故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
幻の桜さんところの掲示板で、ちょっと気になる記述があった。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9716/1393821999/818
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
818 :狐:2015/02/06(金) 02:26:47
「死者の守りは最強」
この言葉を見て
機動戦士Zガンダム
というアニメが
思い浮かびました。
主人公がラスボスに勝てたのは
仲間or敵であった彼女達の想念が
乗ったからなのか。
と、すごく納得しました。
アニメやゲームには
死んだキャラがピンチの主人公に
呼びかけるシーンが
よくあるなーとも思いました。
ドラマ等はあまり見たことないので
分かりませんが、
二次元以外でこういう演出の作品は
思い当たらないです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
Zガンダムは、TV版と映画版がかなり違うところがある。
この正月に、サンテレビで、映画版第三作を放映していたが、中国史サイトのある人がかなり賞賛していたので、撮ってみてみたら、結構良かった。
Zガンダム ウイキ
このラスボスは、シロッコっていうが、これもかなり面白存在。
ティターンズに一時服従していたが、反旗を翻し、簒奪。女性を積極的に登用というか利用して、一勢力を築く。
ティターンズってのは、ある意味での「男尊女卑的集団」とみると、それからの発生した「20世紀のフェミニズム・ジャエンダーフリー」の象意的存在でもある。
フェミニズム・ジェンダーフリーは、ユダキンの発注のもとにできた思想という面があるのは、多少陰謀論的な世界を知っている人には著名な事実ですが、まさにそれですよね。
シロッコ ウイキ
でも、作中の一番の女性の傑物のハマーン・カーンは、籠絡も懐柔もできなかったな・・。
ハマーン・カーン ウイキ
作中の男性では
ヤザンは、悪くいうと
「仕事と名利のためになら何でもする」古き悪しき男性像。
ジェリドは、悪く言うと
「会社のために、家族を捨て、家人には軽侮の思いがある」というタイプの悪しき男性像
で、主人公カミーユは、それらを
「女性に守られ、女性を守ること」ということで成長して、乗り越えていくという流れでもあろうか。
カミーユ ウイキ
TV版の最後にカミーユが精神崩壊をし、映画版の最後はそれから帰還しているてのは、時代の変化もあるが、精神崩壊する程度ではシロッコに象徴される
「負の未熟な父性」
「人{この場合は女性の使い捨て含めた似非フェミニズム}の使い捨て・人間の道具化」
には勝てないってことであるだろう。
このTV版と映画版の間には作品的には、ガンダムF91と藤崎竜漫画版封神演義があると思う。
ガンダムF91 ウイキ
藤崎竜版 封神演義
F91は、結構家族が大きい。
主人公のシーブックの母親が「育児ノイローゼ」で、家をでて仕事をして、父はそれを甘受して子供たちを育てる。
が、その彼女のセシリーは、母を嫌った実父が、家を出て、母は継父と結婚するが、父も母も、まあ自分のことしか考えてないような感じである。
結局、どの父親も死ぬが、作品の最後は、宇宙の虚空にさまようセシリーを、母の助けを借りてシーッブックが助けて、大団円となる。
まあ、なせに、娘とその彼氏が、自分を殺しに来るっていうロクでも無い結果を呼び起こしたセシリーの父のカロッゾ・ロナって、日本の悪い男の総決算のようなやつであるから・・
最後は、「母性・女性を大事にした男が、生き残る」ってのが、シーブック父子の様を見るとそういう結論のようである。
で、漫画藤竜封神演義は、
最終決戦の末に、「グレートマザー」の負の存在というべきジョカの自爆に主人公太公望が巻き込まれるが、
同じく「グレートマザー」になった妲己に助けられて、生き延びる。ってことになってます。
カミーユが、TV版の最後の方で
>排除しなければならないのは「地球の重力に魂をひかれた人々[注 6]」と
と言っていたが、それから映画版では
>劇場版では「地球の重さ、大きさを想像できないあなたたち」と変化している。
と変わっているのは、
「地球の重力から逃れても、宇宙の引力に魂を奪われた人々」
の蛮行が、TV時代から以降、明らかになってきたこともある。
