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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

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http://juei.kakurezato.com/k-sonsosessyou.html より

晏子春秋 より


上記文抜粋
・・・・・・・・・・

春秋時代、斉の景公の時の話。

晋の平公が斉を攻めようと思い范昭を使者として派遣し内情を探らせた。

宴席にて、范昭が君の酒をいただきたいと言ったので景公は自分の酒樽から酒を与え、范昭はそれを飲み干した。

すると宰相の晏子は酒樽を撤去して換えるよう命令し、別の酒樽と杯が用意された。

范昭は酔ったふりをして悦ばず、立って舞い、楽人に「私のために周の音楽を演奏してくれ」と言った。

しかし楽人は 「私には出来ません」と言った。

范昭はついに退席し帰国した。

後で景公は晏子に大国である晋の使者を怒らせてしまったがどうするのか訊ねた。
晏子は答えていった。
「范昭は実直で礼を知らないことはありません。これは我等を試したのです。だからわざとああしたのです。心配することはありません」

景公は次に楽人にどうして客のために周の音楽を演奏しなかったのか訊ねた。
楽官は答えて言った。
「周の音楽はすなわち天子の音楽です。だから私はは演奏しなかったのです」

范昭は帰国し、平公に報告した。
「斉はまだ討つべきではありません。私がわざと無礼を働くとすぐに晏子が正しました。次に楽人を騙そうとすると楽人は礼を知っていました」
そのため斉を討つ計画は取りやめになった。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり



樽俎折衝て故事成語の元ネタです。

細かいことは別館に書こうかな。


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孟子 より 

http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius14-34.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・

孟子は言う、
「大人(ここでは、権勢のある人)を説得するには、相手を軽んじるべきだ。

相手の高々とした権勢を見るな。

高さ数仭(だいたい十数m)の堂に、太さ数尺(1m前後)の榱題(しだい。屋根に横たえる梁材の先端)がどうした。

こんなもの、こちらは志を得て栄達したとしても求めはしないものだ。

一丈(約2.25m)四方にずらりとよそわれた食事に、かしずく侍女が数百人。

こんなもの、こちらは志を得て栄達したとしても求めはしないものだ。

飲めや騒げやの大宴会に、車馬を駆って狩に繰り出し、後ろに千台の車を付き従える。

こんなもの、こちらは志を得て栄達したとしても求めはしないものだ。

相手が持っているものなどは、すべて我が決してしないことばかりだ。

我にあるものは、ただいにしえの法あるのみ。我が何を畏れようか?」


・・・・・・・・・・抜粋終わり・・・・・・・・

孟子は、ますらおの人だ。

権威や権力など、糞喰らえ!


こういう気概がないと、政治など語ってはいけないと思う。


お読みくださりありがとうございます。

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http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/ansi6.html#9 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
晏子楚に使いす、楚小門を為る、晏子称す、狗国に使いする者は狗門より入ると【第九】



晏子は楚に使いした。
楚人は晏子が背が低かったので、小さい門を大きい門の横につけて、晏子を案内した。

晏子は入らずに
犬の国なら犬の門から入るもよいでしょう。いま臣は楚国に使いしています。まさかこの門から入れとは言いますまい
と言った。案内人は導いて大門から入った。

楚王に見えた。
王は
「斉には人がいないのか。あなたが使者で来られるとは」
と言った。

晏子は答えて
「斉の臨淄は広さ300区画、手を広げれば日は遮られ、汗をふるうと雨にもなります。 道では肩と肩がすれあうほどに人がいます。どうして人がいないといえましょう」
と言った。

王は
「ではどうしてあなたが使いするのか」
と問うた。

晏子は答えて
斉が使いを命ずるには向き向きがありまして、賢い者は賢い国に、不肖の者は不肖の国に使わせるのです。 嬰は最も不肖であったため、楚国に使いするのに最適だったのです
と答えた。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

