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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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晏子春秋 より

上記文抜粋
・・・・・・・
晏子魯に使いし、事ありて己る、仲尼以て礼を知るとなす【第二十一】

晏子は魯に使いした。孔子は門弟子に命じて見に行かせた。

子貢は帰って報告して
「誰が晏子は礼に精通していると言うのですか。礼に『階段を登るときは、一段ごとに片足をかけて登らず、 堂上では走らず、玉を授かるときに両膝を地につけない』とあります。いま晏子はみなこれに反していました。誰が晏子は礼に精通していると言うのですか」
と言った。

晏子は魯君への用事を終えて退出して孔子と会った。

孔子は
「礼にかくかくしかじかとあります。夫子がこれに反したのは、はたして礼にかなうのでしょうか」
と言った。

晏子は
「嬰はこう聞いています。両楹の間(堂上)には君臣の相会する位置は決まっており、君が一歩を行く間に臣は二歩行くと。魯君は礼法を無視して足早に来られました。 そこで歴階して登り、堂上に走り、ようやく会見の場に追いついたのです。
また君が玉を低い位置で授けられましたので、跪いて受けたのです。
またこうも聞いています。大いなる礼式は法度をこえてはならず、小礼は臨機の処置をしてもよいと」
と言った。

晏子は退出した。

孔子はこれを見送るのに賓客の礼をもってし、帰って門弟子に命じて
「礼法をこえた礼法は、ただ晏子のみがこれを行うことができる」
と言った。



・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


お読みくださりありがとうございます。
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諸葛亮兵書 将エン より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
(2)逐悪
 そもそも軍事と国政にとっての弊害として、五害があります。
 第一は、派閥をつくって徒党を組み、賢くて良い人材を悪く言ってけなすことです。
 第二は、その衣服を豪華にし、その冠や帯を特別なものにすることです。
 第三は、ウソの妖術を大げさに語り、ありもしない魔法を本当のように言うことです。
 第四は、良し悪しを勝手に決めつけ、私心で兵隊を動かすことです。
 第五は、損得を計算し、ひそかに敵と手を結ぶことです。
 以上は、「邪まで嘘つきで徳にもとる人」と言い、遠ざけて親しくしてはいけません。


・・・・・中略・・・・

(6)将弊
 そもそも将軍としての正しいあり方として、8つの弊害があります。
 第一は、どん欲で、満足を知らないことです。
 第二は、賢明な人をねたみ、有能な人をうらやむことです。
 第三は、悪口を信じ、口のうまい人を好くことです。
 第四は、相手のことには分かっても、自分のことには分からないことです。
 第五は、優柔不断で、自分で決断できないことです。
 第六は、酒や女におぼれ、すさんだ生活をすることです。
 第七は、悪さばかりして、みずからは卑怯[ひきょう]であることです。
 第八は、人を言いくるめるのがうまくて、礼儀を守らないことです。


・・・・・・・・中略・・・・

(10)将驕吝
 将軍は、おごってはいけません。
おごれば礼儀を失います。礼儀を失えば人が離れます。人が離れれば兵隊が背きます。

 将軍は、けちってはいけません。
けちれば恩賞が与えられません。恩賞が与えられなければ兵士は命を投げ出しません。兵士が命を投げ出さなければ軍隊は功績をあげられません。功績をあげられなければ国が弱まります。国が弱まれば敵が強まります。

 孔子は、言っています。「たとえ周公のような才能というよいものをもっていても、おごり、しかも、けちるなら、その他は見る価値もありません」


・・・・・・中略・・・・

(11)将強
 将軍には、五強と八悪があります。

①節操が高いことで、世の中の人たちを正しくさせられる。
②孝弟(親に孝行することと目上を敬うこと)に努めることで、よい評判を得られる。
③信義(信用と正義)を重んじることで、友好をとり結べる。
④深く考えることで、人びとに対して寛容になれる。
⑤全力で努力することで、成果をあげられる。

