忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/04     03 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  > 05
Admin | Write | Comment
P R
評論家 山崎元 のブログ

上記文抜粋
・・・・・・・・

「今回、病室には『外』の子もやってきました。『外』の子と言っても、私の作ったご飯を食べたり一緒に旅行したことがある子がほとんどです。一人だけあまり話す機会がなかった子もいましたが、心根のいいことはすぐにわかりました。
 秀行の病床の傍ら、母の違う子供達が集って過ごした時間は穏やかなものでした」
(「文藝春秋」7月号291ページ)

 これはなかなか達成できる状況ではない。たとえば、田中角栄元首相の愛人が書いた手記を読むと、角栄さんが「母の違う子供達」が仲良くしてくれることをいかに強く望んだかが分かるが、あの日本を動かした角さんといえども、これはかなわぬ夢だった。

・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

へ~

角栄さんでもできなかったことを、秀行先生はできていたのか・・・・

そういえば、文叔さん家もそうだったよな・・。

http://www.geocities.jp/kaysak864/liuxiu/49.htm 

上記文抜粋
・・・・・・・・

郭聖通と劉秀の関係
 陰麗華を押しのけて皇后となったのが郭聖通である。郭聖通とはどんな女性だったのか?
 郭聖通の母は郭主と呼ばれ、帝王の血筋をひき、母としての徳を備えた賢い女性であったらしい。また、郭氏は多く劉秀に取り立てられたが、それぞれ謙虚な優れた人物として知られている。このことは郭聖通もまた教養のある優れた女性であったことを思わせる。
 郭聖通にも五人の男児があり、その寵愛期間のほとんどは陰麗華と重なっている。子どもの出産時期もほとんど重複しており、郭聖通から陰麗華へと交代する様子は読みとれない。何か日替わりで二人をまったく平等に待遇しようとしたのではないかとすら思わせる。二人は男児の数も同じだが、また驚くべきことに郭聖通の皇后在位期間(西暦26~41)と陰麗華の皇后在位期間(西暦42~57)も共に十六年とぴったり同じである。平等にも程がある!
 明帝の時代の記録として陰氏と郭氏はすべてにおいて平等に待遇された(禮待陰、郭,每事必均)とある。これはおそらく劉秀の方針を引き継いだものと考えられ、劉秀はすべてにおいて郭聖通と陰麗華を平等に待遇しようとしたと考えられる。
郭聖通は政略結婚で劉秀の妻となった。兵力十万以上の勢力を持つ劉揚を味方にするための婚姻政略である。
 しかし建武二年(西暦26年)一月、郭聖通の背後勢力である劉揚は謀反により殺される。そしてその五ヶ月後、建武二年(西暦26年)六月に、郭聖通が皇后に決まる。だからもしも劉秀が郭聖通を嫌っていたのなら、このときすでに皇后にする理由はないのである。また息子だけで五人いることから、劉秀は郭聖通も好きだったことは間違いないだろう。
 歴史上の皇帝は寵愛する女性がたくさんのいることが多いが、子どもはたいてい一人か二人である。妊娠すれば飽きてしまうわけだ。
 しかし、息子だけで五人というのは、嫌いであったり興味がなかったりしてできる人数ではない。劉秀は陰麗華が一番好きだが、郭聖通も愛していたと考えねばなるまい。

・・中略・・・

だがこの事件は重大なこと生み出してしまった。
 さらに皇后廃立についての詔の内容を見てみよう。郭聖通は自分以外が生んだ子どもとうまく打ち解けたり教え育てることができなかった(不能撫順它子,訓長異室)という。陰麗華や許氏の子どもとの関係に問題が生じたということだ。
 劉秀は病み上がりであり、南陽への里帰りにあたり家庭のことを皇后郭聖通に任せただろう。おそらく郭聖通はこの南陽で、郭氏の皇子と陰氏、許氏の皇子に差を付けて見せたのではないか。劉秀はすべての子どもを全く平等に待遇していたのだが、これに不満だった郭聖通はこの機をとらえて、正嫡と庶子の差をはっきりさせようとしたのだと考えられる。
 このことが寛容な劉秀の怒りを買った。


