずくものだったように見えたことだった。
特に、全国の大学教授たちが「学者の会」なる集団を結成し、小学校の学級会並みに勢揃いし、「安保法制反対」なる記者会見を行うと同時に、デモに参加、デモを主導し始めたらしいと分かった頃から、強烈な違和感を感じ始めた。
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抜粋終わり
>逆に、たとえば、「学者の会」や「憲法学者」や「芸能人」まで立ち上がり、巨大な大衆運動に盛り上がった「反安保法制デモ」に若干に違和感を感じたのだが、それは、あのデモが、「大衆の原像」に根ざしたものではなく、「上から目線」で、大衆や民衆を見くだすかのような「上からの哲学」にもとずくものだったように見えたことだった。
上から目線と大衆目線が入り混じっているから、あれだけ大きくなったとも思える。
が、シールズの妙な誘導ぶりと、その幹部の多くの「電通の犬」さ。それにパクパクしがみつくアホ知識人。
一体、それを見抜けないやつが、偉そうに・・・て思う。
その辺はダイレクトではないが、山崎先生も、違和感を感じているのは見事です。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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櫻井誠と廣松渉ー「在特会」の系譜学。ー「ネット右翼亡国論」のためにー。
悪名高い「在特会」の櫻井誠(高田誠)とその出身地、福岡県北九州周辺を取材・調査して、その取材・調査したデータを根拠に、櫻井誠を、上から目線で、批判・冒涜する安田浩一の『ネットと愛国』を読んでいると、自然に廣松渉という哲学者の存在を連想した。
左翼と右翼。秀才と劣等生。東大教授と怪しい右翼市民活動家。
一見、まったく異なる経歴と思想の持ち主だが、ともに福岡県出身であり、ともにその思想が深く故郷の風土に根ざしている土着(存在論)派の思想家だからだ。
佐藤優は、『廣松渉論』で、廣松渉と大江健三郎を並べて、こう言っている、
【誤解を恐れずにいうならば、彼らの深層心理の根底にはつねに「田舎」や「土着」が巣くっていた。彼らにとって「都会」「中央」「世界」はあくまでも「思想的立身出世」を実現場所である。と同時にそれは「敵地」でもあった。】
と。
廣松渉と大江健三郎、そして櫻井誠。
「誤解を恐れずにいうならば」、そこに共通するものがある。
小市民的似非インテリ・安田浩一には、それが見えていない。
安田には、表層的なイデオロギー次元のものしか見えていない。
哲学や思想、文学は、イデオロギー的次元にとどまっていては駄目だ。
安田浩一の『ネットと愛国』の「櫻井誠批判」は、イデオロギーの次元にとどまっている。
何故、櫻井誠が、一部の日本人とはいえ、熱烈な支持者を持つのか、が分かっていない。サブタイトルには、「在特会の闇」という言葉もあるが、すこしも「在特会」の闇に切り込んでいない。表層をなぞっているだけである。(続く)
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抜粋終わり
>何故、櫻井誠が、一部の日本人とはいえ、熱烈な支持者を持つのか、が分かっていない。
その理由は
>【誤解を恐れずにいうならば、彼らの深層心理の根底にはつねに「田舎」や「土着」が巣くっていた。彼らにとって「都会」「中央」「世界」はあくまでも「思想的立身出世」を実現場所である。と同時にそれは「敵地」でもあった。】
であると思う。
櫻井某が、コリア・中国に怒号し、都市の在日を排斥するのは、一種の「田舎者」だったてことと、
「都市」やその裏側に居る「世界」に押しつぶされようとしている「地方・田舎」の「感情的な代弁者」だったから、という面もある。
排外感情と、「地方・田舎の自己防衛反応」のミックスゆえに、強烈に動き、かつ心酔者が増え、その異常な「排外主義」を受け入れてしまう・・・。
同じく より
上記文抜粋
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「上からの哲学」と「下からの哲学」ー櫻井誠と廣松渉(2)ー「在特会」と「物象化論」の哲学。
私が愛読する吉本隆明の『転向論』のテーマは「大衆の原像」だが、それは、要約すると、民衆や土地、風土いう人間存在の土壌の深くに根ざしていない思想は駄目だと言うことである。
私は、「右翼過激派」の櫻井誠と「左翼過激派」の廣松渉の存在を考える時、この「大衆の原像」という言葉を思い出す。
私見によれば、櫻井誠も廣松渉も、大衆や民衆に根ざした思想家である。
逆に、たとえば、「学者の会」や「憲法学者」や「芸能人」まで立ち上がり、巨大な大衆運動に盛り上がった「反安保法制デモ」に若干に違和感を感じたのだが、それは、あのデモが、「大衆の原像」に根ざしたものではなく、「上から目線」で、大衆や民衆を見くだすかのような「上からの哲学」にもとずくものだったように見えたことだった。
特に、全国の大学教授たちが「学者の会」なる集団を結成し、小学校の学級会並みに勢揃いし、「安保法制反対」なる記者会見を行うと同時に、デモに参加、デモを主導し始めたらしいと分かった頃から、強烈な違和感を感じ始めた。
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抜粋終わり
>逆に、たとえば、「学者の会」や「憲法学者」や「芸能人」まで立ち上がり、巨大な大衆運動に盛り上がった「反安保法制デモ」に若干に違和感を感じたのだが、それは、あのデモが、「大衆の原像」に根ざしたものではなく、「上から目線」で、大衆や民衆を見くだすかのような「上からの哲学」にもとずくものだったように見えたことだった。
上から目線と大衆目線が入り混じっているから、あれだけ大きくなったとも思える。
が、シールズの妙な誘導ぶりと、その幹部の多くの「電通の犬」さ。それにパクパクしがみつくアホ知識人。
一体、それを見抜けないやつが、偉そうに・・・て思う。
その辺はダイレクトではないが、山崎先生も、違和感を感じているのは見事です。
お読みくださりありがとうございます。
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ですよね・・・
なにか白村江の戦い前後の事情も噛んでいるのかも・・・
書き込みありがとうございます。