以上が将軍にとっての「五強」です。


①計画をねるときには、よしあしを判断できない。
②人を礼遇するときには、賢くてよい人材を任用できない。
③政治を行うときには、刑法を正しく執行できない。
④豊かになったときには、苦しんでいる人を救済できない。
⑤知恵を使うときには、不測の事態に前もって備えておくことができない。
⑥配慮するときには、問題のタネが大きくなるのを未然に防ぐことができない。
⑦出世したときには、自分の知っている人材を挙用できない。
⑧失敗したときには、うらみごと言わないことができない。

以上が将軍にとっての「八悪」です。


・・・・・中略・・・・
(19)軍蠧

 そもそも全軍が動くにあたり、

①偵察が十分でなく、警報がデタラメである。
②期限に遅れ、命令に違反し、チャンスがきても動かず、軍隊の行動を邪魔して混乱させる。
③勝手に進んだり、勝手に退いたりして、鐘や太鼓の合図に従わない。
④上の人が下の人に情けをかけず、限度なく収奪する。
⑤自分の利益だけを考え、自分のことばかりを優先し、飢えたり寒がったりしている人がいても情けをかけない。
⑥悪口を言い、怪しいことを話し語り、みだりに不幸と幸福を語る。
⑦なにもないのに大声で騒ぎ、将軍や役人を驚かせて惑わせる。
⑧勇ましいけれど命令に従わず、好き勝手して上の人をあなどる。
⑨国の倉庫から金品を盗み取り、その金品を好き勝手に分け与える。

 以上の9つのことは「全軍にとっての害虫」です。こういったことがあるなら、必ず敗北します。

・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


この特に19は、まさに日本の官界・財界・政界・地方の人士。皆これです。

みな害虫です。

19の9は、新国立競技場でしょう。

19の6は、マスコミ

19の8は、日本会議とネトウヨ

19の4は、消費税増税と年金や福祉の斬り捨て。

19の7は、官界の社会コントロール

19の5は、天下り。


>(6)将弊
 そもそも将軍としての正しいあり方として、8つの弊害があります。

は、安倍第二次政権と自公・霞が関・財界・マスコミ・地方人士そのものでしょう。



亡国・・・

これで日本帝国が滅びないわけがない。明日にでも滅亡するが、日本人と世界のためである。

お読みくださりありがとうございます。


{諸葛亮 三国志11}「括目しろ!」って呂蒙の方がよかったかな。
晏子春秋 より

上記文抜粋
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晋の叔向問ふ、斉国は如何と、晏子対ふるに斉徳衰え、民は田氏に帰することを以てす【第十七】

晏子は晋を訪問した。叔向は晏子と宴会をし、ともに語った。叔向は「斉はいかがですか」と言った。

晏子は答えて「末世です。どうなるかわかりません。斉は田氏のものとなるやもしれません」と言った。

叔向は「どうしてですか」と言うと

晏子は
「公はその民を棄てて、民は田氏に帰しているからです。

斉には升目の標準が4つあり、豆区釜鐘といいます。四升を豆とし、 四豆を区とし、四区を釜とします。十釜で一鐘です。
しかし田氏の豆区釜はそれぞれ一単位を加えており、鐘は公用のものよりも大きいのです。田氏が治下の人民に蔵米を貸し出すときは、私家の容量の大きい鐘で量って貸し出し、 容量の少ない公用の鐘で米を徴集しています。

田氏の領内の山で伐り出した材木は、市場に出しても値を高くせず、輸送費を加えません。魚や塩やはまぐりは市場に出しても値を高くせず、浜での値と同じにしています。


公は人民の労力の三分の二を入れ、民はその三分の一で生活をしています。公の蓄えは腐ったり、虫がついたりするほどに多いのに、老幼は飢え凍えています。斉の多くの市場では、 履(普通のくつ)は安く、踊(刑で足のすじを切られた者のはくくつ)は高いのです。


人民は困窮して田氏はこれに情けをかけています。


むかし紂王は不当な罪で人民を殺し、民を殺すことが常でした。文王は商の民を慈恵し、 頼るべき主のない人を収容して憐れみました。そのため天下はこれに帰しました。


人民は個人的な好みである人に味方するのではなく、恩徳ある人に従います。
いま公室は驕暴で、田氏には慈恵があります。民を愛する父母の如く、これに帰することは自然のなりゆきです。 民心を得ようとしなくても、いやでもこれに帰します。