・・・・中略・・・・

 郭聖通の死後四年、劉秀は泰山封禅の儀式を行う。このとき東海王劉彊も随行している。これも劉秀の郭聖通への気持ちを表したものであろう。
 
郭氏と陰氏に対立はあったか
 郭氏と陰氏はともに繁栄して特に対立もなかったようだ。明帝劉陽と廃された皇太子劉彊は仲がよく、大臣に主従の別をはっきりするように叱られたことすらある。また明帝の即位に当たり、陰麗華との三男劉荊が、郭聖通との長男である廃皇太子劉彊に皇位をねらうようにそそのかす事件(未遂に終わる)こともあった。郭聖通と陰麗華に対立があったのなら、母親の心理に敏感な息子たちがこんな反応をするとは考えられない。

・・・・・中略・・・・

また劉秀の娘は五人いるが、その四女劉綬は陰麗華の弟陰識の子の陰豊に嫁ぎ、五女劉礼劉は郭聖通の弟郭況の子の郭璜に嫁いだ。これは明らかに劉綬は郭聖通の娘であるから陰氏に嫁ぎ、劉礼劉は陰麗華の娘であるから郭氏へと嫁いだということである。郭氏と陰氏の関係が良好であったことを示している。
 よくある美人の新しい女性が出てきて皇后を追い落とす事件の場合、皇后は殺されたりひどい目に合うし、その家族もまとめて失脚するものである。ところが、この事件にはそうした要素は全くない。誰も得したり損したりしていないのである。
 

・・・・中略・・・

さらに陰麗華の行動を見ると、劉秀の意志に反する行為が多く記録されている。皇后になるように言われたのに拒絶したこと、罪に問われた馬援の娘を寵愛して身辺に置いたこと、妊娠したとき強引に遠征軍に従軍してついて行って軍陣の中で出産したことなど。
 さらに父の死に言及するたび涙したことなどを考えると、陰麗華は直情的で自分が正しいと思ったことは相手が皇帝であろうと一切譲らない頑固な女性であると考えられる。
 これに少女の頃から美人として知られていたことを合計すると、陰麗華とはツンデレ美少女であるということになろう!
 後に皇后になってからも郭聖通と確執を生まず、子供たちにもそう感じさせなかったところなど、陰麗華には何か神聖なものを持っていたと感じさせる。陰麗華は死後、光烈皇后と謚(おくりな)される。歴史上初の謚を持つ女性となった。


・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


藤沢秀行には、もとさん。劉秀には、陰麗華。

家族円満には、変わり者で偉大な女性が要でドンって居た。ってわけですよね。


お読みくださりありがとうございます。
PR
夢の中で、


・・・・・・・・・

ドイツの女性が

「自我が弱いと、アメリカと同じ過ちをする。自我が強いと、ナチと同じ過ちをする。」

と言っていた。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

その中で、ふと思ったのが「ヒルデガルド」って修道女がドイツにいたっけ・・・

あと銀英伝で、ラインハルトの嫁さん「ヒルダ皇后」も「ヒルデガルド」だったし。


ただこのドイツ女性は、夢の中では

・・・・・・・・・

軍服のような服を着ていて、米国の占領下で性的暴行されそうになっても毅然とした言動で、それを退けた「偉人・女傑」ってこと。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・



ふむむ・・・・



わからん。



でも彼女の言葉、大事に思う。


お読みくださりありがとうございます。



最近、さようなら・離別系の歌を夢で見ることが多い・・・。







不吉な予兆でなければ、良いけど。

まあ綺麗な歌で好きですけど・・・。

オマケ

低気温のエクスタシー より

上記文抜粋
・・・・・・・・
呉の名将・陸遜「民衆が豊かでありながら国が弱いという実例はない」

https://twitter.com/rikusonmeibun/status/571298036506169344

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


{三国志9・陸遜}

イケメンの陸伯言の言葉をとくと拝聴しやがれ!
幻の桜さんところの掲示板で、ちょっと気になる記述があった。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9716/1393821999/818 

