故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/03 02 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 04 |
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御釈迦さんさんから「取り返そう」って言っているわりにはだけど・・
先日に頼んでいた「般若心経秘鍵」の経本が、届いたようで、いつもの仏具屋さんに行って、購入。
これ結構面白いのもあって、いいですは・・・
ちょっと余談だが、この般若心経秘鍵の「あとがき」と称する面白い文章が出来たのが、鎌倉末期とか・・
ちょっと拝借・・
これ読んで一瞬笑った。
ちょうど、鎌倉末期は「元寇」と「鎌倉新仏教と、密教系仏教の再編が出そろう」った時。
どうもこのあたりで、仏教系夢殿システムも一応の完成と言い得る。
ただこの後に南北朝や戦国時代と続いて、そんなに全国的に一元には動かなかったと思える。
まあそれも、少なくとも江戸時代までは、それなりに草・庶民にも有効に機能していたと思える。
夢なり想念の「社会主義システム」としての「夢殿」と考えると・・・
でも明治維新はそれ完全にぶっ壊した。
まあ仏教的な意味での戒なりモラルのタガが壊れたのもある。これは廃仏毀釈。
あるいはそれ以上に明治朝日本帝国の「中央集権制の完成」と「技術の発展」による、「想念と夢の収奪」がより完全に行われるようになったこと大きい。
あと、社会主義国や隣の李氏朝鮮が完成されシステムゆえに、社会の指導層の劣化・腐敗が進んで、大きな破綻・破壊をきたしたのと同じ現象も起きている。
収奪しすぎて、個々の再生産機能が劣化。さらに再分配の軽視で飯も食えないのに、想念も夢も無い・・。
天皇制は「想念の集中OR収奪」を、仏教系でしていたのを、
明治以降は神道帝国主義とキリスト教侵略主義で完成し強化した物ってのが、現在の姿と言い得る。
もう、そういう意味で「夢殿」としての天皇・仏教は、崩壊しか無くなっている・・て言っても良いのかもしれない。
仏教は巨大な教団はもう無くなり、天皇は博物館にいくしか生存の余地は無くなった・・てのも、
一つの仮説。
てなんとなく思ったこと・・
先日に頼んでいた「般若心経秘鍵」の経本が、届いたようで、いつもの仏具屋さんに行って、購入。
これ結構面白いのもあって、いいですは・・・
ちょっと余談だが、この般若心経秘鍵の「あとがき」と称する面白い文章が出来たのが、鎌倉末期とか・・
ちょっと拝借・・
これ読んで一瞬笑った。
ちょうど、鎌倉末期は「元寇」と「鎌倉新仏教と、密教系仏教の再編が出そろう」った時。
どうもこのあたりで、仏教系夢殿システムも一応の完成と言い得る。
ただこの後に南北朝や戦国時代と続いて、そんなに全国的に一元には動かなかったと思える。
まあそれも、少なくとも江戸時代までは、それなりに草・庶民にも有効に機能していたと思える。
夢なり想念の「社会主義システム」としての「夢殿」と考えると・・・
でも明治維新はそれ完全にぶっ壊した。
まあ仏教的な意味での戒なりモラルのタガが壊れたのもある。これは廃仏毀釈。
あるいはそれ以上に明治朝日本帝国の「中央集権制の完成」と「技術の発展」による、「想念と夢の収奪」がより完全に行われるようになったこと大きい。
あと、社会主義国や隣の李氏朝鮮が完成されシステムゆえに、社会の指導層の劣化・腐敗が進んで、大きな破綻・破壊をきたしたのと同じ現象も起きている。
収奪しすぎて、個々の再生産機能が劣化。さらに再分配の軽視で飯も食えないのに、想念も夢も無い・・。
天皇制は「想念の集中OR収奪」を、仏教系でしていたのを、
明治以降は神道帝国主義とキリスト教侵略主義で完成し強化した物ってのが、現在の姿と言い得る。
もう、そういう意味で「夢殿」としての天皇・仏教は、崩壊しか無くなっている・・て言っても良いのかもしれない。
仏教は巨大な教団はもう無くなり、天皇は博物館にいくしか生存の余地は無くなった・・てのも、
一つの仮説。
てなんとなく思ったこと・・