先祖の箕伯・直柄・虞遂・伯戯は胡公と大姫を助けて、これを斉におらせたのです」

と言った。
叔向は「わが公室と雖もまた末世なのです」と言った。・・・略・・・



・・・・・
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抜粋終わり


その上に、放射能で庶民を追い詰めている。

日本が滅びないことなどありえようか・・・。

日本会議カルトは、日本の庶民を喰らいつつ美食し戦争ごっこ・愛国ごっこに興じている・

まあ日本国など存在するだけで、今は悪ですは。

日本人をいびり倒す日本国政府が、長く続くことなどあり得ようがないし、それを存続させようとするのは、巨悪で人道に背く行為である。

天地仏神・先祖のためにも、日本国滅亡を祈るしかない!




お読みくださりありがとうございます。
孟子より 

上記文抜粋
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梁恵王「その辺について、もっと教えをうかがいたいのですが。」

孟子は答えた。

孟子「人を殺すのに棍棒と刀を使うのは、何か違いがあるでしょうか?」

梁恵王「同じですな。」

孟子「では、人を殺すのに刀と政治を使うのは、何か違いがあるでしょうか?」

梁恵王「同じ、、ですな。」

孟子「王の厨房にはでっかい肉があり、王の厩舎にはまるまると太った馬があり、一方で人民の顔は飢えでやつれ、野には飢えて野垂れ死にしている者がある。これは、獣をけしかけて人を食わせるというものです。

獣どうしの共食いでも、人は見ていてイヤな気がするものです。

いったい人民の親となって政治をしている君主が獣をけしかけて人を食わせる所業をやめないで、これで人民の親といえるでしょうか。

仲尼(孔子)はこう言っています、「俑(よう。人型のハニワ)を初めて作った者は、きっと子孫も絶えたであろう」と。

この意味は、実際の人間に似せた人形を土に埋めるのに用いたのを、(人間を侮辱した行為だとして)非難したのです。

人形に対してすらこれほど共感できるのに、いわんや子である人民を飢え死にさせるというのはいかがなものでしょうか?」



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抜粋終わり

安倍政権と奥の院・霞が関・財界。これは殺人鬼である。

即座に逮捕して処刑すべきである。

亜米利加も然り。


日本人は殺人鬼を「お上・指導者様」と仰いでいる。

滅亡は当然である。食人鬼に自分や家族を差し出しているのと同じだから。


お読みくださりありがとうございます。

http://juei.kakurezato.com/k-sonsosessyou.html より

晏子春秋 より


上記文抜粋
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春秋時代、斉の景公の時の話。

晋の平公が斉を攻めようと思い范昭を使者として派遣し内情を探らせた。

宴席にて、范昭が君の酒をいただきたいと言ったので景公は自分の酒樽から酒を与え、范昭はそれを飲み干した。

すると宰相の晏子は酒樽を撤去して換えるよう命令し、別の酒樽と杯が用意された。

范昭は酔ったふりをして悦ばず、立って舞い、楽人に「私のために周の音楽を演奏してくれ」と言った。

しかし楽人は 「私には出来ません」と言った。

范昭はついに退席し帰国した。

後で景公は晏子に大国である晋の使者を怒らせてしまったがどうするのか訊ねた。
晏子は答えていった。
「范昭は実直で礼を知らないことはありません。これは我等を試したのです。だからわざとああしたのです。心配することはありません」

景公は次に楽人にどうして客のために周の音楽を演奏しなかったのか訊ねた。
楽官は答えて言った。
「周の音楽はすなわち天子の音楽です。だから私はは演奏しなかったのです」

范昭は帰国し、平公に報告した。
「斉はまだ討つべきではありません。私がわざと無礼を働くとすぐに晏子が正しました。次に楽人を騙そうとすると楽人は礼を知っていました」
そのため斉を討つ計画は取りやめになった。

・・・・・・・・・
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抜粋終わり



樽俎折衝て故事成語の元ネタです。

細かいことは別館に書こうかな。


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