人種差別をする人は、結局は自分や自分たちを辱めることになる。

いわば、馬鹿が恥をさらすために人種差別をしているのである。


わかりやすい話です。


お読みくださりありがとうございます。

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http://xpp.sakura.ne.jp/sub/jougan/jou007.php 

貞観政要 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
貞観二年、太宗、魏潰に問いて曰く、「何をか謂いて明君、暗君となす」。
 徴日く、「君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。その暗き所以の者は、偏信すればなり。詩に云わく、『先人言えるあり、芻堯(すうぎょう)に訪う』と。昔、唐虞の理、四門を闢(ひら)き、四目を明らかにして四聡を達す。是(ここ)を以って聖、照らさざるなし。故に共鯀(きょうこん)の徒、塞ぐ能わざりしなり。靖言庸回(せいげんようかい)、惑わす能わざりしなり。秦のニ世は則ちその身を隠蔵し、疎賤を捐隔(えんかく)して趙高を偏信し、天下の潰(つい)え叛くに及ぶまで、聞くを得ざりしなり。梁の武帝は(朱い)を偏信し、而して侯景、兵を挙げて闕(けつ)に向かうも、竟(つい)に知るを得ざりしなり。隋の煬帝は虞世基を偏信し、而して諸賊、城を攻め邑(ゆう)を剽(かす)むるも、亦知るを得ざりしなり。この故に人君、兼聴して下を納れなば、則ち貴臣壅蔽(ようへい)するを得ずして、而下情(しかかじょう)、必ず上に通ずるを得るなり」。
 太宗甚だその言を善しとす。



現代語訳


 貞観二年、太宗が魏微に尋ねた。

「明君と暗君はどこが違うのか」

 魏微が答えるには、

「明君の明君たるゆえんは、広く臣下の意見に耳を傾けるところにあります。
また、暗君の暗君たるゆえんは、お気に入りの臣下の言うことしか信じないところにあります。

詩にも『いにしえの賢者言えるあり、疑問のことあれば庶民に問う』とありますが、聖天子の堯や舜はまさしく四方の門を開け放って賢者を迎え入れ、広く人々の意見に耳を傾けて、それを政治に活かしました。
だから堯舜の治世は、万民にあまねく恩沢が行きたわり、共工(きょうこう)や鯀(こん)のともがらに目や耳を塞がれることはありませんでしたし、巧言を弄する者どもに惑わされることもなかったのです。

これに対し秦の二世皇帝は宮殿の奥深く起居して臣下を避け、宦官の趙高だけを信頼しました。そのため、完全に人心が離反するに及んでも、まだ気づきませんでした。
梁の武帝も、寵臣の(朱い)だけを信頼した結果、将軍の侯景が反乱の兵を挙げて王宮を包囲しても、まだ信じかねる始末でした。
また、隋の煬帝も、側近の虞世基の言うことだけを信じましたので、盗賤が村や町を荒しまわっていても、故治 の乱れに気づきませんでした。

このような例でも明らかなように、君主たる者が臣下の意見に広く耳を傾ければ、一部の側近に目や耳を塞がれることがなく、よく下々の実情を知ることができるのです」

 太宗は魏賤のことばに深く頷いた。


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・・・・・・・・・
抜粋終わり

耳が痛いことですけど、用心して心がけましょう。

お読みくださりありがとうございます。

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晏子春秋 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
景公愛する所の槐を犯す者を殺さんと欲す、晏子諌む【第二】

景公が愛好したえんじゅがあり、官吏に謹んでこれを守らせ、木を育てて禁札を立てかけて令を下して、えんじゅに触れた者を罰し、傷つけた者は死刑にした。

令を聞かず、酔ってこの禁を犯した者がいた。公はこれを聞いて「こやつはわが令を犯した。官吏に捕らえさせて罪を加えよ」と言った。

その男の妻は晏子の家に行き「負郭(城郭に近い地)の民の賎妾が相国さまに申し上げたきことがございます。願い事に堪えかねて、どうか侍女のはじにお加えください」と言った。