共産主義・新自由主義。その天上の理論ような話で、どれくらい文明を命を損ねてきたか。
共産主義でいうと、スターリンの粛清・毛沢東の文革・極め付けがポルポトの大虐殺。
新自由主義をみれば、9・11以降の「テロと戦争」という名の虐殺や、経済破壊による権力による大量殺人。
地球の重力を失った人間も、本当に恐ろしい存在なのである。
カミーユの言葉が変わったのは、地球での生活とそこでの恋愛とその後の悲劇。あと幼馴染だったファとの恋愛により、「一皮むけた」ことと、天地・陰陽のバランスを回復したからだといえる。
このファという女性。中国語で「花」が姓なようです。
中国の有名な「ムーラン」の姓は「花」で「花木蘭」です。
田中芳樹がそれで小説を書いてます。
参考
イケメンの豪傑の沈光{肉飛仙とかいう、イケメンにしたら格好悪い仇名がありますけど。}ととか隋の煬帝が出てくる冒険活劇です。
アジアの母性というか健やかな「女性性」が大事という暗示かも。
>この精神的な共感と肉体的な体感を得たカミーユのラストは、隣の人を大事にできる究極的なニュータイプと、北里大学の講演会「ニュータイプを継承するために」で富野は発言している。なお富野は今まで明確にできなかったニュータイプというテーマに『A New Translation』で
「ニュータイプとは精神的、肉体的な繋がりを活かして隣人を大事にできる人」
という結論が出せたとも語っている。
身を捨てて何ぞ悟りを求めん。
ていうか「仏法ははるかに非ず。この心身にある」て趣旨の空海の言葉や
「身をもって大空位を得ん」とかいう大日経の言葉とかだろう。
そういう意味で理趣経やね・・・
それを政治的に実現しようとするのが映画版の最後の方で、傀儡主君のミネバ・ザビを地球に留学させるハマーンの行動だろう。
地球をつぶすでもなく、媚びて従うでもでも、対等に付き合うための布石というか。
そういう意味では、いまだ空虚な「宇宙の引力に魂を奪われた」論理や精神で、人間をたぶらかし殺し続けるユダキン・国際金融資本は、救いようがないですよな。
まさに「地球の重さ、大きさを想像できないあなたたち」は、死にたくないのなら政治・権力の世界から退場願いますよな。さもないと人間から退場せざろう得ないと思いますけどな。
お読みくださりありがとうございます。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9716/1393821999/818
上記文抜粋
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818 :狐:2015/02/06(金) 02:26:47
「死者の守りは最強」
この言葉を見て
機動戦士Zガンダム
というアニメが
思い浮かびました。
主人公がラスボスに勝てたのは
仲間or敵であった彼女達の想念が
乗ったからなのか。
と、すごく納得しました。
アニメやゲームには
死んだキャラがピンチの主人公に
呼びかけるシーンが
よくあるなーとも思いました。
ドラマ等はあまり見たことないので
分かりませんが、
二次元以外でこういう演出の作品は
思い当たらないです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
Zガンダムは、TV版と映画版がかなり違うところがある。
この正月に、サンテレビで、映画版第三作を放映していたが、中国史サイトのある人がかなり賞賛していたので、撮ってみてみたら、結構良かった。
Zガンダム ウイキ
このラスボスは、シロッコっていうが、これもかなり面白存在。
ティターンズに一時服従していたが、反旗を翻し、簒奪。女性を積極的に登用というか利用して、一勢力を築く。
ティターンズってのは、ある意味での「男尊女卑的集団」とみると、それからの発生した「20世紀のフェミニズム・ジャエンダーフリー」の象意的存在でもある。
フェミニズム・ジェンダーフリーは、ユダキンの発注のもとにできた思想という面があるのは、多少陰謀論的な世界を知っている人には著名な事実ですが、まさにそれですよね。
シロッコ ウイキ
でも、作中の一番の女性の傑物のハマーン・カーンは、籠絡も懐柔もできなかったな・・。
ハマーン・カーン ウイキ
作中の男性では
ヤザンは、悪くいうと
「仕事と名利のためになら何でもする」古き悪しき男性像。
ジェリドは、悪く言うと
「会社のために、家族を捨て、家人には軽侮の思いがある」というタイプの悪しき男性像
で、主人公カミーユは、それらを