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

818 :狐:2015/02/06(金) 02:26:47
「死者の守りは最強」

この言葉を見て
機動戦士Zガンダム
というアニメが
思い浮かびました。

主人公がラスボスに勝てたのは
仲間or敵であった彼女達の想念が
乗ったからなのか。
と、すごく納得しました。

アニメやゲームには
死んだキャラがピンチの主人公に
呼びかけるシーンが
よくあるなーとも思いました。
ドラマ等はあまり見たことないので
分かりませんが、
二次元以外でこういう演出の作品は
思い当たらないです。



・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


Zガンダムは、TV版と映画版がかなり違うところがある。

この正月に、サンテレビで、映画版第三作を放映していたが、中国史サイトのある人がかなり賞賛していたので、撮ってみてみたら、結構良かった。

Zガンダム ウイキ

このラスボスは、シロッコっていうが、これもかなり面白存在。

ティターンズに一時服従していたが、反旗を翻し、簒奪。女性を積極的に登用というか利用して、一勢力を築く。

ティターンズってのは、ある意味での「男尊女卑的集団」とみると、それからの発生した「20世紀のフェミニズム・ジャエンダーフリー」の象意的存在でもある。

フェミニズム・ジェンダーフリーは、ユダキンの発注のもとにできた思想という面があるのは、多少陰謀論的な世界を知っている人には著名な事実ですが、まさにそれですよね。

シロッコ ウイキ 

でも、作中の一番の女性の傑物のハマーン・カーンは、籠絡も懐柔もできなかったな・・。

ハマーン・カーン ウイキ

作中の男性では

ヤザンは、悪くいうと
「仕事と名利のためになら何でもする」古き悪しき男性像。

ジェリドは、悪く言うと
「会社のために、家族を捨て、家人には軽侮の思いがある」というタイプの悪しき男性像

で、主人公カミーユは、それらを
「女性に守られ、女性を守ること」ということで成長して、乗り越えていくという流れでもあろうか。

カミーユ ウイキ


TV版の最後にカミーユが精神崩壊をし、映画版の最後はそれから帰還しているてのは、時代の変化もあるが、精神崩壊する程度ではシロッコに象徴される
「負の未熟な父性」
「人{この場合は女性の使い捨て含めた似非フェミニズム}の使い捨て・人間の道具化」
には勝てないってことであるだろう。


このTV版と映画版の間には作品的には、ガンダムF91と藤崎竜漫画版封神演義があると思う。

ガンダムF91 ウイキ
 

藤崎竜版 封神演義 


F91は、結構家族が大きい。

主人公のシーブックの母親が「育児ノイローゼ」で、家をでて仕事をして、父はそれを甘受して子供たちを育てる。

が、その彼女のセシリーは、母を嫌った実父が、家を出て、母は継父と結婚するが、父も母も、まあ自分のことしか考えてないような感じである。

結局、どの父親も死ぬが、作品の最後は、宇宙の虚空にさまようセシリーを、母の助けを借りてシーッブックが助けて、大団円となる。


まあ、なせに、娘とその彼氏が、自分を殺しに来るっていうロクでも無い結果を呼び起こしたセシリーの父のカロッゾ・ロナって、日本の悪い男の総決算のようなやつであるから・・


最後は、「母性・女性を大事にした男が、生き残る」ってのが、シーブック父子の様を見るとそういう結論のようである。


で、漫画藤竜封神演義は、

最終決戦の末に、「グレートマザー」の負の存在というべきジョカの自爆に主人公太公望が巻き込まれるが、
同じく「グレートマザー」になった妲己に助けられて、生き延びる。ってことになってます。


カミーユが、TV版の最後の方で

>排除しなければならないのは「地球の重力に魂をひかれた人々[注 6]」と

と言っていたが、それから映画版では

>劇場版では「地球の重さ、大きさを想像できないあなたたち」と変化している。

と変わっているのは、

「地球の重力から逃れても、宇宙の引力に魂を奪われた人々」

の蛮行が、TV時代から以降、明らかになってきたこともある。

共産主義・新自由主義。その天上の理論ような話で、どれくらい文明を命を損ねてきたか。

共産主義でいうと、スターリンの粛清・毛沢東の文革・極め付けがポルポトの大虐殺。

新自由主義をみれば、9・11以降の「テロと戦争」という名の虐殺や、経済破壊による権力による大量殺人。

地球の重力を失った人間も、本当に恐ろしい存在なのである。


カミーユの言葉が変わったのは、地球での生活とそこでの恋愛とその後の悲劇。あと幼馴染だったファとの恋愛により、「一皮むけた」ことと、天地・陰陽のバランスを回復したからだといえる。