晏子はこれを聞いて笑って「嬰は女色に溺れはしないのに、何故にこの年になってこう求められるのであろうか。まあ、何かわけでもあるのだろう」と言って、彼女を門の内に入れた。

女は内に入った。

晏子はこれを望み見て「おかしいな、顔に憂いが見える」と言った。さらに問うて「おまえが憂えているのは何か」と言うと、女は答えて「君がえんじゅを植えて禁令をかかげて かくかくとされました。わたくしの父はふつつか者でこの令を聞かず、酔ってこれを犯したため官吏に罰を加えられます。

わたくしはこう聞いています。明君は即位して政治に取り組むと、禄を減らさず、法外の刑を加えない、と。また個人的な怒りを持って公の法をまげず、禽獣のために人民を害せず、 草木のために禽獣を害せず、野草のために稲苗を害しない、と。

わが君はえんじゅをもって、わたくしの夫を殺し、わたくしをひとりものにしようとしています。この令は人民に行われて国法となっています。そうはいっても、わたくしはこう聞いています。 勇士は多人数の威力で一人を屈服させることはせず、明恵の君は、非道なことをして自分の欲望をとおすことはしない、と。

これをたとえると、魚とすっぽんを飼う人のようなもので、ただなまぐささを取りさえすればよいのです。暗闇の中で人と並んで居り、また屋根のない野積みの米蔵の中に正座しているようなものです。

いま君は令を民に出し、それを国法にして後世が正しくなれば、父の死罪も当然です。わたしもその遺骸を棺に収めることに依存はございません。しかし今の令はまったくそうではありません。

樹木をもって私の父は罪を犯しました。私は明察なる吏道をそこない、賢明なる君道を害せんことを恐れます。隣国がこれを聞いたなら、みなわが君が樹木を愛し、人を賤しむというでしょう。 それでよろしいのでしょうか。どうか相国さま、私の言を察して、その後に禁を犯す者を裁いてください」と言った。

晏子は「とんでもないことだ。わしはおまえのためにこれを君に申し上げよう」と言い、人をやってこれを送り帰させた。


翌日早朝に公に

「嬰はこう聞いています。民の財力を尽くさせて、奢侈にはしる。これを暴といいます。愛好物を尊んで、その物の威厳が君侯に匹敵する。これを逆といいます。 刑罰が不当であること。これを賊といいます。この3つは国を守ることの大きなわざわいです。

いま君は民の財力を尽くして、飲食を豊かにし、鐘鼓の楽を頻繁に行い、宮殿の美観を極めておられます。暴を行うひどいものといえましょう。
愛好物を尊んで愛槐の令を出して、 歩行者は恐れて走り過ぎ、その威厳は君侯に匹敵します。これは民に逆することあきらかです。
えんじゅに触れる者を罰し、傷つける者を死刑にしており、刑罰が不当です。これは民を賊すること深いです。

斉国を見ますに、徳行はいまだ見られず、3つの悪が現れています。嬰は国政に望んで人民をわが子として愛することができないことを恐れます」と言った。

公は
「大夫が寡人に教えてくれなければ、ほとんど大罪ばかりで国家に害を及ぼしたであろう。いまあなたが教えてくれたのは国の幸いである。寡人はその教えを受けよう」
と言った。

晏子は退出した。
公は官吏に命じて、えんじゅを守る役人を止めさせ、禁札を抜き、えんじゅの禁令を廃し、これによって捕らえられた囚人を釈放した。



・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


私は好きですこの話。

桜一枝折るもの、指一本折る。と義経。と鳥羽院

それを風雅というが、オカシイ気がする。

参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/一谷嫩軍記


それと好対照。


風雅のために、他人の指を折るのは風雅でない。

それを平然となにか「風雅」といいかねないのが、日本の危ないところ。


他人に風雅を押し付けるのは、好きでない。




その辺、我々やまと人は、学習しないと、また原発の一発や二発爆発するか原爆が落ちるだろう。



お読みくださりありがとうございます。

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