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https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/1e5776e7d6aca8ab004acb92c0869a81
迷ったときのアヴァンギャルド精神世界さんより引用させて・・・いただきます。
開始
人間は、メディア・マスコミ経由、教育経由、家庭経由などそれまで生きてきた環境に応じて、あらゆる洗脳を経てきたので、その頭の中は外部からインプットされた情報とそれをもとに頭の中で組み立てられた派生的な情報で満タンになっている。
人間はニルヴァーナにコンタクトすれば、見神、見仏、見性するなどというのも、いわば洗脳情報である。論証の手段がなく、証拠がないから。
釈迦といふいたずらものが世にいでて
おほくの人をまよはするかな(一休)
そうしたバイアスを一枚一枚玉ねぎの皮をむいていくタイプの修行法がクンダリーニ・ヨーガ。
一方一足飛びに真理そのものニルヴァーナそのものに飛び込もうとするのが只管打坐。
どちらにしても、まともな冥想というのは、
マインド・コントロールを払しょくするか、相手にしない行法なのである。
>マインド・コントロールを払しょくするか、相手にしない行法なのである。
>
そう思います。
夢殿・・・搾取は、仏道に無用なモノ。正気に生きるに邪魔なモノ。
取り返します。
書き込みありがとうございます。
その後過払い請求が始まると
武富士は倒産してしまったでしょう?
一旦取り返しが始まるとね 存在が消滅するまで続く
だって奪ったエネルギーで大きくなったなら
そこから生まれたものなのだから
存在そのものが 取り返しの対象になる」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?mode=m&no=923
から引用
「自分自身の霊感を鍛えるのに一番手っ取り早いのが取り返しで
夢殿に奪われている霊力を逆流させるのですよ
平家は怨みによって霊力を高めたわけで
もともとみんな自分に備わっている霊感や霊力があれば
当たり前に幸せな人生を歩んでいるはずなのです
だからそれを取り返してしまえばいい話
誰かに対して行う取り返しは
実はその後ろの集合体から取り返していることが多くて
突き詰めると夢殿から取り返しているのです
個人はその駒にすぎない」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?mode=m&no=997&photo=true
から引用
夢殿の存在そのものから取り返すという取り返しは幸せな人生を歩んでいることが当たり前になるまで続きます。
>から引用
>
> 夢殿の存在そのものから取り返すという取り返しは幸せな人生を歩んでいることが当たり前になるまで続きます。
悪を除去し終わるまで止むことは無し。
って荀攸でもないけど
過ちは除去し終わるまで止むことなし。
書き込みありがとうございます。
ここで「嫌だ~!行きたくない!」という時点で、脳のネットワークでは「弱者!」という認識が流れてしまうから、ますます「ビビビッのシャワーじゃ~!」と休めば休むほど電流が流されてくる。
そのネットワークにつながっている限りは「ずっと調子が悪くて不運続きなんですけど!」となるのは、嫉妬の電流を受け続けちゃうから。
だったら、単純に「弱者!」から「強者!」に変えちゃえばいいじゃない!
「強者」って頭の中で唱えちゃうと「あれ?抵抗がなくなったかも!」となるから面白い。
「強者!」だから何度も唱える必要はありませんね。
「ウッ!ストレスを感じたかも!面倒臭いかも!」と感じたら「強者!」と思うだけでいいって面白い。」
http://insight-fap.jugem.jp/?eid=2766
から引用
嫉妬の電流を受けている時は「強者」と頭の中で唱えたら楽になるとかだったら面白そうだと思います。
>http://insight-fap.jugem.jp/?eid=2766
>から引用
>
> 嫉妬の電流を受けている時は「強者」と頭の中で唱えたら楽になるとかだったら面白そうだと思います。
面白いです。
書き込みありがとうございます。