故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
晏子春秋 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
景公愛する所の槐を犯す者を殺さんと欲す、晏子諌む【第二】
景公が愛好したえんじゅがあり、官吏に謹んでこれを守らせ、木を育てて禁札を立てかけて令を下して、えんじゅに触れた者を罰し、傷つけた者は死刑にした。
令を聞かず、酔ってこの禁を犯した者がいた。公はこれを聞いて「こやつはわが令を犯した。官吏に捕らえさせて罪を加えよ」と言った。
その男の妻は晏子の家に行き「負郭(城郭に近い地)の民の賎妾が相国さまに申し上げたきことがございます。願い事に堪えかねて、どうか侍女のはじにお加えください」と言った。
晏子はこれを聞いて笑って「嬰は女色に溺れはしないのに、何故にこの年になってこう求められるのであろうか。まあ、何かわけでもあるのだろう」と言って、彼女を門の内に入れた。
女は内に入った。
晏子はこれを望み見て「おかしいな、顔に憂いが見える」と言った。さらに問うて「おまえが憂えているのは何か」と言うと、女は答えて「君がえんじゅを植えて禁令をかかげて かくかくとされました。わたくしの父はふつつか者でこの令を聞かず、酔ってこれを犯したため官吏に罰を加えられます。
わたくしはこう聞いています。明君は即位して政治に取り組むと、禄を減らさず、法外の刑を加えない、と。また個人的な怒りを持って公の法をまげず、禽獣のために人民を害せず、 草木のために禽獣を害せず、野草のために稲苗を害しない、と。
わが君はえんじゅをもって、わたくしの夫を殺し、わたくしをひとりものにしようとしています。この令は人民に行われて国法となっています。そうはいっても、わたくしはこう聞いています。 勇士は多人数の威力で一人を屈服させることはせず、明恵の君は、非道なことをして自分の欲望をとおすことはしない、と。
これをたとえると、魚とすっぽんを飼う人のようなもので、ただなまぐささを取りさえすればよいのです。暗闇の中で人と並んで居り、また屋根のない野積みの米蔵の中に正座しているようなものです。
いま君は令を民に出し、それを国法にして後世が正しくなれば、父の死罪も当然です。わたしもその遺骸を棺に収めることに依存はございません。しかし今の令はまったくそうではありません。
樹木をもって私の父は罪を犯しました。私は明察なる吏道をそこない、賢明なる君道を害せんことを恐れます。隣国がこれを聞いたなら、みなわが君が樹木を愛し、人を賤しむというでしょう。 それでよろしいのでしょうか。どうか相国さま、私の言を察して、その後に禁を犯す者を裁いてください」と言った。
晏子は「とんでもないことだ。わしはおまえのためにこれを君に申し上げよう」と言い、人をやってこれを送り帰させた。
翌日早朝に公に
「嬰はこう聞いています。民の財力を尽くさせて、奢侈にはしる。これを暴といいます。愛好物を尊んで、その物の威厳が君侯に匹敵する。これを逆といいます。 刑罰が不当であること。これを賊といいます。この3つは国を守ることの大きなわざわいです。
いま君は民の財力を尽くして、飲食を豊かにし、鐘鼓の楽を頻繁に行い、宮殿の美観を極めておられます。暴を行うひどいものといえましょう。
愛好物を尊んで愛槐の令を出して、 歩行者は恐れて走り過ぎ、その威厳は君侯に匹敵します。これは民に逆することあきらかです。
えんじゅに触れる者を罰し、傷つける者を死刑にしており、刑罰が不当です。これは民を賊すること深いです。
斉国を見ますに、徳行はいまだ見られず、3つの悪が現れています。嬰は国政に望んで人民をわが子として愛することができないことを恐れます」と言った。
公は
「大夫が寡人に教えてくれなければ、ほとんど大罪ばかりで国家に害を及ぼしたであろう。いまあなたが教えてくれたのは国の幸いである。寡人はその教えを受けよう」
と言った。
晏子は退出した。
公は官吏に命じて、えんじゅを守る役人を止めさせ、禁札を抜き、えんじゅの禁令を廃し、これによって捕らえられた囚人を釈放した。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
私は好きですこの話。
桜一枝折るもの、指一本折る。と義経。と鳥羽院
それを風雅というが、オカシイ気がする。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/一谷嫩軍記
それと好対照。
風雅のために、他人の指を折るのは風雅でない。
それを平然となにか「風雅」といいかねないのが、日本の危ないところ。
他人に風雅を押し付けるのは、好きでない。