このファという女性。中国語で「花」が姓なようです。

中国の有名な「ムーラン」の姓は「花」で「花木蘭」です。

田中芳樹がそれで小説を書いてます。
参考 



イケメンの豪傑の沈光{肉飛仙とかいう、イケメンにしたら格好悪い仇名がありますけど。}ととか隋の煬帝が出てくる冒険活劇です。

アジアの母性というか健やかな「女性性」が大事という暗示かも。

>この精神的な共感と肉体的な体感を得たカミーユのラストは、隣の人を大事にできる究極的なニュータイプと、北里大学の講演会「ニュータイプを継承するために」で富野は発言している。なお富野は今まで明確にできなかったニュータイプというテーマに『A New Translation』で
「ニュータイプとは精神的、肉体的な繋がりを活かして隣人を大事にできる人」
という結論が出せたとも語っている。


身を捨てて何ぞ悟りを求めん。
ていうか「仏法ははるかに非ず。この心身にある」て趣旨の空海の言葉や
「身をもって大空位を得ん」とかいう大日経の言葉とかだろう。

そういう意味で理趣経やね・・・


それを政治的に実現しようとするのが映画版の最後の方で、傀儡主君のミネバ・ザビを地球に留学させるハマーンの行動だろう。

地球をつぶすでもなく、媚びて従うでもでも、対等に付き合うための布石というか。




そういう意味では、いまだ空虚な「宇宙の引力に魂を奪われた」論理や精神で、人間をたぶらかし殺し続けるユダキン・国際金融資本は、救いようがないですよな。

まさに「地球の重さ、大きさを想像できないあなたたち」は、死にたくないのなら政治・権力の世界から退場願いますよな。さもないと人間から退場せざろう得ないと思いますけどな。




お読みくださりありがとうございます。

定金伸治 ジハード   

参考 1

参考2

参考3

イスラム世界のことを書いた小説で、ここまでムスリムの人物がたった作品は、日本ではほかは見ない。

糞右翼は似非キリスト教びいきでダメだし・・・

でも、普通、私的にはイスラム世界の歴史物は、腹に持たれるか・口に合わないか・が多く、手に取る気が起きないけど・・

これはサラディン陛下の人徳もあってか、東亜の人にも読みやすいです。

ただ、後半女性キャラが壊れすぎる人が多いので、それは嫌ですけど・・


でも良いですよ・・。

なにかプーチンはサラディンですよな・・・・


ロードス島戦記  

よく読みましたが・・・。今はもういいです・・・


後宮小説 酒見賢一

これは衝撃的でした。アニメともどもよく見ました。

酒見さんの

周公旦

はこれも良いですね。

参考 1

上記文抜粋
・・・・・・
著者は蛮勇の徒でさえも従わせる、見識の豊かさであり、礼の力という正しき道理を広く世に示したかった。それが、周公旦の楚亡命という英断と、密接に理で結び付いている。それを妄言と捉えるか、歴史の解釈と捉えるか、また、情ではなく理による物語の駆動と捉えるかは読者の見解次第となる。

ここで再度付言する。私が酒見氏の作品に興味を抱いたのは、理に基づいて歴史を紐解く観点に優れている、と意識したからだ。
酒見氏の著作には、礼は存在しないのか。幻想という呪術しか見い出せないのか。本書では、孔子が夢にまで見た至聖の姿と酒見氏の柔軟な視点が、礼により重なるように映し出されている。


『こちらが礼を履めば、むこうも履まざるを得ません。友好の使者であれ、戦さの使者であれ、礼としてそうなる。これが私のいう礼の力というものです』



・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


泣き虫弱虫諸葛孔明も好きですよね。


ではまた。
| HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]