「女性に守られ、女性を守ること」ということで成長して、乗り越えていくという流れでもあろうか。
カミーユ ウイキ
TV版の最後にカミーユが精神崩壊をし、映画版の最後はそれから帰還しているてのは、時代の変化もあるが、精神崩壊する程度ではシロッコに象徴される
「負の未熟な父性」
「人{この場合は女性の使い捨て含めた似非フェミニズム}の使い捨て・人間の道具化」
には勝てないってことであるだろう。
このTV版と映画版の間には作品的には、ガンダムF91と藤崎竜漫画版封神演義があると思う。
ガンダムF91 ウイキ
藤崎竜版 封神演義
F91は、結構家族が大きい。
主人公のシーブックの母親が「育児ノイローゼ」で、家をでて仕事をして、父はそれを甘受して子供たちを育てる。
が、その彼女のセシリーは、母を嫌った実父が、家を出て、母は継父と結婚するが、父も母も、まあ自分のことしか考えてないような感じである。
結局、どの父親も死ぬが、作品の最後は、宇宙の虚空にさまようセシリーを、母の助けを借りてシーッブックが助けて、大団円となる。
まあ、なせに、娘とその彼氏が、自分を殺しに来るっていうロクでも無い結果を呼び起こしたセシリーの父のカロッゾ・ロナって、日本の悪い男の総決算のようなやつであるから・・
最後は、「母性・女性を大事にした男が、生き残る」ってのが、シーブック父子の様を見るとそういう結論のようである。
で、漫画藤竜封神演義は、
最終決戦の末に、「グレートマザー」の負の存在というべきジョカの自爆に主人公太公望が巻き込まれるが、
同じく「グレートマザー」になった妲己に助けられて、生き延びる。ってことになってます。
カミーユが、TV版の最後の方で
>排除しなければならないのは「地球の重力に魂をひかれた人々[注 6]」と
と言っていたが、それから映画版では
>劇場版では「地球の重さ、大きさを想像できないあなたたち」と変化している。
と変わっているのは、
「地球の重力から逃れても、宇宙の引力に魂を奪われた人々」
の蛮行が、TV時代から以降、明らかになってきたこともある。
共産主義・新自由主義。その天上の理論ような話で、どれくらい文明を命を損ねてきたか。
共産主義でいうと、スターリンの粛清・毛沢東の文革・極め付けがポルポトの大虐殺。
新自由主義をみれば、9・11以降の「テロと戦争」という名の虐殺や、経済破壊による権力による大量殺人。
地球の重力を失った人間も、本当に恐ろしい存在なのである。
カミーユの言葉が変わったのは、地球での生活とそこでの恋愛とその後の悲劇。あと幼馴染だったファとの恋愛により、「一皮むけた」ことと、天地・陰陽のバランスを回復したからだといえる。
このファという女性。中国語で「花」が姓なようです。
中国の有名な「ムーラン」の姓は「花」で「花木蘭」です。
田中芳樹がそれで小説を書いてます。
参考
イケメンの豪傑の沈光{肉飛仙とかいう、イケメンにしたら格好悪い仇名がありますけど。}ととか隋の煬帝が出てくる冒険活劇です。
アジアの母性というか健やかな「女性性」が大事という暗示かも。
>この精神的な共感と肉体的な体感を得たカミーユのラストは、隣の人を大事にできる究極的なニュータイプと、北里大学の講演会「ニュータイプを継承するために」で富野は発言している。なお富野は今まで明確にできなかったニュータイプというテーマに『A New Translation』で
「ニュータイプとは精神的、肉体的な繋がりを活かして隣人を大事にできる人」
という結論が出せたとも語っている。
身を捨てて何ぞ悟りを求めん。
ていうか「仏法ははるかに非ず。この心身にある」て趣旨の空海の言葉や
「身をもって大空位を得ん」とかいう大日経の言葉とかだろう。
そういう意味で理趣経やね・・・
それを政治的に実現しようとするのが映画版の最後の方で、傀儡主君のミネバ・ザビを地球に留学させるハマーンの行動だろう。
地球をつぶすでもなく、媚びて従うでもでも、対等に付き合うための布石というか。
そういう意味では、いまだ空虚な「宇宙の引力に魂を奪われた」論理や精神で、人間をたぶらかし殺し続けるユダキン・国際金融資本は、救いようがないですよな。
まさに「地球の重さ、大きさを想像できないあなたたち」は、死にたくないのなら政治・権力の世界から退場願いますよな。さもないと人間から退場せざろう得ないと思いますけどな。
お読みくださりありがとうございます。
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