その辺、我々やまと人は、学習しないと、また原発の一発や二発爆発するか原爆が落ちるだろう。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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景公愛する所の槐を犯す者を殺さんと欲す、晏子諌む【第二】
景公が愛好したえんじゅがあり、官吏に謹んでこれを守らせ、木を育てて禁札を立てかけて令を下して、えんじゅに触れた者を罰し、傷つけた者は死刑にした。
令を聞かず、酔ってこの禁を犯した者がいた。公はこれを聞いて「こやつはわが令を犯した。官吏に捕らえさせて罪を加えよ」と言った。
その男の妻は晏子の家に行き「負郭(城郭に近い地)の民の賎妾が相国さまに申し上げたきことがございます。願い事に堪えかねて、どうか侍女のはじにお加えください」と言った。
晏子はこれを聞いて笑って「嬰は女色に溺れはしないのに、何故にこの年になってこう求められるのであろうか。まあ、何かわけでもあるのだろう」と言って、彼女を門の内に入れた。
女は内に入った。
晏子はこれを望み見て「おかしいな、顔に憂いが見える」と言った。さらに問うて「おまえが憂えているのは何か」と言うと、女は答えて「君がえんじゅを植えて禁令をかかげて かくかくとされました。わたくしの父はふつつか者でこの令を聞かず、酔ってこれを犯したため官吏に罰を加えられます。
わたくしはこう聞いています。明君は即位して政治に取り組むと、禄を減らさず、法外の刑を加えない、と。また個人的な怒りを持って公の法をまげず、禽獣のために人民を害せず、 草木のために禽獣を害せず、野草のために稲苗を害しない、と。
わが君はえんじゅをもって、わたくしの夫を殺し、わたくしをひとりものにしようとしています。この令は人民に行われて国法となっています。そうはいっても、わたくしはこう聞いています。 勇士は多人数の威力で一人を屈服させることはせず、明恵の君は、非道なことをして自分の欲望をとおすことはしない、と。
これをたとえると、魚とすっぽんを飼う人のようなもので、ただなまぐささを取りさえすればよいのです。暗闇の中で人と並んで居り、また屋根のない野積みの米蔵の中に正座しているようなものです。
いま君は令を民に出し、それを国法にして後世が正しくなれば、父の死罪も当然です。わたしもその遺骸を棺に収めることに依存はございません。しかし今の令はまったくそうではありません。
樹木をもって私の父は罪を犯しました。私は明察なる吏道をそこない、賢明なる君道を害せんことを恐れます。隣国がこれを聞いたなら、みなわが君が樹木を愛し、人を賤しむというでしょう。 それでよろしいのでしょうか。どうか相国さま、私の言を察して、その後に禁を犯す者を裁いてください」と言った。
晏子は「とんでもないことだ。わしはおまえのためにこれを君に申し上げよう」と言い、人をやってこれを送り帰させた。
翌日早朝に公に
「嬰はこう聞いています。民の財力を尽くさせて、奢侈にはしる。これを暴といいます。愛好物を尊んで、その物の威厳が君侯に匹敵する。これを逆といいます。 刑罰が不当であること。これを賊といいます。この3つは国を守ることの大きなわざわいです。
いま君は民の財力を尽くして、飲食を豊かにし、鐘鼓の楽を頻繁に行い、宮殿の美観を極めておられます。暴を行うひどいものといえましょう。
愛好物を尊んで愛槐の令を出して、 歩行者は恐れて走り過ぎ、その威厳は君侯に匹敵します。これは民に逆することあきらかです。
えんじゅに触れる者を罰し、傷つける者を死刑にしており、刑罰が不当です。これは民を賊すること深いです。
斉国を見ますに、徳行はいまだ見られず、3つの悪が現れています。嬰は国政に望んで人民をわが子として愛することができないことを恐れます」と言った。
公は
「大夫が寡人に教えてくれなければ、ほとんど大罪ばかりで国家に害を及ぼしたであろう。いまあなたが教えてくれたのは国の幸いである。寡人はその教えを受けよう」
と言った。
晏子は退出した。
公は官吏に命じて、えんじゅを守る役人を止めさせ、禁札を抜き、えんじゅの禁令を廃し、これによって捕らえられた囚人を釈放した。
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抜粋終わり
私は好きですこの話。
桜一枝折るもの、指一本折る。と義経。と鳥羽院
それを風雅というが、オカシイ気がする。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/一谷嫩軍記
それと好対照。
風雅のために、他人の指を折るのは風雅でない。
それを平然となにか「風雅」といいかねないのが、日本の危ないところ。
他人に風雅を押し付けるのは、好きでない。
その辺、我々やまと人は、学習しないと、また原発の一発や二発爆発するか原爆が落ちるだろう。
お読みくださりありがとうございます。
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